第二章 第3話

 ロディの屋敷の前までたどり着くと、メイドのパティが僕たちを出迎えてくれた。

 僕は何度か、この屋敷に遊びに来ているので、パティとは顔なじみだ。

「ようこそ、おいでくださいました。レイG様」

 両手を膝の前におき、深々とお辞儀をするパティ。

 僕たちもつられて、お辞儀をした。

「奥様とロディ様がお待ちです。どうぞ、こちらに」

 促されるがままに、僕たちは屋敷の中へと入っていった。

「ところで、パティはこいつに驚かないんだ」

 僕はレイGを指差して、彼女に尋ねた。

 レイGは意味もなくドヤ顔をして、ふんぞり返っている。

「ロディ様から、すでに伺っておりますので」

「そう言えば、ロディは女ズ……むぐぐ」

 僕は慌てて、レイGの口を塞ぐ。

 パティはキョトンとした顔で、僕たちを見つめた。

「はい? 何か」

「いやいや、何でもない何でもないよ。こっちの話」

 僕は手を振りながら、大げさに否定した。

 自分でもなぜ、こんなに過敏に反応してしまうのか分からない。

 そうこうしていると、プーンと美味しそうな匂いが漂ってくる。

「ご馳走の匂いズらっ!」

「はい、皆様のためにたくさんご用意させて頂いております」

 パティがそう言うと、レイGは僕をせっついてくる。

「早く行くズら、食べるズら」

「わかった、分かったてば。そんなに押すなよ」

 フフフッとパティは笑うと、僕たちを部屋に通した。


 部屋に入ると、テーブルの奥にロディの母親であるシーマさんが座っていた。

 “ケプロの女男爵”と巷で呼ばれる彼女は、とても落ち着いた雰囲気でこちらに笑顔を向けている。

「よく来てくれました。どうぞ、おかけになって」

 彼女は、にこやかな笑顔で僕たちに席に座るように促した。

「お招き頂いて、ありがとうございます」

 僕は一礼をして、続いてレイGを紹介しようとすると、彼女はちょっと驚いた表情で見つめる。

「あらあら、こちらが例のスライムさん?」

 まじまじと見つめる視線に、レイGは不機嫌そうな表情を浮かべる。

「なんズら、オラは見せ物じゃないズら。挨拶なら、まずは名乗るのが礼儀ズらよ」

 仮にも男爵の面前である。

 僕は慌てて、レイGの口を塞ぎ、弁解しようとする。

「す、すみません。コイツ普段から、こうでして……」

 シーマさんは席を立ちあがって、レイGのほうに歩み寄ると一礼をした。

「これは失礼いたしました。私はケプロの領主、シーマ=バークライトと申します」

 その言葉を聞くと、レイGも背筋をピンとして応える。

「これはこれはご丁寧に。私はここにいるレイバーとご子息ロディ様のご学友のレイGと申します。以後、お見知りおきをば」

 レイGはそう言うと、深々と90度のお辞儀をした。

 普段とまったく違うレイGのその対応に、僕は思わず可笑しくなってしまった。

 挨拶を済ませると、ガラガラというワゴンの音と共に執事のパティが数多くの料理が運んできた。

 真っ白なシーツで覆われたテーブルには、次々と料理が並べられていく。

 トロトロに煮込まれたオニオンスープ、色とりどりの野菜が盛られたサラダ、バターの香りが漂う幾種類ものパン、軽くサッと炙られた魚料理、アツアツの鉄板で出される肉料理、大小さまざまな形をしたチーズ……などなど、気が付けばテーブルには食べきれないくらいの料理が並べられていた。

 隣の席のレイGに目をやると、今にも皿にがっつきそうな表情を浮かべている。

 飲み物を注ぐパティに、シーマさんは尋ねる。

「そういえば、ロディはまだ来ないの?」

「ロディ様は、ちょっと体調が優れないとのことでして……」

「まぁ、それは。せっかくレイバーさんたちも来ているというのに」

 シーマさんとパティが問答をしている間にも、レイGは口元から涎を垂らしている。

 僕は慌てて、それをナプキンでふき取りつつ、

「ロディは後で僕が様子を見に行きますよ。それよりも、料理が冷めてしまいますよ」

 シーマさんはふーっと軽くため息を吐くと、僕のほうに頭を下げた。

「まったく、あの子ったら。ごめんなさいね。それもそうね、レイGさんも待ちきれないようだし。どうぞ、存分に召し上がって」

 レイGは待ってましたとばかりに、食べ物を口いっぱいに頬張る。

 僕も朝から動いていたせいか、腹ペコで仕方がない。

 手元に置かれたオニオンスープを口につける。

 う、うまい。旨すぎる。

「これ全部、パティが作ったの?」

 僕が声をかけると、パティはフフンッと胸を張って答える。

「料理は私のもっとも得意とするところ。まだまだありますから、どうぞご遠慮なく」

 僕たちは次々と運ばれてくる料理を口にしていった。

 おもむろに、シーマさんが質問してくる。

「ところで、レイバーさんたちは卒業後の進路は決まっているの?」

 僕は握っていたフォークを置いて、シーマさんのほうを向き直った。

「ここに来る前に、港で親方にも話したんですが、これから兄を探す旅に出ようと思ってて」

「そういえば、ロディから聞きましたけど、あなたはずっとお兄さんを探しているそうですね」

「ええ、四年前に故郷のアムロイを出ていったきり、何も音信がないものですから」

「レイバーさんは、お兄さんの旅の目的をご存じ?」

 思いがけない質問に、僕は一瞬戸惑った。

 兄の旅の目的――そう、何度となく気になってはいたものの、兄の口から語られることはなかった。周囲の大人に尋ねても、誰も答えてくれなかったし、いつしか僕も聞かなくなっていた。

「もしかして、シーマさんはご存知なんですか!」

 僕は思わず、席から立ちあがって大声を出してしまった。

「知っているも何も、彼――トニー=ガネットに星獣の調査を命じたのは、私ですから」

「星獣の調査ですって?」

 星獣といえば、他でもなくシー・ライナスのことだ。

 親方もそうだけど、周りの大人は星獣の名を口にすることすらためらっていた。

 ただ、星獣が強大で恐ろしいものだということは、そうした雰囲気から実感があった。

「そう、その星獣が今また目覚めようとしているのです。急に海で魚が取れなくなったり、船の海難事故が多発したり……。さらには海底での火山の噴火。まだ、推測の域を出ませんが、同時多発的にこのような災いが起こるのは、星獣をおいて他にはいないでしょう」

「じゃあ、兄の居場所を知っているんですね?」

 ――兄さんに会える!

 僕が嬉々として尋ねると、シーマさんは困ったような表情を浮かべた。

「それが、私のもとにも一年ほど前から連絡がなく、ハッキリとした所在が分かっているわけではありません。けれども、トニーは最後に連絡のあった“アルアン大陸”にいるはずです。今年に入ってから、船が出る回数が極端に減っていますから、別の地に移ったということもないでしょう」

 シーマさんはそういうと、そばにいたパティに指示を出す。

「パティ、あれを」

「かしこまりました、男爵様」

 そう答えるとパティは先端がL字になったカギ棒を手に持ち、壁側の天井に吊り下げてある地図を広げた。

「世界地図っ!」

 思わず僕は驚いて、声をあげてしまった。

 考えてみれば、僕は生まれてから故郷のアムロイ村と、ここケプロしか知らない。

 地図自体は学校でも見たのだけど、それは一部しか描かれていなかった。

 こう改めて見ると世界の広さが窺い知れる。

「そう、世界地図です。ちょっとこれから、今私たちが置かれている状況をご説明しますね」

 そういうとシーマさんは、真剣な顔つきになった。

 さっきから妙に静かだと思い、隣の席に目をやるとレイGはテーブルに突っ伏して、爆睡している。

 たらふく食べて、寝るなんて良いご身分だ。

 ただ、コイツが起きるとウルサイから、僕はそのまま寝かしつけておくことにした。

「今、私たちがいるのが、ここノーゼルアン群島。アルアン大陸へは、海を渡る必要があります」

 パティはシーマさんの説明に合わせて、地図のポイントを棒で指していく。

「でも、さっき港に立ち寄ったんですが、船が出せる状況じゃないんじゃ……」

 シーマさんは、僕のほうを向きコクリと頷く。

「そう、平常時であればここ、ケプロからすぐにでも船は出せます。けれども、凪が訪れていて全くといっていいほど風が吹かないせいか、もう二ヶ月あまり船を出せる状況にはありません。したがって、レイバーさんたちには、“ポルト岬”へ陸路で向かってもらいます」

「ポルト岬からは、船が出せるということですか?」

「普通の帆船は出ないわね。だって、世界中の海が凪いでいますから」

「??」

 僕がよく分からないという顔をしていると、急に食堂のドアが開いた。

「“飛水艇”を使うのさ。ようは空を飛んで、アルアン大陸へ向かうんだ」

 そこには、いつものロディの姿があった。

「ロディ様、身体のお加減は……」

「もう大丈夫さ。それよりも母さん」

 パティの気遣いに答えつつ、ロディはシーマさんのもとに歩み寄る。

「レイバーたちに頼むことがあるんだろ?」

 何だろうか、頼みって。

 シーマさんが複雑な表情を返すのを見て、ロディが口を開く。

「頼みってのは、一つはポルト岬から飛水艇でアルアン大陸に渡り、トニーさんを探すこと」

「それは頼まれなくても、大丈夫さ。むしろ、僕の旅の目的なんだから」

 ロディはコクリと頷くと、小さく息を吐いて言葉を続けた。

「それで、もう一つは……もし、トニーさんが星獣の調査続行が不可能な場合は、キミたちが調査を引き継ぐこと」

 調査を引き継ぐかぁ、僕にできるのだろうか。

 僕がぼんやりと聞いていると、ロディは真剣な表情になった。

「レイバー、この意味分かってる?」

「いや、よくは分からないけど、兄さんの代わりに星獣の調査をしろってことだろ? 急に真面目な顔になって……何かあるのか?」

「実はアルアン大陸では、良くない噂が出ているんだ」

「良くない噂?」

「大陸北部の村や町で、人々がまったく働かなくなってる噂だよ」

 ロディは状況を把握していない僕のために、説明をしてくれたがいま一つ意味が分からない。

「働かないって……それは単に怠けているだけなんじゃ。そもそも、この件と何の関係があるの?」

「“瘴気”が発生している可能性がある」

「瘴気って?」

 僕が重ねてロディに尋ねようとすると、爆睡していたレイGが大きなあくびをしながら起きた。

「ふああああぁぁ……、お前は何も知らないズらね。瘴気が出たということは星獣が目覚め出しているということズら。人間が働かないのも、それが原因ズらよ」

 レイGはさも自分の知識をひけらかすような口ぶりで、寝ぼけた目で僕を見た。

「なんで、お前がそんなことを知ってんだよ」

「愚問ズら。そもそも、オラはそのことを伝えにアルアン大陸から来たズらよ」

 驚きと共に、シーマさんのほうを向くと、彼女もちょっと驚いた表情を浮かべている。

「まぁ、大陸からの使者はレイGさんのことだったの……。私も数日前にノーゼルアン国王陛下から、その件について話を伺っています」

「使者って、もしかしてお前偉いヤツなのか?」

 レイGはフフンッと鼻を鳴らすと、偉そうにふんぞり返った。

 いちいちムカつくなぁ。

 さらに何か喋ろうとしているレイGを無視して、僕はシーマさんに尋ねた。

「僕は星獣について、ほとんど何も知らないんですが」

「星獣シー・ライナスは、世界の守り神にして凶星の予兆。その姿を見せる時に、世界は災いの瘴気にさらされ、全てのものが反転する――と言われています。大陸で起こっている変化は、やがて世界中に広がるでしょう」

「何か防ぐ手立てはないんですか?」

 シーマさんはフーッとため息を吐くと、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

「私はこの群島国家のいち領主にしか過ぎません。本当なら私が直接動いて、ケプロの人々の不安を取り除いてあげたいのだけれど……」

 ガタッという大きな音と共に、話の途中でシーマさんはその場に倒れてしまった。

「母さんっ!」

 ロディはそう叫ぶと、急いで駆け寄った。

 倒れたシーマさんをパティが急いで抱きかかえる。

 パティは慣れた手つきで、シーマさんの額に手を当てたり、脈をとったりしている。

「大丈夫です、ロディ様。奥様はここのところ過労がたたって、時折意識を失ってしまうことがあります。ご説明の最中に申し訳ありませんが、奥様をお部屋へお連れするのを手伝っていただけませんか」

 僕らはシーマさんを抱きかかえて、彼女の部屋へと移った。

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