花園の蕾

@kaibakougan

第1話 出会い

第一章 (1)

志野は遊学館へ向かう山道を一人歩いていた。 天空には夏空が広がり歩く道を木々の木漏れ日が風の強さを強調していた。 志野は立止まると帯に結んだ手拭いで汗を拭い、空を見上げ「今日は風が強い」と夏の太陽に目を細め、「騒ぐ樹木の木漏れ日に先行く我心を想う。」と急ぐ心を歌にするとまた歩きだした。

志野の集落から遊学館までは三里ほどある、近年遊学館のある城下に汽車が通り驛ができ、集落と元城下である街が繋がった事で生徒数が倍増していたが、志野は今までと変わらず山道を利用している。志野にとっては歩く事で好きな歌のために自然の造形、空気感などを体感というより自然から会得したいと考える少し違った眼を持っていた。 尤も、町の人たちは汽車の到来により物資と人々の往来による町の発展を期待して、浮足立っていたが。

或るとき遊学館の師が志野に「なぜ、汽車を使わぬ。便利と思わぬか」と聞いたことがある。志野は「先生、確かに里を下りた所に驛が出来ました。然し、私は自分を楽させる事で、何かを失うような気がしてなりません。」と答えた。 師はその言葉に「自分を楽にさせる事は悪いことではない、時短が出来れば自分の進歩に繋がる。志野も学問に邁進できる」と説いた。志野は憮然として態度で、

「師は私が学問に熱意がないと言われますか

学問をするために自分を楽にさせようとは思いません。人は楽をすると不埒な事を考えるものです」師は「楽が不埒とは難儀な事だ、今は文明開化の世にある」と言ったが、志野にとって文明開化の象徴である、汽車は自分の思考を妨げる自堕落の一つと考えていた。

遊学館は江戸幕末の時代に蘭学者である加納源生が当時の志木藩に招き開かれた。動乱の時代の中で若武士が源生の思想に共感し、師と仰ぎ何時しか尊皇攘夷を唱えるようになり世相動乱の渦に飲み込まれていったが、大政奉還後に時勢が変貌し病に臥せっていた源生が辞去してから志木藩内攘夷の中心的な役割を果たしていた遊学館は勢いをなくしていった。

廃藩置県が明治政府から発布され藩から行政に変わり広く民に学問を説く場所として再び廃墟と化していた遊学館に白羽の矢が立った。生まれ変わった遊学館には新井秀治と言う29歳で日本文学・外語に精通した若者と算学等専門分野の学者数名で教鞭をとり、学長は佐藤学という役員が就任してもう時代は明治へ変貌していた。

新井秀治は四国高知生まれで外見は日本人としては骨格が有り背が高く目鼻立ちがすらっとした男で志野が学んでいる日本文学も秀治が教えていた。日本文学と言っても今は平安時代の和歌の探求に勤しんでいた。


志野は遊学館の入り口へ向かう表門の石畳みで汗を拭うと門柱の蝉が勢いよく目の前を通り過ぎ驚きのあまり後去りをすると、誰かが志野を支え肩へ手が触れた。「申し訳ございません」と俯きながら相手を見ると、恰幅の良い男が立っていた。

「志野ではないか、蝉に驚くとは可愛いところがある」と笑みを浮かべた秀治が声を掛けた。

志野は肩に手が触れた事と秀治から可愛いと言われたことに動揺したのか、俯きながら顔を赤らめた。

秀治は石畳みに落ちている手拭いを拾い志野に渡し、驚いた拍子に志野が落したものだった。

志野は相変わらず俯きながら受け取り、「有難う御座います。先生に支えて頂けなかったら、転んでいたかもしれません」と答えた。

数人の門徒が2人の様子を伺うように通りすぎるのを志野は横目で見ていると「幾つになられた」と唐突に秀治が聞き「私は21になります」と答えた。秀治も周りを気にしている様子で会話はそこで止まり言葉を探しているような雰囲気に、突然志野は打ち消すかの様に「先生は私の歌をどうお思いでしょうか

」と話し、の額の汗を拭いた。秀治は合いの手に助けられた思いで細いが白い志野の手を見て。

「志野殿の歌は憂いと躍動感、何より自分から湧き上る感情を忠実に言葉に出来るのは素晴らしい。然し、粗削りな面と思いが強すぎる点が今後の課題かもしれぬが、其れも若気の徳かもしれない」と言うと志野は顔を上げ「私はもう21です、学ばねばいけない事は沢山あります。先生の様に教鞭に立ち、人の支えになりたいと考えており、女の私に勤まりますか」と大きな目で秀治を直視した。初めて志野の顔を近くで見た秀治は鼻が通り大きな目の志野を美しくいと感じて、また志野の真剣な顔に男としての感情を抑えようと目線を逸らせ

「志を持つことに男女問わず」

「学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずしていきどおらず。亦君子ならずや」 と孔子の言葉を口にした。

(いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、それこそ喜びであり、朋が遠くからでもいとわずにやって来るほどで、それは実に楽しいことである。他の人が自分を正しく知って理解してくれなくても心に不満をいだいたりまして怒ったりはしない。それでこそ君子である。)引用

秀治は志野に学ぶ姿勢、自分の心に志を持つことを説いた。

「私に出来る事は志野殿にお教えしよう。其れが喜びで溢れれば有りがたい」と言い志野はその言葉に涙が溢れるのを押さえ「お願いします」と頭を下げた。



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