ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目
ぐびぐびぐびっと俺は咽仏を上下させて、花柄のティーカップの中身を飲み干した。変な味のするミルクティーだった。
それはそうだろう、その中には強力な惚れ薬が混入していたんだから。
俺はそれを知っていたからこそ、勢いを付けて呷った。
妹リリィが飲まされるはずだったそれを。
この貴族御用達の喫茶店には、現在俺以外に妹を含め計六人の人間がいた。五人は若い男達で皆が皆俺の可愛い妹を狙う不届きな輩だ。
そいつらが偶然にも一所に居合わせたってわけだった。
今日、森のイタズラ好きの魔女が妹のティーカップに惚れ薬を入れて飲ませるつもりだと俺は知っていた。妹が一度それを飲めば感情が昂り体が火照って大変らしく、はあはあと息も荒くなり自らを抑えようと耐えて喘ぐ姿は俺でさえ赤面するようなお色気状態を醸す。
そしてこの日こそがリリィの人生においても俺の人生においても引き返せない転換点で、五人のクソ野郎共はそんな淫らなリリィを見てしまったがために彼女を手に入れようと行動が過激になる。
何としてでも俺はそれを回避したかった。
強く唇を噛んで薬の効果に耐えれば何とかなるはずだ。駄目なら忍ばせたナイフで掌を切り付ける。そんな準備さえして臨んだ俺は、結果を言えばしくじった。
黒歴史を刻んだ。
惚れ薬はそう甘くはなかったんだよ。
「う、――っあ、くぅっ……はあっ、はあっ、体が熱っ、ぃいいっ、や、んん耐えろ俺……っ、はあっはっ、ああっ」
床にへたり込んで両腕で体を固く締め上げて歯を食い縛る。唇はとっくに噛んだ。血の味がする。
顔面だけじゃなく耳まで首まで赤くなっているだろう俺は熱さに耐え切れずに襟元のクラヴァットを引っ張って引きちぎるようにしてシャツの胸元を寛げた。少しは熱が逃げてくれて心地よく、汗ばんだままほぅと細い吐息が漏れる。
それから暫し荒い息を繰り返した。
不可解にも誰も何も発しない。
俺の姿に酷くドン引いているんだろう。屈辱だがこれも仕方ない。変態のレッテルを貼られようと、リリィを護るためなら耐えてみせる。リリィには気持ち悪いと幻滅されるかもしれないが、それでももう何度も人生を繰り返して妹の長所を見てきた俺に悔いはない。
フラグは折った。これできっとリリィはエロティックな破滅ルートから逃れられるはずだ。本当に好きな男と幸せになれよ。
「ラウル、大丈夫か?」
五人の誰かが屈んで俺に話しかけたようだが、意識が朦朧としてきた俺には誰だかわからない。
その時、心配してそうしたんだろうそいつの手が俺の肩に触れた。
惚れ薬ってか媚薬だろこれって強い薬のせいで、思わずビビクンッと体が跳ねた。
「――っ、や、触……るなっ!」
ドクドクドクドクと心臓が高鳴って血の巡りがより一層早くなる。端的に言えばその、感じた。肩に触れられたたけで。
……死にてえぇ~。
なけなしの気を強く持って睨み上げた相手の顔さえも潤んだ目には霞んで誰かわからない。
「ラウル、口から血が! まさかカップに毒が!?」
「毒!? そんな、死んじゃやだあっ、お兄ちゃん!」
大まかな動きから、相手が息を呑んでたじろいだのだけはわかった。早く医者をとか神官をとか誰かが叫んでざわつく周囲。
リリィ大丈夫だ、これはただの惚れ薬だから。死なないよ。……精神的には死にそうだけど。
ってああくそ、ホントクソだなこの惚れ薬は!
俺は意図せずも血の滲む唇を動かしていた。
どうして惚れ薬って言うのか、それはあれだ、相手を好きになるから惚れ薬って言うんだろ。
そう、好きに……。
「――しゅき」
しん、と辺りが静まり返った。俺の口元の血をハンカチで拭ってくれていた相手の手がピタリと止まる。
「……大、ちゅき」
潤んだ眼差しを陶然と開いたままの俺は薬の与える心地よさに抗えなかった。脱力感に襲われ始めて呂律の回らない舌で好意を表した。
まっっったく俺本来の意思じゃない。
しかし恐ろしい事に惚れ薬は止まらない。
幸いにも俺はこれが一時的な効果だと知っている。
調べればこの場の皆も真相に辿り着くはずだ。いや、辿り着くのだと俺は知っている。毒だ毒だ盛ったのは誰だと大事になってしまい、誤解から投獄されるかもと焦ったいたずら魔女が自白するからだ。
だがしかし、この日の俺の言動はしかと皆の記憶に刻まれたらしい。
その後すぐに熱に沈んだ俺が目覚めた三日後。
とっくに薬の効果は切れている俺はいつもと変わらず過ごしていたんだが、会う奴会う奴と、何故か五人の様子がどことなくおかしくなっていた。
赤面されたり、急に怒り出したり、以前は触るなって野良猫みたいに敵意丸出しだったくせに甘えてきたり、色々。
え、俺が寝てる間に何かあったのか?
皆仲良くしましょうとか国王令でも出たの?
ついでに言えば妹も少し様子がおかしかった。
お兄ちゃんと甘えた声でくっ付いてくるのは可愛いからよしとして、俺の汗を拭こうとしたりドジ度合いが妙に増えて俺によく水を零してきて着替えを手伝おうとしてくる。優しく良い子のリリィがやたらと俺を脱がせようとする気がするんだが? いや、まさかな。馬鹿な邪推するような嫌なお兄ちゃんでごめんなリリィ。
たださあ、庭の陰で五人といる時すらあって、危険だリリィってその度に俺は邪魔に入って妹を連れ出したよ。大丈夫だとリリィは苦笑していたが、猛烈に心配だ。
男達は不満そうにしてたっけ。
ふん、俺の目の黒いうちは大事なリリィはやらん。
でも、ん? 五人が睨むようにしてるのは……リリィ?
あー、そうか、五人共どうして自分に靡かないのリリィちゅわぁんってヤンデレ心で嫉妬してるんだな。
折角惚れ薬事件を回避させたのに、一朝一夕には気持ちを変えられないか。手強いぜ。
さて、この先どうやってリリィの破滅を阻止するか。
それがこの俺ラウル・アップルシールドの人生の目標だ。
俺の妹リリィ・アップルシールドは食われた。性的な意味で。
それも百回。
一人にじゃない。五人の男達に等しく二十回ずつ。
ただしそれは一度の人生でじゃない。百回同じ人生を繰り返してトータルした数が百回だ。
人生一回につき五人のうちの誰かに一回食われたって計算になる。
最悪にも妹は無理やり関係を持たされてしまった相手を好きじゃなかったがために、自害をしてしまう。
俺は幼い頃から妹を虐げてきたせいもあって、どうして止めなかったんだといちゃもんに近い非難をされて、五人のうちの誰かに衝動的に殺されるって悲劇で不幸な悪役兄だった。
リバース転生しても食われた当人の妹には自覚は全くないようだが、俺には百回同じ人生を繰り返した記憶がちゃーんと残っている。
今ここにきて、俺は通算百一回目の悪役兄ラウル・アップルシールドな人生を送っている。
正直俺はもうこの人生にうんざりしていた。
もう望まず死にたくないってのが理由の一つ。だってめちゃくちゃ痛い。
他の理由としては、最愛の妹がヤンデレ男の誰かにヤられる展開をもう見たくないのと、婦女子の合意を得ない行為は犯罪ですって五人に諭して改心を促すのが超絶面倒だからだ。どうせ言う事聞かないしな。
人生三度目くらいで自分がもしかしたら果てのないリバース転生者かもしれないと理解してから、これまで何十回と俺は男達に妹に手を出さないように説得を試みてきた。
その人生三度目には、悪役兄として屋敷のメイドだった平民女が産んだ半分血の繋がらない妹を蔑み疎み虐めていた自分が如何に愚かだったのかを省みる事ができ、僥倖だったとも思う。
以降俺は良き兄として可愛い妹の貞操を守ろうと決意し動くようになったんだが、五人のクズ男達は最高に厄介者ばかりで、百回も妹を守れなかった。
時には五人を集めて講義形式で奴等の歪んだ倫理観を正そうとした人生だってある。うん、まあ、無駄だった。ははっ。
どうして俺はこの人生を繰り返すのか自問自答を何度しただろう。当然答えなんて出ない。
試行錯誤が続いてリバース五十回目くらいに、ようやくとある事件が引き返せないヤンデレフラグを立てているんだって悟った。
それが惚れ薬事件だ。
だから俺はそれからというもの、リリィのミルクティーを他の誰かに飲ませたり、零したり、例の喫茶店を避けたりと画策したが、そうすると他のやり方でリリィは惚れ薬の餌食になるか、予定よりも早く五人の誰かにヤられてバッドエンドになった。
でもリリィについて解せないのは、彼女が好きになる男は五人のうちの誰かだって点だ。
よって俺はリリィが好きな相手と結ばれさえすればハッピーエンドでもうリバースしないのでは、と期待してそうなるよう仕向けた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
一つ前の人生でAが好きだったと告白して死んでいったからこそ俺はAと結ばれるよう画策したのに、その人生じゃリリィは別の男Cを好きだった。
必然、バッドエンドだよな。
何で違う男を好きなんだよーっ! なんだよー、なんだよー、なんだよー……。
そして、どうやってもリリィは好きな相手とは違う男に無理強いされる定めらしい……。
前日に好きな奴をしっかり確認したのに、翌日その男と結ばれた後に実は別な奴が好きだったみたいって涙ながらに告げられた時は、崖から落ちた気分だったね。はい、バッドエンド!
ならさ、誰ともくっ付かなくて良くないって修道院に出家させても妹は不治の病に罹って俺はどうして出家させたって責められて殺されてバッドエンドだった。
ああ、その回でもきちんとって言い方はおかしいが、五人の誰かが修道院に侵入して妹を襲ったよ。悲嘆に暮れた妹は自害こそしなかったが程なく罹患していた病で儚くなった。
ミルクティーを捨てても駄目、適切な男とくっ付けようとしても実らない。どうすりゃいいんだよ。もう疲れた。もう無理。
百一回目の俺はアップルシールドの屋敷で一人ぼんやりお茶を飲み飲み泣きたくなっていた。あー、美味いなこのお茶。ミルクティーよりも俺はストレートのが好きだな。
と、そこで試してない方法を思い付いたってわけだ。
俺が惚れ薬を飲むってやつをな。
そんなわけで実行したってわけだ。
結果は見ての通り散々だったが、まあ今のところこれまで起きていたような五人によるそれぞれのリリィの監禁未遂とかは起きてない。
何かが変わったのかもしれない。
そういやこの前、俺は鍵が壊れたとか言われて五人のうちの一人と一室に閉じ込められたけどな。向こうは不安からかいつもより少しスキンシップが過剰で、たまたま密着した際にポケットを触ったら鍵が入ってたっけ。ははは、ボケんのにはまだまだ早いってのなあ。
誰にでもうっかりはあるから赦してやってバシバシ背中を叩いて笑ってやったら、どうしてだか落ち込んだっけ。何でだよ。
そうして部屋を出たところでちょうど妹を含めた他の奴らがすんごい形相で駆け付けてきてかなりビビったが、無事を喜ばれたからまあ心配かけてごめんなって一人ずつハグしてやった。嫌がられなかったから良かったよ。
「もしかしたら今回は本当に上手く行くのかもしれないな」
俺はそう希望を胸に五人とリリィを思い浮かべて息をつく。
この後は、大通りまで出てそのリリィと楽しいショッピングの予定だ。
「さて、何を着て行こうか」
俺達の邪魔をしに誰も現れない事を願おう。
森の奥の魔女の城に一人訪れた男がいた。
「そなた、何が欲しいんだい?」
魔女は金貨の入ったずしりと重い袋に満足そうに頷いている。この魔女は大変に金に弱かった。大金さえ出せば何でもすると言っても過言ではない。
男は、血の付いたハンカチを大事そうに取り出すと、テーブル上でそれを魔女へと押し出す。
「ラウルの血だ。確実な惚れ薬を作るのには十分だろう?」
「そなたは薬で隷属させて満足なのか?」
「……これはやむを得ない時の保険だ」
「かはは、なるほど。振り向かせる目算はあるようだが自信はないようだね。そんなにイケメンなくせにね」
「顔の良さはラウルには通じないんだよ。彼の方が美しいからな」
かはは、と魔女は愉快そうに笑う。
「確かに。アップルシールド兄妹はどちらも容姿が優れているからねえ。兄の方に気が移っても納得だね」
男は軽口に押し黙る。
喫茶店惚れ薬騒動では、自分だけではなく他の四人の男達もラウルへの見方がガラリと変わったと彼は気付いている。
それは、ラウルの妹のリリィもそうだ。
「絶対にリリィにだけはラウルをやれない」
かつて恋していたリリィ・アップルシールドは今やラスボスだ。
禁断の牢獄にラウルを堕とさせないためにも、彼はラウルの血を使った完全な惚れ薬を望むのだ。
しかもラウルにしか効かず、他の者が飲んでも一切影響は出ない優れものだ。
「あたしは貰うものさえ貰えれば、きっちり仕事はしてやるさ。後はどうなろうともう関係ないからね」
金貨袋とハンカチを手に魔女は席を立った。
「十日後、またここに来な」
男は頷いて彼も席を立つ。
「ま、使わないで済むよう精々頑張りな、男前」
それには何も返さず男は踵を返して魔女の城を後にした。
大きく異なる道筋が描かれ始めたラウル・アップルシールドの百一回目の人生は果たして何処に向かうのか、まだ誰も知らない。
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