全自動手術室
吟野慶隆
全自動手術室
「依頼の内容は、電話で伝えたとおりだ」私は寝たまま、ベッドのそばに立つ技師に言った。「うちにある全自動手術装置を、この家の医療コンピュータシステムが使える状態にしてもらいたい」
「分かりました」彼は頷いた。「しかし、珍しいですね。個人で装置を所有してらっしゃるなんて」
「私は大の医療施設嫌いでね。定年退職後に、貯金を使って、自宅に病院顔負けの設備を整え、療養していたんだ。中古の医療ロボットやシステムを、安く買い取ってね。人間より、機械のほうが信用できる」
「はあ。なるほど」
技師は室内を見回した。壁にはヒビが入り、天井にはシミができており、かすかに独特な異臭がしている。この部屋だけがそうなのではなく、家のあちこちがぼろぼろだ。
私は、ふう、と溜め息を吐いた。「今まで順調だったんだがね、昨日ついに、そこの壁の体調表示モニターが『要手術』の文字を浮かべたんだよ。それで、全自動手術装置を使用可能な状態にするべく、君を呼んだんだ。こればかりは、専門の技師じゃないとできないから。装置の場所は、案内ロボットに訊くといい」
「承知しました。装置に、故障していて修理が必要な箇所があった場合は、すぐには直さず、他の正常な部分でそれの代わりをできるかどうか試みるんですよね?」
「そのとおりだ。修理となると、費用が余計にかかるんだろう? 貯金だって、無限にあるわけじゃない」
「了解しました。では早速ですが、作業に取りかかってきます。四時間ほどお待ちください」
彼はそう言い、部屋を出て行った。私はテレビを点けると、適当に視聴して時間を潰した。会社へと向かうサラリーマンに街頭インタビューをしているワイドショーや、どこぞの駅で発生している火災を生放送している報道番組などを見た。以前よりも目が悪くなってきているのか、コンタクトレンズを装着した状態でも、景色が少しぼやけているように感じた。
予定より大幅に遅れ六時間後、ビタミン剤のコマーシャルを見ている途中に、技師が戻ってきた。「完了しました。プログラムも整えましたし手術の際使用する薬剤も指示しました。麻酔深度測定機が故障していましたのでカメラによるモニタリング及び音声による呼名反応の確認などで入眠を判断するようにしています。それでは装置及びそれにより行われる手術について説明します。まず全身麻酔に使用される薬剤は一種類だけですが筋弛緩や鎮痛など麻酔に必要な効果すべてを持ち術中覚醒を完璧に防ぐことができ……」
その後も、彼の話を聴き続けた。角膜保護のため、閉じた瞼が開かないように貼られるテープや、呼吸補助に使われる、最近開発されたというあらゆる手術に対応できる万能フェイスマスクなど、様々な事柄について説明を受けた。終始早口で、落ち着きがなかった。
一通り聴き終わった後、私は尋ねた。「どうしてそんなにそわそわしているのかね」
「あ、いや、すみません」技師は慌てて頭を下げた。「その、あなたは知っていますか。駅で火事が発生したっていうニュース」
「ああ。さっき、目にしたが」
「自分は妻からの電話で知ったんですけど。実はそこ、娘が通学の時使っている、最寄駅なんですよ。あいつは今日も学校に行っているんです。でも、いつも下校する時刻は、火事発生の一時間ほど前ですから、巻き込まれてないとは思うんですけど……しかし、万が一ということが……連絡もとれないし……」
「それは心配だろうな。もう説明は聴き終わったし、帰ってもらって構わないよ」
「そ、そうですか。本当にすみません。ありがとうございます」技師は頭を下げると、足早に部屋を後にした。
私は、家の医療システムに、手術へ向けての準備を開始するよう命じようとして、ベッドのそばの台に置いてあるタブレット端末を手に取った。
汗で滑り、床に落下した。
「ああっ?!」
慌てて拾ったが、時すでに遅く、画面中央を中心として、放射状にヒビが入っていた。それでもしばらくの間、電源は点いていた。しかしやがて、ざざっ、という音とともに二、三回画面が震え、砂嵐が混じった後、ぷつん、と真っ暗になった。
「なんてこった……」
私は溜め息を吐くと、台の引き出しから、予備のタブレット端末を取った。
その後十数日間、検査を受けたり医師ロボットに診察されたりして、着々と用意を進めていった。そして当日、事前に指定された時刻である午後九時になると、専用の服に着替えてコンタクトレンズを外し、ストレッチャーロボットに乗って手術準備室に向かった。
外は真っ暗で、大雨が降っていた。ときおり、雷も鳴っている。私は麻酔前投与薬の副作用により、眠気を覚えていたため、欠伸を数回した。
準備室では本人確認や、帽子の着用などを行った。ストレッチャーロボットを乗り換え、手術室に入ると、台に移され、体中に様々な機器を取りつけられた。左右両方の手首、足首、腕と脚の付け根は、プラスチック製の輪で台に固定された。
しばらくすると、「それでは、麻酔を投与します」という音声が流れた。そして、私の体に繋がる点滴に、薬剤が注入され始めた。
徐々に、意識が朦朧とし始める。このまま眠った後、起きれば、もうすべてが終わっているのだな。そんなことを考えながら、気を失った。
腹部に冷たい刺激を受け、意識を取り戻した。もう、手術は終わったのだろうか。そう思い瞼を開こうとしたが、テープがまだ外から貼られているらしく、上がらない。力を強く入れると、それが剥がれ、ようやく開けることができた。
私は依然として、台の上にいた。壁の時計によれば、麻酔投与から数十分しか経ってなかった。
おそるおそる首を上げ、自分の体を眺める。服は脱がされていて裸になっていたが、手術が行われたような形跡はどこにもなかった。口には、眠っている間に装着されたらしいフェイスマスクがある。
左右には様々な器具を一つずつ備えたロボットアームがたくさんあり、そのうちの一本が、先端に取りつけた綿で腹部を拭いていた。どうやら、消毒を行っているようだ。
いったいどういうことなのか。困惑し、周囲を見回した。そして点滴を発見すると、それを凝視した。
点滴に注入されている薬剤の表面には、「麻酔」ではなく「ビタミン剤」と書かれていた。コンタクトレンズを外しているため、最初ちらっと見た時は気づかなかったのだ。
「あの技師めっ!」私は絶叫した。「さてはあいつ、火事の知らせに気を取られるあまり、麻酔を投与する時使う薬を装置に間違えて指示しやがったなっ!」
打たれた後、意識を失ったように思ったが、あれは麻酔前投与薬の副作用である眠気による、ただのうたた寝だったのだ。
「くそっ! 何とか逃げ出さなければっ!」
私は手術台から下りようとした。しかし、四肢はプラスチック製の輪でがっちりと拘束されていた。
「やめろっ! やめろやめろやめろおっ!」
そう叫びながら、手足をがたがたと動かした。この装置は、モニタリング及び音声による呼名反応の確認などで麻酔投与による入眠を判断するようになっている。もしかしたら、覚醒していることに気づいてくれるかもしれない、と思ったのだ。
しかし、無駄だった。ロボットアームは相変わらず、綿で腹部を拭き続けていた。どうやら、私が起きているか・眠っているかを見極めるのは、麻酔が打たれた直後のみで、一度「入眠した」と判断すると、もう、意識の有無を確認しないようになっているらしい。
ああ、こんなことなら、機械に頼らず人間に手術を担当してもらうべきだった。そう心の中で呟いた直後、体にシーツが被せられた。
「それでは、手術を開始します」
上空からロボットアームが、先端に取りつけたメスの刃を煌めかせつつ、私の腹部めがけてゆっくりと下降してくる。
〈了〉
全自動手術室 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t
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