第一章 吹奏楽部入部 3 フルート

 凛は直にフルートの構え方から教えた。慣れない直は指がなかなかポジションに押さえられなかったが凛は丁寧に手を添えて教えていた。

「ポジションは見なくても押さえられるように頑張って!今度は頭部管を外して」

 直は不思議な顔をして頭部管を抜いた。頭部管だけで音を出す練習だ。

「まず唇の形を作らなくちゃ、こうやって息を吹き込むの」

 凛も自分の楽器の頭部管を抜いてやって見せた。凛の唇は薄くてフルート向きだった。

「ホー」と綺麗に響いた。

「トゥーと言う感じよ」

 直もやったが音にならなかった。

「朝倉先輩、鳴りません」

「当たり前じゃない、この楽器は木管でもリードが無いの。唇がリードになるから難しいのよ、あせらなくていいから」

「はい、わかりました」直にはリードの意味がわからなかった。

 何度吹いてもきたない音にしかならなかった。音と言うより息の音そのものだった。そのうちよだれが垂れて来た。

「口元を締めないからそうなるのよ」

「アンブシュアが出来てないわ」

 言われてやっても出来ないので直は悲しくなってきた。そのうち涙がぽろぽろ出てきた。

「あら、直、何泣いてんの」

「だってえー、できないもん」直はハンカチで涙を拭きながら言った。洟まで垂れていた。

「ばかねえ、今日初めて吹いたのよ、出来なくてあたりまえじゃん」

「そうかなあ」直は涙目でもう一度口を歌口に当てた。今度は凛の言ったことを思い直して吹き方を変えてみた。

「ホー」音が出た。直の目が丸くなった。

「出来た!先輩!で、出来た!こんな感じですか!」直の目にまた涙が溜まった。

「直!やったじゃない!その感じ、忘れないで!」凛も笑顔になった。

 何回か頭部管だけで練習をし、次に本体をジョイントして音を出す練習を始めた。

 直はなんだか嬉しかった。

 凛からすればなんのことはない練習で泣いたり喜んだりの直を可愛いと思った。この子は単純だが、今までにないものを持っている子だなと思った。



 その夜、食卓を囲んで上機嫌の直に総司も真奈美も少しホッとした。

「直、昨日は疲れたようだったけど、今日はどうだったんだい?」総司が聞いた。

「うん、今日はね、音出したんだよ。最初はね、なかなか出なくて悲しくなったんだけど、何回も何回もやってね、音が出たときはすっごいうれしかったよ」直の目がキラキラしていた。

「そうか!良かったなあ。明日からも頑張るんだぞ」総司も真奈美も娘が少し成長したことがうれしかった。

「そうだ、楽器はね学校のがあるからさあ、これで一生懸命練習するよ」

「そうだな、本当に上達したら考えてもいいよ」総司は内心ホッとしていた。



 直は自分の部屋で鞄から表紙がボロボロになった本を取り出した。

 その日の夕方、練習が終わった後、凛が直の元へ来て

「私は今から会議だからさあ、しばらくこれ読んでおいたらいいよ」と、凛が使い込んだであろうボロボロになった教則本を渡した。

「あ、ありがとうございます!」直はまた涙をぽろぽろこぼした。

「それくらいで何泣いてんのよ、あ、返さなくてもいいからね」そう言うと凛は鞄を持って部室を出て行った。



 直は1ページ目から目を通し始めた。ページの隅が折れて丸くなっていた。

「そうかあ、これ勉強になるなあ」目を輝かせながら写真や楽譜や文章を追っていた。何もかも初めて触れることばかり。先輩の使いこんだ教則本だ、絶対ものにしなくちゃ。

 真奈美がホットミルクを持って部屋に入ってきた。

「色々覚えることばかりで大変ね。音楽記号の事ならお母さんも詳しいから聞いてね」

「うん、ありがとう」直はスエット姿だった。風呂上がりで髪の毛もタオルで拭いたまま。

「ただし、勉強もおろそかにしちゃだめよ」真奈美はクギを刺した。

「はあい、わかってるよ」

「あまり遅くならないようにね」そう言って部屋を出た。

 直は三十分後、ホットミルクのせいか眠くなってベッドにもぐりこんだ。



 入部してから直は音を出す喜びで毎日が楽しかった。運指も少しづつ慣れて音階らしきものも形になってきた。

 凛も自分の練習があるので時々直と離れて個人練習になることもあったが、直は決してサボろうとはしなかった。

 凛は練習の鬼と言われるだけあってきつく感じることもあった。しかし初心者の直はそんなものと感じていて、萎縮したりしなかった。少々鈍感な直にはその方が良かったのかも知れない。

 凛は常々言っていた。

「楽器の練習はね、1日練習すれば1日分だけ成長するわ。でも1日サボれば3日分後退しちゃうのよ。テクニックを身につけると言うのはそういうことよ」なるほど、厳しいんだと直は思った。



 凛は楽器が個人持ちなので常に持ち歩いていた。直もそうしたかったが部の規則で持ち帰りは顧問の許可が必要だった。破損や盗難などの事故防止のためだった。

 直のフルートには「FL003」のナンバーが記入されていた。しかし学校所有のフルートは2本だった。あと1本は?とある日、凛に聞いてみると

「紛失よ」と言われた。そして、

「数年前の先輩が無くしたの、持ち帰ってね。でも本当は転売したんじゃないかって噂もあったけどね、今じゃわかんない」

 へー、そんな人もいたんだと直は思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る