第19話 対峙・2

 目を開けると見慣れない天井が目に飛び込んできた。


「ここはどこだ?」

「私の屋敷だ。気が付いたか?」


 横から生徒会長の声が聞こえ、体を起こすと軽い目眩がする。

 状況を確認すると俺は絨毯が敷き詰められている床に寝かされていた。

 俺の横では生徒会長が正座をしてタオルを絞っていて、頬を触るとガーゼのような物で応急処置されている。


「雪菜の指示で動かすのは危険だと言われ床に寝かせたのだが」

「すいませんでした」

「日向が謝る事は無い、あの時は仕方が無かったのだろう」

「雪菜は?」

「向こうで徐霊の準備をしている」


 生徒会長が指差す方を見ると雪菜が砂の様な物で何かを床に描いている、その真ん中には生徒会長の妹が寝かされていた。

 起き上がり少し頭痛のする頭を擦りながら雪菜の方に向う。


「雪菜、何をしているんだ?」

「真琴、大丈夫?」

「ああ、俺は平気だ。少し頭痛がするが」

「恐らく急に力を解放してしまい倒れた。これは徐霊をする為の魔法陣」


 床には何重もの同心円が描かれ一番外側には見た事の無い文字のような物が円を取り巻くように書かれていた。




「時間が無い、直ぐにでも始める」

「雪菜、すまないが俺にも判るように説明してくれないか」

「判った、生徒会長。あなたにも聞いておいて欲しい」


 雪菜がそう言うと生徒会長がこちらに向って歩いてきた。


「判ったわ、未だに信じられないけど。これが現実なのでしょ」

「彼女は取り憑かれてかなり時間が経っている、これ以上は危険。今すぐに徐霊をする。しかしかなりたちの悪い悪霊の部類だからどうなるか私にも判らない。全力は尽くす」

「どうなるか判らないって雪菜は大丈夫なのか?」

「大丈夫、このくらいなら経験があるから。真琴なら霊が取り憑いていても引き剥がす事が出来るはず。霊を掴めるのだから」

「それなら俺が」

「それは駄目、取り憑いて時間が経つと本人の体と魂に融合してしまう。そうなってしまったら無理に引き剥がそうとすれば激痛が伴い痛みに耐えられず廃人になってしまうか最悪の場合、命を落としてしまう」

「それじゃ俺に出来る事は無いのか?」

「彼女をおとなしくしてくれただけで十分」


 雪菜と俺の話を聞いていた生徒会長が口を開いた。


「こんな時に聞いて良いものかわからないが日向は一体何者なのだ?」

「俺は簡単に言えば生徒会長が信じていない幽霊ですよ、人間に限りなく近いね。『ゲームをしよう。お前の望みと人生を掛けたゲームを』と言う謎の声がして、気が付いた時にはこの街の防波堤に座っていたんです。だから過去の記憶が無いし俺自身でさえ本当は何者か判らない。判っている事は何かをクリアーしなければいけないと言うことだけです」

「それは未練という事か?」

「たぶん、でも本当に死んではいないみたいですけどね。生霊って言うのかな、それすら俺には判らないですよ。でも俺はここに存在している。信じてもらえますか?」

「信じる以外に無いだろう、今更」

「ありがとうございます。お願いが1つだけ、七海には知られたくないんです」

「了承した。誰にも話さないし、そんな事誰も信じないだろう」


 生徒会長の言葉どおり今更で、隠しても仕方が無いので正直に話した。

 しばらく3人の間に沈黙が流れた。

 時計を見ると日が変り、すでに日曜日になっている。


「始める」


 雪菜の言葉で生徒会長は部屋の隅まで下がり、俺は雪菜の少し後ろに立った。


「我、契約に基づき……汝を滅す者なり……我に従うなら……汝を導きたし……」


 雪菜があの抑揚の無い声で呪文のような物を唱え始めると魔法円が紫色に光だし、生徒会長の妹の体から何かが蠢き出すのが判った。

 しばらくすると悪霊が苦しみ出し段々と生徒会長の妹さんの体から剥れ出す。

 するとどこからか女の子の声が聞こえる。


「痛いよう助けて、お姉ちゃん」


 それは生徒会長にも聞こえたのだろう部屋の隅から生徒会長の声がした。


「菫(すみれ)、なの?」

「痛いよう助けて、お姉ちゃん」


 その時、俺の頭の中に雪菜の声がダイレクトに聞こえる。


「いけない、あれは悪霊の声。惑わされている彼女を止めて」


 俺が振り返ると目の前に生徒会長が涙を流しながら走ってくるのが見え。

 咄嗟に手を出して生徒会長の体を押えるが勢いが強すぎて後ろに倒れそうになり、必死に堪えるが生徒会長の足が魔法円の中に入り一部を消してしまった。


「駄目ぇ!」


 雪菜の叫びとも悲鳴とも言えない声が部屋に響くと、小さくなりかけていた悪霊が生徒会長の妹から飛び出し雪菜の体に向ってきたかと思うと雪菜の体に吸い込まれてしまった。

 次の瞬間、雪菜が床に倒れこみ、雪菜の体がビクンビクンと痙攣をしている。

 それは危険な状態なのだとひと目ではっきり判った。

 生徒会長の体を離し右手に神経を集中させる。

 右手で掬い取るように雪菜の体に右手を突っ込むと直ぐに生徒会長の妹に取り憑いた悪霊を触った時と同じ感覚を感じる。

 それを勢いに任せて掴み取り引き剥がした。


「あっ!!」


 雪菜が苦しそうにうめき声を上げて体を強張らせ、右手を見るとグジュグジュと土気色の塊が蠢いている。

 それを力の限り握りつぶすと乾いた炸裂音が響いて消し飛んだ。


「大丈夫か? 雪菜?」

「大丈夫、ありがとう。少し休めば平気だから」


 苦しげに呻く様に言うと雪菜の体から力が抜け気を失ってしまった。

 生徒会長の方を見ると魔法円の側でしゃがみ込んで体を震わせながら床に拳を打ち付けている。

 ゆっくり雪菜を床に寝かせ生徒会長の側に歩いていき生徒会長の手を掴んで床に叩きつけている拳を止めた


「わ、私の所為で皆を危険な……」


 歯を食いしばりながら搾り出すように嗚咽交じりに声を上げている。


「もう、大丈夫ですよ。会長の責任じゃありません。1人で抱え込む事は無いんですよ。1人で出来ないのなら2人で、2人でも駄目なら3人で。皆で力を合わせれば良いんです。雪菜も大丈夫ですし。悪霊は消えました。もう心配する事は無いですよ」


 優しく生徒会長の肩に手を置くと緊張の糸が切れたのか俺にしがみ付きながら泣き出してしまった。

 それは号哭だった。

 今まで溜め込んでいた物を全て吐き出すように嗚咽を上げながらなき続けた。



 どれくらい泣き続けたのだろう、少しずつ生徒会長が落ち着きを取り戻してきた。


「大丈夫ですか? 生徒会長?」

「すまない、取り乱してしまった」

「良いですよ、俺の方こそ生徒会長を誤解していました。泣きたい時には思いっきり泣けば良いのです。妹さんの様子を見に行きましょう」


 それは一番初めに確認しなければいけないのだが結果的に後回しになってしまっていた。

 しかし、確実に悪霊は消えたはずだ。

 立ち上がり生徒会長と2人で妹さんの顔を見ると気持ち良さそうに可愛らしい寝息を立てていてまるで天使の様だった。

 妹さんと雪菜を別の部屋で寝かせて俺は雪菜の側に付き添いながらベッドに凭れながら眠ってしまった。




 俺が目を覚ますと雪菜はベッドの上で体を起こして俺を見ていた。


「おはよう」

「目が醒めたのか? 雪菜? 体は平気なのか?」

「平気、真琴が助けてくれたから」

「助けたなんて大げさだよ。雪菜が教えてくれなければ俺は何も出来なかった」

「でも、あのままでは私は死んでいたかもしれない。真琴は私の命の恩人」

「だから大袈裟だって、みんな無事だったんだからそれで良いじゃないか」


 雪菜が俺の頬の傷に手を当てて、俺の目を真っ直ぐに見つめて話し始めた。


「真琴に話しておきたい事がある」

「雪菜の話ならいくらでも聞くぞ」

「私は幼い頃からシャーマンとしての英才教育を叩き込まれてきた。それは自分の死をも厭わない機械の如く。だから感情を表現する事が苦手。そんな私を見るのが耐えられず母が連れ出して母の母国の日本に逃げてきた。今は追われる事もなく暮らしている。でも人とどう接して良いか良く判らない。そんな私に七海は優しくしてくれた。そして友達になってくれた。七海のお陰で真琴とも知り合えて嬉しかった」

「俺も同じだ。七海と知り合えて嬉しかった。そして雪菜とも知り合えて友達になれたんだ」

「これだけは知っていて欲しい。真琴は生霊かも知れないと言った。生霊なら霊体が受けたダメージは同じように本当の体つまり本体に受ける。もしそのダメージに本体が耐えられなければ本当に死んでしまう。私が見ても真琴は死んでいるとは思えないだから無理をしないで欲しい。大切な友達だから」

「ありがとう、本当の事を知っても友達だと言ってくれるんだな。帰ろう、七海も心配しているだろうから」

「判った」




 生徒会長の車で送ってもらい学校の正門の前で降ろしてもらった。


「何かあれば力になる。何でも相談してくれ」

「判りました」


 会長と別れて空を見上げるとすっかり夕空になっていて、肌寒くなり脱いでいたジャケットに袖を通すと何かが手に触れる。

 それは内ポケットに入れてあった綺麗にラッピングされた箱を取り出し雪菜に渡した。


「これは何?」

「1人で会長の屋敷に行かせてしまったお詫びと言うか、まぁ受け取ってくれ。たいしたものじゃないから」

「遠慮はしない」

「遠慮なんてして欲しくないよ。友達なんだろ」


 雪菜が包みを開けると、そこにはあのクロスのペンダントが入っていた。


「良いのか? こんな物。ありがとう」


 そう言ってペンダントをどことなく嬉しそうに着けようとするが中々着けられないでいる。

 見かねて少し屈みながら雪菜の首に手を回して着けていると後ろから七海の声がした。


「嫌ぁ、何でマコちゃんと雪菜が……」

「七海? どうしたんだ?」


 振り返ると体を震わせて七海が大粒の涙を流していた。


「七海?」

「嫌! 来ないで!」


 訳が判らず数歩近づこうとすると七海が泣き叫んで後ずさりをして繁華街の方に走り出してしまった。


「真琴、追いかけて。もしかしたら私達がキスしている様に見えてしまったのかもしれない。彼女は情緒不安定なところがあるから危険なの」


 雪菜に言われ直ぐに走り出し七海を追いかけながら頭の中で木曜日の事を思い出していた。

 雪菜を助けた翌々日の事だ。

 あの日の昼休みから七海の態度が少し変だった。

 俺が雪菜と仲良くなった時から……



 七海を追いかけたが繁華街に近づき人通りが多くなって七海を見失ってしまい。

 しばらく辺りを探し回ったのだが七海の姿はどこにも無かった。

 仕方が無くマンションに戻り七海の部屋のインターホンを鳴らすが応答は無かった。

 自分の部屋に帰るとミィーがベッドの上でゴロゴロしていた。


「ミィー、七海は来なかったか?」

「七海? あの女の子?」

「そうだ、お前に猫缶をくれた女の子だ」

「来ないよ、それに隣に誰か帰ってきた気配は感じなかったけど」


 手詰まりだ、そう思いジャケットを脱いで床に座るとテーブルの上に携帯電話が置いてあり、携帯には鍵に付いているのと同じドリームベルがついていた。


「これは誰が持ってきたんだ?」

「僕は知らないよ。そのベルを付けたのは僕だけど」

「何でベルを?」

「言い忘れたけれどこの部屋にあるもの以外を身に着けると、壁を通り抜けたりする時に、この部屋以外の物は通り抜けないんだ。だからそのベルを付けたんだ、それを付けておけば大丈夫だから。この部屋の鍵にも付いているでしょ」

「そんな事は最初に言えよ」

「だから忘れてたの。悪いとは思ってるよ。それとこの部屋以外のものでもしばらく見につけていると自然になじんで体の一部のようになるからね」


 仕方なく携帯を手に取り使い方も判らずに触っていると七海の名前と電話番号が表示された。

 発信ボタンを押し、しばらくコールするが中々出なかった。

 その時、ベランダの窓を叩く音がした。


「七海なのか?」


 慌ててカーテンを開けるとそこには七海のお姉さんが立ってその手には何か紙のような物が握られていた。

 部屋に入れると呆然としたまま手に持っている紙を俺に突き出した。

 紙を受け取り広げるとそこには七海の字で『ごめんね、お姉ちゃん』と書かれていた。

 七海の置手紙を見た瞬間に七海を助けた夜の事が頭に浮かんだ。


「月ノ宮先生、俺の責任です。俺が誤解を招くような事をしたから」

「七海が傷付いた時に、自分の事で精一杯で助けてあげられなかった。あの子は何も悪くないのに。あの子は何処も穢れてないのに。どう接して良いか判らなくなって……あの子は助けを求めていたのに……」


 搾り出すような声で言うとその場に月ノ宮先生が泣き崩れた。


「今はそんな事言っている場合じゃないでしょ。七海を探しましょう、七海が行きそうな場所知りませんか? 俺が探してきます」


 俺が月ノ宮先生の肩に手を置いて言うと小さく頷いて顔を上げたけど目から涙が溢れていた。


「あの子は北口の繁華街に居ると思う。なにか良くない友達と何かをしているって噂で聞いた事が。でも怖くってあの子には聞けなかった」


 先生が嗚咽を繰り返しながら教えてくれ、野辺山先輩の言葉が浮かんできた。

『悪い噂がある』生徒会が知らない訳が無い。


「北口って駅の向こうですよね」

「あそこは不良の溜まり場になっている危険な所よ、お願い七海を助けて。転校してきたばかりのあなたに無理なお願いをしているのは良く判っている。でも、あの子を助けられるのはあなたしかいないの。嘘でも良いから一緒にいてやるって言ってあげて!」

「でも、俺には時間が……判りました。七海を必ず連れて帰りますから、先生はここで待っていてください」

「ゴメン……なさい……ゴ・メ・ン……な……さ……い……」


 月ノ宮先生が泣き叫んだ。


「ミィー、何かあったら必ず知らせろ! 良いな」

「う、うん」


 ジャケットと携帯を取りミィーにそう告げて玄関を飛び出した。

 ミィーなら俺が何処にいても判るはずない、あいつも猫でも人でも無いモノなのだから。

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