第11話 ひまわ・リ

クラッシクカーと言っても過言では無いかもしれない。

俺と澪の前には黒塗りの車が止まりTAXIの文字が見て取れるが……

映画でしか見たことのないようなタクシーで確かオースチン FX4と言う車種だったと思う。

イギリスのロンドン・タクシーと言い換えたほうが分かりやすいかもしれない。

真っ白いシャツに青いストライプのタイを締めグレーのベストに黒ズボンという出で立ちの老紳士が降りてきて深々と頭を下げた。


「もう、頭を上げなさい」

「しかし、澪お嬢様」

「繁爺。私は既にお嬢様ではないのよ」

「申し訳ございません」


会話の端々から主従関係にあったことが伺えるので恐らく澪の屋敷で働いていた使用人の1人なのだろう。

少し不満顔の澪が観音開きの様になっている後部座席のドアを開けて車に乗り込んだので後に続くと後部座席はかなり広めになっている。


「私はもうお嬢様じゃないのに」

「仕方がないんじゃないか。癖の様なものなんだろ。澪だってあの人の事を繁爺と呼んでるじゃないか」

「だって、繁爺は笑わない。もういいわよ」


嬉しそうに運転している繁爺の眼鏡の奥の愛おしそうな瞳がルームミラー越しに見て取れる。

しばらく車は走り住宅街の一角にある大きな門の前で車が止まった。





レンガ造りの塀には鉄製のフェンスが規則正しく並び門柱にも鉄製の大きな門がありその奥に洋館が見える。

門をくぐりしばらく歩くと屋敷の全貌が見えてきた。

柱も窓枠も深いモスグリーンと言えばいいのか全て同じ色で壁は白く朱色のスレート屋根が良く映え、白い壁には蔦が絡まり広大な庭はよく手入れが行き届いていて。

澪が生まれ育った場所なのだと直ぐに分かったがそれ以上に何故か既視感の様な物を感じる。


「ここで澪が育ったのか。凄いな」

「あまり良い思い出は無いけどね」


素っ気ない澪の言葉で屋敷を取り壊して公園にすると言っていた事を思い出した。

俺としては勿体無いような気がするが澪の気持ちが分からないでもない。

耐え難い強烈な思いは全てのモノを覆い隠してしまうものだから。


「やっぱり壊してしまうのか?」

「うん、辛いことが沢山あったからね。見ているのも嫌なの」

「中がどうなっているのか知らないけれどこれだけのお屋敷なんだからレストランとかカフェにしたら人気が出ると思うけどな」

「そんな事を頼に言われたら私はどうすればいいの?」


瞬時に澪の顔が曇り今にも雨が降り出しそうになってしまう。

そんな澪を見て迷いというか踏ん切りが付いていないことが伺えた。


「あのさ、澪は俺なんかじゃ分からない程の辛い思いをしてきたんだと思う。だけど想い出はそれだけじゃないだろ。この場所は澪が生まれ育った場所で繁爺ともここで出会ったんだろ」

「うん、繁爺は私専属だったの。ママがいた頃は……」


空を仰いだ澪が突然何かを閃いたかのように俺の腕を掴んで走りだした。





「ここが私のお気に入りの場所なの」

「ここが?」

「うん」


澪が俺の腕を掴んでまで連れて来てお気に入りの場所だと言い出した所は僅かに日が射している屋敷の死角になっているような所で。


「ここで男の子に会った事があるの」

「男の子に?」

「ここに来ると外の楽しそうな声が聞こえてね、小学校の頃に良く来ていたの。確か夏だったと思う。小さなボールが塀の向こうから飛んできて何だろうと思ったら塀の上に真っ黒に日焼けした男の子がいてね。ボールを投げ返したら直ぐに居なくなって塀の向こうからは楽しそうな男の子達の声が聞こえて。凄く羨ましかった、私には友達がいなかったから。それで男の子が居なくなった塀の上を見てたら…… 頼、どこに行くの?」


澪の話を聞いて俺は走りだしていた。

俺の記憶に間違いがなければ澪がお気に入りだと言っていた場所にある塀の向こうには公園があるはずだ。

なんで忘れていたのだろう。

屋敷の門から飛び出すと繁爺が驚きもせずに何故かにこやかにしている。

10年以上前のかすかな記憶を頼りに住宅街を走り抜け公園にたどり着くと公園の広場の向こうに屋敷のレンガ造りの塀が見えて、その下に何故か子どもの頃に野球をしていたピンク色のカラーボールと花束が置かれていたが迷わずにボールを投げ込んだ。



「ねぇ、ボールを返してくれる?」

「えっ、どうして? あの時と同じ様にボールが飛んできたと思ったら頼が塀の上に……」


塀の上から澪に声をかけると何が起きているのか理解できずに途方に暮れたような顔をしている。

飛び降りて澪が持っているボールを受け取りその代わりに花束を差し出すと戸惑を隠せないでいのは当然といえば当然だろう。


「これって向日葵。もしかして」

「多分、間違いが無いと思う」


軽い衝撃を胸に受けると爽やかな香りが鼻をくすぐる。

幼いころに俺はこの屋敷の近所に住んでいて友達と休みの日だけじゃなく放課後も公園で野球をしたりサッカーをしたりして毎日のように遊んでいた。

そして夏休みのある日に出会ったんだ。

サッカーは問題なかったが野球は一つだけ問題があって、それはボールが時々だけど塀を超えて屋敷の敷地に入ってしまうことで。

その時のルールは打った本人が取ってくることだったけれど当時の屋敷には番犬がいて誰も取りに行こうとはしなかったがその日は違った。

塀によじ登るとそこにはワンピース姿の女の子がいてボールを返してくれて、その御礼ではないけれど公園に咲いていた小ぶりの向日葵をあげた記憶がある。


そんな事があって時々だけど塀の上から中を伺っては女の子と会話していたのを友達に知られてヒマワリのお姫様と誂われた。


「どうして急に会いに来てくれなくなったの?」

「確かお盆の前だったよね。両親のお盆休みに出かけるから帰ってきたらまた来るからって約束して」

「寂しかったんだから」

「ゴメンな。実はそのお盆休みに家族で旅行に行っていて事故に遭って俺と姉ちゃんは軽症で済んだけど」


両親が亡くなったショックから恐らく今まで忘れていたんだと思う。


「あの時の事はあまり覚えてないんだ。両親の葬儀のことすら。そして直ぐに引っ越してしまって澪との約束も忘れて」

「頼にも忘れてしまいたいほど辛い事があったんだね」

「でも、思い出せたよ。初恋の女の子の事を」


俺のシャツを掴む澪の手に力が入り重みを感じ視線を落とすと紅玉のような瞳が揺れている。

初恋と言うよりもっと淡い思いだったのかもしれない。

可愛いなとは思ったけれど住む世界が違うことを子どもながらに感じたのは確かだし再会できるだなんて……


「幼い頃からの再会だなんて思ってないでしょうね」

「そうだね。初恋が叶うなんて思ってもみなかったよ」

「えっ? もう一度」


一歩を踏み出すと澪が駆け寄ってきて腕に重みを感じて歩き出す。

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