第8話 リターン

白い天井が見え意識は戻ったらしいがここが何処かは分からない。

すると見覚えがある顔が俺を覗きこんでいる。


「なんだ、加奈か」


「なんだ、加奈かじゃないでしょ。頼まで失ったら姉ちゃんはどうしたら良いの!」


「何がだよ。それよりここは何処だよ」


「もしかして何も覚えてないの? 脱線事故に巻き込まれて足に大怪我をして。出血が酷くて危なかったんだよ」


脱線事故?

無意識に起き上がろうとして姉ちゃんに身体を押さえ付けられ初めて足に鋭い痛みを感じ歯を食いしばった。

それじゃ、あれは唯の夢だったのか?

とても長い夢を見ていたのだろうか?

姉ちゃんの話では昏睡に近い状態で大変に危険だったらしい。

医者からもこのまま意識が戻らなければ覚悟してくれと言われたと教えてくれた。


「でも、頼は作務衣で出掛けたのにこんなブーツみたいな靴を履いていたの?」


「ブーツか、そうかブーツね」


「本当に大丈夫なんでしょうね」


姉ちゃんに血が付いたキャメルカラーのブーツを見せられ笑いが込み上げてきて堪えるのに必死になる。



意識が戻り医者にももう大丈夫だと太鼓判を押されたのに姉ちゃんの顔が今にも泣き出しそうになった。


「ごめん、ごめん。色々とあってさ」


「色々?」


姉ちゃんが不思議そうな顔をするのは最もだろう。多分だけど俺はこの世界とは別の世界に居たんだと思う。

その証拠が姉ちゃんの持っていた俺が履いていたらしい血のついたブーツだから。

此の世と彼の世との狭間の世界だったのかもしれない。だとすればあの世界で出会ったあいつらはどうしているのだろう。

脱線事故に遭ったのだろうか……

それ以前にあの世界の事を説明しろと言われ口に出してしまえば笑われるだけだと思う。




数日の安静を言い渡され検査が続く。

抜糸されると動けるようには成るが数日間ベッドの上で過ごしているだけで足の筋肉は落ちて軽いリハビリと称して歩くことを強要される。

看護師さんの話では若いので直ぐに元通りに歩けるようになると教えてくれた。

そして小さな視線に気付く。

それは遠くからや物陰からのもので感付いていないように確認すると肩まである髪の毛をポニーテールのようにしたパジャマ姿の女の子だった。

俺の事を気にしているが俺が動けば逃げ出すだろうし、ここは病院であの子も怪我か病気なのかもしれない。

それならば俺は動かずに向こうから近づいてくるのを待つだけだ。

こんな時にあいつから教えてもらった折り紙が役に立つとは思わなかった。


姉ちゃんが言うところの経験だけは裏切らないなのだろう。花などを折っていると看護師さん達には好評だったのにあの子は近づいて来なかった。

それならばと動物を折ることにする。で、何を折ろうか?

動物と言っても数が多く悩みどころだが頭にラオウが浮かんできたので猫でも折ってみよう。

黒い折り紙で猫を折り始める。猫と言っても顔だけのものや立体的で少し難しい物まであるが簡単なのを折ってから難易度を上げていく。

折り初めてしばらくすると俺のほうが夢中になっていた。

数匹の猫を折り上げて難易度の高いものに挑戦していると流石に身体が強張ってきて伸びをした時に一匹の黒猫がベッドテーブルから落ちてしまう。


「お兄ちゃんがこれを折ったの?」


「うん、そうだよ」


瞳を輝かせたあの女の子の手には黒猫の折り紙が。

気になって俺の病室を覗いていたのに折り紙が足元に落ちたことで衝動的だったかもしれないしタイミングだったのかもしれないが見えない壁が無くなったのだろう。


「一緒に折ってみる?」


「うん!」


瞳を輝かせているパジャマ姿の女の子が嬉しそうに俺を見上げている。

少しだけ身体をベッドの端に身体をずらすとベッドの脇にあった椅子に登りベッドの上にちょこんと座ったので簡単な折り紙を一緒に折ることにした。

どんな動物を折りたいかと聞くと猫と言う返事だったので猫から始めよう。




どれだけ時間が過ぎたのだろうベッドテーブルの上には色々な動物がたくさん居てまるで動物園のような様相になっている。


「亜麻音! どこにいるの?」


「あ、ママだ!」


「もう、お邪魔しちゃ駄目でしょ」


女の子の声で申し訳なさそうに顔を出したのは30代くらいの女性だった。

髪の毛は肩までくらいで女の子によく似ている。傘を持ってレインブーツを履いているのでいつの間にか雨が降ってきていたのだろう。

窓に目をやるとグレーの世界になっていた。


「初対面でこんな事を言うと警戒されるかもしれませんけど気にしないで下さい。ここの生活は退屈で暇を持て余していましたから」


「そう言って頂けると助かります。何度言い聞かせてもこの子ったら言うことを聞いてくれないので困っていたんです。さぁ、亜麻音。お部屋に戻る時間でしょ」


ママに言われて亜麻音ちゃんが小さな返事をした。


「ママ、明日も来て良い?」


「困った子ね」


「それじゃ、また明日ね」


「うん!」


俺が笑顔で了承すると亜麻音ちゃんはママと一緒に病室に戻っていた。

2人が病室を後にすると無機質な部屋の窓からは雨が見える。


「頼ってなんでも作れるんだよ」


「もう、頼さんでしょ」


「ええ、だって頼は頼だもん」


そんな声が聞こえ思わず笑いがこみ上げそうになると2人と入れ替わりに姉ちゃんが顔を出し強張った顔をしている。



「頼に幼女嗜好があったとは知らなかった。職務質問なんて生温いことをしないで任意同行してもらおうか」


「ロリコン言うな。あの子も脱線事故の?」


「そうだ。怪我は打撲が主で大したことは無かったが」


姉ちゃんが口ごもる時は大抵俺に聞かれたくない話か聞かせたくないことがある時だ。


「曖昧で不確かな雨の世界の話でもしたんだろ」


「ど、どうして頼がその事を」


「信じる信じないは姉ちゃん次第だけど俺はその世界であの子に出会ったんだ。小さな子どもが描いたような世界だった。建物なんてそれこそ唯の四角い箱というか箱ですらなくて。でも確かなことは止まない雨が降り続いていた。それにもう一つ。あの子に俺は名前を教えていない。なのにあの子は俺の事を頼と言っていた」


口を真一文字にした姉ちゃんが真っ直ぐに見ていた俺から視線を逸らしたと言うことは図星なのだろう。

彼女の事を聞こうかとしたが恐らく教えては貰えないだろう。職員は職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。

その職を退いた後といえども同様とする。地方公務員も国家公務員も同様の法律に縛られていて立場が上になれば尚更だ。

それならば質問を変えれば良いだけの事。


「なぁ、姉ちゃん。何でこの病室には俺のネームプレートが無いんだ。あの事故と何か関係があるのか」


「直接的な関係はない」


それだけを言い切り俺の目の前に一枚の写真を差し出した。

その写真にはドレスと言うかワンピースが写っていて元は白らしいがまるでチョコレートが掛けられたように……

違う血で真っ赤に染められた元は白いワンピースだ。

もしかして彼女はもう。


「この血はお前の物だ。この意味が分かるよな」


それだけで十分だった。白いワンピースが真っ赤に染まるくらいに俺の血が付いていたということはあの事故の時に俺の直ぐ側に彼女が居たことになる。

彼女の生死ははっきり分からないが生きているのだろう。そうでなければ色々なことが説明付かない。

もう外出出来るまで回復しているのに外出許可が降りないことや見舞いに来た人と会えないことなどから肉親以外との接触を禁止している節がある。

彼女と事故との関係かもしくは彼女自身に関わる大きなことなのかもしれないが俺にはどうすることも出来ないことなのだろう。

それに姉ちゃんですらあの写真を俺に見せることが精一杯なんだと理解できる。


何かは分からないが大きなモノが蠢いていて身の安全を再優先にしている為の処置であって自由は二の次にされていることが考えられた。

歩く度に鈍痛が走るこの足が完治するまで自由なんて程遠く病院の生活も慣れれば満更でもない。




翌日も朝食を食べ終わる頃を見計らったかのように亜麻音ちゃんが顔を出し。

面会時間になると亜麻音ちゃんのママが探しに来た。


「本当にごめんなさい」


「退屈していた所ですから構わないですよ」


「先生に動いて良いと言われた日から病院内を歩きまわっていつもここを覗いていたんですよ。何度も駄目だって言ったのに」


「病院は楽しい所じゃないですからね」


亜麻音ちゃんが昨日と同じように俺のベッドにちょこんと座り折り紙を始めた。

ママはと言うと少し先生と話があるからとナースセンターに行ってしまい2人きりになってしまう。

入院している部屋は2人部屋だけど俺1人しか使っていないのは姉ちゃんの都合だろうか。

まぁ、2人部屋だと人間関係とかがあって敬遠されるのかもしれないが初めての入院なので確かなことは俺には分からない。


「どこに行くの?」


「ん? コーヒーを買いに。直ぐに戻ってくるよ」


今どきの病院にはカフェが併設されていたりする所もあるらしいけれどここにはカフェなど無いので缶コーヒーで我慢する。

何で人間は欲するものが手に入らない時にはこんなに欲求が増すのだろうか。


『ああ、美味いコーヒーが飲みたい』


独り言を呟きながら自販機で缶コーヒーを買って病室に戻ると亜麻音ちゃんが困り顔をしていた。


「どこが分からないのかな?」


「ここんところ」


まだ小さい亜麻音ちゃんには袋状の場所を開いたりするのが少し難しいのだろう。

できるだけ分かるようにゆっくりやってみせると自分でやり始めた。

缶コーヒーのプルタブを引き戻し口に当てて飲む。しばらくすると誰かが廊下を歩きながら話している声がする。



「由希奈、亜麻音の病室はどこなんだ」


「この奥よ。でも今はこの部屋で折り紙を教わっているの」


「折り紙ね」


どうやら亜麻音ちゃんのママが誰かと戻ってきたようだ。男の人の声がするので父親だろうか。


「亜麻音って…… 頼君?」


「マスター? それじゃ亜麻音ちゃんは」


「お恥ずかしながら僕の孫だよ」


病室のドアから顔を出したのは雫のマスターだった。お互いに驚いて顔を見合わせてしまう。

マスターに孫が居ただなんて初耳で今まで娘さんの話しでさえ聞いたことがない。


「お恥ずかしい話だが娘とは疎遠になっていてね」


はにかむようにマスターが頭を掻いている。

マスターの話では由希奈さんは結婚を反対され駆け落ち同然で家を飛び出し亜麻音ちゃんを産んだらしい。

そして旦那の浮気癖が原因で別れ一人で亜麻音ちゃんを苦労しながら育てきて。

親子はお互いに意地を張り合っていたけれど亜麻音ちゃんが事故の後で祖父であるマスターに会いたいと言い出し。

心配していたマスターが会いに来たという事だった。

縁の力が怖くなってきたが入院中は美味しいコーヒーにありつくことが出来た。


マスター曰く。


「淹れたてが最高なんだけどな」


などと言われつつ何とか退院に漕ぎ着けた。

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