第16話 sei.1
大きな低気圧は、時期はずれの台風になってかなりの速度で石垣島に接近し始めていた。
昼前に店に全員出勤して店を閉めて総出で台風対策をしていた。
杏はご機嫌で民謡を口ずさみながら作業している。
「わしんなーよーや わしんなよー わねうむとんどー かなさんどー」
「杏ちゃん、ご機嫌だね」
楓が不思議そうに聞いて来た。
「うん、美味しい沖縄料理いっぱい食べたし、それに民謡いっぱい聴けたしね」
「沖縄料理は判るけど、民謡酒場にでも行ったの? 杏ちゃん」
「楓ちゃん、違うよ。カラオケに行ったんだよ」
「カラオケ?」
その時、亜紗の怒鳴り声が聞えてきた。
「凛! ダラダラしてないで働きなさい。台風対策は男の仕事なんだから」
「はいはい、分かりました」
「凛さん、そんな疲れた顔をしてどうしたんですか?」
葛城が凛の顔を覗き込むといつに無く疲れた顔をしていた。
「昨日の夜、居酒屋に行った帰りに杏に付き合わされてカラオケに無理矢理連れて行かれたんだ」
「杏ちゃん、歌上手そうですもんね」
「杏は、1曲も歌わないぞ。2時間も歌わされてヘロヘロだよ」
「はぁ? 何の冗談ですか? 凛さんが歌なんて」
「俺も、冗談だと思いたいよ。安里屋ユンタ、かなさんどー、芭蕉布、十九の春、花、沖縄民謡のオンパレードだ、挙句にBIGINから夏川の歌まで歌わされたよ」
「凛さんがカラオケね、ありえないくらい変わりましたね。凛さん」
「そうか、振り回されているだけだと思うが」
「でも、嫌じゃないんでしょ」
「そうだな、嫌じゃないな」
「凛さんは相変わらずだなぁ」
葛城が意味深に聞くと凛が頭の後ろを掻きながら答えた。
しばらく、作業をしているとオーナーの亜紗が声を掛けてきた。
「もう、殆ど片付いたから少し休憩しましょう」
「はーい」
杏達が店の中に入っていく。
葛城が凛を見るとロープの張り具合を確かめながら、まだ作業をしている。
「凛さん、行きましょう」
「葛城、先に行っててくれ。俺はこれを調整してから行くから」
「分かりました。先に行きますよ」
「ああ」
凛は海側の窓ガラスに張ってあるネットの張り具合を調整してまわった。
杏、楓、柚葉と葛城の4人は店内のテーブルで休憩をしながらおしゃべりをしていた。
「しかし、疲れたよ」
「情けないなぁ、葛城は。凛さんを見習え!」
楓が葛城の肩を叩いた。
「でも、凛さん。杏ちゃんに無理矢理カラオケに連れて行かれて、歌を歌わされてきつそうな顔してたぞ」
「ええ、凛さんが歌を?」
楓が目を真ん丸くして驚いた。
「杏ちゃん、もしかして凛さんに民謡を歌わせたの?」
「うん、そうだよ。柚葉ちゃん」
「信じられない、凛さんが歌って居る所なんて想像つかないよ」
「え、どうして。カラオケに行かないの?」
杏が不思議そうな顔をして楓達に目をやった。
「杏ちゃんは知らないんだよね。凛さんはあまり皆と騒ぐの得意じゃないんだよ、だからカラオケとかには行きたがらないんだ」
「そうなんだ、でも結構知ってたよ」
「安里屋ユンタ、かなさんどー、芭蕉布、十九の春、花、沖縄民謡のオンパレードで、BIGINの歌までらしいぞ」
「あとね、島々美しやに娘じんとよー、遊び庭に涙そうそうも歌ってもらったよ」
「杏ちゃん、凛さんの歌ってどうなの?」
「そうそう、そこが一番知りたいよね」
「そうだな、誰も聞いたことが無いからな」
「ええ、皆聞いたことが無いの? 結構上手い方かな、それにあれだけ完璧に知っていたらコンサートだって出来ると思うよ」
「今度、絶対に聴かせてもらおうよ。柚葉」
「そうだね、凛さんの歌聴きたいよね」
「杏。コンサートは大げさだろう、それに2度と歌わないからな」
凛がネットを張り終えて店に入ってきた。
「ああ、凛さん。杏ちゃんだけずるい!」
「楓、本当に勘弁してくれ苦手なんだよ」
「苦手なのにあれだけの曲数を歌いこなせるんですか、嫌味ぽいな」
「葛城、嫌味はないだろう」
「ねぇ、誰か乾電池を買ってきてくれないかしら。懐中電灯の電池が切れちゃってるのよ」
亜紗が懐中電灯を持ちながら声を掛ける。
「それじゃ、義姉さん俺が」
「まだ、力仕事が残ってるのよ」
「私が行ってきます」
楓が元気が有り余るほど手を天井に向けて突き出し返事をした。
「それじゃ楓ちゃん、お願いできるかしら」
「はい」
「楓、風が強いから気を付けろよ」
「分かってますって、原チャリでひと走り行ってきますね」
楓が亜紗からお金を受け取り店を飛び出していった。
「元気だな、楓は」
「ほら、葛城君。元気よく力仕事お願いね」
「はい、オーナーの為なら何でもって何をするんですか?」
「凛と2人で外のプルメリアを運び入れて欲しいの」
「ええ、あの大きな鉢に植えてあるやつですか?」
葛城が凛の顔を見た。
「義姉さん、ネバーダイフラワーだから折れても根が生きていれば、いくらでもまた花を咲かすから大丈夫だよ」
「文句を言わない。可哀想でしょ花を咲かせて居るのに」
「重いんだぞあの鉢は」
「オーナー命令だ。凛、今すぐやる」
「葛城、行くぞ」
「はーい」
葛城と凛が渋々店を出て大きな鉢を運び始める。
杏は相変わらずの不思議顔で亜紗に声をかけた。
「亜紗さん、凛が言っていたネバーダイフラワーって」
「プルメリアの事よ。プルメリアはとても丈夫な木だからいくら台風で枝が折れて丸坊主になっても再生してくるの。だから死なない花と呼ばれているのよ」
「そうなんだ、私プルメリア大好き。とってもいい匂いが……」
店内にプルメリアの香りがすると凛と葛城が大きなプルメリアの鉢を店内に運び込んできた。
「重! 義姉さん。ここで良いだろ」
「ありがとう、凛」
「凛、とっても良い香おりだね。それに可愛い花」
「杏は、プルメリア好きか」
「うん、大好き」
「凛さん、私も好きですよ」
「柚葉も好きなんだな」
「はい」
「俺は、大人なオーナーが好きかな」
「はいはい、ありがとう」
「葛城、撃沈!」
「柚葉、そこまで言うか」
「うふふ、面白い」
杏が笑った。
その時、入り口のドアが開く音がする。
凛が対応をしようとドアに向かうと、ショートカットのメガネをかけて黒いスーツを着た女性が入ってきた。
「申し訳ございません。今日は台風の影響で休業させて頂いているんですが」
凛の言葉も聞かずに店内にズカズカと無遠慮に入ってくる。
杏が真っ青な顔をして震えていた。
「杏ちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
柚葉が杏に声を掛けるが何も杏は答えなかった。
「マ、マネージャー……」
杏が震える声で言った。
「杏。やっと見つけたわ、帰るわよ」
女がいきなり杏の手をつかもうとした、その手を凛がつかみ止める。
「離しなさい! あなた達は何をしているのか分かってらっしゃるのかしら。この子はまだ未成年なのよ警察に通報してもいいんですよ」
「叔父さんには、連絡したもん」
杏が搾り出すように言った。
「叔父様、いえ社長は認めていません。それに少し前からここに居ると内偵していて、あなた達の事も調べさせていただきました。暴走族上がりの義兄弟らしいじゃないですか。どおりで粗暴なこと、分相応を弁えなさい。それともこの子を誑かせてもう寝たりしたの、あなた」
凛は顔色一つ変えなかった。
亜紗が近づいてきて女に声を掛けようとした時。
杏がマネージャーの頬に力の限り平手打ちをした。
「私の事は、なんて言われても構わない! でも、凛さん達を侮辱する事は許さない。凛さんはとても優しい人、そんな事をするような人じゃない。西川さんはいつもそう、私はもう戻らない」
杏が泣き叫んで事務所に駆け込んで行った。
すると 入り口から男が1人やって来て西川に耳打ちをする。
そこに買い物に出かけていた楓が帰ってきた。
「もう、雨に降られちゃって濡れちゃったよ。何があったんですか? 外には怖そうな男の人がいっぱい居るし、杏ちゃんは私の原チャリで飛び出して行っちゃったけど」
「楓、こっちに来い」
葛城が楓の腕を引っ張った。
「痛いよ、見習い何するんだよ」
「あの人が、杏ちゃんを連れ戻しに来たの」
柚葉が楓に耳打ちした。
「ええ、柚葉それって」
3人はそれ以上何もしゃべらなかった。
「西川さんと言ったかしら、いきなり失礼な発言ありがとうございます。少しお話をしませんか」
亜紗が西川に声を掛けた。
「あなたがここのオーナーね。あなた方と話す事はありません。これは一応いままでのあの子の生活費とお礼です。それとこの事は他言しませんように」
西川があからさまに凛に茶封筒に入った札束を突き出した。
「口止め料って事か」
「流石、察しが良いわね。スキャンダルは迷惑なのよ」
「くだらない」
凛が西川を無視して店を出ようとした。
「凛、何処に行くの?」
凛に亜紗が声を上げた。
「杏を連れ戻しに行くんだ」
「これ以上、あの子に係わらないで。あなたには何もさせはしないわ」
西川に耳打ちした男が凛の前に立ちはだかった。
「どけ、時間が無いんだ。直に日が暮れる、その上台風がもうそこまで来ているんだ」
「行かせない」
男が静かに言った。
「ふざけるな! 加減しねえぞ!」
凛の表情がゾッとするような殺気を帯び凛の背後には真っ黒なオーラーが立ち込めていた。
「店の中じゃまずいわ、外で少し懲らしめてあげなさい」
西川が男に指示をだすと男が後ろに下がりながら店から出て行く、凛は男の前を歩き店から出た。
「良いのかしら? 頭に血が上った凛が相手じゃ、あの人達怪我じゃ済まないかもよ」
亜紗が不敵に西川に言った。
「族あがりの人間1人に何が出来るって言うの。彼らはプロよ」
外からは男の叫び声や、殴る音や蹴る音が聞えてくる。
しばらくすると静かになった。
「楓、これで体を拭きなさい」
亜紗が楓にタオルを投げた。
「は、はい。でも」
「杏を探しに行くわよ。私の車に乗りなさい」
「分かりました、行こう。楓、柚葉」
葛城が声を掛けると楓が柚葉の手をとって外に出ようとする。
「ふざけないで、あなた達にはこれ以上係わらせないわ」
「そんな事は、私達の勝手でしょ。杏は私達の大切な仲間なの。それに激怒モードのあの子は無敵よ」
亜紗が笑って言った。
不審に思った西川が表に出ると、ボディーガードの男達は全員凛に伸されていた。
「そんな馬鹿な……プロが……」
「うひょ! 流石、雷神の死神だぁ」
葛城が叫びながら亜紗の車に向かう。
それに楓と柚葉が続いた。
「凛、これを着て、万が一の為にこれを持って行きなさい」
亜紗がレインコートとデイバッグを凛に渡した。
凛がバッグを背負い、コートを羽織ってスクーターに飛び乗りエンジンを掛けてアクセルを全開にする。
前輪が浮きそうになり凛がスクーターを押さえ込むと後輪を滑らせながら駐車場を飛び出して行った。
「すげー、二輪ドリフトなんてありえねー」
葛城たちが唖然としていると亜紗が店の鍵を閉めてやってきた。
「早く乗りなさい、行くわよ」
3人が後ろの席に乗り込む。
倒れている男達の方を見ると西川が呆然としていた。
「あなたはどうするの?」
亜紗が西川に声を掛けると西川が我に返りこちらを見た。
「早く乗りなさい!」
亜紗の声で西川が駆け出し助手席に乗り込んだ。
「行くわよ」
亜紗も車をドリフトさせながら駐車場を飛び出した。
「こっちもすげー! 流石! 風神だよ」
杏が飛び出してから然程立ってないのに風雨は強くなり。
街路樹が折れんばかりに揺れ、暴風雨に近い状態になっていた。
「まずいわね、台風が予想以上に早く近づいているわ。早く見つけないと」
「オーナー、どこを探すんですか?」
「凛はたぶんマンションを見に行っている筈だから、私達は杏ちゃんが行きそうな街中を探すわよ。周りをよく見て探しなさい」
「はい」
西川は助手席でどうしたら良いか分からず黙って座っていた。
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