第1問 ボクの名前
彼女は、ボクのあたまの上をポンポンとした。
リズミカルに、繰り返しポンポンとした。
ボクはそのリズムに合わせてちょっとしゃがんで、また立ち上がった。
ボクたちはそれを何度も何度も繰り返した。
それが、ボクと彼女の日常なんだ。
ボクはいつでもここで、彼女が来るのを待ってるんだ。彼女がボクを必要としてくれるのを、ただひたすら待ち続けている。それは退屈じゃないのかと聞かれれば、確かに退屈だ。待ち続けるのは辛くないのかと聞かれれば、確かに辛い。しかも、彼女はボクが待っていることを至極当然のことだと思ってる。待っていたからといって感謝されることは、まあ、絶対にないとは言えないけど、ほぼ確実にないと思う。
こんなことを言うと、その彼女いったい何様なんだとか、ひどい女だ、とか世間は言うかもしれないね。でも、ボクと彼女の関係はそんなんじゃないんだ。
彼女と出会ってから、ボクは毎日のように彼女と向き合ってきた。彼女はボクのあたまをポンポンしたり、なでたりしてくれた。ボクのあたまがちょっとだけポコッとしているのがお気に入りだったみたいなんだ。ボクはポンポンされるたびにちょっとしゃがんで、得意げに立ち上がってみせた。だけど彼女にとって、ボクのその行動は想定の範囲内というか、当然のことだったらしい。別に、これといって興味を示してはくれなかった。でもボクはそんなことでくじけたりしなかったし、くじけている場合じゃなかった。ボクには非常にたくさんのライバルがいたんだ。しかもすごく身近に。
正確には、今でも非常にたくさんのライバルが身近にいるんだ。その中に、ボクと同じようにあたまの上がちょっぴりポコッとしているやつが一人だけいる。そいつも、彼女によくあたまをなでてもらっているみたいだった。ボクは悔しかった。自分と同じ特徴を持っているやつがもう一人いるなんて最悪だ。そいつのあたまのポッコリをどうにかしてやりたい、と思ったんだけど、身近って言ってもちょっと離れてるし、そう簡単に手出しはできなかった。結局、ボクの方がなでてもらっている時間が長いし、ポンポンしてもらえる回数も多い、と自分に言い聞かせて、どうにか堪えたよ。
そんなに大勢の男を手玉に取るなんてその彼女最低だな、だなんて思わないでほしい。第一、彼女は大勢の男をやきもきさせている自覚なんてない。自覚がないなんて、より一層悪質じゃないか、とも思わないでほしい。そもそも、彼女はボクたちが男だとは思ってないんだろうから。どういうことだよ?って思った?まあまあ、事情はいろいろだよ・・・。
それに、ボクたちは確かにライバルだけれど、協力し合う仲間でもあるんだ。実は、ボクたちは一人ではほとんど彼女の役に立つことができない。彼女にとっては、ボクたちが協力し合うことで、初めて意味を持つんだ。
ときどき、ライバルたちの中に、やる気をなくしてしまうやつがいる。争いが嫌になっちゃうんだろうな。そういうやつは、彼女にポンポンされてもされなくても、しゃがみっぱなしになって、うなだれてしまうんだ。
一人でもそんなやつがいると、ボクたちの協力体勢が一気に崩れて、全然彼女の役に立てなくなる。役に立てないどころか、彼女にとっては大迷惑なんだ。だけどそんなとき、彼女はそいつを怒ったりしないで、どうにか立ち上がらせようとしてくれる。たぶん、もうちょっとがんばろ?ね?とか言って、励ましてるんだと思う。お前がいろんな男に手をだしてるからやる気なくなるんだろ、とか言わないでくれ。さっきも言ったけど、彼女にはそんな自覚ないんだ。
君はいつも彼女のことを待ち続けてるみたいだけど、自分の意志で外に出てみたいとは思わないのかい?だって?外の世界には一回だけ行ったことあるよ。まあ、正確には自分の意志ではなかったけど。
あの日は、衝撃的なことが起こった。衝撃的というか、衝撃があったんだ。何が衝撃だったかとか、どんな衝撃だったかとか、詳しいことは全然覚えていないけど、あまりのことに、ボクは思いがけずここから飛び出してしまったんだ。ボクがいつも彼女を待っている、ボクの土台ともいえるこの世界からね。外の世界には、ボクを押さえつけるものはなかった。でも、ボクを支えてくれるものも何もなかった。それはそれは心もとなかったよ。外に出てみて初めてわかったけど、ボクはこの土台にいないときはしゃがんだり立ったりすることすらできないんだ。もう、本当に無力だった。
ものすごく焦ってたんだけど、そしたらギャーみたいな、声が聞こえてきてボクはそっちを見たんだ。彼女が今にも泣き出しそうな顔をしてた。ボクがついさっきまでいた土台を見て、ボクがいたはずのところをちょっとなでて、キョロキョロし始めた。彼女、ボクを探してくれてた。ボクは精一杯、ここだよーってアピールしたんだ。だけど、なかなか見つけてくれなくて、もう一生あそこには戻れないのかなって思った。怖かったよ。
あの時のことは今思い出しても、なんていうか、胸がきゅうって苦しくなるね。結局、彼女はボクを見つけてくれたから今ボクはここにいるんだけどね。
ボクを見つけてくれたそのときの彼女の言葉が、ボクの一番大切な言葉なんだ。彼女、こう言ったんだよ。
「あっ!!『f』あったー!!」って。
ボク、『f』って言う名前だったらしいんだ。そんな風に名前を教えてもらえたの、ライバルの中でもボクだけなんだよ。
やっぱり、ボクが彼女の中の一番なんだなって、今は思ってるよ。
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