第58話 ゆりかと運動部
「おっはよー!」
下駄箱から上履きを取り出していると、肩をポン!と叩かれる。
振り向くとそこには千春が。
周囲が「ごきげんよう」と挨拶するのがスタンダードな中、その声は一際異彩を放っていた。
「千春さん、おは……ごきげんよう」
思わずゆりかまでつらておはようと言い掛けたが、かろうじて言い直す。
お嬢様言葉は必須です!
昨日の入学式後にされたクラス発表で、悠希と貴也と離れたが、千春と再び同じクラスになれた。
小学校の二学級から中学では四学級に増えて、親しい人と離れることに不安を感じていたが、そこは内部進学。
恐らく調書もいっているようで、ある程度は考慮してくれるらしい。
ただ、クラスのパワーバランスも配慮されるらしく、財閥の御曹司である悠希をはじめ、貴也やゆりかは三人同じクラスにまとまることは多分ないだろうと、兄が教えてくれた。
そんな訳で、中学生活は千春とクラスメートとして始まることになった。
悠希君と一緒だと他の男の子と話すことすら阻止されそうだし、貴也君だと何かにつけて悪魔発言をされて怯えて過ごすことになってたかもしれない……これはなんて幸先よろしい中学生活なの!
クラス発表後のゆりかの足取りが軽く、無意識にスキップしていた。
「今日は全校集会と部活紹介ですってね!
ゆりかさんは部活どうするの?入る?」
千春が楽しそうにウキウキしながら訊いてくる。
ゆりかも春休み中、部活は何にしようか散々悩んでいた。
体力強化のためなにかをやった方がいいに違いないが、そんなに運動が得意な方でもない。
マラソン大会も真ん中くらいの順位、球技もできないわけじゃないが、上手いわけじゃない。
強いて言えば、カナヅチなので、水泳部は避けたい。
特にこれといって憧れる競技があるわけでもないし……結局決められずに今に至っている。
「部活は運動部にしようかと思ってるのよ」
「ゆりかさんが運動部?マネージャーでもするの?
あ、江間先輩サッカー部とか言ってたから、サッカー部のマネとか?」
「ううん」
ゆりかが首を振る。
「じゃあ、バスケ部?野球部?バレー部?
マネージャー憧れるわよね」
「ううん、マネージャーじゃないわ」
ゆりかが再度首を振る。
「……マネージャーじゃない?」
「うん」
ゆりかの言葉に上履きを履き替えていた千春の動きがピタリと止まる。
「チームオーナー?スポンサー?」
「なによそれ」
ゆりかが眉間に皺を寄せて千春を見る。
私の存在意義は金か?
悠希君、貴也君の影響なのか近頃、千春からの扱いがおかしい気がする……。
「冗談よ、冗談。
それにしても随分らしくないことを」
「らしくないかしら?」
千春に言われ、ゆりかは小首を傾げた。
「だってスポ根とゆりかさんって真逆な感じだから。
汗かいてスポーツってより、文化部な感じじゃない?」
まあ、今まで習い事で運動なんて母の勧めで始めたバレエとダンスくらいだものね。
そのバレエもダンスも一通りかじったくらいでやめているし。
「で、ゆりかさんは何をやりたいの?」
「それが、まだ決めてないのよ。
とりあえず体力がないから、身体を鍛えたいなと思って」
「身体を鍛えたい?」
「そうそう、あんまり厳しくなくて、体力つけられそうな感じの部活はないかしら」
「だったらジョギングでいいだろ」
背後からした聴き覚えのある声にゆりかはピクリと反応する。
声変わりをしたばかりの声だが、よく知った声。
ゆりかがゆっくりと後ろを振り向くと、その大きな目が先程声を発した人物に向けられる。
「悠希君」
そしてさらにその隣の人物も捕らえる。
「……と貴也君」
「何それ、僕がいて不満?」
悠希とその隣で相変わらず天使のような笑顔で毒吐く貴也が立つ。
「ふ、不満なんてとんでもない!
相変わらず仲がよろしくて。ほほほほほ。
悠希君、貴也君、ごきげんよう」
「ならいいけど。おはよう」
「和田君、相馬君、おはよう」
「ああ、おはよう。
ゆりか、また喋り方がおかしいぞ」
眉をひそめながらの悠希の発言にゆりかはわななく。
な、なんてことを……。
お嬢様言葉を話すように心がけているのに!
小さい頃は二人に対しても敬語を使っていたのに、気付けばタメ口を話すようになっていた。
そのため今みたいに敢えてお嬢様言葉を使うと、悠希が妙な顔をするのだ。
貴也の隣にいたはずの悠希がゆりかの隣にぴたりと並んで廊下を歩き出す。
「ゆりかは部活なんて入るなよ」
綺麗な横顔の悠希を見ると、どこか不機嫌そうだ。
「どうしてですか?」
「どうしてもこうしても部活なんて入ったら、高円寺のお嬢様ってだけで煙たがれるだろ」
「お兄様だってテニス部に入ってます」
「隼人さんは社交性の塊みたいな人だからな。
あれは別格だ」
「私だって……」
「部活なんて入らなくたって運動はできる」
「でも一人でやっても続かないし」
「運動部なんて入ったら、他の習い事なんてやってられないぞ。
それに運動得意じゃない奴が部活に入ったって足引っ張るだけだ」
「運動音痴ってわけじゃないもの」
「カナヅチのくせに」
「な!泳げないだけよ」
「スポーツテストの結果が俺や貴也を抜いたら、認めてやるよ」
はあ?!あんたたちの運動神経がおかしいのよー!
そんなゆりかに気付いた貴也がクスクス笑っていた。
「まあまあ、悠希はゆりかさんのこと心配してるんだよ。
部活なんて入ったら、悠希の目から届かないし、他の男子と親しくなる機会が増えるだろうからね」
「おい!貴也、余計なこと言うな」
楽しそうに笑う貴也を悠希が睨みつけるが、その耳は少し赤い。
部活に入るだけで心配?
また束縛か。
束縛で部活に入れないなんて……。
耳を赤くした悠希の反応が可愛い一方で、束縛に対し無性に腹が立ち、複雑な気分になる。
これじゃあ、私はせっかく生まれ変わった新しい人生で青春を謳歌できないじゃない!
アオハル=学生生活=部活動でしょ?
ゆりかはもんもんとしながら、悠希との間に特に会話もなく教室までたどり着くと、ドアの前で急に腕を掴まれ引き留められた。
悠希は頭を掻きながら言いにくそうに口を開く。
「言い過ぎた……悪かった。
部活に入るより一緒にジョギングしないか?」
「え……悠希君と?」
「ああ。一人は嫌なんだろ?俺も付き合ってやる」
別に付き合ってくれなくてもいいんですが。
てか、そもそもジョギングがしたいわけじゃ……。
「……考えておきます」
正直速攻お断りしたいが、一応社交辞令として検討すると言っておく。
それが大人の対応だものね。
ゆりかがニコリと微笑み、踵を返して颯爽と教室へ入ろうとすると、一瞬視界に口端をニッと笑う悠希の顔が見えた。
そして悠希が教室の入口から大きな声を出す。
「じゃあ、今日から体験期間だ。
今日学校が終わったら家に迎えに行く」
!?
体験期間?部活じゃあるまいし。
ゆりかが慌てて再び悠希を呼び止めようと手を伸ばすも、悠希は自分の教室にさっさと行ってしまい、その手は虚しく中を浮いたまま、行き場を失う。
「あーあー、断れなかったね」
呆然として立ち尽くしていたゆりかの隣に、このクラスにはいるはずのない貴也がやってきてクスクス笑う。
「……貴也君、あなたここのクラスじゃないでしょ」
「うん、ゆりかさんをひといじりしたら行くよ」
笑顔でとんでもないことを言うので、ゆりかの顔が引き攣る。
「しかしゆりかさんも残念ね。
和田君があれじゃ、部活は無理そうじゃない」
そうだ!私、ジョギングがしたいんじゃなくて、部活がしたかったのに〜!
これぞ青春!っぽい部活動を想像してたのに!
みんなでワイワイ楽しそうな。
悠希君も貴也君もクラスにいないから、中学生活の幸先が良いなんて安易に思った自分が恨めしい。
初っ端から邪魔されているではないか。
突然、貴也がなにか閃いたかのか指をパチンとならし、「ゆりかさん、良い方法があるよ」とニヤリと笑った。
いつもの天使の笑みなのに、どこか含みのある笑顔だった。
「ゆりかさんの願いを叶えてあげるよ」
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