第38話 閑話:運転手狩野


 高円寺家に使える運転手、狩野美彦かのうよしひこ、40歳。


 高円寺家に仕えてかれこれ15年になる。

前職は教習所の教官をしていたが、たまたま飲み屋で知り合った旦那様に誘われたのがキッカケで高円寺家の運転手となった。


 先日、ゆりかお嬢様の護衛兼お付きの運転手に抜擢された。

空手は有段者で腕にはそれなりに自信がある。

なにより高円寺家のお子様たちの送迎は小さな頃より任せられていたから、お子様たちに懐かれていると自負していた。

正直ゆりかお嬢様のお付きの使用人に抜擢されたのは、嬉しかった。


 特にゆりかお嬢様は使用人に対しても気遣いをしてくださる、愛くるしい優しいお嬢様だ。

何かにつけて「ありがとう」という感謝の気持ちは忘れない。

「いつものお礼に」と、小学生なのに自分のお小遣いでスタパのコーヒーを買ってくれたりするのだ!

感激のあまり、涙が出た。

しかも才色兼備で許婚相手も和田財閥御曹司と、将来が楽しみなスーパーお嬢様なのだ。


 そんな自慢のお嬢様だが、少し変わったところがある。

たまに自分と変わらない大人と話しているように感じる時があるのだ。

子供なのにやたら大人びている。

いや?大人びているのに子供みたい?

不思議な子だと思う。


 大人びている反面、幼少の頃から木登りをしたり庭を駆けずり回ったり、やたらやんちゃでよく周りをヒヤヒヤさせてきた。

近頃はそういった行動はだいぶ落ち着いてきたように思うが、相変わらず好奇心旺盛なお嬢様なので、ひとり歩きした先でなにかトラブルに巻き込まれないか、日々心配している。


 先日は、ひとり図書館に行ったはずが、暑かったからと、隣の公園の池で遊んだ末、転んでずぶ濡れになって車に戻ってきた。

奥様は笑っていたが、隼人お坊ちゃまから「くれぐれも危ないことのないように目を光らせるように」と注意を受けた。


 小5になった今でもこんなことがあるのだ。

少しやんちゃが過ぎるお嬢様だと思う。


 そして今朝、そんなお嬢様から本を返却に行きたいからまた図書館へ送って欲しいと言われた。


 「お嬢様、一緒にお供しましょうか?」

図書館の駐車場に着き、お嬢様に問いかける。

本当はお供したい。

が、たぶん嫌がられるだろう。

小学校高学年の子だったら、図書館の中くらい1人でも大丈夫なはずだ。

でも何かにあったら?

非常に心配である。

 「狩野、大丈夫だから。

もう小5だから、1人でも行けるわ」

ほらきた、予想通りの言葉。

「でもお嬢様、先日ずぶ濡れで帰って来たから、心配なんですよ」

「………」

お嬢様の目が泳ぐ。


 「狩野、この前は少し遊びすぎたわ。

でも今回は大丈夫!

この荷物を見て!」

お嬢様が得意げに自分の隣に置いていた大きなバッグの中身を見せた。

タオルやら着替えやら何やら沢山入っている。


 「…水浴びでもまたするんですか?」

思わず白い目でお嬢様を見てしまう。


 お嬢様は今日も何かをする予定だ。

絶対、本を返すだけではない。

何をする気なんだ?

1人で水浴び?

全く解せない。


 「もしもの為よ!もしもの為!」

「もしもって、なんですか?

図書館に行くんですよね?!」

自分の問いにお嬢様が一瞬ひるむが、直ぐに毅然とした態度で「そうよ、図書館へ行くの」と目を見返してきた。

堂々としているのに、あまりにも白々しいではないか。

「なら、お嬢様、その荷物置いていっても大丈夫ですよね?」

笑顔でそう言うとお嬢様が眉間に皺を寄せた。

「重そうですし、『もしも』のことがあれば、私が持っていきます」

そう、『もしも』どこかでやんちゃされていれば、私が駆けつけます。

思わず自分の心の中でほくそ笑む。


 お嬢様は少し考えると、眉間の皺を消していた。

「これ邪魔だからここに置いていくわ」

そう言いながら、小さめのバッグにタオルを1枚と本、貴重品を移した。

大きめバッグは邪魔だと素直に思い直したのだろう、車に置いていくらしい。


 「狩野、2時間したらここに来てちょうだい。

いいわね?」

いつもの毅然としたお嬢様口調で言われた。

自分はこの命令には逆らえない。

「かしこまりました。

ただし、何かあったらすぐにスマホで連絡くださいね」


 返事をすると、お嬢様は満足気な顔をし、「じゃ、いってくるわね」と車を軽やかに降りていった。

図書館の入口に向かう後姿はいつもより浮き足立っていて、思わず目を剥いて見てしまう。

まるで今にもスキップでもしだしそうじゃないか…!


 「怪しいなぁ…」

本音がポロリと落ちた。

あ、いけね。


  正直なところ、お嬢様が安全なら、自由に遊ばせてあげたいと思っている。

それが自分の気持ちである。


 ただ、引っかかるのは昨年の秋頃、自分の居ない時にこの図書館でお嬢様が倒れたことだ。

皆が「狩野のせいじゃない」と言ってくれたが、何故自分がそばにいなかったのかと、酷く後悔をした。

だから、どうにもお嬢様がひとりで外出というのは、気が進まない。


 「あれを使うか」

ポケットからゴソゴソとスマホをとりだす。

あの事件後、心配をした旦那様がお嬢様にスマホを買い与えた。

何かあった時のためにということで、GPSでお嬢様の居場所がわかるようになっている。

自分のスマホのGPSで居場所が筒抜けだということをお嬢様は知っているだろうか?

知らなければ、私が調べたことを怒るだろうか。

お嬢様からの信用を失うかもしれない。

数秒、「うう〜む…」と腕組みをして悩むも、自分はそもそもお嬢様の護衛で、お嬢様の安全を確保しなければならないという使命を思い出す。


 お嬢様をお守りする為だ。

そう自分に言い聞かせ、アプリのボタンを押す。

するとスマホ上の地図にお嬢様の現在地が表れた。

恐る恐る見ると、ちゃんと図書館に示されている。

「良かった」

思わずホッとしてしまう。

お嬢様はちゃんと申告通り図書館にいる。


 安心したこともあり、しばらくテレビを観たり、車の外でタバコを吸ったりしていた。


 30分程経過した頃か。

まだまだお嬢様は戻らないななんて思いつつ、何気なくスマホを見て、目を疑った。

お嬢様を示す星印が動いていたのだ。

思わず2度見してしまう。


 どこに向かっているんだ?!


 慌てて車から降りて、星印に付いて歩いていく。

図書館をグルリと周り、数百メートルで、お嬢様の足取りは止まった。

ふと看板を見上げる。

辿り着いた場所は『三つ葉駄菓子店』であった。


 「駄菓子屋かよ…」


 よくわからないが、自分の腹から何かが湧き上がってくる。

「…ふ、ふふふふふ」

笑ってはいけないと手を口元に当てるが漏れてしまう。


 なんなんだ、あのお嬢様は?

本当に駄菓子屋に来ていたのか!

以前スタパで駄菓子について話した時のことを思い出してしまう。

やはり駄菓子屋は経験済だったのか。

「お嬢様もただの子供だな…」


 店内で楽しそうに辺りを見渡しているお嬢様の姿が見えた。

その隣りには知らない同年代のスポーツマンっぽい男の子がぴったりと一緒にいる。


 あれは誰だ?


 お嬢様の交友関係は大概知っているはずだった。

毎日校門前で「ごきげんよう」と挨拶を交わしている。

学校外で会う程親しい友人なんて、知る限りで悠希お坊っちゃま、貴也お坊っちゃまくらいなはずだ。

しかも異性のご友人なんて…!


 たまたまここで会っただけなのか?

それともこんな所に2人でくるなんて、相当親しいのか?

は!まさか水浴びもあの子と一緒だったのか?

見れば見る程、2人が親し気に見えてくるから不思議だ。


 仮にあの2人が特別な仲だったら、どうしたもんか。

悠希お坊っちゃまは傍目から見てもお嬢様にべた惚れだ。

そしてどう考えたって嫉妬深いに違いない。

貴也お坊っちゃまがお嬢様とちょっとイチャコラ誤解事件をしただけで、相当怒っていた。

今のお嬢様を見たら、機嫌が悪くなるのは目に見えている。

正直、自分には将来モラハラ夫になるのではないかと、不安を感じずにはいられないくらいなのだ。

恐ろしい。


 今、目の前に見えるお嬢様はなにやらとても楽し気な表情をしている。

すごく良い笑顔で、まるで恋する乙女のような。

自分はお嬢様の恋を阻止すべきなのか?

お嬢様が自由に恋愛ができないのは、理解しているつもりだ。

でも、自分はお嬢様の味方でいてあげたい。

見守ってあげたい。


 「ただなぁ…お嬢様、嘘つくのはいけないなぁ」

腕組みをしている状態で、二の腕を指でトントンと叩く。

図書館がどうして駄菓子屋になるんだ。

そう思うと少しお灸を据えたくなってきた。

お嬢様相手だ、あまり酷いことはできない。

ただすこーしばかり驚かしたいのだ。


 店に入り、プタメンとうまか棒を掴み取る。

そして店番のおばあさんに「すみませーん、このプタメンとうまか棒をください」と声を出した。


 アイスケース覗き込んでいたお嬢様が振り返って自分に視線を向けているのを感じる。

多分、慌てふためいているに違いない。

背中がソワソワする。

なんとも言えない快感。


 「お湯は入れる?」

おばさんに言われ、お湯を注ぐことにする。

「あそこの子供たちは私の知り合いなんで、アイス一緒に払っちゃいますね。

おつりはいりません」

多めに500円玉を渡した。

「釣りはいらないなんて、あんたかっこいいこと言うね」

あえて言わないけれど、経費で落としますからね。

とりあえず笑って返しておいた。

「あ、領収書くださいね」

この一言を付け加えると、おばあさんも察したのか、笑ってた。


 お湯を注ぎ終わったので、店を出ようとお嬢様の前を通る。

思いっきり凝視されていた。

その目は、なんでここにいるんだ?と語っている。


 私に嘘をつくからです…おっと、ちがう。

お嬢様を見守っているからです。

別にデートの邪魔しようなんて思ってません。


 お嬢様と目が合うとペコリと会釈をした。

お嬢様は鳩が豆鉄砲を食くらったような顔をしていた。

どうやらお灸を据えることは成功したようだ。


 ふふん、鼻歌を歌いながら車に戻る。

お嬢様が戻ってきて何かを言われるまでは、今を楽しもう。

25年ぶりにプタメンにうまか棒を割り入れて、ラーメンをすすった。

うまい!

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