第6話 兄のピアノと父のフランス語
ゆりかは幼稚園の年長になった。
幼稚園では相変わらず、悠希にちょっかいを出される日が続いていた。
でも今は天使…改め、貴也も同じクラスなので、大抵悠希がやり過ぎると貴也が止めてくれた。
たまに耐え切れず、泣いてしまう…
いや、正しくいえば、嘘泣きをして懲らしめてやろうと反撃する日もあったのは秘密だ。
大人をナメンナヨ。
ガキンチョめ!
*****
とある休日、朝からやたらめかしこまれた。
母の選んだ水色のヒラヒラワンピースを着せられ、髪には大きな紺色のリボンをつけた。その姿は清楚なお嬢様風。
「あらぁ、これにエプロンを付けたら、不思議の国のアリスちゃんみたい!」
ニコニコと母は嬉しそう。
リビングでピアノの練習中の兄の横で見て見てと言わんばかりに、くるりと回ってみる。
「お兄様、どうかしら?」
「馬子にも衣装」
白い目で見られた。
バカにされたような気もしたけど…
まあ、いいや。
お兄様のことだ。
はっきり変と言われた訳じゃないから、似合わなくはないのだろう。
兄は昔からゆりかの世話をめんどくさそうに焼いてくれる。
プライドが高いのか照れ屋なのか、よくわからないが、基本ツンデレである。
決して自分から素直な優しさは見せない。
兄こそめんどくさい人間なのだと思う。
「ところで、お兄様は何を練習しているの?」
「シューベルトの『楽興の時』」
「あ、私それ好きです」
「知ってるの?チビのくせに」
「知ってます。聴いたことあります」
前世で!とは言いませんけど。
ちなみに前世ではゆりかも弾けた。
「ちょっと私にも触らせてください」
そう言い、始めの部分を少し弾こうとする。
しかしやっぱり無理だった。
1オクターブ分の指が届かない。
6歳になったが、ゆりかの手は小さめだった。
あとたぶん指の力もまだないのだ。
早く弾こうとすると滑って、鍵盤のひとつひとつの音が出せない。
「へえ、手が大きかったら、ゆりかも弾けそうだね。
楽譜ももう読めるの?耳コピ?」
「楽譜は読めます」
前世からね!
「そっか。
『ぶんぶん』みたいな童謡とか『子供のなんちゃら〜』みたいな教本ばかり弾いてるから、下手なのかと思ってた」
なんでお兄様ってこう口が悪いのかしら。
童謡だって立派な練習曲よ。
簡単な曲を綺麗に弾くって大切よ。
まあ、実際は幼児レベルにあわせてるんだけどさ。
あんまり弾けちゃ、怖いでしょ?
「僕の6歳の頃よりゆりかは体が小さそうだもんな。
…あ、じゃあ、これなんて弾けるんじゃない?
『人形の夢と目覚め』なんてどう?」
兄が本棚から楽譜を取り出す。
「あ、この曲好きです!」
「じゃあ、これあげるよ。
昔僕が使ったやつ。
『楽興の時』より簡単だから、ゆりかならすぐ弾けるんじゃない?
「ありがとうございます!」
兄とゆりかがにこりと微笑み合う。
「ちょっと触りに弾いてみる?
みてあげるよ」
「え!お兄様が?!」
兄がレッスンしてくれるなんて珍しい。
ゆりかは驚き兄を見る。
「不満?」
そんなゆりかを兄が横目で睨む。
「いいえ!嬉しいです!」
慌ててゆりかは首を横に振った。
この後、『人形の夢と目覚め』のピアノレッスンby隼人お兄様 がはじまった。
思っていた以上に厳しい兄のスパルタレッスンに、嬉しいなんて軽々しく口にした自分に激しく後悔をすることになる。
もう兄に何かを教わりません。
*****
お兄様とのピアノレッスン後、書斎にいる父を訪ねた。
母の選んだヒラヒラの水色ワンピース姿のゆりかを見て、父のキリッした端正な顔立ちがみるみる崩れる。
目尻が下がり、口元が緩む。
完璧なデレデレ顔である。
どうやらゆりかは父とって、世に言う目に入れても痛くない存在らしい。
「ゆりか、今日はまた一段と可愛いね」
そう言うと父はゆりかを抱き上げた。
「パパのスーツ姿もかっこいいです」
半分社交辞令で半分本気だ。
こう言えば父が喜ぶのをゆりかはわかっている。
伊達に前世で40うん年生きてきた訳じゃない。
でも半分は本当。
父はかっこいい。
端正な顔立ちでなおかつ華やかな雰囲気がある。
優男というのかな?
それに加えてスーツマジック!
端正な顔立ちの30代男性のスーツ姿ってなかなかの良いものだ。
これが父じゃなければ、ズキュンと胸に矢が刺さってしまったかもしれない。
はー、会社じゃ、モテるんじゃないかな。
ママが心配。
そんなことを考えていると、
父がゆりかを抱きながら書斎の引き出しから本を取り出した。
「それは?」
「『星の王子様』
前に言ってた本だよ。
フランス語版のね」
そういえば、フランス語を勉強しようかなと父に相談したら、父は『星の王子様』のフランス語版を小さい頃読んだと言っていた。
確かフランスの作家が書いた本だっけ。
「この前、フランスに行った人に頼んで買ってきてもらったんだよ」
「すごい!直輸入なのね!
パパ、ありがとう!」
おお!金持ちは違う!すごい!
感謝の気持ちからギュと父の首にしがみつく。
「お安い御用さ。
むしろこんなに喜んでくれるなら、パパがフランスまで行って買えばよかったよ」
2人で見つめ合い「ふふふ」と笑う。
「あとはフランス語の先生が必要だね」
「そうですね。
お兄様が教わってた先生はもうフランスに帰られてしまったんでしたっけ?」
「そうなんだよねー。
…じゃあ、なんならパパが」
は!
高円寺家の禁句を言ってしまう。
「ダメです!
パパが先生はダメです」
ゆりかは父の口を手で塞いだ。
「ほら、見も知らずの人よりもパパのがいいでしょ」
いえ、見も知らずの人のが良いです!
父が先生をするとスパルタで怖いらしい。
これは家族の共通認識である。
さすがあの兄の父。
血がそうさせるのか。
父のスパルタレッスンを母と兄は身を以て体験したことがあるらしく、2人揃って、もう父には教わらないと話していた。
それを知っているのに、ゆりか自ら、第3の犠牲者にはなりたくない。
先程の兄のようなスパルタレッスンはもうこりごりだ。
「パパは平日忙しいから大変でしょう?
だから他の方でいいんです」
「じゃあ、土日でもいいだろ?」
「いえ、土日に余計な勉強はしたくありません!」
苦し紛れに首をブンブン横にふる。
父はまだなにかいいたそうだったが、諦めたように肩を竦め、ゆりかの頭をポンポンと軽く叩いた。
どうかパパは、ゆりかの甘い甘いパパいてください。
お願いします。
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