28スライム居ない平和な王都2
僕はどこかにいて、どこにいるのかはわからない。
ただ一つ確かなのは眼前にあるそれに僕はただただ絶句して、息を呑むしかできない。
青白い光の柱だ。
それが発する凄烈な存在感はどんな淀んだ闇でも瞬時に吹き飛ばし払って、或いは祓ってもしまいそうだ。
これなら親方スライムみたいなでっかいスライムだって世界の果てまで、そして地獄の底にまで軽々一瞬で送ってやれる。
ざまあ、スライム。
って言うかね、冗談抜きに肝が冷えてきゅっと縮む物凄い圧なんだけど、この光は何物だろう? いつからあったんだ? どこから来たんだ?
なーんて、まるで気付いたらそこにいるスライムみたいじゃないか~はっはっはっ。
スライムか。そうだよ、スライム。スライムはどうして……どうしてどうしてどうしてスライムなんだあああああっ!!
「――っ!? はあっはあっはあっ……はっ、はー、夢かあ~良かった。何かに迫られる逼迫したあの感じ、やけにリアルだったなあ……って、あれ? うーん? 具体的に何の夢だったっけ? 忘れちゃった」
真夜中、思考を吹き荒れる疑問と哲学と共に僕はハッと目を覚ました。酷い汗を掻いている。だけど内容をすっかり忘れていた。まあ夢なんてそんなものだよね。人によるとは思うけど僕なんかたまーに覚えてるくらいだよ。
「ってここどこだっけ……ってああ、アンジェラさんの宿か」
まだ一泊目だ。少なくとも試験まではこの宿に滞在する予定でいる。
「目覚ましよりもまだ早いみたいだし、二度寝しようかな?」
少し考えて却下する。今日は忙しくなりそうだからもう早々と祖父と約束した鳩レターを出しちゃおう。
そんな祖父クラウス・オースチェインが言うには、僕達オースチェイン一族の人間に変光眼が顕在化するのは、大昔先祖が交わした魔法的誓約が今も生きている証なんだとか。故に誓約眼とも言うらしい。
記憶の残滓を見るのはこの目を持つ者だけらしいけど、一体何の誓約なのか、誰と交わしたものなのかは祖父でも知らないみたいで謎なんだとか。うちの書庫にもそれらしき記述はないみたい。
加えて、この変光眼の所持者が同時代に二人も存在している事自体、一族の歴史からすれば初めてのケースなんだって。知らなかった、単なる隔世遺伝なのかと思ってたよ。
ここにきて誓約に何らかの変化が起き始めているのかもしれないって言っていた。
歳月を経た魔法は術者の思惑から離れていく事が往々にしてあるってのは魔法の常識とは言え、その綻びが僕達やオースエンド村に悪い影響を与えないといい。
「飛んでけ~」
まだ夜が明けない時分、窓を少し開けて魔法の白い鳩を外に放つと小声で見送った。
これをうっかり出し忘れて連れ戻されるなんて羽目に陥るのは嫌だったから今日まできちんと毎日その日のどこかで便りを出していた。鳩レターは端が白ずむ大空を超速で羽ばたいてどこかにいる祖父の元に僕の安否を届けてくれるだろう。ホント過保護だよね。ああ勿論鳩レターはおよそ二月分全部を祖父が用意してくれたよ。魔法アイテムだけど鳩になる前は便箋と封筒だし然程嵩張らないから僕のアイテム鞄でも余裕で持ち運べた。ミルカが魔法収納鞄に入れようかなんて言ってくれたけどその必要もなかった。……ところで、彼女の魔法鞄にはまだいつぞやの斧が入ってるんだろうか。そのうち訊いてみたい。
ジャックとミルカの二人はまだ夢の中。疲れもあってかぐっすり眠っているようだった。こっちのうっかり立てた物音で目を覚ましたりしないのは幸いだね。
祖父が僕の冒険者旅を反対しているのは、僕に実力が足らないと思っているわけじゃないんだってサーガ滞在中に話してわかった。
僕が赤子の頃にすごく心配をかけた出来事があってその時の不安があるから過保護になっちゃうんだってそう言っていた。
何があったのかはそのうち話してやるとかで言葉を濁されたけど、余計に気になるよねっ!
祖父との会話の中では『彼』について祖父の知っている事実も色々と教えてもらった。まあそれらも祖父が記憶の残滓から得た情報だから正直補足が欲しい部分も当然あった。反対に僕も僕で残滓で見たまんまを祖父に伝えた。
古代人は古代人でも『彼』の生きたその年代はおよそ四千年前。
何と例の大勇者や大聖女、魔王がいた時代の人だった。
そして、僕よりも記憶の残滓を多く見てきたんだろう祖父が言うには、おそらく『彼』は――魔物を統べていた。
それを聞いた瞬間はドキリとしたよね。
あの草原の夥しい赤の凄惨な光景が脳裏を過ったから。
彼が真実魔王なら、あれは討伐される直前の記憶なんだろうか。
僕は祖父の語るのをただ従順に聞くだけで、件の古代について訊きたい事はまだあったのに多くは問わなかった。
下手に問えなかったからだ。
何故なら、古代の年代を聞いた僕はその時何の疑いもなく『彼』は大勇者だと思ったんだ。
魔王とは対極に位置するその人だと……。
僕と祖父の認識の矛盾。カルマに訊けば本当の『彼』を教えてくれるだろうか。でも会うには相当な心の準備と精神統一のための瞑想が要る。スライムカルマを一目見て狂気が爆発しないようにね。
「うーん、でもそこを追究したところで人生時間を無駄にするだけかもなあ。カルマはラスボスって思って暫くは考えないで、他のスライム共を退治するのに精を出そう、うん、そうしよう」
古代のあれこれは改めて考えると、単に記憶を見るってだけで僕や祖父が何かをするって必要もない。
祖父は深刻に考えてるようだけど、少なくとも僕は楽観的だ。
それに何より、まず気にすべきは入団試験だよ。
さっきよりも白んだ夜明けの空を眺め、寄り道している暇はないんだと言い聞かせた。
女将のアンジェラさんの的確な指導の賜で、僕達はトラブルなく朝の給仕バイトを終えて意気揚々と宿を出た。宿の食堂の賑わいはこれまでの旅路で大体の勝手がわかっていたからほとんどうろうろせずに済んだのもあるかな。
行き先は、相談の結果ミルカの提案してくれた情報の宝庫――図書館に決まった。
この王都には、王都図書館と魔法学校図書館の二つがあるようで、誰でも訪れて一般図書を閲覧する事ができる。貸し出しは王都在住者や魔法学校だと在校生や卒業生に限られるらしいけどね。
僕達はまずは近い方、古王都側にあるミルカの古巣魔法学校の図書館へと足を運んだ。
だけど、魔法学校か。
ミルカの表情がやや硬いのは、知り合いにばったり会ったらどうしようという懸念かもしれない。魔法学校時代は彼女にとってあまりいい思い出じゃないみたいだし。それはサーガでリディアさんとクレアさんに会って何となく察した。
決して乗り気じゃないだろうに彼女が一緒に行動してくれているのは、私情より僕達との冒険を重要だと考えてくれているからだろう。
そこは嬉しい。けど反面、どこか申し訳ない。
しかし後者のそれは彼女の気持ちを
魔法学校を囲む馬鹿高い塀にはつるバラが青々として繁っていた。ミルカによれば夜になると侵入者があればその者に絡み付き捕獲する防犯上重要な役割を担っているんだとか。普通植物は動かない。……つるバラに見えて全く別の何かなのかもね。
昼間は開放された大きな正門を横切る在校生の目を気にしつつ、複雑な蔦のデザインを取り入れた重厚な両開き鉄扉の横で警備に来校目的を告げた僕達は、けれどすぐに取って返す形になった。
言っておくけと門前払いじゃない。
魔法学校の正門を背景にミルカが肩を落とし深い溜息をついた。
「……蔵書整理のためしばらく休館なんて、ツイてないわ」
そうだった。不運にも。
「ごめんなさい。直接ここに来る前に調べておけばよかったわ」
「謝らないでよ。ミルカのせいじゃないでしょ」
「そうだぞ。王都図書館だってあるしな」
「そうそう」
というわけで、今度は新王都にあるそっちに足を運んだ。
良かった。ミルカが気に病まずに済みそうだよ。
外観はちょっとした貴族の邸宅のような図書館は、さすがに民のための図書館だからか、入口でいちいち身体検査はしてなかった。これが王城だと要所でそれがあるだろうね。
開館時間内は常時開放の入口を通ってミルカを先頭に三人で書棚と書棚の間を歩いていく。
館内は当たり前だけど様々な年代の人がいた。学生なら学校にいる時間だからか若干僕達の年代は少ないみたい。だからと言って変に目立ったりはしない。王国各地から人の集まる王都には一括りにはできない事情の人間が少なくないからね。僕達がそのいい例だ。
整然と立ち並んだ書棚をいくつか通り過ぎると、目当てのジャンルの一つが見えた。書棚に高い位置に付いている分類プレートには武術・戦闘との表記があった。因みに他の目当てのジャンルは魔法学や魔物関連、お菓子作りならぬ魔法薬作りなどなどだ。
僕達は武術大全とか魔法辞典の中から各々の体作りに適した文献を見つけようってわけだった。最初は纏まっていたけどそのうち各々で動くようになった僕達はこの日は図書館で大半の時間を過ごして宿に帰った。夕食時間のバイトも滞りなくこなしたよ。
翌日、朝のバイト後は冒険者ギルドを揃って訪れた。
文学青年をしているだけじゃ体が鈍るし、昨日読んだ戦闘方法を早く実戦で実践してみたかった。だけど僕達が受けられるクエストには距離的な縛りがある。王都から離れ過ぎるのは本末転倒だった。
一見延々とした荒野に見えて、その実王都の周辺には小さな集落が点在している。僕達が受けるのはそう言った近郊のクエストだ。数は限られてくるし討伐対象の魔物も冒険者からするとありふれたものばかりで報酬もそう高いものじゃない。
だけど、一番手っ取り早く実力を付けるのはやっぱり何を置いても実戦経験だと僕達は思っていた。慣れた魔物相手なら新技を試し打ちだってできる。
その日のうちにクエストを受けた僕達は装備を整え現地へと早速出向いた。移動手段はミルカの飛行魔法だ。そのために魔法力回復アイテムを多めに買い込んだから心配はない。
移動時にスカ魔法は出なかった。クエスト先での戦闘時には出た。僕とジャックはスライムに飢えていたのもあって狂喜の雄叫びを上げて突っ込んでって倒したよ。現地の人からは未知の魔物を見るような戦慄の目を向けられたけど。あはっ他の冒険者から同じ目をされた経験が道中何度もあったからそんなのはもう慣れっ子さ!
王都図書館とクエスト、そして宿のバイト。僕達は王都に来てからのおよそ半月を大体そのルーティンで過ごした。
魔法学校の図書館はその間もまだ蔵書整理のために閉まっていたけど、王都図書館だけでも十分だったよ。まだたったの半月とは言え、目標を持って短期集中して鍛えると自分でも効果が実感できた。寝る前はミルカに教わってジャックと共に全身を巡る魔法経絡を意識して整えたりもしたし、戦闘時のイメージトレーニングだってやった。
二人にしても戦う姿を傍で見ていて動きに無駄が減ったのがわかったし、実力は確実に上がっている。それぞれに得られた物はあったと思う。
程よい疲れのおかげで連日ぐっすり眠れたのも良かった。良質な睡眠は良質な体内サイクルを作り出すね。
睡眠と言えば少し話はズレるけど、王都に来てから何かに追い詰められるのに精神的な疲れは全くない夢見がおかしな日が何度かあった。だけどいつも具体的な内容は覚えてない。
それでも、おいこら眩しいなってのだけは何となく覚えてる。うーん、これも鍛練の影響なのかなあ。
「ねえ二人共、今日は息抜きしない?」
その日の朝、起き抜けに言った何となくの僕の思い付き提案に、ジャックとミルカはまだ眠そうにしながらも小さく唸る。
「んー……時間を無駄にしている暇はないだろ」
「ふあぁー、昨日読んだ魔法薬の調合を試してみたいのよね」
「あ、えと、うん、そうだね、ごめん……」
この二十日余りで二人はもうすっかり別人レベルで真面目君と真面目ちゃんだ。七三分けか真ん中分けにして眼鏡を掛けさせたら完璧だね。根を詰め過ぎて逆に疲れてダウンしないか正直気掛かりだ。試験まではまだ約一月ある。一日丸々息抜きしようって言ってるわけじゃないのになあ。
ガッカリしながら支度をして朝のバイトを始める僕に、女将のアンジェラさんが近寄ってきた。客が朝食を食べている食堂じゃなく料理を取りに奥に引っ込んだタイミングでだ。
「どうかしたのかい? 朝から何だか辛気臭い顔しちゃって」
「え、顔に出てました? すみません接客中なのに」
「大丈夫大丈夫、アンニュイな美少年も需要あるから」
「はい?」
「こほんっ、逆に他二人はこの何日か張り詰めたような顔が怖いけれど、喧嘩でもしたかい?」
「ああいえ、喧嘩じゃあないんですけど、実は――」
と、僕は女将さんにカクカクシカジカと現状を話した。
「ふうん、なるほどねえ。私もこう見えて宿なんてやってると、職業柄沢山の冒険者達と接するから思うんだけどねえ、何事にも余裕は必要だね。ピリピリしたパーティーは怪我も多いように思うよ。ほら、大工仕事でも遊びを持たせるなんてよく言うだろう? ガチガチに締め上げて固定してしまうとかえって壊れやすくなる場合があるのと同じでさ。二人を無理にでも連れ出したら結果的には良かったってなるんじゃあないのかい?」
「ですよねえ。でも二人にその気がないからどうしたもんかと……。引っ張っていくにも二人は無理ですし。真面目にできて息抜きもできる何かがあればいいんですけど。あ、戻りますね」
悩んだように答えて食堂へ出て行こうとする僕の背に、女将さんはぽっと思い付いたのか、一つ提案を投げ掛けてきた。
「じゃあ、古書街にでも誘ってみたらどうだい? 図書館みたいに長々と立ち読み……は正直推奨しないけど掘り出し物とかのいい本があるかもしれないしね」
「古書街、ですか?」
知ってはいるけど聞き慣れない単語に思わず足を止めて振り返っていた。古書街とは古書を扱っている店舗が数多く集まった界隈を指す。ほとんどの古書が売り買いできる商品だから、一般客が気に入った本を購入するのも可能だ。
村にはなかったし、これまでの街にもたぶんなかった。王都にはそんな界隈があるのかと、僕は感心半分物珍しい気持ち半分になった。
うん、そうだ、古書街ならきっと二人も承諾してくれる。
僕も息抜きになるしバッチリな行き先だ。
「ありがとうございます。いい話を聞きました。早速誘ってみますね」
女将さんにこの日ようやくの笑顔を向けて食堂へと繰り出した。
古書街に行こう、とバイトの後で誘ってみたら二人はかなり乗り気になった。女将さん万歳だね。
「そうだわ、そうよ、魔法学校が駄目なら古書街って手があったのよね。すっかり失念してたわ。在学中あたしも何度も行ったけど古い本がたくさんあって楽しい場所よ。普通の図書館にはないような個人出版の本とか作者不詳の手書きの本なんかもあるから、探索気分でレアな本を探したりもしたのよね。魔法や武芸関係のものも揃ってるし、行って損はないと思う」
別にミルカのせいじゃないのに、ミルカ的には魔法学校図書館が休館続きなのをずっと気にしていたらしい。名誉挽回的な意味合いもあったんだろう。行き慣れてたってのもあってか水を得た魚のように目を輝かせる様子にはちょっとびっくりしたけど、まあ良かったよ。
「へえ、古書街か。個人の古い日記なんかもあるんだろ、古書街って。武術の達人の日記なんかあったら即買うぜ! ……女主人のいけない秘密日記なんかもありそうだよな、もっちそれも買う!」
ジャックも僕が思うよりも古書街への意気込みが強そうだ。鍵穴の向こうの開かずの部屋を覗き見る感覚なのかもね。
さて、動機はどうあれ、行き先は古書街、君に決まりだ。
古書街は古王都側にあった。
赤レンガの屋根にくすんだ黄灰色の壁。窓から覗けば壁際高くまで書物が積み上げられている。
まるでそう統一するようにって法律でもあるみたいに立ち並ぶ古書店はどれもそんな様子だった。ミルカによれば似て非なる商品ラインナップを誇るらしいけどね。
僕の意図した息抜きは、息抜きと言うより宝探しにも似た楽しみを齎してくれた。更には僕達の当面の目的に沿う外出でもあった。昼食時間と待ち合わせの場所を決め、後は三人でそれぞれ自由に古書街を回り各々の参考になりそうな本を探した。
そういうわけで僕は一人になった。
入った一軒目じゃしばらく掛かっても得に何も得られず、探し物かと見かねた店主に能力強化や上昇関連の本をいくつか出してもらったけど、目新しいものはなさそうだった。
あと蛇足で探したスライム関連本も結果は不発。
きっと奴らに関しては五大都市ララのスライム研究所に赴いた方が色々とわかるに違いない。
それから何軒か回り、直近で入った店の人の好さそうな老境の店主の男性にお礼を言って出て、通りの敷かれた石畳を踏んだ。
――がらりと、空気が変わった気がした。
肌で感じた異変に顔を上げて辺りを見回したけど、古書街に変化はない。往来を歩いている人も直前まで歩いていたのと同じ人だ。
何も変わりはない……んだけど、何故か正面の店が気になった。
他から逸脱しない外観だし何が気になるのかは自分でもよくわからない。ちょうどまだ入ってなかったから入ってみようか。
店の入口扉を押し開けて中に入ると、予想通り普通の古書店だった。
本当にどうして気になったんだろう。
書棚に沿って本のタイトルを眺めながらゆっくりと歩を進める。店にもよるけど、ここはジャンル分けしないでランダムに本を並べてある店みたいだね。こう言った所は掘り出し物の本との思わぬ出会いがあったりして宝探しにも似た楽しみがある。勿論ジャンル分けしてくれているお店もスムーズに目当ての本の有無がわかって便利だからそれぞれの利点がある。
この店の会計カウンターには一人の小柄な老婆が座っていた。
眠いのか舟を漕いでいる。僕の入店にも気付いてなさそうだったし、万一本泥棒が来たらどうするんだろう。ちょっと心配だね。まあ僕しか今は客がいないし言うまでもなく僕は本泥棒なんてしないからこのまま寝かせておいてあげよう。
足音に気を遣ってなるべく静かに店内を回っていると、少し奥まで行ったところで下への階段を見つけた。
首を伸ばして覗いてみると、下にもと言うか階段脇にも本が並んでいてそれが地下まで続いている。へえ、珍しくもこの店には地下階があるんだ。本は湿気を嫌うからか他の店にはなかった。
下りていってみると、地上階よりは小さいながらも書棚や台が並んで所狭しと古書が置かれている。
どれも上の書物よりも見るからに年代の古そうな物ばかりだ。
古い書物独特のにおいが濃く、ぶっちゃけ少し濃過ぎて臭いと思うくらいだよ。鼻を少し押さえて慎重に書棚の間を巡っていく。室内灯だけで窓からの明かりがない分視界が暗いけど、幸い文字は見える。
古い本ばかりだとは言っても、掃除は毎日きちんとなされているのか本に埃が積もっているなんて不備はなかった。
「何でこの店が気になったのかなぁ」
こんな僕の呟きに応えたわけじゃあないとは思う。
でも、いきなり背後でバサバサと本が床に落ちた。たった今通り過ぎたばかりの小さな台に平積みになっていたのがどういう理由でかバランスを崩したらしい。僕は断じて触ってないのに。
「び、びっくりした……ホ、ホラーは勘弁だよー?」
誰に言ったものか、弱気な僕は僕が通ったせいなのも否定できず直そうと恐る恐る近付いた。他に誰かいて悪戯しましたってオチならいい。
一応は台の陰をそろりと覗き込んでみて……心臓が止まるかと思ったよ。
「おっお婆さん!? いっいつからそこに!?」
チビりそうになった。僕はドキバク高鳴る胸を押さえて後ずさる。無論トキメキじゃない。
もそりと動いて陰から出てきたのは一階カウンターにいて居眠りをしていたあの老婆だった。案の定身長は低く小柄だ。細身なのに骨が曲がっているからかころりとどこかに転がって行きそうな丸さがある。
まだ寝ているかのように瞼は閉じられている。いや、うーん、物凄く目の細い人なのかもしれないけど。
僕が気付かないうちに下りて来たようだけど、何も隠れるようにしなくてもねえ。あと脅かすつもりで本を落としたのならそれもやめて欲しい。
そんな老婆は無言で自分で片付けを始めた。まあ落としたなら自分で片付けるのは当然って言うか……ああもう。
「手伝います」
僕と同じ事をされたら不気味に思ったり怒ったりして無視して店を出る人もいるかもしれない。僕もちょっと怖かったしそうしたかったのはやまやまだけど、結果できなかった。損な性分と言われればそうかもね。
老婆はじっと僕が手伝うのを見つめてきた。僕の方が積み上げ速度は速い。最後の一冊をこっちで積んで立ち上がった時だった。
「お前さんのその目は、誓約眼だね」
老婆がやっと話しかけてきた。ってか喋れたんだ。
「え、この目の事を知ってるんですか?」
しかも最近まで僕も知らなかった誓約眼なんて言葉まで知っている。この人は何者だろう?
疑問を大きくしていると、老婆はちょうど手に持っていた古書を僕に差し出してきた。
え、まさか買えって意味? 必要のない本は買ってもしょうがないんだけどなあ。
受け取らないからかぐいぐい押し付けてくる。
「あの、買わないですよ? あっもしや今の落下で破損しちゃったんですか? で、でも僕は触ってないんです本当に!」
「うんや、買う買わないではなく、お前さんには必要だよ。よーく見て覚えておき」
「……どういう意味ですか?」
仕方なしにとりあえず本を受け取って開いてみた。
刹那、紙面にビッシリと記された魔法陣に圧倒される。幾つもの幾何学円が連続して描かれている。
「これっ……!」
思わず顔を近付けて紙面に目を走らせた。サーガの遺跡天井で見たような古代魔法陣だった。この現代に古代魔法の書が残されているなんて知らなかった。ミルカに見せたらきっと喜ぶ。
「お婆さんやっぱり僕これ買いま――」
言葉は最後まで紡げなかった。
老婆の両目はしっかりと開いていた。
僕と同じ変光する瞳がそこにはある。
えっこの人まさかの親戚? でもこの目はオースチェインの直系にしか顕れないし、現在は僕と祖父だけだ。
「折角だ、こうして顔を合わせたのも稀有な縁だ。拾うのを手伝ってくれたお礼に私も一個お手伝いをしようか。お前さんは複雑なものを背負っているようだからね」
「複雑なもの、ですか?」
何を言われているのかピンとこなくてキョトンとすれば、老婆はくつくつと笑い声を立てた。説明をくれる気はないみたいだねー。
「どうもお前さんでは無理そうだからこっちで今からその魔法を持たせてやるからね。しっかりやるんだよ。この地ではこの地での、得るべきものを得るといい」
「はい? あの……?」
手元の紙面が強く輝いた。古代魔法陣が光っていた。遺跡で見たように一つ一つの円が回り出している。
は!? 何か知らないけど魔法を持たせてやるってのは、このミニ古代魔法が発動しちゃうって意味っ!? いや正確にはミニかどうかはわからない。サーガ遺跡のが巨大過ぎただけかもしれない……ってそんな事はどうでもいいよ!
「いやあのこれヤバいですよね!? 止めて下さいよっ!」
再び老婆へと目を向けた時、そこには誰もいなかった。
「うえええ~っ幽霊だったとかあっ!?」
その間にも光だけが増していく。眩しくて目を開けていられない。
どうしてこうなったーっ、どうするよこれ、また親方スライム出てくるパターン? 嘘だろちょっとーっ泣きたいんですけどーっ、でもそしたら倒すけどっっ!
思考はパニック、加えて眩しさで生理的な涙が浮かんだ、直後。
――ハッと目を開けた僕は古書街の通りに突っ立っていた。
地下の店内よりは鮮やかで賑やかな通りの音が耳に入ってくる。さっき僕の前を通り過ぎた人の遠ざかる背中が見える。
「え、何これ、どうなってんの!?」
手にも古代の魔法書なんて持ってない。
目の前の店は、と急いで正面を見ればそこは小さな芝の公園になっていた。ベンチが置かれてもいて古書街を訪れたんだろう老人達が互いに常連で顔見知りなのか座って談笑しているのが見える。
「嘘、だろ……?」
確かに店があって入って老婆がいて地下があってそこで……。
狐につままれたとはこの事だ。
「でも薄ら涙滲んでるし、確かに僕は……――そうだ、これは」
古代魔法の気配だ。
サーガで体験したからこそわかる。
さっきまでは感じなかった空気の中の違和。
だけどもう残り香宜しく霧散して薄れてはいるし、魔物が出るとか目に見える変化もなさそうだ。
全てが何らかの幻覚魔法だった? でもリアルでしかなかった。あんな事は優れたプロの魔法使いにしかできないよ。ただ、古代魔法を使える現代魔法使いなんて果たしているだろうか。
わざわざ僕に魔法を使う理由だって不明だし。
疑問は山積みだ。けどこのままここに立っていてもどうにもならないと、僕はまだ魔物が飛び出してきたらなんて懸念を胸にしつつも歩き出す。足を動かしているうちに気分は段々と晴れてはきた。他の店も幾つか回っているうちにあれから結構時間が経ったけど異常も起きてないようだし、たぶん大丈夫なのかもしれない。そう願いたい。
「ふう、何だかんだで結構回ったのにまだまだずらりと店があるなあ。今日のうちに全部は無理そう。さっきの不思議な話もしたいし、ジャックとミルカはどこに居るんだろ」
通りに立つ僕が、傍にあった店に近寄って外から二人の姿を捜そうと店内を覗いていると、不審者っぽかったからか背に訝りを孕んだ声が掛けられた。
「あのーすみません……?」
若い女子の声だ。
うっ僕は決して怪しい者じゃ……! でも何かどこかで聞き覚えのあるような気がする。そう思ってそろりと振り返る僕の横顔が見えた時点でだろう、相手は声を大きくした。
「ああーっやっぱりアルだった!」
「へ?」
こっちの名前まで知ってるのに内心驚きいっぱいで完全に相手を振り向くと、そこには声以上に見覚えのある面立ちの少女が立っている。両手には書物の入った重そうな紙袋を提げていた。
僕は信じられない心地で咽から声を絞り出す。
「リリー……?」
「もう、私以外にこの顔がいるとでも?」
唐突過ぎて現状把握が追い付かず暫しポカンと彼女の顔を見つめてようやく理解が浸透する。
そうだやっぱり本当にリリーだ。村を出て以来ぶりだ。髪を一つに結んでいるから馴染んだ姿と印象が少し異なっていて、だから最初ちょっと人物認識に戸惑っちゃったよ。
「あははごめんごめん、だよね。久しぶり。偶然だねー、リリーも王都に来てて、しかも古書街に来てたなんてさ。見たとこ買い物みたいだけど、かなり重そうだねその荷物」
「うん、ちょっとメリールウ先生の付き添いで買い物に来たの。まあ本だから重いのは仕方ないよ」
メリールウ先生。
ああ懐かしい名前だ。ロリ巨乳でピンクポニーテールの、在校生卒業生問わずに人気の先生だ。元気にしてるかなー……なんて一緒に王都まで来るくらいなら元気なんだろうけど。
「そっか。村のみんなは元気? 何も変わりない?」
「変わりな……ああそうそう、そう言えば先日クラウス様がテイムドラゴンで空から戻ってらして、昼間に突如魔物除け結界を抜けてドラゴンが現れたもんだから、村の皆は高位魔物の襲撃かってパニックになったよー。蓋を開けてみればテイムされた魔物だから結界が無効だったんだよね。でもさすがはうちの村の現役レジェンド様だよね。だってテイムドラゴンだよ? 何か出先のどこかで出て来たみたいで、当時は目的地まで凄く急いでたし、馬だったけど馬よりも早く進めるって思い立ってテイムして乗り換えたとか何とか聞いたよ」
「へ、へえー……」
サーガまではマジにテイムドラゴンで飛んで来てたらしい。てかドラゴンを即席でテイムするってどんだけだよあの狂老人はっ。
でも何だ、別行動したのは一度オースエンドに帰るためだったんだ。その他にも祖父なりの予定があるみたいな感じだったけど、今どこにいるんだかね。まだ村に居たりするんだろうか。それとも既に王都に来ているとか?
ま、彼がどこで何をしているにせよ、試験当日には会える。
その際ついでに先の老婆の事を訊いてみようかな。本当に身内の凄い魔法術者かもしれないからね。
「はあ、うちのじーさんが迷惑掛けてごめん。驚かせた村の皆も。全く、あの人はホント自由人なんだから」
「……血は水よりも濃いって言葉知ってる?」
リリーは何故か呆れた顔をした。
ええー、僕と祖父のどこがどう似てるのお?
心なし顔をしかめた僕はこの話題を変えようってのもあって何とは無しに辺りを見回し首を傾げる。
「ところでその同行者のメリールウ先生は? 古書街にも一緒に来たんでしょ?」
「ううん、ここは別。先生は先生で用事があるとかで、だから私は先生のお使い中。リストの本があれば買って来てって言われてて」
「ああ、だからその荷量なんだ。先生の教員机いつも堆く本が積まれてたもんね」
「そうだよー半端ないよー。重いの何のって……。肩凝るよー。落ち合う時間と場所は決まってるからそれまではこれとご一緒しなきゃいけないから大変。……ちゃんと合流場所に来てくれるかも怪しいし。昨日は先生迷子になっちゃって苦労したんだよね」
「そ、そうなんだ」
僕は同情を込めて相槌を打った。
更に聞けば二人は王都滞在二日目だそうだ。そのうち愚痴もそこそこにリリーが心なしそわそわと周囲を見回し始めた。どうかしたのかな?
僕が訊こうとした矢先、リリーは向こうからその理由を明らかにした。
「ねえアル…………ジャックは一緒じゃないの?」
ああっなるほど! 僕と言えば横にジャックだもんね!
「今ジャックとは別行動しててさ、古書街にはいると思うけど……どの店にいるのかまではわからない。さあ勇者リリーよ、君の大いなる力で彼を探し出すのだ!」
「あはは何それ。アルは相変わらず楽しいキャラだよね」
ハハハこんなノリでもやってないとリリーにジャックの話するの正直気まずいからだよ! 敢えて訊いてくるなんて元彼に一体何の用だかね。友人ポジで行こうアピールの挨拶でもするつもりかな。できればそれはしてほしくない。リリーの方は最早ジャックをそれ程……でも、ジャックは、ジャックはなあああっ……!!
「うん、でも、やってみるよ。私の大いなる想いの力でジャックを探してみせる!」
リリーは力強い口調で、だけど照れ臭そうに微笑んだ。
あれ……? 彼女のこの態度って?
えーでもまさかね。彼女の中ではとっくに終わってるんだろうし。
そんなリリーがその場で立ったまま目を閉じてムムムと何かジャックの思念でも拾うように眉間を寄せる。ええと荷物重くないのかな。一旦置けばいいのに。
でも何となく話し掛けられない雰囲気の中、ややあってピーンと天啓が下ったように目を開けた。
「古書街から程近い古王都の一角の喫茶店前に行けば会える!」
「え、何そのやけに具体的な予言……」
「アル、見ていて。これが今の私のジャックへの想いの証明だよ」
「う、うん?」
こっちだと言って僕を促すから、渋々付いてったよね。
そう言えばリリーは時々妙に勘がいいんだよね。村でも予見に近い事もあったし、彼女には僕やジャックみたいには魔法が使えないのかと思ってたけど、もしかしたらレアな魔法の才能を秘めてるのかもしれない。なんてのは僕の勝手な推察だけどね。
まあ何であれ、リリーの荷物の半分以上を受け持った僕はジャックと会える会えないにかかわらず、休憩がてらそのまま喫茶店に寄ってもいいかななんて思っていた。ジャックとミルカには抜け駆けみたいで悪いけどね。
「リリーはいつまで居る予定?」
「メリールウ先生の用事が終わるまであと二、三日は掛かると思うからそのくらいかな。ハッキリとは言えないけどね。あ、時間あるならごはん行こうよ。先生からはリストの本探したら後は自由にしていいって言われてるから、王都限定のスイーツとか可愛い洋服も見たいと思ってて、一人で心置きなく王都を楽しむつもりでいたけど、アルとジャックがいるなら帰るまでは一緒に過ごしたいな」
ど、どうしようねそれは。僕は全然構わないけどジャックがなあ。
楽しそうに予定を語るリリーに多少ぎこちなく笑みを返し、僕はそことは別に好奇心のままに訊ねた。
「ところで先生の用事って?」
「え? ああ、頼んでた武器がやっと完成したから工房に引き取りに行くんだって。細かな調整も兼ねて」
「武器? 先生が?」
「そう。だいぶ前に村でアルが倒したでかスライムいたでしょ。自分はでろでろにやられちゃったって実はずっと後悔してたみたいで、腕の良い職人さんに自分だけの強力な武器を注文していたらしいの。でも注文殺到の人気職人だからだいぶ順番待たされたって言ってたけどね」
僕は言葉に窮してしまった。
あの時、僕を純粋に褒めてくれた先生は、自分を責めてもいたんだ。
教師の責務というより生徒思いのメリールウ先生の性格を考えれば、そんな事にも気付かずのうのうと「スライム殺!」とか叫んでスライム相手にオラオラやってた僕は、なんて……なんて親不孝ならぬ先生不孝な生徒なんだ……っ!
「……そっか。良い仕上がりになってるといいね」
「私もそう思うよ」
でもロリ先生が武器か……。
猫に小判、豚に真珠、ロリに武器。いやいやそれは失礼か。だったら馬子にも衣装、ロリにも白衣……ってこれも違うけどまあいっか。
「ねえ、アル達はどこに泊まってるの? 遊びに行ってもいい?」
僕の胸の内を知らずリリーは邪気のない顔でにこりとする。
「そ、それはもちろん」
うーわー、完全にどうするよこれは。勝手に招待したらジャックはリリーに会えた喜びに昇天しそうだよね。でもすぐにどん底か。入団試験に絶対影響出るよなあ。だけど僕の都合で会わせないわけにはいかないし、ホントどうしよう。
悩みながら歩いているうちにリリーが足を止めた。気付けば古書街の傍の喫茶店前だ。
どうかジャックが現れませんように、と問題の単なる先延ばしにしかならないとは思いつつそう願わずにはいられない。
まあ、取るに足らない願いは所詮は取るに足らない願いだったけどね。
いやージャック来ないよねーじゃあまた明日~、なんて切り出そうとしたその時、僕の目は道の向こうから歩いて来る二人組を捉えた。
ジャックとミルカだ。
……ジャックとミルカだ。
ジ ャ ッ ク だよ!!
よりにもよってツイてない。しかも何故か二人一緒にいる。集合時間にはまだまだ早いのに二人で行動してたんだろうか。
リリーは別方向を向いていてまだ気付かない。さっきの想いのパワーはここに来て何も感じないのかな?
一方、ジャックは僕を見つけミルカに僕の存在を伝えようとして、こっちへと半端に指を差したまま動きを止めた。
「――え……リリー?」
予想通り、ジャックは僕の隣に立つリリーを見て棒立ちになった。
ミルカも僕に気付いて手を振ろうとしたけど、すぐにリリーにも気付いて薄く不審さを滲ませた不思議そうな顔をした。
この時にはリリーもジャックとミルカの二人の方を見ていて、元彼の存在を明らかに認識済み。
しかも何故かリリーもミルカと似たような表情になっている。
えーと何か気のせいじゃなければ二人共怖いんだけど、何で?
そしてそんな時、ミルカの横で言葉を失くしていた男が、ほたほたほたほたと両の眼から滴を溢れさせた。
ジャック……。いやさあ、気持ちはわかるけど頼むから血涙はやめてよ。感極まって衝動的に抱きつきたかったんだろうけど、それは切れた二人の関係が許さないと自制が働いたのか、血管が切れちゃうくらいの究極の力みで体を動かさないよう堪えてたんだね君は。
しばし僕達四人の間に奇妙な沈黙が漂ったのは致し方ないだろう。
「……ってちょっと大丈夫ジャック!?」
隣の様子に気付いたミルカがハッとして大いに目を見開いて慌てた。
「泣かなくても大丈夫だってば、さっきのことなら咎めたりしないって言ったじゃない」
「さっきのこと?」
僕が首を捻るとミルカが懇切丁寧に説明をくれた。
「古本街でその、男の子向けのお店がね、格式高い古書を扱うお店が立ち並ぶ中で細かく調べないと気付かない、路地の奥まった所に一軒だけあるんだけど、ジャックったらそこに居たの。巨乳コーナーの所に」
「やっ、いやっ、あれはだなっ、秘密の日記を探してたらたまたま辿り着いただけだって! 目当ての日記だってなかったし!」
「目当て日記? 何の? あ、探検家とかの?」
「女主人の」
リリーの視線温度が急降下した。絶対零度近かった。
僕の内心はもうあわあわだ。これ以上自分で自分の墓穴を掘るような愚かで余計な発言はやめてくれジャック!
そもそも真面目君だったくせに脇道に逸れまくって一体何やってるんだよ。さすがに僕でも女主人の秘密日記を買うって言ってたのあれ冗談かと思ってたよ。
だがッ、王都に居るうちに是非とも件の店には案内してもらおうか……!
あれ? でもさ、ミルカはどうしてそこにジャックが居たのに気付いたのかな? ミルカもその奥まった店に行かないと会えなかったんじゃ……?
「アル、藪蛇は駄目だよ」
僕の顔付きから思考を察したのか横から肘で小突いてきたリリーが小さな声で注意をくれた。
ああ、うん、そうだよね、ハハッ!
涙を収めたジャックはまじまじと元カノを見つめた。
「本物……だよな? リリーなんだよな?」
「もう、私が幽霊とでも言いたいの? 生きてるよ」
「ああいや、そういう意味じゃなくて……久しぶり。変わりなさそうで良かった」
「うん、久しぶり。ジャックは……全然変わらないね」
「へへっ、そうか? 変わらずカッコイイか?」
二人の間には僕の知らない空気が流れている。
でも、リリーの声音の温度は激低い。
照れてる場合じゃないよジャック……気付け!
「ねえねえアル、この人はもしかして話によく出てくるジャックの元カノさん、とか?」
ととと、と小幅で傍に来たミルカが声を潜めて察しよく言い当てた。
「うんそうだよ」
「じゃあ感動の再会? 邪魔しないように離れとこうか?」
「それもそうだね」
良かったよ、ギスギスもしてないし、ジャックは卒倒したりはせず正気を保ってる。この分なら二人にしても大丈夫そうだ。付き合っていた者同士積もる話もあるかもしれないしね。
「ジャック、リリー、僕達はもう少し古書店回ってくるから二人は喫茶店にでも入ったら? リリーは荷物だって重いから疲れただろうし。少し経ったら僕達も行くからさ」
気を利かせて提案すれば、ジャックは露骨に目を輝かせた。
思わず苦笑が漏れる。心なしかリリーも嬉しそうだ。
……だけど、そう、思わぬハプニングが起きたんだ。
「じゃあそうするか」
――バサリ。
そう言ったジャックの服の裾から地面に一冊の古びた本が落ちた。
「ジャック、本が落ち……」
拾おうとして屈んだリリーがピタリと手を止めた。
普通に見下ろしてしまった僕は凍り付いた。
ミルカは「何で鞄にしまっとかないわけ?」とか呆れている。
当のジャック本人は、変な汗を掻いていた。
その本は
神々しいまでに巨乳美女が表紙の、一昔前の……。
――ジャアアアァーーーーック……!
僕は内心「嗚呼ァ……」と大仰に我が手で目元を覆っていたよ。
いや、可能なら君の服の裾を縫い付けてあげてただろう。
でも赦せ友よッ、僕には瞬間裁縫能力がなかった……っ。
僕だってそこに行って買わない自信はないっ。
だけど服の中にはさすがに入れないっ!
「えっと、その、これはだな……リ、リリーの付き合ってる奴だってこういうの持ってるって!」
ジャアアアァーーーーック……!(二回目)
何たる言い訳、何という言い
これもう完全リリーはご立腹じゃんねえ!
だがしかし、天は彼を見捨てなかった。
「さあ、知らない。もう関係ないし」
リリーはあっけらかんとしてそう言った。
もう関係ない……って何と?
小さな疑問がある大きな可能性に波及している僕の心中なんて知らずに、リリーは可愛らしく微笑む。
「私決めたの。将来の相手は優しくてよそ見しない人にしようって。それでね、私運命の相手にやっと気付いたんだ。だから細かい欠点は見逃すの」
吹っ切れたようなはにかみだった。
僕の中の大きな問いがついつい口から滑り出る。
「ええとリリーそれってどういう……? 行商人の婚約者の彼とは……?」
「ん? ――別れたかな」
カカッと光がスパークしたようだった。
それはあたかも僕とジャック目がけて、大いなる雷神が稲妻を落としたかのようで……。
てゆーか、えっ、えっ、えええーっ、マジでえええっ!?
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