22スライム狂想曲は遺跡から4

 何故だかわからない切迫感が胸中を騒がせる。遺跡最奥に現れた小さな扉は祭壇と同じ色だったから、おそらくは同じ石材で出来てるんだろう。

 スムーズなリディアさん達三人の様子からするに、彼らは以前既にそれを見つけていて今日まで誰にも言わずにいたんだと思う。秘密の発見を独占したいって言うより勝手をやって大人達から怒られるのを恐れたのかもしれない。学生身分だし停学退学処分になんてなったら大変だしね。

 ところで僕達はいてもいいんだろうか……なんて、いいからああしてるんだよね。


 そもそもよくぞ見つけたよ。


 調査団だってまさか祭壇の大きくて重たい石材を魔法で退かしてその後ろを調べるなんて、一歩間違えばサーガへの冒涜だなんだとなりかねない賭けはしないだろうし、大体にしてそんな発想にはならないと思う。魔法であんな重そうな祭壇そのものを浮かす事ができる使い手なんてそうそういないしね。リディアさんとクレアさんの息ピッタリの風魔法だからできた。

 少なくとも僕もジャックも無理。まあミルカなら一人で出来そう。

 彼らの新発見は学生ならではの好奇心の賜なのかもしれない。三人がこの遺跡を訪れなければきっとこの先ずっと調査団も学者達もあの扉を見つけられなかっただろうね。


 でも、その方が良かったのかもしれない。


 わざわざ壊そうなんて思わず、かつ見つかりにくい所にあの扉とその向こうを造った古代の何者かは、何かを隠す意図を持っていたに違いなかった。


 たとえ自分が不在でも、誰の手にも渡らないように。


 余裕で魔法を終え脇に祭壇を下ろしたリディアさんが緑のツインテールを揺らして扉に近付き手を伸ばす。僕の中でぶわっと不安が大きくなった。


「あっ、ちょっと待っ――」


 咄嗟の僕の制止は当然間に合わない。彼女の躊躇ちゅうちょのない指先が石で出来ているんだろう扉面に触れた。


 何者かの接触――まるでそれが起動条件だったかのように、今まではなかった模様が石扉に浮かび上がるや仄かな赤い光を発した。






「んっふふっふ~ん」


 午後のとある喫茶店内で上機嫌に鼻歌を歌っている少女がふと窓の外を見やった。

 今日この王都屈指の人気店は貸し切りで、洒落た広い店内にはその少女しかいない。

 貸し切りにするにあたり、店側には一日の平均売り上げのおよそ五倍の額が支払われていた。


 外見的には灰色の髪と赤い目をした、十歳ほどの田舎の小娘だ。

 ただし今は人間を警戒させないように赤い目は茶色く変化させている。


 服装も繊細なドレスなどではなく、平民が普段着ているような汚れてもいい簡単なスカートとベストなどを着用し、何とも不釣り合いな背景と主役といった風情を醸していた。無論服はきちんと洗濯されており清潔以外の何物でもないが、普段綺麗なドレスばかりを目にしているような者には見劣りしてしまうかもしれない。


「ちょっとどういうことですの? 折角この店を楽しみにしてきたというのに!」


 その時店の外が何やら騒がしくなって、店の入口前に馬車で乗り付けたらしい一行が口調も刺々しく店舗前で悪態をついているのが見えた。通行人は眉をひそめて通り過ぎていく。

 四人の令嬢とその各自の侍女達だろう人員で固められた一行の一部は窓の中を覗き込むようにして様子を窺っていたが、平素なら店内がスッキリと見えているだろう大きな明かり取りの窓も、今は不思議なフィルムでも貼り付けられたように、常とは色彩を僅かに異にしている。そしてそれは外から中が見えない仕様になっているようだった。

 反対に店内からは外が丸見えで、無駄に着飾った複数の令嬢が目を凝らす醜く歪んだ顔を見るや灰色髪の少女は大きく噴き出した。

 腹を抱えてケラケラと一しきり笑ってから目尻の涙を拭きつつ、給仕のために自ら傍に控える男性を振り返る。


「あ~も~可っ笑しい。全くホントに折角のボクのティータイムが台無しだよね」

「申し訳ございません」


 そう言って即座に頭を下げる五十路がらみの男性こそ、ここの店主だ。髪にはやや白い物が混じっている。


「君が謝る必要はないよ。いい余興になったし。彼女達きっと地方っていうか五大都市のどこかいいとこのお嬢様だろうね。このまま門前払いも可哀想だし、入れてあげようか」

「宜しいのですかカルマ様?」

「いいよ~」


 ぞんざいな少女の口調に気分を害する様子もなく、店主は冷静に応対している。競争の激しい王都で人気店を経営しているだけはある度量の大きさを感じさせた。

 程なく店内入ってきたどこかの令嬢達は、感心したように内装を見回していたが、店主から促されて少女の方を見た。


「本日は貸し切りのため臨時休業でしたが、あの方のご厚意で皆様方にも当点の味をお楽しみ頂きたく存じます。ご自由にご注文下さい。既に本日分の全ての売上は頂いておりますゆえ」

「まだ昼なのに今日の売上を? よくわからないけれど……ってまあ、まだ子供じゃない。ご家族でいらしてたの?」

「いいえ、お一人です」

「一人? じゃああの子がこの店を貸し切りに?」

「ええ」

「あたくし達に施しをすると?」

「施しという意図はございません。ただあの方は愉しい事がお好きなのです」

「愉しい事ですって?」


 気位が高いのか、中心格の令嬢が険しい目をするとカルマの座るテーブル席へとズカズカ歩いていき、真ん前に立って睨み下ろした。


「ちょっとあなた何様なの? 施しじゃないなんて嘘だわ。腹立たしいわね、あたくしを誰だと思ってるの」

「さあ、誰?」


 カルマが視線も向けずにすまして反問すると、それも気に食わなかったのか令嬢は益々眉を吊り上げる。彼女に同行の少女達も合わせるように表情を険しくすると、ご機嫌を取ってポイントを稼ごうとするかのようにこぞって口を開き出す。


「この方は五大都市レレを治めるレレ侯爵家のご令嬢よ。本来はあなたのような田舎の小娘風情がお目にかかれる方ではないのだわ」

「そうよそうよ、口の聞き方に注意なさいよ。大体いつまで座ったまま無礼を働くつもり?」

「自分で立てないならわたしが手伝ってあげるわよ。その椅子から引き摺り下ろして平身低頭もさせてあげるわ。あなたみたいなのは床がお似合いよね」


 それはいい、と取り巻き少女達がくすくす笑って各々の侍女に行動を促すと、満更でもない顔でいたレレ侯爵令嬢が片手を上げて制した。


「おやめなさい、わざわざ触れて手を汚す必要はないわ。ところで、貸し切りなら今からこのあたくしがさせて頂いても? その娘が払った倍は出すわ」


 令嬢が居丈高に言って店主に詰め寄るも、それまで黙って聞いていただけの店主は首を左右に振った。


「お申込み順となっておりますので」


 これは嘘で、彼がこの自分の店を開業してからのおよそ三十年、カルマ以外が店を貸し切りに出来た例はない。

 因みに開店初日に訪れた客の一人がカルマでもあった。

 それから今日までの間、店主だけが顔のしわを増やした。

 尤もな理由ではあったが断られたという一点の事実において、令嬢は更に不機嫌になったようだった。


「粗末な服を着た平民のくせに、たかが紅茶一つであたくし達よりも優位に立てたと思って? それにもしかしなくても店主はあなた?」

「はい」

「道理で。この対応を見る限り、どうせこの店の味も巷で称賛される程ではないのだわ」


 周囲の令嬢達が口々に追従した。

 店主は何も言わない。

 優雅な所作でティーカップをソーサーに置いたカルマがようやく顔を上げ視線を向けた。

 その瞳に明らかな嘲りを浮かべて。


「お前……っ!」


 激昂させるにはカルマの豊かな表情一つで十分だった。

 直前の言葉を翻すようにレレ侯爵令嬢はカルマの頬を叩いた。


「下賤が! よくもあたくしを見下したわね!?」


 さすがに店主も顔色を変えたが、抗議を口に上らせる前にカルマ自身から笑みを返されて元の立ち位置に戻る。冷静な店主にしては珍しく拳を握り締めていた。

 他方、令嬢一行はまだ意地の悪い顔でいる。

 普段から彼女達が周囲にどのように振る舞っているのかが目に見えるようだった。


「レレ侯爵家、よくよくよーく覚えておくよ」


 意味深な台詞だが当人からすると意味のわからない台詞に令嬢は思わず怪訝になる。打たれた頬を赤くしたカルマは痛みなど微塵も感じていない様子でへらりとして大きく息を吐いた。


「はああ~~、それにしてもさ、ボクは君らみたいなのが一番嫌いなんだよね~。自分高貴って思ってる厚顔無恥な連中ほど無意味なプライドを持ってるし屁理屈の押し付けや無駄な主張が多くて適わない。キヒヒ、毎日のパンに使う小麦一つ、自分じゃあ育てられないくせにね~」

「何ですって!?」

「あ~あボクの優雅な時間が台無しだよも~」


 椅子に座ったまま足を組み、目を細めて令嬢達を見据えて、カルマは不敵に笑った。その瞳が紅く光り令嬢達は凍り付く。


「さてと、愚者はこの店から出て行け」


 カルマは手品のように物理的に文字通りの掌「中」から掌上へと硝子玉のような魔法具を浮き上がらせる。体内に自在に物を出し入れするなど、カルマが真実スライムだからこそできる芸当と言える。

 そしてカルマは球体を一息に握り潰した。

 刹那、令嬢達の周辺で魔法が炸裂する。悲鳴が店内に響く前に一行は転送魔法に呑まれ、後には最初のようにカルマと店主だけが残され、静かな店内に流れる時間を共有する。


「……どちらにお送りで?」

「さあ? 知らない。運が良ければ人間の居る土地じゃないの?」

「左様ですか」


 全く悪びれもせずしれっとしたカルマが言えば、気にして訊ねたものの店主は客同士のトラブルにまでは口を挟まない主義なのか何も言わなかった。そこは元々口数の少ない男でもあるのでカルマは気にしない……が、素直に言いようを受け取られてしまったのはちょっと不本意だった。「なーんてね」と後に続ける気だったのだ。


「も~、冗談だよ。ボクはそこまで鬼じゃない……スライムだもの~」

「……」

「あー信じてないねその顔は。ま、いいけど。彼女達はさ、面倒は御免だからここ数分の記憶飛ばして歌劇場の舞台上に送ってあげたよ。自分見て見て病だったからお望み通りにして差し上げました~。キヒヒッさぞかし注目の的になってる頃合いだろうね~」

「左様ですか」


 店主は今度も特に何も言わないが、声には安堵の響きが滲んでいた。さすがに性悪令嬢達とは言え更正の機会も与えられないまま魔物の巣に送られ命まで取られては可哀想だと思ったのかもしれない。

 店主はカルマの正体を承知している。

 奇特にも、悪戯心から彼の反応が見たくてカルマがスライムだと暴露した際は特に目立った反応を見せなかった。そうですかと頷いて空気を吸って吐くように自然体だった。以来異国の神たる菩薩だと思っている。

 いつも彼はカルマに何を問うでもなく、長年変わらない店の味を提供し続けるだけ。

 短い付き合いではないが、全く以て深くもない付き合いは、カルマにとってはとても居心地が良かった。

 さてお口直しをしようかと店主に追加注文をしようとした矢先、カルマはピクリとして動きを止める。


「――あ。……あーあーあー、あーーーーっもうっっ! 全く! 誰だい今度は!」


 カルマは唐突に声を荒らげた。唸るようにして額に手を当て両目を閉じていたが、ややあって顔を上げると憤りは消えていた。どころか楽しみを見出した時のような薄い笑みさえ浮かべている。そんなカルマは店主に告げた。


「今日はもう帰るから、誰かお客が来たら入れてあげてよ」

「畏まりました」


 やはり理由を問いもせず店主は了承し、慇懃に頭を下げる。

 彼が顔を上げた次にはもう、灰色髪の少女の姿は椅子の上から忽然と消えていた。






 秘密を封じた扉が赤く光り、ぞくりと背筋が凍り付くような危機感が僕の五感を駆け巡る。


 空気に気圧があるように、魔力にも魔圧ってやつがある。


 でもそれは余程の強烈な魔法じゃなければ感じないのが普通だ。僕はそれを確かに――頭上に感じた。

 同時に、日が射し込むのとは違った仄かな明るさも。


「これは何が起きてるの!? 天井が光ってるわ!」


 僕が天井を仰ぐより先に感知してそうしたんだろうミルカが驚愕している。

 事実、彼女の言葉の通り天井一面が仄かに赤い光を発している。

 これってあの扉の発光と連動してる? 万に一つは偶然の可能性もあるかもしれないけど、万に一つは万に一つだ。


「は? 何だあれどうなってるんだ……?」


 ジャックは驚くというよりは唖然としたような声を出した。


「ヒカリゴケの類かしら? 親方にぶつかられて生存本能を刺激されたとか? 魔力を溜められる新種だったり……?」

「え、はは、違うんじゃないかな。よく見ると天井に彫られた模様だよあれ」

「あ、ホントだ。でも天井に元からあったならとっくに存在を知られてるわよね。魔法書にはその事は書いてなかったけど」

「うーん、普段は封印されて目に見えないようになってて、魔法の専門家でもない限りはわからない仕掛けだとか? で、何かの拍子にスイッチが入る的な」

「それは考えられるかも」


 ダニーさんも天井のレリーフには一切言及してなかったのはだからかな。でも一体何が起きるのか。硬い岩肌に彫られた沢山の細かく精緻な模様が天井一面にびっしりと現れ光っている様は圧倒されるものがある。

 ごくりと咽を鳴らしていると、向こうで声が上がった。


「わああっ!? また天井が赤く光ってるよクレアちゃん、リディアちゃん!」


 ジャック君が慌てた声で怖がる素振りを見せている。


 ……また?


 なら以前も光ったんだ? それはいつどんな状況で?


「魔法に詳しいミルカ的に見てあれは何だと思う? 古代のものには違いないし、どうやら現れる条件もあるみたいだし、僕的には壁画と同等の貴重なものなんじゃないかとは思うんだけど」

「そこは同感ね。魔力を感じるし、それぞれの円模様は魔法陣みたいだし……ってそうよ、きっとあれが古代魔法陣なのよ!」

「「あ~なるほど!!」」


 ジャックも僕もミルカの意見に合点がいく。古代魔法陣は結局ないのかと思ったけど、何だそっかミルカの魔法書の情報は正確だったんだ。


 天井の幾何学模様はほとんどが装飾的な幾何学円で、それが幾つも連なっている。


「何だか沢山の大小の歯車を合わせたみたいなデザインよね」


 現代魔法は発動時の呪文の有無はあれ、一つの円や三角形や四角形の魔法陣一つを形成して発動できるシンプルな物だけど、あれはかなり複雑な陣だ。魔法陣の大連結ってのがあるとしたらまさにそんな感じだね。

 加えて、全く何の属性の魔法かがさっぱりわからない。

 初めて目にする古代魔法陣から良くも悪くも目を離す気にはなれなくて頑張って見上げながら、このまま放置じゃいけないんだろうとは思う。でも何をどうすればいいのかが皆目わからない。ジャックもミルカも同様の顔をしていた。うーんそろそろ首が痛くなってきたよ……。


「何も起きそうにないけど、魔力はまだ感じるから、今は待機中とか? まるで何かの警告みたいよね」

「警告……? ――あ! おそらくはあの石扉とその向こうに関係しているんじゃないのかな。これは奥を暴くなっていう盗掘者への警告かもしれない」


 焦りを若干滲ませ振り返ったけど、既にリディアさんが石の扉を外し終えていた。これまた遅かった……っ。


 奥にぽっかりと小さなあぎとを開ける壁の穴。


 中は真っ暗で何が入っているのかはここからじゃ見えない。


「前より天井が不穏だし、早いとこ取り出そうよリディアちゃん」

「そうよ、この前も以前も直前で調査団に邪魔されちゃったけど、今回は三度目の正直だわ」

「二人共急かさないで。急かすなら自分でやって」


 リディアさんにピシャリと言われ二人は大人しく黙った。


「ふう、前と同じで中の箱はビクともしないわ。取り出せない」


 ジャック君達の言葉には思った通り彼らが既に見つけていた事実を示している。取り出そうとしたものの調査団の人が近付いてきたのを悟って、バレちゃう前にとやむ無く元に戻したんだろうね。

 ……三人は前も今みたいな状況になったものの、何も盗らずに去ったから何事もなかった、とか?

 うーんだけど、普通は金庫の扉を開けた者に対してそんな生易しい仕打ちで済ませるかなあ? 古代人は優しい人が多かった?


「えっ嘘っ見て! 図形が回り出したわ!」


 ミルカの仰天はこの場にいる全員が抱いた気持ちでもあるだろう。

 歯車が動き出すかのように、末端の小さな幾何学円から始まって一つまた一つとゆっくりと回転を始めていく。その緩やかな個々の回転はやがて天井全体へと波及していった。

 赤い輝きがどんどん増していく。


「古代魔法が、始動した……?」


 呆然としそうになったけど最奥を再び振り返る。

 彼らが中身を取り出せなかったのは幸いだ。

 僕の中では度を超した虫の知らせが更に暴れるようにして胸騒ぎを続けている。


「皆っ天井を見て!」


 またもいち早く更なる異常を察知したミルカが叫んだ。


 ミルカに言われて上方を見やった皆が皆息を呑む。

 いつの間にやら天井付近には何かのシルエットが浮かんでいて、その不透明度がぐんぐんと大きくなっていた。

 そいつの正体がわかる程に。


「アル、ジャック、どうして!? あ、あ、あれって!」

「「――親方じゃないかあああーっ!!」」


 息ピッタリなジャックと僕は揃って指差しして唾を飛ばしていた。何と、先のような巨大スライムが僕達の頭上に顕現しようとしているっ。


「くそっこの分だと実体化も時間の問題だな」

「どうしよう! このままだと親方二号との感動の初対面じゃない! そんなの嫌あッ! ヒッヒッフゥーッ!」


 ジャックも驚きと焦りを、ミルカも驚きと焦りとあと何かを表した。

 うわーマジかー。昨日のジャックの当てずっぽうというか冗談が半ば本当になっちゃったよ。まさか古代遺跡に魔物の召喚魔法陣があったなんてさ。


 しかもどう考えてもミルカの魔法書記載の古代魔法陣がそれだ。


 驚くべきか嘆くべきか……。にしても何って膨大な魔力なんだ。仮に一つ一つの天井の幾何学円が現代の標準的な魔法陣一つだと考えれば、この陣の難解さと複雑さと必要魔力量の大きさがよくわかる。

 素人目に見ても、現代の普通レベルの術者が最低五十人は同時に最大出力の魔力を放出しないと起動できないんじゃないのかな。

 そんな非常識なものが長い年月を経てもいつでも発動可能な状態にあったなんて、称賛や驚嘆を通り越して恐怖すら覚える。


「ねえジャック君、以前もこうなったんだよね? その時もスライムが出てきたりは?」


 ミルカ達と傍に寄った僕の問いかけにハッとしたジャック君は、しかし否定に首を振った。


「それが実は……赤い光が怖かったし、過去二回とも祭壇を元に戻してすぐここを出ちゃったから、スライムが出たかどうかはわからないんだ。ごめん」


 彼は申し訳なさそうに俯いた。


「そっか」


 僕の素っ気ないとも言える短い返答にジャックとミルカがちょっと不審そうにした。

 ジャック君は特に何も感じなかったようで、話を続ける。


「ただね、アンデッドが棲み着いたのは一度目の頃だから、もしかしたら何か関連があるのかもしれない。そう考えるとさっきの巨大スライムは二度目の時と関係しているのかも。その時は今みたいにあの扉を開けたんだ。……うん、そうだよ、その翌日には異変が出ていたみたいだし、ぼ、ぼく達のせい……?」


 断言はできない。けど彼ら三人が直接的な原因を作った可能性は高い。

 開けなかった一度目でアンデッドを招き寄せちゃって、開けちゃった二度目で親方一号がはいどーんって出てきちゃって、スピード重視かスポンスポーンとサイコスライムを産んでアンデッドを追い出した。そのせいでサーガの街が迷惑を被ったって考えるのが一番ありそうな流れだ。

 まあその真偽はともかく、今はこれから出てくるだろう親方二号をどうするかだ。

 まだ実体化は不完全。


「ね、ねえアル君、もしかして今のうちに魔法発動を阻止できれば消えてくれるんじゃ……?」


 ジャック君の提案は尤もだ。

 かく言う僕も同じ結論に至っていた。


「そうだね。……本音を言えば、親方二号との戦闘も捨てがたいけど」

「え?」

「いや」


 にこりとしたのも束の間だった。


「リディア、またスライムが出てくる前に、奥の箱を私達の風魔法で何とかならないかしら。祭壇が浮かせられたならその箱も同じようにできるんじゃない?」

「そうかも」

「じゃあ早速やるわよ!」


 わーっ、何を言い出すんだ君らはーーーーっ。

 二人の予想外の思考回路に唖然としていた短い間にも、その二人は互いに頷くと素早く杖を構えた。

 展開される魔法を目にするや我に返った僕は地面を蹴っていた。


「駄目だよそれ以上は!」

「……アル君?」


 ジャック君が首を傾げ、姉妹は戸惑った目を向けてくる。ジャックとミルカも似たような反応だ。

 だけど、遅かった。

 二人の風魔法によって穴の中からは剣が納まるくらいの細長い箱がスライドして出てきた。

 それに蓋はなく、直接僕達の目にどす黒い色をした中身が露わになる。

 どうやら包帯のような物を巻かれたそれは、その布さえ染み出した何かで黒く染めていて、継ぎ目を見分けるのも難しい。


「アル! 親方二号が何かやべえぞ! 気を付けろ!」


 その時ジャックの注意喚起が耳朶に届き、刹那、渦を巻くような突風が広場内に吹き荒れた。

 思わずたたらを踏み防御するように身を固めてしまう程の強風は、今や禍々しい程の眩しい赤色に染まる天井の光陣の中央……要は僕達の頭上のスライムのシルエットへと収束していく。

 え、どうしよ、召喚の最終段階とか!? 親方二号来ちゃうのおおお!?

 なんて焦りながらも、気持ちの片隅じゃあスライム戦闘上等だぜえって剣を嘗めるちょっとゲスキャラな僕の不謹慎な期待が首をもたげる。あああ我がスライム狂の性が憎い!


「あっ!」

「箱がっ!」


 その時、双子の魔法に支えられていたものの予想外の風に煽られ重心が崩れた箱が落下し、その弾みで中の遺物が地面に転がり出た。石でできてたんだろう箱は大きく割れてしまった。

 一時、天井の異常事態を忘れたようにして、双子もWジャックもミルカも僕も、大きく目を見開いてそれを見つめた。

 初見じゃ布を巻かれた剣か何かと思ったその細長い物体はやや勢い付いてころころころと転がって、巻かれていた布の一部が外れた。

 瞬間、それから感じる魔力の気配が一気に撥ね上がる。


「なっ……!?」


 驚愕の声は誰のものか。


 漂う濃密な魔力はもちろんだったけど、露わになった真っ黒いそれは剣でも槍でもなくて、何とおぞましい事に、――人の右手だった。


 長さからして正確には片腕部分だ。


 黒いのは燃えたのか腐ったのか乾いたからなのか、わからない。

 だけど目の前にあるそれはどう見ても人の手の形をしている。爪らしきものだってある。これが人の手じゃないとすれば何だって言うんだろう。それ以外に考えられない形状だった。


「うっ……」


 生理的な嫌悪に僕は堪え切れずに吐いていた。遺跡に入ってから少し体調が悪くなったせいもあるかもしれない。臓腑の捩れるような気持ち悪さを感じる。

 生理的な涙で視界が歪む。

 いつだったかこんな風な視界の不安定さに怖くなった記憶がある。カルデラ湖に沈んだ時でもないし、その他水遊びをした時でもない。

 もっともっと昔の自由に動き回れなかった小さな頃に体験した気がする。たぶん赤子の頃に。


「痛っ……!」


 突然、眼球がって言うか瞳がまたいつぞやのように熱くなって痛みを感じた。スライム魔宝石からの燐光もないのに脳裏にこれまた知らない光景が浮かんでくる。


「アル!? ……な、何でまた瞳が光って……? それに、何で? ここで黒い魔力が……? スライムジャンキーの時にしか出なかったのに……」


 ミルカが小さく何かを呟いたけど、聞こえなかった。仮に聞こえていても僕にその内容を考えている余裕はなかっただろう。

 他の皆にしても、僕よりもミルカの呟きよりも現れた人の腕に釘付けだ。


 脳裏では長く白い髪の少女が必死な顔で何かを訴えてくる。


『ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ。だからお願いやめて――』


 これまでスライムを倒した時にたまに見えていた映像の中の彼女の顔を、僕は初めてまともに見た。


 十人が十人誉め称えるような魔性の美しさって表現するしかない綺麗な容貌をしていた。

 僕だって人並みに美人にはデレるし見惚れてしかるべきだろう。なのに僕は胃が縮むような戦慄を抱いていた。


 彼女の潤んだ眼差しの奥底に何か病的なものを感じたから。


 ……あれ? うーん? 時々ジャックがそんなヤンデレな目をリリーに向けていたような~?


 赦しを乞う白髪の少女は追い縋るように手を伸ばしてくる。

 指先までが真っ赤な色に染まったそれを。

 ここで僕は周囲が前にも見た草原の光景なのに気付いた。

 夥しい数の魔物達の死体、血の海。

 僕はそのただ中に佇んで――――


「うわあああああっ!」


 まるで恐怖の白昼夢から覚めるみたいに悲鳴を上げて、僕はその自分の声でようやく現実に引き戻された。酷く呼吸が乱れていた。

 血相を変えたジャックとミルカが案じて傍に来てくれる。


「アル、お前顔色相当やべえぞ! まああんなのは確かに気分いいものじゃないけどな」

「大丈夫? 薬系のアイテムが必要なら出すよ?」

「いや、もう大丈夫……ありがと」


 ミルカは心配性みたいでまだ深刻そうな面持ちでいる。


「ねえ……本当に何ともないの、アル?」

「うん平気」

「なら、いいけど……」


 どうしたんだろうミルカは。内心少し違和感があったけど、僕の視線は黒い物体から剥がれない。

 普通なら判別なんてできないだろう状態のはずなのに、あれが誰の腕なのか僕にはわかってしまったせいだ。


 有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。


 平気だなんて言いつつ無様にも四肢を突いて肩で息をしていた僕をジャックとミルカが両側から脇を支えて起こしてくれた。とても不安そうな面持ちで覗き込んでくる。


「アル、有り得ないって何がだ?」

「確かに嫌な物を見てるけど、どうしたの?」


 僕の口は無意識に呪文のように「有り得ない」と呟いていたらしい。

 有り得ない。一体何が有り得ない?


「あんなのが残ってるはずがないんだ」


 だって『彼』の肉体は――一片の欠片もなく滅んだはずだった。


 少なくとも、僕の知る記憶の残滓の中でそんな選択をしていたから。


「アル、後で聞くから今は無理するな。冗談じゃなく真っ青だぞ」

「座って休んだら?」

「大丈、夫。ありがとう。自分で立つよ。親方二号だって気掛かりだし」


 支えてくれる二人から離れよろけながらも自分の足で立つ。召喚陣はまだ完了までには猶予がありそうだった。ただね、親方二号の透けた薄い姿が頭上にずっとあるのはかなりのストレスだねー。


 だがしかし、優先度は古代人の腕の方が高い。


 僕の本能がそう告げている。幸いにも皆は気味の悪い黒い腕には近付こうとしない。僕でさえ一目でわかる暴力的なまでの魔力、あれに不用意に触れてはならないと本能的に悟っているのかもしれない。


 上には親方、下には危険物。


 何だかホント、ここにきて遺跡最奥は目まぐるしいね。

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