19スライム狂想曲は遺跡から1

 宿三階のバラと冠された部屋の窓辺に、出発した少年少女を見下ろす影がある。


「ミルカちゃん達どこに行くんだろう?」

「あっちの方向だと……まさか遺跡?」

「え? でも入れないはずじゃなかった?」

「昨日の夜、アンデッドが全部討伐されたって宿屋のおじさんが教えてくれた。……ミルカ達に」

「ミルカちゃん達が!? へえ~凄いね!」

「だから許可をもらえたのかも」

「あ、なるほど」


 ジャック・オーラントと双子の姉妹の妹の方のリディアだ。


「何てこと! 昨日の王子様は夢じゃなかったのね! 朝まで爆睡してたなんて私のばか~っ」


 そしてもう一人、双子の姉の方のクレアも並んで立っていた。こちらは二人の会話は丸無視だ。

 因みにこの部屋は双子の寝泊まりしている部屋だが、そこにジャックが呼ばれた形だった。


 彼らは学術的な観点から遺跡を見学してレポート作成をするという課題のために以前から度々サーガを訪れていて、今回もレポート作成の最終段階として来ていた。


 勿論遺跡調査団の協力を仰ぎつつ、彼らの邪魔にならないようにしてだ。


 しかしその最中予想外にも遺跡が封鎖されてしまったのだ。


 遺跡に入れたのはサーガの街に到着した日とその翌日だけだった。


 どうにか状況が好転して入れるかもしれないとの望みを捨て切れず三人がサーガに滞在して一週間近くになる。


「宿のおじさんの話だと、ミルカがアンデッドのほとんどを倒したみたい」

「あはっ、ミルカが? 嘘でしょう? 冗談が下手ねリディアは。どうせ仲間の二人か自警団の人達がやっつけたに決まってるわ。ミルカはそれを少し補助したとかでしょ」


 急に会話に参加したクレアは、窓辺から室内のソファにトスンと腰を落として肩に掛かったサイドテールを手で払うや鼻を鳴らした。

 彼らは魔法学校の授業の中でアンデッド討伐は経験済みだったが、討伐と言っても監督者がいる中での安全を約束された戦闘しかした事がなかったのもあり、自分達だけでは心もとないと傍観に徹したのだ。


 三人の中に浄化魔法を使える者がいなかったというのも理由としては大きい。


 夜警に出ると言っていた宿屋の主人は何も言ってはこなかったが、本音を言えば不甲斐なさや心苦しいような後ろめたさを感じていた三人だ。

 自分達が尻込みした魔物を倒したのが、よりにもよって自主退学したミルカだったのも余計に悔しくもあって、クレアの口ぶりは皮肉っぽいのだろう。

 窓辺に佇む二人は顔を見合わせる。

 彼らも話を聞いただけで実際を見たわけではないので何とも言えず、反論はしなかった。したところでクレアの機嫌がより下降するだけだ。


「ズルいわ。特待生の私ですら追い返されたっていうのに、私が駄目で落ちこぼれのミルカ・ブルーハワイなんかに許可するんだとしたら納得いかない」

「クレアちゃんその言い方は良くないよ」

「何よ。ジャックはまたいつもの如く幼馴染みだからってミルカの肩を持つわけ?」

「そういうわけじゃなくて、悪口はいけないよって……」

「ジャックはいちいちミルカばっかり贔屓ひいきし過ぎよ! そんなに心配なら一緒に旅でも何でもすれば良かったじゃない!」

「それは心配は心配だけど、ぼくが心配なのはむしろ……」

「何よ? え?」

「いやそのぉ……」

「何よ、言いかけたことはちゃんとハッキリ最後まで言ったらどうなのよ!」


 叱責に怯んで言い淀むジャックに余計腹を立て、クレアは頬を膨らませてキッと睨んだ。

 気圧されたジャックは申し訳なさそうに首を引っ込める。それがまた面白くないのか、クレアは「カメみたい」と小馬鹿にしてフンとそっぽを向いた。


「――うち達も、行けばいい」


 室内の険悪な雰囲気など意にも介さない眼差しと声で唐突に発言したのは、窓辺で緑ツインテールをひらりと翻したリディアだ。彼女は菫色の凪いだ瞳で姉のクレアをじっと見つめた。そこには微かな呆れが滲んでいる。


「な、何よリディア?」

「別に。レポートの資料もあともう少しだし、課題をここで諦めるのは得策じゃない。今から他の課題にしてもらっても時間が足りないでしょ」

「ええとでもリディアちゃん、駄目って言われたしやめた方がいいよ。封鎖もいつまでそうなのかわからないし、やっぱり先生に事情を説明して課題を変えてもらおうよ? きちんと説明すればその分提出猶予も伸ばしてもらえるだろうしさ」

「オーラント、何のためにうち達は何日も許可を下さいって食い下がってきたと思ってるの?」

「そ、それは……」


 リディアは課題で同じ班になった学友へと視線を移す。彼とは姉と共にほとんどいつも同じ班になる。

 それはリディア自身がそうなるように仕向けていたからだったが、そんな老婆心も全く実を結ばず、最近ではもう面倒になってきてなるようになれーと投げ槍になっていた。


 ――ジャック・オーラントは姉クレアを好いている。


 男ならさっさと告白の一つキスの一つでもかませと何度尻を蹴って発破をかけたくなった事か。しかし今回に限ってはジャックには悪いが自分のために動こうとリディアは思っていた。


「オーラント、この前来た時に遺跡で見つけた物を覚えてる?」

「え? うん。壁の奥に埋まってた変な黒い塊だよね。全体はよく見えなかったけど、――不思議と朽ちてない割と大きな木箱に入ってた。何だったんだろうねアレ?」

「そう。箱がやけに重くて取り出せなかったからそのまま置いてきたけど、何かを確かめるためにも、やっぱりこの機に行くべきだと思う。他の人に見つけられる前にうち達で観察したいし。その後で調査団の人には報告すればいい」

「え、それはまずいと思うけど……」

「今まで調査団でも見つけられてなかったんだし、発見したのはうち達。状況が悪そうなら戻して知らないふりをするまでよ」

「はは、リディアちゃんらしいや……。うーん、だけど勝手に入るのはやっぱり駄目だよ。街の人に迷惑をかけるかもしれないんだよ?」


 ジャックの再三の説得にも頑固に首を横に振るリディアは、遠ざかる三人を眺めこう呟いた。


「絶対行く。だって、――アル独占は、ズルい」

「え? アル君?」


 意図が酌めず困惑するジャックとは裏腹に、姉のクレアは何かがピンと来たようだった。嬉しそうに妹へと訊ねる。


「あの方はアル様っていうのね?」

「そう。アルフレッドだからアル。ミルカともう一人とパーティーを組んで旅をしているって」

「何ですって? 一緒に旅を? たったの三人で?」

「そう言ってた」

「そうなの。それじゃあとっとと私達も行くわよ!」

「異論なし」

「えええっちょっと二人共お~、駄目だってばあああ~っ!」


 いつにないやる気と素早さで支度を済ませ部屋を出ていくツインズを止められず呆然となった少年は、大慌てで自分のパンジーの部屋に戻って諸々を取ってくると泣く泣く追いかけた。

 二人だけで行かせるのは心配だったのと、然程前ではない前回遺跡を訪れた時のように二人が何かを仕出かさないか見張る意味でも、付いて行かざるを得なかった。





 近くの山の稜線から日が完全に離れた朝空の下、街から伸びる林道を進んだ奥の開けた土地に僕達は来ていた。


「これが、サーガ大遺跡……」

「中は真っ暗そうだし、明かりが必要だな」

「光源ならあたしに任せて。でもこんな所に突然の岩山だなんて、空から落ちて来たみたいに不自然よね。誰かが故意に出現させたって言われても納得よ」


 三人揃っての視線の先には現在、仰け反って見上げる程の大きな岩山がそびえ、実はそれが古代遺跡そのものらしい。どうやったのか巨大な岩の内部を人の手でくり抜いて造られている。天然素材から生み出された紛れもない人工建造物がそこにはあった。

 苔むした緑色と岩の地肌の灰色が独特の模様を描き、まさに古色蒼然としている。


「堅そうな岩だし、相当な労力が要ったんじゃないかこれ?」

「古代の技術でこれだけの物を造れるのは驚きだよね。魔法使ったのかな?」

「うーん、古代魔法は今とは系統が違うらしいからハッキリとは言えないけど、違うと思うわ。執念で掘ったのよ。そもそも古代人はほとんどが魔力を有していなかったみたいよ。本当にほんの一握りだったって、学校で習わなかった?」

「俺そういうの興味なかったし、聞いてたんだろうけど忘れた。じゃあこの中は全部手彫りか……すげえな」


 感嘆するジャックに僕も同感だ。

 現代は科学と魔法のおかげで硬い岩だって時に簡単に粉砕出来ちゃうけど、ミルカが今言っていたように昔は今と違って魔法を使える人口自体が極端に少なかったようだから、魔法自体が稀有なものだったらしい。科学水準は言わずもがな。

 四千年前の主な燃料は木炭や獣脂油らしかった。

 魔物との戦いで文明の衰退期や停滞期を何度も繰り返してきたこの世界は、ずっとその辺りの水準をうろうろしていたって話だ。

 だからこの時代が有史以降最も文明レベルの高い時代だって習ったっけ。

 今では臭い獣脂油はド田舎か、本当の本当に末端の安宿にしかない。


 だけどさ、古代人のド根性や根気を称える気持ちも、岩肌にぽっかりと開いた入口奥からスライム共がチラホラ姿を見せた時点で霧散した。


 大きさは柑橘類のオレンジくらい。

 思い切りビンタする勢いでやれば、掌でべベチッといけると思う。

 爛々と赤眼が光ってるけど、ラリッてるからか目の焦点が合ってない。まあ元々どこ見てんだかわからない奴らだったけど、これはもう相当やべえね。


「てめえらは巣穴から覗くラビットか? ボクらお可愛らしいことですってか? ああん?」


 よくわからない口調のジャックがもう半ギレ状態でメンチを切っている。


「えっでもダニーさんから遺跡の鍵借りてきたのに、入口が開いてるってわけ?」


 遺跡の入口扉は少し中に入った位置にあって、外から一見しただけじゃわからない。予備知識もなく初めて訪れた人は普通に鍵も扉もない場所なのかって勘違いするだろうね。僕もダニーさんから説明を受けていなかったらそう思って猪突猛進と突っ込んで扉にぶち当たって悲惨な目に遭ったかもしれない。窓にぶち当たって気絶する間抜けな鳥みたいにね。


「たぶん鍵は掛かってると思うわよ。でもほら、スライムって細い隙間でも這い出して来ちゃうから」

「あー、なるほど。奴らなら捻り出るね」


 ミルカと話して気を散らし、僕はまだ我慢する。有利に戦いを運ぶためにも敵の特徴をじっくり見極めないとね。

 奴らの色は茶色。

 こいつら実はサイコスライムじゃなくてウンコスライムなんじゃないの?

 でもちょっと懐かしいなあこの色。種類は多分違うけど実家の日々を思い出すよ。浴室を臭わせた奴とか。


「えっでも思いの外いっぱいいるわ! もしかして人の気配察知してわらわら出て来たの!? まるでスズメバチじゃない。あれって外敵が近付くと偵察とか威嚇しに出て来るでしょ。それみたいだわ。こわっ! こっわ!!」


 由緒正しき魔法杖を握り締め嫌そうな顔をするミルカの横で僕とジャックがほとんど同時に地を蹴った。

 ハハッ僕にはじっくり観察なんて土台無理だった~い。


「鍵は任せろジャック!」

「おうよ秒で開けてくれよな!」

「えっあっちょっと待ってよ、行くのは良いけど明かりないでしょ!」


 のこのこ出て来た奴らを片っ端から奥へと蹴り戻して中に突入した。


「「お出迎えご苦労だったなあああああ!」」


 とは言え、蹴った時点でボワンと大半が昇天して黄緑の魔宝石になった。

 この調子でグイグイ行くぞおおおーッ!!


 ……入口にたむろしてた奴らを蹴散らして五歩くらい中に入った僕とジャックだったけど、結局は真っ暗で中が見えなくて引き返した。





 気を取り直して遺跡に入り直した僕達はきちんと閉まっていた鍵を開けて本当の遺跡内部に足を踏み入れた。

 僕とジャックはダニーさんが好意で貸してくれた探検用ライトを頭に、ゴツゴツした通路内を照らしている。

 額の真ん中でピカッと光るし、これぞ勇者って言うようなごてごてした装飾までされたマニアに受けそうな探検用ライトだった。

 貸し出しだけじゃなく土産物にもなっていてダニーさんは遺跡見学の観光客に意外にも好評だって言ってたけど、僕的には普通のがしたい。


「なあアル、これ俺すげえ様になってないか? 写真撮ってリリーに送ったら惚れ直してくれるよな! な!!」


 ジャックなんかは大喜びで装着してるけどさ。


「そうかもね。良かったねジャック、これで君も勇者さ!」

「おう!」

「とまあ冗談はこれくらいにして、両手が空いて楽ちんだね」


 ありがとうダニーさんと感謝する僕の横では「冗談!?」とジャックが酷く悲しそうな目をした。


 僕達とは違ってミルカは杖先に魔法光を灯している。光源魔法だね。光源魔法って言っても様々にあるけど、彼女が今使っているのは一番初歩的なものだ。

 僕とジャックも単なる洞窟探検だったら各各の剣先や弓先にその魔法を使っただろうけど、今それをやっちゃうと魔法維持に気を取られてスライムとの戦闘に集中できない。

 さすがミルカは気を抜いていても光源魔法を維持していられる程に魔法の腕が卓越している。


「やっぱりここって元は広場とか集会所みたいな施設だったんじゃないかな。この通路だって幅も高さもかなり広く取られてるから、大勢でも通れるし。神殿だったかどうかはわからないけど」


 僕は照らされている遺跡内部を興味津々に眺め回した。

 今口にした通り、入口から奥へと真っ直ぐに伸びている太い通路は多数の者の通行を想定したものだろう。天井が高くアーチを描くのは、例えば神輿なんかを運び入れる際に必要だったのかもしれないし、単に威容を見せつけるためだったのかもしれない。

 しかも一本道という簡単な造りのようだった。まだ最奥まで行ったわけじゃないから横道が全くないのかどうか確かな事は言えないけど、きっとそう複雑にもなっていない気がした。

 ここは手彫りだろうに天井も床も壁も驚くべき綺麗さでならされ整えられている岩窟だ。正直もっと荒い削りだろうと思ってたから驚きだ。

 ただ、岩を掘るのも大変な古代でこんな丁寧かつ精緻な仕事がなされているこの場所は、実は僕達が思う以上に古代じゃ重要な場所だったのかもしれないともどこかで思った。


「ハハハハハハ! ああ絶景かな~っ」


 哄笑するジャックの横で手彫り通路を奥まで見渡す僕は、宝石を前にした実家の母親のように目を輝かせた。

 何故なら、まるでパン屑を落として道しるべにしたって言う童話みたいに、いや童話の比じゃない数のスライムクズが点々と奥まで続いてたからね。

 ラリッた赤い目が不気味に底光りしている。

 ハハハハと悪役笑いをしていたジャックが笑いを収め真面目な顔付きになった。


「なあ、何かあいつら一様に飢えたような顔してないか?」

「いやーっ口からよだれ垂れてるっ。壁とかガジガジかじってるのもいるうっ。もしかして遺跡の中だけじゃ餌が足りないとか? 草すらないものね。ね、ねえじゃあ元々いた普通スライムがいないっぽいのって、まさか共食いして……?」


 言いながらミルカは生理的に嫌そうに顔を背けた。


「ははっ、きっとそうだな。ああして何かご飯がキターッみたいな顔して同族を食べたんだろうな……って、ん? でも現在のスライムの餌って?」

「――僕達だよ、この場合」

「「…………」」

「そういえば実家じゃいつも喰いたそうにこっち見てきたっけな~あははは、はは、同じ目してる」


 合点したジャックは「ああ……」と酷く憐れんだ目をし、ミルカは「そんな過去が……」と察したんだろう気の毒そうな顔になった。


「まあでもさ」


 僕は一歩前に出るや、フンと鼻息も荒く抜き身の剣の柄を握り締めた。


「とりあえず、やっちゃお!」


 笑顔で殺気を爆発させた僕に反応してか、サイコスライムが一斉にぷるるんと体を揺らす。

 そしてお約束――にたあ~っと笑った。

 常套句ならぬ常套笑いは戦闘開始の定番合図。

 勢いよく丸っこい全身で飛び跳ね、自棄っぱちの自傷行為かってくらい激しく壁や天井に激突して跳ね返り変則的な動きをし始める。

 うわっ何だこれ。

 こいつらがサイコスライムって言われる所以がきっとこれだ。

 奴ら自身も自分が次にどう動くか見当ついてないんじゃないのかなー。ただ無駄に跳ね返ってるだけな気がしないでもない。


「ハハッ、こいつら馬鹿なの?」

「馬鹿だな!」

「さすが単細胞ね!」

「確かにこれじゃ普通の人は中々捕捉できないわけだよね。だけどさ、お前らの動きを見切れぬ我らと思ってかあああ!」


 スライムの無謀さをどうこう言えない策なし特攻隊長な僕にジャックもミルカも続き、僕達は遺跡通路を一掃すべく猛進撃した。遺跡内部は思った通り横道はなく、迷路にもなっておらず、平坦な直線一本道だった。


「「おらおらおらおらあああーっ!!」」


 左右に分かれ攻撃する僕とジャックの息はピッタリで、窓一つない通路にはボワンボワンとスライムの討伐音が引っ切り無しに響いた。

 すぐ後ろを走るミルカは敢えて何も突っ込まないていで魔法は行使せずスライムを杖で叩き、蹴り、踏み付け倒していた。

 なっ、踏み付け攻撃できてる!? 究極のバナナの皮レベルのスライム共で滑って転ばない、だと!? ミルカ、君は何というバランス感覚の持ち主なんだ!

 こいつら小さめだから踏むとぐにゅっとして、更にはボワンの前にプチッと感じる。転ぶのもそうだけどそんなのすら嫌だった僕は専ら剣でサクサクぶった斬ってるってのにっ。

 ジャックは弓矢の使用が非効率だと思ったのかミルカと同じでプチプチやってた。何度もこけてたけど。

 ああ次から荷物の緩衝材プチプチを見たら問答無用で剣を抜きそう。

 討伐は順調だった。

 一般人には結構きつい変則的高速度も、スライム慣れした僕達に掛かればお手の物……ってかさ、こいつらホント弱かった。

 神聖な建物内で三対超多数で激突している僕達だけど、動きがおかし過ぎるだけで攻撃を受けたところで蚊に刺された程度、屁でもない。


「でも鬱陶しい!!」


 蚊が耳元に飛んできたらイライラするのと同じだ。

 魔物同士にも縄張り争いがあったりするけど、これはそれとは違うね。そりゃアンデッドだって嫌がって出てくよねー。

 スパスパボワンボワン、プチプチボワンボワンやりながら進んで進んで進みまくって、あと少しで遺跡最奥って時だった。


「ひゃあああ冷たいッ! 背中っ背中に入ったよおお~ッ!」


 天井に跳ね返って落ちて来たスライムが奇跡の確率でポスッとミルカのローブの中に入ったらしい。

 ミルカは絶叫に近い悲鳴を上げて身を捩る。


「「ミルカ!」」


 近い所に居たジャックが悪霊を叩き出す霊能者のようにバンバンバシバシ背中を叩いてやると、プチッボワンと音がしてローブの裾からカランと低ランクの黄緑魔宝石が落ちてくる。

 僕は思わず目頭を押さえた。

 っ……ご愁傷様!


「ひぐッ……ううぅっ……」

「げ、元気出してミルカ?」

「そ、そうだぞ。お肌すべすべ効果があるかもしれないだろ」

「ジャック……クラゲじゃないんだし、スライムにコラーゲンはないと思うよ」

「あ、そうか? あー、これもある意味貴重な体験だ」

「あのね君、全くフォローになってないってば」

「わ、悪い」


 そりゃあ泣くよね。僕も直に背中とか……冗談抜きに男泣きする。

 ミルカには心の整理を付ける時間が必要だろう。

 思いやりでそっとしておこうと考えてたら、えぐえぐとべそを掻いていたミルカは何を思ったのか「アル~ッ」と僕に抱き付いてきた。ジャックが「ドサクサ」とか呟いた直後にミルカの杖から紫電が放たれた気がしたけど、ジャックは何も言わないからきっと気のせいかな? まるで感電で硬直したみたいだったけど思い過ごしだよね。

 両腕を回されての唐突な抱擁にはちょっとびっくりしたけど、よく故郷の村でも泣き虫の小さな子が歳上の子にそうしているのを見た事があったし、僕は優しく栗色の髪を撫でてやった。

 うっ……ちょっと手にヌメリが付いた。きっと背中に入った時に髪に付着したんだろう。


「全部やっつけてくるからここで待っててミルカ? いいね?」

「……」


 僕がそっと離れようとするも、彼女は項垂れて依然しっかりと僕をホールドしたまま両肩を震わせている。

 そっか、そんなにショックだったんだね。可哀想に。

 うーんでもこのままってわけにもいかないしなあ。

 気がかりに思って顔を覗き込もうとすると、ブツブツブツブツとミルカの唇が何かの呪文でも唱えるように小さく早口で動いているのに気付いた。

 あれ? でも彼女は魔法行使時は無詠唱だったような……?


「――許すまじ許すまじ許すまじ許すまじスライム……ッッ。アルのなのにアルのなのにアルのなのにアルのなのに……ッ! あんたたちにこのあたしの乙女のやわ肌を許した覚えはないってのにいいい……ッ!!」


 迸る憤怒。

 ジャックだけじゃなく僕も硬直し、尚且つミルカの言動を理解したらいけない気がして思考停止もする中、意外にも自主的にするりと僕から腕を離したミルカは血走った目で得意の魔法を即時展開した。


「スカ魔法が発動して強力スライムになっちゃったら、夜露死苦よろしくぅっ!」


 な、何かよろしくの部分がおかしかった気がするけど、杖先の光源が消え、瞬きの後にはこれまた白く光る魔法陣が浮かび上がっていた。


 これって今度は浄化魔法?


 何事も度が過ぎれば良くないように、鋭すぎる神聖さがどことなく恐ろしくて薄ら寒さを感じる。

 懸念を浮かべた刹那、カカッと魔法陣が弾けるようにして遺跡内部が白く染まった。

 僕達の目の前から遺跡最奥部に至る間のスライム共がフラッシュによって一瞬で浄化され、蒸発するようにして消え去って、小さな無数の魔宝石だけが残される。

 一仕事を終え、再び杖先に光源魔法を戻したミルカは、見違えるようにスッキリした通路を背景に振り返って、爽やかなる微笑を浮かべる。


「粗方片付いたけど、まだ残党が残ってるかもしれないから早く奥に行きましょ。何か広場みたいになってそうよね? 昔の神事って多分そこで行われてたのよ。それにきっと魔法書に載ってた古代魔法陣もそこにあるんだわ! 楽しみ~!!」

「「……」」

「って、ねえ二人共何呆然として突っ立ってるの?」


 い、今のは浄化魔法だよね?

 僕達には影響なかったから確かに浄化魔法だったんだよね?

 でも本気で触れたらジュッて言って僕もジャックも瞬時に浄化されて蒸発しちゃいそうな気がしてぶっちゃけ背筋凍ったよ?

 アンデッドとの戦いじゃ浄化魔法が不得手とか言ってたけど、あれ謙遜以外の何物でもなかったんだね……。


「二人共早く行こうってば!」


 逸る気持ちを隠さないミルカは僕達の少し先に立って拗ねるように振り返っている。

 僕はジャックと無言で頷き合った。


 ――ミルカを怒らせたら駄目だって再認識した。


 僕達は生まれたての小鹿のように震える己が両脚をその場から動かすのに、酷く難儀した。

 スライムロスはちょっとしか満たされなかったけど、言い知れない恐怖を前にして最早そんなものはどこかいと遠き所へと吹っ飛んでいた。


 果たして遺跡最奥はどうなっているのか、僕達はこれからそれをしかと目撃する事になる。

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