10ダークトレント討伐1

 ルルの街から離れるにつれて元気のなくなったミルカ。

 道中元々そんなに会話していたわけじゃないけど、森道を進む間も声を掛けても返る言葉数はめっきり減って何かを思い悩んでいるようだった。


「ねえ、やっぱり僕達と組んだのは間違いだったって後悔してるんじゃない?」


 こそっと耳打ちすると、ジャックは「俺のせいだな」と意気消沈した。僕だって見たくもないものを見せたんだろうし。ジャックだけに責任はないよ。


「こうなったら早いうちに二人で謝ろうよ」

「何でお前まで?」

「実は朝さー……」


 かくかくしかじか。


「あー、納得納得。だから壁にぶつかってたのか。鼻血を誤魔化すために」

「誤魔化す? わざわざ何で? 顔をぶつけて鼻血なんて珍しくもないのに」

「あーまあ女子には色々あるんだよ。アルに感謝感激してても怒ってはないと思うぞ」


 不自然な笑みを作るジャックは何故か僕に同情的な目を向けてきた。


「感謝感激ぃ? なわけないよ。まあとにかく、二人で謝れば赦してくれないかなー……と」

「いやだからアルは……ってまあいいか。罪状は鈍感大サービスで。よし二人で謝ろう」

「鈍感って、ええー何それ」


 よくわからないけど、ジャックも承諾してくれたので善は急げで即実行だ。

 やや後方を離れて付いて来るミルカを僕達は同時に振り返った。


「え、何……?」


 気付いた彼女がやや怯んだように魔法杖を抱き寄せたけど、僕達はザザッと砂埃の立つ勢いで平伏。一気に攻勢に出た。


「「ミルカさんすみませんでしたあああっ!」」


 それすなわち――ザ・土下座!!


「え? ええ? どうしたの二人共?」

「朝は変なもの見せてごめん! 目に悪いだろこのヘボ体っていうお怒りはごもっともだけど、パーティー解消だけは思い止まってほしい!」

「俺もごめんな! 寝ぼけて嫌な思いさせて済まない! ただ俺のリリーへの愛は本物なんだあああっ」

「ちょっとドサクサで青少年の主張してどうするのさジャック」

「あ、すまん。とにかくだミルカ、本当にお前を仲間と思ってるアルのためにも、抜けるのだけは考え直してくれ!! 勿論俺だってそう思ってる」

「ええと……?」


「「――僕(俺)たちにはミルカが必要なんだ!!」」


 頭を地に擦りつけたまま二人で裁定を待つ。

 ミルカは戸惑った声を上げていたけど、僕達の思いの丈をぶつけたら黙り込んだ。

 しばし、野鳥のさえずりや葉擦れの音が辺りに満ち満ちる。

 そよ風が吹いた。

 地面しか見えない僕の前髪を揺らしてそれは過ぎて行く。


「二人共、とんだ心配性ね。抜けるって何の話よ。あたしからは抜けたりしないわ」


 どこか呆れた声がして、屈んだミルカが僕達二人の肩に手を添え顔を上げさせた。

 声の通り、彼女はくすくすと可笑しそうに苦笑いしている。

 決して悪い反応じゃないのには、僕もジャックもホッとしてしまった。


「二人の方こそ……あたしの駄目駄目さを知ったら、幻滅して愛想を尽かすかも」


 あ……まただ。ミルカの目には悲しげな色がある。

 冗談口調のようでいて、彼女は自己紹介の時のような自嘲を薄らと浮かべた。


「ミルカ、それはどういう――」


 と、ここでミルカが僕とジャックの後ろを見て両目を大きく見開いた。


「気を付けて! ダークトレントよ!!」

「「――っ!?」」


 反射的に僕とジャックは身を反転させ身構える。

 敵は既にこっちをロックオン。

 普通の木に黒い硝子ガラスを重ねたような色合いの魔物は、その奥に一体何がいるのかと思わずにはいられないぽっかりと開いたほらのような黒い目と口をこちらへ向けながら、不気味な咆哮ほうこうを上げた。


 ブォヒョオオオオオ~ッ!!


 法螺貝ほらがいの吹き損じみたいな声にうっかり膝から力が抜けそうになった。


「こ、これが鳴き声……お、恐ろしや。こっちを撹乱かくらんするための戦略かな」

「ああ、きっと! 俺たちの足腰を立たなくさせる気だ!」

「え、ダークトレントってこんな鳴き声だったっけ……? それともこの個体だけが特殊なのかしら。鳴き声だって咽に何か詰まってるような感じだし」


 大真面目に身震いする僕とジャックとは裏腹に、ミルカが細い首を傾げて一人納得のいかない呟きを漏らす。

 っていうかさ、一気に元々味噌っカスしかなかったやる気が失せたよハハハ! あー、どこかにスライムいないかなー。


「アル、ミルカ、気を付けろ来るぞ!」


 ダークトレントは足代わりの太い根っこをわさわさ動かしてにじり寄ってくる。向こうも警戒しているのか、途中で前進をやめた。

 腹の底を探り合うように見つめ合う僕達とダークトレント。

 激しく交錯し合う視線。

 たださ、敵の目は黒い穴だからどこ見てるのか正直ちょっとわからない。

 睨み合いが続き、とうとう敵はカカッと洞の目を見開いた。

 一体何を仕掛けてくるつもりだよ!?

 僕達の警戒心が最高潮に達しようかというその時、そいつは何と行く手を塞ぐようにドシーンと横倒しになった。ドシーン、と。


「……は?」


 ぽかーんとなるミルカの横では、


「「師匠おおおーっ、一発芸お見事ですッッ!!」」


 僕とジャックが荒ぶる弟子のような快哉を送った。

 鋭い枝先でむち攻撃でも来るかと思いきや、やっぱり通行妨害がお好きらしい。

 こういう時、素でボケずにはいられない僕達に呆れるミルカはけれど、両目をキラリと光らせた。


「これって絶好の攻撃チャンスよね」


 そう言われればそうかも。

 僕は頑張って米粒くらいのやる気を出す。


「じゃあミルカは下がってて」

「へ?」

「怪我した時は治癒よろしく! 行こうジャック」

「おう!」


 武器の剣を抜き放ち足の裏に力を込め、ジャックと目配せし合ったところでミルカが慌てたように声を上げた。


「待って待って、あたしだって戦うわ!」


 そして僕達は見た。

 彼女の手にした武器を。


「「斧オオオ!?」」


 Ohhh Noooオ~ノ~、魔法杖じゃないんかい!

 杖はご丁寧に地面に敷いた布の上に置いてある。


「きっと攻撃の効果は抜群よね」

「え、えとそれはどうだろう……。どうやってその長い柄ごと鞄に入れてたの?」


 そこがまず気になる。

 筋トレに使えそうな分厚い大辞典がギリギリ二冊入るかなーってくらいの大きさの鞄なのに。


「あ、これ魔法鞄なの」

「なるほど」


 鞄や荷袋の中には、見た目以上に内部に沢山収納できるような魔法仕様の容れ物がある。

 高価だから僕は持ってないけどね。

 でもミルカ、斧なんて本当に扱えるのかな。

 カールおじさんみたいに実は樵ですとか? じゃなきゃ腕力主体の冒険者向けだと思うんだけど。

 慣れない武器は体を痛めるし、なるべく止めた方がいいよー?


 すると、ダークトレントは斧を見てブルブルブルリと全身を震わせると、天を衝く勢いで直立した。


 ブォヒョオオオオオ~ッ!! ブォヒョオオオオオ~ッ!!


 怒りにえながら、人が唇をわななかせるようにギザギザした形の口を震わせている。目が吊り上がって明らかに顔の険しさも増している。暗いホラーな森にいそうだよ。

 魔物だろうと、やっぱり木にとって斧は地雷らしい。

 

 ブォヒョオオオオオ~ッ!!


 でもさ~ハハハ、怒ってもやっぱり鳴き声は変わらないんだ。萎える……。

 僕の感想とは裏腹に、ミルカが心底不審そうに敵を見つめた。


「二人共聞いて、やっぱりおかしいわこの個体。怒ってもこの声なんて普通じゃない」

「え、そうなの?」

「そうなのか?」


 ブォヒョオオオググガゴホッ、ゴボボボボッ、ゴベバッ。


「「「――!?」」」


 え、何だ?

 ミルカの見立て通りだったのか、直後ダークトレントは変な声と共に口から草色の何かを吐き出した。

 汚いっとは思ったけど、吐き出されたブツを見た僕は、最早それどころじゃあなくなった。


「な、な、な、な」


 言葉らしい言葉を紡げない僕の、いや僕達の目の前では、ダークトレントが嘔吐した物体がうごうごと蠢いている。


 軽く跳ね、あれ? ここはどこ? 私はだあれ?……みたいな顔をしてるけど、教えてやろうお前らは――――スライムだあああっ!


 何と、ダークトレントがぺっぺしたのは何匹もの小スライムだった。

 故郷のオースエンドではスライムから唾を吐かれたけど、スライムを吐かれるなんて夢にも思わなかったよーあはっ。


「もしかして木の中に巣を作ってた、とか?」

「は……はは、ミルカ、鳥の巣ならわかるけど、スライムの巣? いくら何でもそれは――――あり得る!! なあジャック!!」

「同感だ!!」


 超絶ある。僕はアル。排水管の中にだって住めちゃうスライム種だ。木のほらだかうろの中にだって普通にいるさー。

 僕の初代冒険鞄の中にだっていたくらいだしね。ホントにあれは忘れられないよ。

 あの後近場の村で冒険鞄は調達したけど、気に入っていた鞄だっただけに憎さもひとしおだ……とまあ、そんな悲しい記憶を思い出し、腸が煮えくり返りそうになる僕に隙でもあるように見えたのか、吐しゃ物スライムが一匹跳んできた。

 俄然超然やる気になった僕が構えに入ったところで、ジャックお得意の弓矢がそいつに突き刺さって魔宝石を残す。ハハッやっすい黄緑のだし。


「ありがとうジャック」

「気にするな。サクサクぶっ叩こうぜ」

「ああ! そうだよね!」

「いやあああああっ!」


 その時ミルカが苦手な虫でも見つけたような悲鳴を上げた。


「やだやだまだ居る! まだお口の中に残ってるわ! でも咽につっかえる程じゃないから放置なの!? それでいいのダークトレント、ねえ!? それ生理的に無理なんだけどおっ!」


 ミルカの必死の問いかけなんて届いているはずもない魔物は、依然ミルカが手にする斧を見て怒りが再燃したのか、


 ボオオオオオオオオオオオーッ!!


 今度こそ、正規のだろう鳴き声を発した。

 まるで汽笛みたいだなーなんて呑気に言ってる暇もなく、猛り狂った牛のようにこっちに突進してくる。

 草色スライムを口の端からむちむちっと覗かせて。


「「うわあああああーーーーッ!!」」


 さすがに僕とジャックも悲鳴を上げた。

 ミルカの言う通りだ、生理的にマジで無理無理無理~っ。ホント止めてそれねえええ!? ダークトレントお願いだからさ!


「そいつらを全部ぺっしなさい!」


 ボバボオオオオオオオオオオオーーーーッ!!


 突撃は止まらない。





 ジャックがダークトレントへと再度矢をつがえて放った。

 そいつが地面に吐き出したスライム共はさ、何と大半がそいつに踏み潰されちゃった。

 草色だったからそこらの雑草としか認識されてなかったのかな~……グッジョブ!

 ジャックは口の中の残りを狙ったみたいだけど、ダークトレントの方は自分への攻撃と思ったらしく手の代わりの枝を大きく振り回した。


「くそっ弾かれた!」

「ジャックここは僕に任せて!」


 僕は僕で急激に戦闘意欲の湧いた心で斬撃を繰り出す。

 チクショー! スライムが巣を作ったスライムのしもべなダークトレントなんて恐るるぅに足らず!


「ダークトレントごとぶった切ってやらあああああ!!」


 僕の中ではあくまでも攻撃目標はスライムで、樹木の方はついでだ。

 けどスライムが寄生しているからと言って、実際問題サクサク斬れるわけもなく、ダークトレントの硬い幹は渾身の一撃を見事に弾いた。

 キンッと金属が鳴る硬質で甲高い音と共に両腕に衝撃が走る。弾かれたままの軌道で何とか後方に着地した僕だったけど、手が痺れ剣先が震えた。


「くっ」

「アル大丈夫か!」

「アル平気!?」

「だ、大丈夫。ちょっと痺れただけ。でもああくそ、やっぱ木には斧なのか!?」


 まだミルカの手にある斧へと視線を走らせる。

 カールおじさん、我に汝の力を貸してくれ……!


「ミルカ、斧を貸し――」

「――木には火なのかも! あたしが魔法で燃やすわ!」

「え? あ? えっ?」


 ミルカがいつの間にか一度も使わないままの斧を放り捨て、魔法杖を手にしている。

 早っ、斧諦めるの早っ! いやいいけどさ……斧貸してとはもう言えなかった。何となく。


 僕の微妙に残念な気持ちなんて微塵も知らないだろう彼女は杖を構えての対決姿勢だ。


「ミルカ危ないって!」

「今は回避が一番だぞ!」

「大丈夫やらせて!」


 ミルカは何かを無理しているような顔で意気込んでみせた。

 魔法の呪文を口の中で小さく呟いている。

 さすがは魔法系冒険者だと感心する耳に、しかし入ってきた言葉は違っていた。


 ――見捨てられたくない見捨てられたくない見捨てられたくない。やらなくちゃやらなくちゃやらなくちゃ。見捨てられたくない見捨てられたく――……


「ミ、ルカ……?」


 そう呼んだ僕の声はきっと声になっていなかった。

 僕は聞いてはいけないものを聞いてしまったのかもしれない。

 まるで強迫観念にでも駆られているような必死さで魔法攻撃を開始する彼女。

 でもきっとその心の動揺のせいで、的確なタイミングが遅れたんだと思う。


「ミルカ一旦退くんだ!」

「駄目なのっあたしはっ」


 彼女の魔力が凝縮し、杖の前に出現した赤色の魔法陣から火炎が放たれる。

 しかし好機を完全に逸していた攻撃威力は不完全で、ダークトレントは少々枝先を焦げ付かせただけだった。

 ……お口の友達スライムも無事だ。

 敵の突撃は止まらない。


 このままじゃぶつかる……!!


「「ミルカ!」」


 ジャックも僕もほぼ同時に地を蹴った。

 目前に立ちはだかって敵の目に矢を命中させたジャックが、それでも怯まない敵の強烈な枝に打たれ吹っ飛ぶ。

 友を案じる暇もなく、ミルカを突き飛ばした僕も刹那の危機を回避できなかった。

 音もなく、僕の瞳に拡がった黒い影。


 あ、やば……。


 ぶつかられたというかね飛ばされた強い衝撃に全身が悲鳴を上げた。

 気付けばジャック同様地面に転がっていた。

 とにかく体全部が激痛に苛まれ、体を起こそうにも力が入らず呻くしかできない。

 自分以外の呻き声が聞こえて、ジャックの方も何とか意識があるようだとわかってそこは少しホッとした。

 僕にもジャックにも、回復アイテムか治癒魔法が必要だった。


「ぁ……っ」


 無事だったミルカが尻もちをついたまま喘ぎにも似た引き攣った息を漏らす。


「ミルカ……頼む、早く……治癒か、アイテム……を」


 ジャックが苦しげに声を絞り出し、呆然とするミルカを我に返らせた。

 ダークトレントは勢いのまま道を走り抜け、ようやく止まったものの反転してまた戻って来ようとしている。

 早く手を打たなければ。


「ミ、ルカ、早く……っ」

「わ、わかった」


 声を出すのも辛くて歯を食い縛る僕の催促と叱咤に、彼女は今にも泣きそうになりながらも仲間の惨状をどうにかしようと杖を構えてくれた。


「い、今すぐ治癒魔法ヒール掛けるから待ってて……!」


 魔法杖の先が光り白い魔法陣が出現した。

 白は治癒系や浄化系魔法の色だ。

 眩い光が目をいた。

 これで戦える。そう思った。


 だけど、眩しさから閉じていた目を開けた僕は、一向に体の痛みが引かないのにいぶかりを覚えた。


「そんな……何で? 何でこんな時に限って、これなのっ……!」


 確かに何らかの魔法は発動したのに、僕だけじゃなくジャックにも治癒は効いていないようだった。

 視界の端に僕同様地に這いつくばったままの赤毛が見える。


「ごめん、ごめんなさい。アル、ジャック、ごめんなさい……!」


 取り乱し謝罪の言葉を繰り返すミルカは涙声だ。

 その間何度も魔法を試みるものの、大きな動揺の余り上手く魔力が制御できず発動できないようだった。魔法と精神は密接に関係しているから。


「凄い杖が使えるって欲に負けたあたしが悪かったの。結局どんな杖を使ったって本質は全然変わらないのに。無駄に強化種にしちゃっただけなのにっ。あたしのわがままで二人まで巻き込んじゃってごめんなさいっ!!」


 強化種? もしかしてダークトレントの事?

 よくわからないけど、そう言えば魔物の足音がしてない。立ち止まったとか? 鳴き声だって聞こえてこないし。


「ごめんなさい! だから逃げて! 二人共お願いだから! 逃げて!」


 ミルカは今度は何度も魔法攻撃を繰り出そうとして失敗し、とうとう泣きながら杖を振り回した。敵に突っ込んで行ったものの跳ね返されたのか僕達の方に転がってきて、起き上がってまた駆け出して行っては飛ばされて戻ってくる。何とか受け身を取れているみたいだけど、それを何度も繰り返していればじり貧だ。

 ミルカには悪いけど、逃げろって言われたって体が痛くて動けない。

 敵に顔を向けるのさえ無理そうで、現状ダークトレントがどうなっているのか見えないのがもどかしい。

 それに擦り傷が増えていく痛々しい彼女の姿に、焦燥と憤りがどんどん積もっていく。


「ミルカ、もういい、君こそ逃げて。歩けるうちに、頼むから……ッ」

「そうだミルカッ、お前だけでも、行けっ、よっ」

「そんな事できな――――アル!」


 逃げて、という部分までは言葉にできなかったのか、単に別の音に掻き消されて聞こえなかったのかはわからない。

 僕のすぐ傍に、重そうな着地音と共に嫌~な気配が現れた。その唐突さは何処かそこそこ距離のある位置から跳躍してきたかのようだ。

 思考さえ霞んでくる中で、僕は本能的な危機感に突き動かされ苦労して視線をやった。

 すぐ傍の何かに。


「――――なッッ!?」


 そこにいたのは、よく知る魔物の姿をしていた。

 地面を這ったままの無様な姿勢のまま目を見開く僕を、そいつはにたあ~っと不気味な笑みを浮かべて見下ろしてくる。

 あー、めっちゃ目が合ってますねこれはー。

 一秒、二秒、三秒、トゥンク……なんて展開は世界が滅亡したってない。


 だって相手は何を隠そうドでかいスライムだ。


 スライムだ!


 スライムなんだよ!!


「うぅっ、くっ……!」


 興奮が傷に障ったのか、いきなりビキーンときた激痛に僕は思わず顔をしかめた。生理的な涙も浮かぶ。

 そのせいか目まで痛いというか熱い。

 故郷の村に出た奴以上に大きさがありそうなスライムは、その瞬間に表情を消した。

 は? 何? 無表情? 逆に怖っ。

 更に何を思ってかそいつは体の一部を変形させダークトレント色の触手を伸ばしてくる。


 僕が螺鈿みたいな変光眼の目を見開いて 見つめる中、僕に触れようとしてくる。


 もしや触手の先が実はパカッと割れてギザギザ歯の生えた口になっている系? 僕は絶対に美味しくないと思うけど!


 極限の緊張と警戒、追い詰められた感情が僕に瞬きさえ許さない。ああチクショードライアイだよ目が痛いっ!


「アル!」


 ジャックの案じる叫びが聞こえる。


「アル!? 目が光って……?」


 案じる色はあるもののミルカは何故か疑問形だ。目って僕の?

 触手の接近は止まらない。

 これは……。


 何故だろう、まるで甘えて懐いてこようとする手みたいだと、そう思った。


 ――わらえる。


「触るな」


 触れる寸前、静かな口調でそう呟いていた。

 けど何よりも強い意思を込めた言葉だった。

 ピタリと、触手が動きを止める。

 だって本当に触られたくない。反吐が出る。てめえ僕のすべすべお肌にそのねちょねちょねちょったスライム体を押し付けて来る気なんか? ああん? 美少女でもない僕が触手に絡まれたって誰も得しないだろがっ!


 馴れ馴れしいのが酷く不愉快だ。


 だってこいつはミルカに怪我をさせた。


 ジャックに怪我をさせた。


 まあ、百歩譲って僕の事はいい、お触りはよくないけど、いい。

 見た目こそダークトレントじゃないしどういう理由でそうなったのかはわからない。しかしおそらく元ダークトレントなんだと思う。あと天然の歯磨き粉なのかな~な草色スライムも一緒に変じたんじゃないかと思う。勘だけど。


 何にせよ、こいつは僕の仲間を傷付けた。

 

 こいつのする事の何一つ、赦せるはずがない。


 ――ごめんなさい赦して。


 記憶より彼方の遠い所でそんな誰かの泣き声が聞こえた気がした。


 ああ目が痛い、じわりと熱を持つ。泣きたいのはこっちだよ。


 気付けば、触るななんて言っておいて僕は触手をむんずと掴むと問答無用で引き千切っていた。

 体の痛みは狂暴な意思の下にねじ伏せられ感じない。

 そんな僕の中では、全てがスパークしていた。

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