2家の排水口からスライムが湧くんですけど……。2

 オースチェイン伯爵領オースエンド村は、国政の中心たる王都からかなり離れた場所に位置している。とんでもなく山奥の林や森、斜面には段々畑が広がり、ゆったりした間隔で民家が並ぶ素朴な所だ。

 スレートきの屋根、石積みの家屋の壁、石畳の小路こみち全てが灰色で、色彩的には……マジで地味だね~。旅人から廃村に間違われた事もあったっけ。さすがは古い村だと思う。


 いつからあるのかは知らない。


 まあそんな地理的な理由じゃないけど、僕は寄宿学校には入ってない。

 普通貴族なら幼いうちから専属の家庭教師を雇ったり、王都とか大都市のお高い寄宿学校に入れるものだろうけど、僕は村の学校に普通に通っている。

 ああこれも学費の節約。


 他の理由としては、何かと危険の多い領地の外にまだ大人じゃない一人息子の僕を出したくなかったからだろうね。


 僕自身に記憶はないけど、生まれて間もない時に魔物に襲われたと言うか攫われたと言うか、そんな事件があったらしいから。


 当時まだ王国騎士団にいた祖父が僕を助けてくれたって聞いている。


 祖父はその時の詳しい話をしたがらないから当人たる僕も詳細はよく知らないけど、何にせよ無事に生きて助けてもらえて良かったよ。


 村の学校はそもそも子供が少ないのもあって初等中等高等学校を全部ひっくるめたものだ。さすがに教室は別だけどね。

 授業はそれぞれのレベルに合わせての自主学習的な面が大きいけど、いい教材はド田舎でだって手に入るし各教科の先生は祖父の伝手なのか王都の進学校にだって負けない実力者揃い。だったら勉強はどこでやっても変わらない。

 実際僕は王都にいたら飛び級している頭脳だって先生からは言われたっけ。


 地味に石本来の灰色の濃淡が趣を感じさせる石造りの学校は、さして広くもない校庭に隣接する形で建っている。


 周辺の民家と同じように沢山の石を積み重ねて造られた小さな校舎に今日も生徒達の声が響く。


「おは~アル!」

「おはようリリー」


 校舎内、廊下で肩を叩かれた僕は、横に並んだ同級生の少女を見て微笑んだ。

 歩みに合わせセミロングの茶色の毛先が彼女の肩の上を跳ねる。胸はないけど子リスのようなくるりとした茶色い瞳が可愛い女子だ。


「おうアル、おはよう。今日は皆で村清掃だよな。ちゃんとゴミ拾い用の長トング持ってきたか?」

「おはようジャック。もちろん忘れてないよ」


 今度は反対の肩越しに別の同級生の声が届いた。

 ツンツンと立てた赤毛が印象的な男子生徒だ。瞳は青く、身長は標準の僕より少しだけ高い。


 リリーとジャックは僕の親友。


 二人は甘甘な恋人同士。


 ……時々結構胸やけするレベルで。


 この学校の高等部生クラスは一つしかないので必然皆が同じクラスだ。

 今日もいつも通り教室に入ると、しばらくして担任が朝のホームルームを始めた。


「えー今日は全校生徒で村の清掃です。皆さん用具の準備は大丈夫ですね?」

「「「「大丈夫でーす」」」」


 担任のメリールウ先生の可愛い声に皆が素直に反応した。

 ちなみに染めているのかピンクい髪をポニーテールにしている。

 理科全般の先生なので白衣なんだけど、胸が豊満だからそこだけ白衣がきつそうだ。

 貧にゅ……コホン、控えめな胸のリリーがよく羨ましそうに見つめるそのバストのポケットには、筆記具と一緒にいつも猫か何かのマスコットが半分覗いていた。

 そんな個性的かつ小柄で見た目が理想的なロリ……は言い過ぎか、僕達と同年代にも見えるメリールウ先生は生徒から大の人気だ。

 男女問わず先生を可愛がっている。

 ペロペロキャンディーをもらって頭を撫でてもらった先生は「えへへ~ありがとう~」ととても嬉しそうにはにかんだ。


 ……一度教師としてそれでいいのか伺ってみたい。


 話が少し脱線したけど、ともかく自分達が住む場所の管理の一環でもある全校村清掃日は一日授業がない。

 この日は、生徒にとっても教師にとっても楽しい行事だった。





 それぞれ班に分かれて担当区域のゴミ拾いが始まった。

 薄汚れたゼリー菓子の包み紙を拾う僕は、


「ああスライムを根絶したい……」


 ゼリーから連想してついつい病んだ瞳で呟いた。

 すると隣りを歩く赤毛のジャックが呆れた顔をする。


「それは駄目だって。冒険者にとってはスライムが最初の一歩だろ?」

「君はスライム地獄を経験したことがないからそう言えるんだよ! 特に小汚い色のスライム! あれが風呂場に出るといつも湯気がめっちゃ臭くなる! 入浴剤全部入れても香りが霞む! 一昨日なんか折角楽しみにしてた温泉のもと入れてたのに……!」

「わ、悪かった。大変なんだな。もういい加減高圧洗浄してもらえば? 六、七年になるよなスライム発生してから」

「そうだね。高圧洗浄……それができれば苦労しない……」

「何でしてくれないんだろな、アルのじいちゃん」

「ケチだから」


 あけすけな物言いにジャックは言葉もないと言う顔になる。

 明るい日射しの下、僕はどんより暗い顔で深々と溜息をついた。


「将来はスライム絶滅させる方法研究しようかな。そのために大学は魔物専門の学科がある所を希望しようと思う」

「えーそれって遠い大学だろ? アルがいなくなったらつまんねえし、そしたら俺も一緒に出ようかなこの村」

「なら私もジャックに付いてく~」


 ジャックの横からリリーが顔を出した。

 偶然にも皆同じ班。まあクラスの人数も少ないからね。


「え、マジ?」

「ふふっマジ、だよ?」

「ホント仲良いねー……」


 イチャ付く二人を横目に僕は清掃用のゴミ袋と長トングを手に地域活動に勤しんだ。

 大自然に囲まれて、午前中いっぱいの長閑なゴミ拾いが終盤に差し掛かった頃、


「たたたた助けてくれ! この先の用水路に――でっかい魔物が!」


 息せき切った村のおじさんが叫びながら駆けて来た。


 でっかい魔物!?


 生徒も教師も周囲は騒然。

 村には標準的な域は出ないとは言え、結構強力な魔物除け結界が張られている。

 それを突破してきたとなればかなりのツワモノだ。


 例外的にちっさいスライムならこの村内部でも出る。


 元からこの地にいた野生の奴と、そしてうちの排水管から村に散ってった奴らが。


 村の内側にいる魔物には結界は意味をなさないからね。


 村でも昔から弱小スライムだけはいても別にまあいっか、と対策がとてもユル~い。だから大人達はベベチッとお手の物なんだよね。


 話を戻すと、件の魔物が一体どんな属性かもわからない今、迂闊うかつに近付けば危ない。


「皆学校に戻りなさい! おじさんその話詳しく聞かせて!」


 しなやかなピンクポニーテールと胸を揺らし僕達に厳命したメリールウ先生は、村のおじさんに駆け寄った。

 僕達以外の生徒が避難していく横では、そのきゃわゆい声と容姿におじさんが一時危機を忘れデレッとした。おいおい。


「ハッいかんいかん! この先の用水路の大きな配管に目一杯詰まっています! 家畜なんかも呑み込んでしまえる大きさです」

「何ですって家畜も!? だったら人なんて余裕じゃない!」


 僕は猛烈に嫌な予感がしていた。

 用水路の配管に目一杯詰まってるって何?


 詰・ま・る?


 ええ~何だろうね?

 家では何かが詰まったおかげで、時々排水が滞ったりしたよ。

 予想を口にするの、マジで嫌だ。


「ははは……まさかそいつ……――スライムですか?」

「おお、アル坊ちゃん。その通りです」

「あはは、そっか……」


 ビンゴーーーーッ!!


 小さな村なので顔見知りしかいないも同然。麦わら帽子のおじさんは「早く逃げて下さい」と心配してくれる。

 因みに彼はうちのベテラン使用人マーシャルの旦那さんだ。

 僕の半笑いはそのまま固まっていた。

 同時に向こうの道の曲がり角のその茂みの影からどでかいグミみたいなのがもぞもぞ~っと出て来る。

 わあ~美味しそう。でっかいお菓子の家とグミは子供の夢~……なんて言うかッ!!

 スライムでか! 背丈が雄牛並みの個体なんて初めて見たよ!


「ねえあれスライムなのジャック! ウォーターベッドだったらジャックと一緒に使うのに~」

「その時はリリー、お前を寝かせないぜ?」

「ジャック……!」


 カップルの会話は無視して、僕は呆然とそいつを見つめた。

 今まで倒してきた沢山のつぶらな瞳のMAXサイズが僕を捉える。


 そしてえええっ、にたあ~~~~。


「敵にブレなあああーし!」


 ドブ色とウンコ色を足して二で割った色のスライムは、食べ物を見つけた甘やかされた肥満児のようににんまりして口からだら~っと涎を垂らした。


「きっ汚い! 三人とも早く逃げなさい! ここは先生が時間を稼ぐから!」


 戦闘は始まっている。


「先生……! そんなことできませんよ!」

「うっわでろでろでキモイよジャック!」

「なら俺のよだれもキモイか?」

「ジャックのはいい……!」

「――いまいち集中できないから二人共どっか行ってくれ!!」


 切迫した空気を読まない友たちに発狂しかねない勢いで叫ぶ。

 その間にも言葉通り時間稼ぎをしようとロリ先生がスライムに「えいっ」と攻撃を仕掛けた。ぐにっと先生のトングがスライムの胴体を凹ませる。

 続けざまに「えいっえいっ!」と器用に同じ所を攻撃するロリ巨乳先生。

 ぷるんぷるんっ。

 先生のお胸にもスライムがいるのかなー?

 一方、スライムに鳩尾みぞおちがあるのかは不明だけど、奴は酷く吐きたそうな顔付きになった。

 何か、ヤバい……?


「せっ先生逃げ――」


 でろでろドバーッと奴の大きな口から勢いよく何かが溢れ出た。


「きゃああああーッ!」

「「「せんせええええー!!」」」


 憐れ先生はスライムの吐しゃ物の餌食に。

 貴女の命は決して無駄にはしませんっ。


「って何これ臭いだけ……? 溶けたかと思ったわ~」


 よ、良かった生きてたあぁ~。あ、そうかもしかして用水路の水を多量に吸ったのか。それで消化液が極限まで薄まって……。元々の奴の体内汚物と混ざっているからでろっでろだけど。

 濡れた白衣というか最早茶衣が体に張り付いて正直目のやり場に困る。


「息止めてれば眼福だけど、先生の犠牲は無駄にしません!」


 僕は鼻を抓んで先生から距離を取ると、特大スライムを見やる。


 にたあ~。


「くそっ、何かスッキリした顔になってる!」


 しかしそいつは何を思ったか、笑みを引っ込めて今度はこっちに向かって唾を吐いて来た、唾を!

 まさかの嫌がらせ!?

 くっ、何て性悪なスライムだ……っ。

 スライムは二吐き三吐き四吐き……と連続攻撃を仕掛けてくる。


「いやあっ汚い色!」

「俺が護ってやるから泣くなリリー!」


 涙目で青くなるリリーを庇い、勇敢にも前に出るジャック。

 一方、僕は食らったら死す覚悟で懸命に避けた。

 そしてとうとう、


「ジャアアアアァーーーーーック!!」


 友の一人が犠牲になった。


「な、なあリリー、こんな俺でも……」

「待ってジャック! こっち寄るならシャワー浴びてきて!!」


 リリーは明らかな嫌悪感と共に掌で待ったをかけた。

 愕然がくぜんとなる憐れなジャック。

 二人の間に修復できない溝が生まれないといいと、今の無力な僕はただ願うしかできない。


「くそぅ、よくも……友を……!」


 走馬灯のように甦る沢山の思い出。

 ……ジャックとのじゃない。

 皿洗い中にご対面して何枚も皿を割った。

 歯磨き中にこんちは~されて手の中の歯磨き粉を思わず出し切った。あの歯磨き粉で洗面台磨いたよ。

 それから、風呂場で頭を洗っている際、不意に隣のそいつと鏡越しに目が合った瞬間の絶望感。

 あと、うっかり気付かず素足で踏ん付けた時とか……。

 全部思い出して、――マジで死にたくなった。

 この何年間の苦労を追体験し、僕の中で癇癪玉のような破壊衝動が膨れ上がる。


「お前のせいでええええええええ!!」


 目の前のこいつは屋敷の奴らザコとは明らかに格が違う。

 何処から来たのかは知らないけど、ダンジョンにいたらまず間違いなくボス的な位置づけにいる個体だ。

 そんな奴がどうしてこの村に辿り着いたのかは疑問でしかない。

 はぐれだろうし、こいつ個人に恨みはない。けど、正直スライムってだけで憎い。もうさ、逆恨みでも構わない。どうせ同じスライム族だし、連帯責任ってやつかな~。

 最早ジャックやロリ先生の事はどうでもよく、スライム限定で歪む価値観で殺気立つ僕は、自分自身の精神衛生上のために駆けていた。


「僕はスライムが大っっっ嫌いなんだあああああ!!」


 拾ったゴミ入り袋(結構重い)をハンマー投げのように力一杯ぶち投げて命中させ、肉薄するや恐怖の唾を避けての背面跳び。

 カッと真上の太陽が僕を照らす。

 逆光になった華麗なる僕の影を「あー?」と見上げるつぶらな瞳と、肩越しに目が合う。


 こっち見んなあああああーっなんて心で叫びつつ、体を捻って全体重をまんま込め、秘技っ……でもないトング脳天突きいいいッ。


 ドスッ、ぐぐぐっと僕の闘気を纏ったトングがスライムの体に食い込む。


「ラアアアアアアアアアーーーー!!」


 スライムはそのまま不格好に凹み続け、凹み、凹み、凹んで遂には――ボッッッフン!と見事に消滅した。


 弾けたように出た拳大のオレンジ色の魔宝石が、キラリと太陽に煌めきながら僕の目の前を落ちていく。


 やった勝ったあ――……えっ!?


 ――刹那の一瞬、まだ終わっていなかったのか、魔宝石の中から唐突に燐光が弾けた。その幾つもの小さな光が意識せずも見開いていた目に入っきて、反射的にぎゅっとまぶたを瞑った。

 その眼裏。


「――!?」


 草原の中、真っ白な髪を靡かせる誰かの後ろ姿が見えた……気がする。

 目にしても、異物が入ったかと思ったんだけど幸い痛くも何ともなかった。

 何だったんだろう今の……。

 こんな奇妙な現象は普段の自宅戦闘じゃ一度だってなかった。勝利の興奮が見せた幻覚? それとも特殊な個体だった?


「おっしゃやったなあアル!」

「へ? あ、あはは、うん」


 ジャックの歓声に我に返って、彼が飛び付いて来ようとするのを素早く避けた。

 またもや傷付いた目をしたジャックだったけど、僕は気付かなかったふりをする。

 ともかく夢中で繰り出した会心の一撃は大成功だった。

 でも予想外。自分でもこんなあっさり倒せるなんて思わなかった。

 後に残された魔宝石は売れば良い値がつきそうだ。


「す、凄いわアルフレッド君、さっきの俊敏な動きとか鋭い攻撃技、あなたどこかで武者修行してたの?」

「先生臭っ、あいえ修行なんて一度もしてないですけ……ど…………――あ」


 朝でも昼でも夜でも、スライムが排水口からわんさか出て来る駆除の日々。

 巷の駆除業者だってここまでハードじゃないだろう。

 それが修行同然だったってわけだ。塵も積もれば山となる。一日一日の積み重ねが、知らずデカスライムを難なく倒せるくらいの強さを僕に齎してくれていたらしい。

 まあ、倒してやるっていう気持ちの面も大きかったとは思うけど。

 普段弱小スライム以外の魔物と戦わないから、自分の実力を把握できていなかったんだ。


「ふう。でも本当に良かった」


 僕はずしりとした拳大の魔宝石を拾うと晴れやかな気持ちで空を仰いだ。

 今、家族の目はない。

 貯蓄に回される前にさっさと自分の懐に入れてしまうに限る。


「半分棚ぼた! これで高圧洗浄してもらうぞおおお!! 貯金崩すのはどうにも嫌だったんだよね」

「……血は争えないな」


 とは傷心のジャックの言葉。僕はもう聞いてない。


「やっぱスライムはどこにいようともれなく消しておくべきだね!」


 多大な犠牲を払い、長閑な田舎道に異臭を発生させた僕と特大スライムとの邂逅は終わりを告げた。

 いや、新たな始まりだ。

 何故なら、運命は定まった。

 今ここに僕は僕の使命を悟ったと言えよう。


 ――スライム撲滅。


 そのたった一つの尊い目的のため、僕は世界へと羽ばたこう!!






 オースエンド村に通常種じゃないスライムが出たって事もあって、しばらく村の皆は僕も含めて警戒していた。新手が来ないとも限らないからだ。

 僕の家に出るような弱っちいスライムなら別に放置しても構わないけど、あのデカスライムくらいに厄介な魔物となれば話は別だ。

 それまでこの村は田舎過ぎて魔物ですら滅多に見かけなかったせいか(我が家は例外)村の退魔の結界は標準を超えなかったけど、それも大都市に張られるような高等なものに強化された。

 これさえ施しておけばここら一帯に棲息している魔物は村には入って来られない。

 無論先日のデカスライムレベルも網羅されている。強さは魔宝石から割り出して、中の下ってとこだった。たとえ魔法を使えようと冒険者でもない一般人にはそれでも脅威になる。


 普段は倹約節約を掲げているうちも領主としてここぞって時にはこうやって出し惜しみせず使うから、そこは素直に誇らしかった。


 デカスライムと遭遇したのが春先で、それから半年を過ぎた頃には、僕は学校を飛び級で卒業し、とうとう冒険者の一員として生まれた村を出る運びとなっていた。


 ああそうそう、先日僕はついに家の排水管高圧洗浄と消毒を無事に終えたよ。これでもう気がかりなく安心して出て行ける。


 旅立ちの日、屋敷で両親や召使い達から労いと共に見送られ、ジャックと合流し、外と村との境に差し掛かったところだった。


「ジャック! アル! 待って待って! 渡したい物があるの!」


 何と何と何と、リリーが追いかけて来た。

 えっ、どっ、どうしよう?

 足を止めた僕は慌ててジャックを見る。ジャックとリリーが揃うのは久しぶりだった。


 だって、例の戦闘の後色々あって二人は別れた。


 それもあって僕のスライム討伐旅に、スライムに恨みを持つ同士として彼も付いて来てくれる事になったんだ。


 ぶっちゃけると、ジャックは失恋から全然立ち直っていなかった。


 裏腹に見送りに来てくれたリリーはいつも通りの明るい顔をしている。

 いやむしろ晴れやかだ。

 微塵もジャックと終わった事を気に病んでないねこれは。

 そもそも元々ジャックの事はそれ程……おっとこれ以上語るのは止めておこう。


「二人共道中気を付けてね。これ餞別。薬草だよ」

「ありがとうリリー…………って、え?」


 受け取ろうとした僕は動きを止めてしまった。

 何だろうこの毒々しい黄色の葉っぱ? 見た事のない色だけど。

 ……何に効く草かわからない。

 僕はこそっと彼女に耳打ちする。


「……ジャックの心の傷に付ける薬、とか?」

「えーあはは何それ?」


 僕はハッとした。


「や、薬草と見せかけての毒草!?」

「アルは発想が独創的だよね~! 私をどんな人間だと思ってるのかな?」

「冗談だよごめん」


 僕はリリーの凄んだ笑みを直視できなかった。

 スライムスマイルよりも余程邪悪……いやこれ以上は止めておこう。命が惜しい。

 とにかく潔く受け取った。

 よぉ~し、使う時はまずジャックで試そう!

 同じく謎の黄色い薬草を受け取るジャックは疑問も浮かばないようだった。

 むしろ見送りと餞別にもろ感動している。


「サンキュー! じ、じゃあなリリー!」

「うんジャック、バイバイ」


 見つめ合うかつての恋人たち。

 仲がこじれても細々と続いてて、でも結局駄目で別れて三カ月くらいだったかな。

 終わったと見せかけてリリーはもしかして……?

 離れるってわかって相手の存在の大切さに気付いた系?

 ヨリを戻すのも、あり得る?

 そう僕が仄かな期待を胸に抱いていると、


「安心して、私この前村に来た行商の人と婚約決まったから。ジャックも旅先で新たな恋を見つけてね!」


 現実は無情だった。

 そして謎の薬草はその行商人の彼が行商時に持っていたアイテムなんだって。

 リリー、君さ……無神経……。

 でも餞別くれたんだし恋情はなくても友情は健在だったって事だよね! 良かったねジャック!


 そんなわけで僕達は出立し、道中スライムだけはどんな状況下でも執拗に追跡し確実に仕留めた。


 多分僕たちが通ったルート一帯の野生のスライムは、絶滅危惧種に指定されかねない異常な激減ぶりを記録しただろう。

 個体数が回復するのも間に合わず、きっと他の魔物に生息域を取って代わられちゃうんじゃないかな。魔物の出現マップが多少変わっちゃうかもしれないけど、別にいいよね。

 ああそれこそ我が本懐!

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