不安な風
木々が燃える音、肌に伝わる熱、焦げ臭さが充満する森の中。
紅い瞳の魔女と、鋭いナイフの様な視線をこちらに向けるキメラがいた。
そう、ついに出会ったのだ。魔王が生み出した最凶の魔物に。
俺は驚愕した。巨大だとか、恐ろしいから等ではない。魔物の瞳が、あまりにも冷たかった事にだ。睨まれるだけで心臓が凍てつくとさえ思うほどに。
こんな化物と睨み合うラミージュの精神力も相当なものだ。
ガタガタと震える俺とは違い、ラミージュはどこか涼しそうにキメラを見据える。
対する怪物は4つの目玉を睨み利かせる。
猫や蛇に睨まれたネズミの気持ちが、今なら分かる。
「……小僧、儂が動いたら、一気に逃げるのじゃ」
緊張の籠った口調に、俺は静かにゆっくりと首を振る。
「お前を探しに来たんだ。今さら逃げれるかよ」
「お主は阿保(あほ)か。何の力も持たぬ貴様がいては、足手まといなのじゃ」
奥歯を強く噛み締める。悔しいが事実だ。俺にあいつをどうこうする力はない。立つことさえやっとなのを今さらの様に痛感する。
「良いか、走るのじゃ。死ぬ気でな」
そういうと、ラミージュは腕を組んだ。その姿は正に女王の様だ。
対するキメラは戦闘体制に入る。前に屈んで狙いを定める姿は猫の様だ。
何分かの静寂が俺達の空間を支配する。木の葉の燃ゆる音だけが許されている。
いつだ、いつ合図が来る。失敗出来ない、失敗しちゃいけない!
この時俺は、何故か運動会のマラソンを思い出していた。バトンを持ったチームメイトが、汗びっしょりに濡れて全力で走る姿を、俺は固唾を飲んで待っていた。今か今かと焦らされる心を抑え、冷静に、慎重に、バトンを待った。
他のチームがバトンを受け取って走りだしても、決して焦らない。
あの時はこう思ったんだ。焦ったら敗けだって。俺はただ、敗けたくなかったのだ。
本の数メートル、本の数センチ、その時俺はバトンに触れ、掴み、走ったのだ。
「今じゃ! 逃げろッ!!」
全力で地面を蹴った。背後で弾けるような音がする。しかし振り返らない。
迫る障害を掻き分ける。枝を折り、炎の壁に突っ込み、倒れ行く木を避け進む。
感覚など分からない、酸素が足りないからかもしれない。でも今は走るしかない。
あいつは絶対に死なない。絶対に、だから走れッ!!
心に鞭を打ち付ける。本当は戻りたい。でもそれじゃ足手まといだから、戻れない。
冷静じゃない頭で冷静に考えた、1つの望み。自分を弟子だと大げさに言うあの少女。
それだけが、救いなんだ。
生き物のように火は迫る。蛇のように忍びより、猫のように狙って飛びかかる。それを毎回、ギリギリで避けるが完全には避けきれない。
紅い炎を纏った森は、苦しむかのように揺れ、燃えた枝などが落ちて草木に燃え移る。
目の前に、微かに光が見えた。
後、少しだ!
けれどそこで、嫌な音が聞こえた。ギシギシと音を立てて一本の木がこちらに迫ってきた。
くそッ! 後少しなのに!
倒れてくる木の方が早く、逃げ切れない。
「我が元に風よ吹けッ!!」
いきなり、突風が吹き荒れる、風によって木は吹き飛ばされたが、火炎はより巨大になって木を喰らう。
「トウマッ!」
光の中でアルモが細い腕をこちらへと伸ばす。俺も手を伸ばす。
「届けッ!」
火は波となって迫る、掠れゆく視界を何とか持ち直して、腕を掴んだ。
「やったッ!」
振り向くと、目の前に炎の壁があった。遅かったのか。
「荒ぶる風よ、吹けッ!!」
炎に向かってアルモは杖を差し向ける。すると、杖の先端から強風が渦を巻いて吹き起こる。
その力によって俺達は後方に大きく飛んだ。
「……俺達、助かったのか?」
「全身に激痛がするので、生きてるんじゃないですか?」
まるで他人事のように話しているが、危機を乗り切ると案外どうでも良いように話してしまうものなんだ。
大の字状態から上半身を起き上がらせる。見ればさっきまでいた場所は炎によって道を塞がれていた。間一髪だった。
同じく大の字状態から起き上がったアルモは聞いてきた。
「ラミージュ様は見つかった?」
「見つかった、けど、今はキメラと戦ってる」
アルモは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。
「じゃあ今も交戦中って訳ですね」
右手を口に覆うアルモ。彼女に聞いた。
「どうにか出来るか?」
「無理です」
返事はすぐに返された。
「相手はキメラでしょ、見習いであるアタシが敵う相手じゃないです」
「でも、魔法が使えるんだろ」
「だから何? 魔法が使えたら勝てるっていうルールでもあるんですか?。相手は魔王が作った生物兵器よ、普通は戦わない」
アルモの言い分も分かる。痛いほどに分かってしまう。稲妻を纏って現れた怪物は一瞬で森を焼き付くした。
そんな奴に立ち向かう方が馬鹿なのは分かる。しかし……。
「そんな奴をラミージュは相手にしてるんだろ。あいつは強いかもしれない、でも……」
震える拳を強く握る。
「俺は、助けたいッ!」
何を馬鹿なことを言っているのだろう。俺自身でもそう思う。しかし、生物兵器を一人で相手にしているラミージュが長く持つとも考えられない。
力量こそハッキリしないが、早く助けられるならその方が良いだろう。
アルモの瞳は彷徨っていた。どこかやり切れない表情で下唇を噛んでいる。
「アルモ、お前、ラミージュの弟子だって言ってただろうッ!! 今こそ力を発揮するべきじゃないのか!!」
「嘘よそんなの! 知ってるでしょ!? アタシはまだ見習いで、そんな大それた力なんて持ってない!!」
拒絶する一方で、悔しそうにも見える。
そんな彼女に、俺は言葉を選んだ。
「キメラを相手にしなくて良いんだ。ラミージュを助けるだけだ。それだけのために、力を使ってくれ」
彼女の肩に手を乗せて、頼む。その時初めて、彼女の肩が震えているのを知った。
自分が何を頼んでいるのか承知で、けれど、何もしないままの方が余計に怖くて、俺より小さい女の子に頼む。
「怖いのも分かる。恐ろしいのも分かる。勝てないのも分かる。けど今は、怖がっても良い、恐ろしがっても良い、勝てなくても良い」
出来るだけ優しく語りかける。
「今は、ラミージュを助けることだけ考えよう」
燃える森の様子を見て、俺の額から冷や汗がつたった。
そう、今はラミージュを助けることだけ、考えよう。
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