暴君で賢者で思い出

 賢者の森。ハスパード王国から西に離れたところにある森林。

 名前の通り、賢者の住む森として崇められている。

 悪党が入り込めば出てくることは無い、逆に、子供が迷い込むば、元気な姿で森から現れる。


「じゃあここで、魔物の誤解を解くために猿を捕まえる行為は大丈夫なのか?」

「分かりません、もしかしたら罰を与えられるかもしれません」

「でも、セレラントだって森に嫌われてるんでしょ? 罰を受けるとしたら悪戯し放題なお猿からじゃない?」

 俺は先頭でそんな話をしていた。


 魔物園を作ることを誓ってから1週間、俺達はセレラントを捕まえる作戦を考えてきた。

 そして、今日それは実行される。


「こんな奥まで踏み行ったのは初めてです」

 周囲の音に警戒しながら、俺の後ろを付いて行くラン。

 ランは動きやすさを重視した軽装備をしている。

 皮の籠手に胸当て、いざとなった時、動きを阻害しないものを彼女は選んだ。武術の系統を心得ていないらしいが、御先祖様から代々続く教えとして、自分の勘を最大限に活かせ、と教えられているらしい。


「大丈夫、僕がいるから」

 ランの後ろをヨーンが付いていく。

 彼女は護身術として、また守るため、相手の動きを抑える術(すべ)を身に付けている。

 装備としては皮の手袋ぐらいだ。

「……」

 俺はというと、何も学んでいない。頼れる直感も、守るための技もない。

 一応、ランから胸当てとナイフを貸してもらった、制服に胸当てという奇怪な格好だが、無いよりは良い。それでも危ないときは逃げろと言われている。


 リーダーっぽく先頭を歩いているが、実は彼女達の守備範囲内で、またかばいやすい位置として先頭を勧められた。

 しかし、実際の話し、俺が会った魔物というのはランやヨーンぐらいで、狂暴な魔物など見たことはないのだ。

 一応、セレラントの生態や知識を教えてもらってはいるが、その時になって活用出来るかどうかは分からない。いや、そもそも冷静でいられるか。


「! 待って下さい」

 ランの声に反応し、歩みを止めた。

「あれ」

 ランが指差す方向には、食べ物の残骸が散らばっている。

「これ、まだ香りが強いです、もしかしたら近くにいるかもしれません」

 猿の食べ残し。主に果物が散乱している、中には固そうな木の実もある。

 ごくッ 俺の緊張は一気に高まる。

「こういう時は、森の賢者様にお祈りした方が良いんだっけ?」

「はい、もしかしたら気まぐれで助けてくれるかもしれません」

 俺は祈った、彼女達の足手まといにならないよう、そして格好悪いところを見せないように、と。

「でも、変ですね」

 ランが再び残飯に視線を落とした。

「セレラントは集団で行動する生き物です。けれどこれ、集団で食べたにしては少な過ぎます」

 怪訝顔のランは慎重に観察を続ける。

「もしかしたら、一匹だけかも知れません」

「そんなことあるのか?」

「いえ、普通ならあり得ません、セレラント、暴君、賢い者とも呼ばれています。ただのじゃれあいだけで大木を折ったりすることもあるらしいです」

「……どんだけ怪力何だよ」

 ランの分析がかえって俺をビビらせる。まだ祈って間もないというのに。

「でも、セレラントは、本当は臆病者何ですよ」

「ランランが隠していた子もそうだったよね」

 と、ヨーンが衝撃的な事を言った。


 猿の魔物、セレラント。普通に考えればすぐ分かることだった。

 ランは、少しだけ悲しい表情をして、過去のことですと呟く。

「もしかして、殺されたのか?」

 小声でヨーンに尋ねる。

「いや、でも騎士団曰く致命傷は受けてるらしい。だから、もう……」

 何かに耐えるためか、下唇を噛むヨーン。

 ヨーンもまた、その猿の魔物を愛していたのだろうか。


 ザッザッ。草陰から音がした。

「ッ! トウマ、下がって」

 俺とランはヨーンの背後に隠れた。

「もしかして、見つかった?」

「ん、どうかな」

 ヨーンは曖昧な返事をする。

「私達、結構話してましたし、気付かれていてもおかしくありません」

 素人の俺にも分かる、何かがこちらを見ている視線を。

 森の時間が遅くなったのか、今まで聞こえていた鳥や草木の擦れる音がしない。代わりにザッ、ザッ、という音だけがやたら鮮明に聞こえる。気付けば自分の心臓が早鐘を打っていた。

 ランはナイフを取り出し、辺りを観察する。耳はきょろきょろと向きを何度も変える。おそらく音を聞き分けているのだろう。

 俺も出した方が良いかな、と思ってナイフに指が触れたとき。

「っ! 下がってッ‼」

 ヨーンによって俺は地面に叩き伏せられ、地に張り付く様な形になった。

「ウッホー!」

 ついに現れた。暴君、賢い者、セレラント。

 大きさは想像していたより小さいが、それでも、この中で一番大きいヨーンの身長を軽々と越えている。

 2メートル半か3メートル。毛は赤茶色。口から鋭い牙が見え隠れする。


 俺は、初めて見たセレラントを最初熊と勘違いした。人間の大男と言われても勘違いするぐらいだ。それだけ巨体で、何となく人と似ている。

 しかしこいつは人型魔物ではない。野生の魔物、人型魔物とは似て異なる別物。

 そいつが、何の前触れもなくまた飛び掛かる。

「逃げてッ‼」

 ヨーンがセレラントの片手を掴み、そのまま背負い投げの構えに入った。

「うりゃー!」

 決まった。しかしヨーンは大の字のセレラントから後方に飛んで間合いを取る。

「ウッホーウホウホッ!」

 セレラントは何もなかったかのように起き上がる。

 皮肉にもその場で元気よく飛んだり跳ねたりしている。

「よっちゃん! セレラントが警戒に入りました! 気を付けて」

「うん、大事な皮を持っていかれないよう注意する」

 ヨーンは被っているアザラシの皮をギュッと握りしめ、鋭い視線を相手に送った。

 今まで眠ってばかりいた彼女の実力を、俺はこの目で捉えた。

 セレラントが飛び掛かればかわして、ヨーンが技を決めにいけばセレラントがするりとかわす。

 とんでもない攻防が森の中で行われていた。

「唐真様! 行きますよ!」

「えっ? あ、ああ」

 夢中で熱戦を見入ってた俺をランが服を引っ張って現実に戻す。その後俺達は全力で走った。と言っても、ランが俺に合わせているので彼女はそうでもない。

「臭いは?」

「覚えました」


 音が聞こえない所まで来た。そこで俺は作戦を確認する。

「ハァ、ハァ、……確か、セレラントは縦社会で、一匹一匹が宝物を持ってるんだよな」

「そうです、セレラントは世代交代の時に、親、あるいはその群れのボスが自分より強い者に大切にしている宝物を渡す習性を持っています。もっとも、宝物はセレラント達によって別々ですけどね。布きれやフライパン等です」

 流石というべきか、肩で息してる俺と違いランは周りを気にしながら説明までしてくれる。

「で、その宝物を奪って見せつければ、そいつは奪った奴の方が上として見るんだろ?」

「はい、そうです」

 ランは強く頷いた。


 そのために、あの大猿の臭いを覚える必要があるのだ。

「私の鼻、どんな些細な臭いでも、目のように細かい所まで分かりますから」

 ランは銀色の尻尾を振る。対して俺は微妙な気持ちであった。

「何かごめんな、猿の魔物ってセレラントの事だったんだろ。知ってたら別の奴にしてた、ごめん」

 俺は、ランの過去をいじくるようで気分が悪くなった。誰だって触れたくない過去の一つや二つあるものだ。それを土足で立ち入る様な無礼をしてしまったことに、罪悪感を感じる。

 でも、ランは。

「顔をあげてください、唐真様のせいではありません」

 でも、と俺がいう前に。

「これは、ケジメ何です」

 ランは、どこか遠くを見ている。


 俺は、ランの見ている所がどこなのか、何となく分かった。

「私が隠していた子、さっちゃんとはこの森で会ったんです。ここまで来たことはないけど、野菜やハーブを採りに来てたんです」

 ランは静かに過去を語る。まるで、過去を見ているかのように細かく。

「採取してる最中、小さい声が聞こえたんです。弱々しい声が。気になって見てみたら、セレラントの赤ちゃんがいたんです」

 ランの尻尾は立っていた、けれどいつものように振っていない。

「セレラントは危険で、赤ちゃんでも大人の男性に匹敵するような力を持っています。さらに赤ちゃんの頃は親のセレラントが警戒しますから、あっても離れないといけません」

「ランは?」

 するとランは、少し迷って、答える。

「拾いました。最初は見捨てようとも思ったんですけどね。私、鼻や耳が良いので、赤ちゃんしかいないことにすぐ気付きました」

 だから拾って、育てた。

 彼女もまた、魔物が好きだから。

「驚いたんですよ。力が強いはずなのに、私に抱きつくのが精一杯で、きっとこの子は親に見捨てられたんだって。だから私、同じはぐれ者としてさっちゃんを育てることにしたんです」

「大変でしたけどね」とランは苦笑する。

 でも、彼女の生き物に対する愛情は良く知ってる。

 羊が列を作る程なんだ。きっとさっちゃんも愛されたに違いない。

「1ヶ月ぐらい経つと、さっちゃんは私と同じくらいの大きさになりました、ちょっぴり寂しい気持ちもしましたけど、でも、元気に育ってくれることは何よりも嬉しかったです」

 本心から嬉しかったのだろう。ランはこの話しの中で一番の笑顔を見せた。

「セレラントの習性は教えましたよね、私はその時、セレラントの事を調べて、さっちゃんにも宝物を持たせようと決めたんです」

「その宝物は?」

「リボンです! さっちゃんは女の子でしたし、絶対に似合うと思って」

 ランの目はキラキラと輝いていた。まるで子供みたいに。

「姿を隠して街まで行ってきました、我ながら上手くいきましたよ」

 ランが微笑ましい、こっちまで楽しい気持ちになる。

「お別れの日に、さっちゃんにリボンを贈ることを決めて、その日がやって来たんです」

 空気が、一気に重くなる。ここだけ重力が変わったのかと錯覚するほどに。

「その日です、さっちゃんが人を襲う姿を見たのは」

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