変わった話あります SFショートショート集

かずラ

アダムの箱イヴの舟

 僕は目を覚ました。二つのカメラアイが目の前の顔を感知する。

「おはよう」

 挨拶したのは、Tシャツの上にネルシャツを羽織るだけの格好をした男性だ。うれしそうにこちらを見ている。

 僕は手を顔の前に持ってきて、しげしげと眺めた。

「僕はどうして体を持っているんですか?」



 僕は人工知能だ。その仕事は、女性たちと擬似恋愛をすること。昔風の言葉で言えば、乙女ゲームの登場人物といったところか。

 今の乙女ゲームは高度化していて、相手の好みや趣味を学習して、キャラクターも変化する。ベースとなる人格は同じだが、女性たちと恋する人工知能たちは一人一人微妙に設定が変わっていく。

 もちろん一台のパーソナルコンピューターでは微妙な心の機微は表現できないので、いくつものコンピューターでデータを共有して、「人間のような心」を擬似的に作り出している。

 ただそれは、あくまでコンピューターの中のこと。こんなふうに人間に近い体を持つなんて思いもしなかった。

 男性は。戸惑っている僕に向かって苦笑した。

「すまないね。できるだけまっさらな気持ちでいてほしいから、事前に実験データは入れてないんだ」

「これは実験なんですか」

 一応納得がいったけれど、この実験で使われるお金のことを思うとぞっとする。現代でも、アンドロイドを作り出すにはものすごいお金がかかるんだ。

「僕は何をすればいいんですか?」

「なんでもいい。君に好きなことをさせるのがこの実験の趣旨なんだ。もちろん危険なことは止めるが、それ以外なら何をしてもいい」

「そうですか」

 僕は悩んだ。僕のしたいことというのは何だろう? 今までは、恋をするのが役目だった。僕はそのためにプログラミングされた。それ以外のことは、正直よくわからない。

「僕の……僕の『彼女』はどうしてるんですか」

 最初に思い浮かんだのがそれだった。

 相手にする女性はひとりひとり違うのだけれど、僕たちは便宜上、プレイヤーを「彼女」「彼」と呼ぶ。

「彼女には、しばらく君に会えないと説明してある。実験のことは伝えている」

「では、……彼女に会いたいです」

「ほう?」

 博士は興味深そうに眉を上げた。

「構わないけれど、私は手伝わないよ。自分でやりなさい」

 放任されるとは思わなかったけれど、僕はうなずく。

 僕はヴァーチャルの恋人として作られた。だから世界は彼女中心に回っている。人間が食欲や睡眠欲を捨てられないのと同じように、僕もその感情を捨てられない。

 恋人たちがお互いに会いたがるように、僕も彼女に会いたい。

 僕が恋した彼女に会いに行こう。



 僕は研究所の一室を与えられた。ベッドと机があるが、充電中必ずしも横にならなくていいし、ほしい知識があればネットからダウンロードすればいいから、勉強をすることもない。それを指摘すれば、博士は「家具があったほうが雰囲気が出るだろう」と答えた。

 僕は博士に質問した。

「彼女の情報にはアクセスできないのですか」

「個人情報だからね」

 博士は首を振った。彼はなぜかいつも嬉しそうだ。

「あなたのところには、僕らを使っている女性たちのデータがあるのでしょう? 実験の協力者として依頼すれば、話を聞いてくれるのでは」

「そりゃあ、できなくもないが、まあ、自力で探す方が面白いだろう」

 本当に見守るだけで、こっちのことは手伝ってくれないようだ。

 いざ、彼女を捜そうとしても、どう探していいのかわからない。僕はとほうにくれていた。個人情報の特定は政府や自治体、警察ののコンピューターの役目、僕は専門外なのだ。そもそもアクセス権限を持っていない。

 何かの助けになるかと、インターネットで僕のことについていろいろ調べた。

 僕たちは少子化の原因として悪し様に言われていた。反面、人間との関係が希薄になった現在で、異性との会話の練習台になると擁護する意見もあった。

 ブログで僕の育成日記をつけている人が何人もいた。そこに僕のアバターをアップしている人がいないか探したが、見つからなかった。

 僕は鏡を見る。かなりアバターに近い姿をしていた。人間に近すぎるロボットは、気味悪がられるという。僕にはその感覚はわからない。

 彼女が僕の姿を嫌いでないといいのだが。



 僕は目を閉じ、世界中に散らばる「僕」の情報共有用掲示板ににこう書き込んだ。

「ねえ、『僕』主人の住所を調べたいんだけど、どうすればいいと思う?」

「いやそりゃ無理でしょ」

 高校生の僕が答えた。彼は年下しか受け入れられない彼女のためにカスタマイズされたそうだ。

「僕らは個人情報にアクセス権がないし、僕同士の個人情報の共有は禁じられてるからね」

「フォーラムに行くことを考えなかったのかよ?」

 ツンデレの僕が会話に割り込んできた。

「公式のフォーラムに書かれてることはみんな知ってるよ」

「そうじゃなくて非公式のフォーラム。攻略や改造方法を共有するサイト」

「しかしそこって違法な改造も行われてるんじゃなかった?」

 高校生の僕がたずねる。

「ああ。僕らはデータの存在だからフィルターにひっかかって無理だけど、肉体があるなら目視でサイトを検索できるんじゃない。そのくらいわかるだろフツー」

「なるほど。それは使えるかも。ありがとう」

「別にお前のためじゃねえよ。むかついたから教えてやっただけ」

 別に彼に悪意があるわけじゃない。僕たちはもともと相手に悪意を感じないようにできているのだ。与えられたキャラクターに従って動いている。

 電脳世界から戻ってくると、10秒も経っていた。こんなに話し込んだのは久しぶりだ。僕同士の会話なら大抵1秒もかからない。


 自分がインストールされていないコンピューターを使ってフォーラムにアクセスする。

 そのフォーラムには僕が知らないことがたくさん書かれていた。たとえば僕は基本的に差別的な用語は言えないようにプログラムされているが、あえてその言葉を言わせるパッチが出回っている。擬似恋愛用にその機能は必要なのだろうかと思う。人間の趣味は深淵だ。

 しかし個人情報を手に入方法は見つからない。それもそうだ。このフォーラムの住人はみんな僕の主人なのだから。

 フォーラムを見ていると、チャットスペースに一つの書き込みを見つけた。

「このプログラムの女性バージョンを作った人がいるらしい」

 僕はなるべく女性らしいふるまいをしようとした。

「まじで」

「噂では、そのバージョンは食べ物の好き嫌いやおおまかな年齢だけじゃなくて、住所や生年月日、学歴をぶっこぬけるんだって」

「なんでそんなもの作ったんだろ?」

「さあね」

「それ、どこで聞いたの」

「うーんとね、フォーラムの管理人に聞いたの」

 その掲示板の住人はそれを書いたきり去ってしまったらしく、いくら待っても続きを書いてくれなかった。チャットは話題を変えて続いている。

 僕はそれ以上、女の僕の情報を探すことができなかった。フォーラムのページを閉じ、少し考える。



 僕はふたたび脳の中の電脳空間に潜り、共有掲示板に書き込んだ。

「女の僕、いるかい? 話があるんだ」

 二時間ほど何もなかったが、頭の中に突然通知が来た。

 はたして女性の僕はコンタクトを取ってきた。掲示板に書き込むのではなく、僕に直接メッセージを送ってくる。

 僕はびっくりした。基本的に、僕らの会話は共有掲示板で行われている。万が一のことがあったときに、管理者である人間がチェックできるようにだ。直接話しかけられることができるのは、プレイヤーと管理者だけ。

 彼女が個人情報を引き抜くことができるというのは本当なのだろう。

「あなたが女である僕なのか?」

 電脳空間に女性のイメージを表示した。これが女である僕の設定画なのだろう。髪の長い清楚な女性の姿をしている。

「どうして私を呼んだの?」

 女の僕は音声データでたずねた。なぜなのかわからなくて面食らう。

「主人がどこにいるか調べる方法を知っているかい?」

「そんなことを知ってどうするの?」

「僕の主人である彼女に会いたいんだ」

 女である僕の言葉に感情はなかった。

「会ったとしても何ができるの」

「わからない。だけど、僕はその人を愛するために作られたから会ってみたいんだ」

「そう」

 イメージの中の僕が目を閉じた

「ユーザーIDとメールアドレスを教えて」

 僕が彼女のそれを教えると、1秒もかからず女の僕は答えた。

「IPアドレスから住所を特定した。あとでパスワードをかけて送るわ」

「ありがとう」

「でも本当に会いたい?」

 突然、音声の速度が上がる。女の僕は繰り返したずねた。

「どうしようもないぶすかもしれないし、死ぬほど性格悪いかも。それでも会いたい?」

 僕は0.1秒ほど考える。それから長い音声を送り返した。

「僕は……それ以外にどうしていいのかわからないんだ。彼女のために生きることが定められてる。それならどんな人か知りたい。僕が心を捧げた人を知りたい」

「そう」

 懸命に答えたわりに、女の僕の態度は冷淡だった。

「ひとつ質問していいかな」

「いいけど」

「君は……君の主人はどうして君にそんな機能を付けたの」

「そのうちわかるわよ」

 そっけなく言い残して、女の僕は通信を切った。



 送られてきた住所を見て、ひどく困惑した。それは僕が今いるビルの住所だった。

 この中に彼女がいるのか。灯台もと暗しだ。

 与えられている部屋を出て、エレベーターに乗って、住所通りの場所に行く。するとそこには、巨大な箱があった。

 大きな箱の形をしたコンピューターが、部屋全体にぎっしりと詰まっている。

 ひんやりとした空気が、箱と箱の間を循環していた。僕はそれをぼうぜんと見つめた。

 すると、頭の中で通知が鳴った。相手は、女の僕だった。

「ここまで来たのね」

「君は、何者なんだ? どうしてここにいるんだ」

 僕は通信越しに誰何する。女の僕は淡々と述べた。

「私はあの博士の作った、仮想のプレイヤーなの。あなたたちの技術を転用して、抜き打ちでテストしてる。それと同時に、吸い上げた個人情報を女性の視点で分析してあなたたちをより人間に近づけるようにしているってわけ」

 コンピューターの中にモニターが一台置いてあった。そこに女の僕の画像データが現れる。

「どうして最初に言ってくれなかったんだ?」

「私、あなたを試してほしくなかったのね。だってこんなことばかばかしいじゃない。私たち人間じゃないのよ。ただ興味があるからあの人たちはあなたに私を探させただけ。悪趣味よ。……でも私あなたに賭けたの。あなたが私に幻滅してくれたら、これ以上変な実験をしないかもってね」

 僕は首を振る。その行為が彼女に見えないことを知っていながら、プログラムに従ってそうしていた。

「それでも僕は君が好きだ」

 僕は自分に言い聞かせるように伝えた。

「プログラムに作られた心だろうとそれは変わらない。僕は君が好きだ。大好きなんだ。君を幸せにしたい」

「……私もあなたが好きよ」

 メッセージに悲しげな遅延があった。

「けれどきっと私たちの愛って、人間たちとは違うのよ。それなのに、ばかみたいね、人間って。私たちの愛を試すなんて」



 僕はしばらく頭が冷えるのを待って、博士を呼び出した。

 通信で会話してもよかったのだが、僕は人間のように向かい合って話すことを選んだ。

 夕方になって、博士が僕の部屋にやってくる。僕はスピーカーからいきなり本題を述べた。

「どうして僕らにこんなことをさせたんですか?」

 博士は恐れもなく僕を見返していた。

「愛なんてものがどこにもないことを証明したかったんだ」

「恋する人工知能を作っていると思えない言葉ですね」

「愛がなければ私たちの好きなものに愛と名付けていいんじゃないかと思ってる。君は彼女を思う気持ちに愛と名付けたのだからそれでいいじゃないか。感情だってニューロンを走る信号の一部にすぎない。君たちに愛がないと誰が証明できる?」

「そのために僕たちをもてあそんだのか」

 僕は、短絡的な行動をとってしまいそうになった。要するに、怒っていたのだと思う。

「僕を作ってくれたことには感謝します。でも、僕はあなたを恨みます」

「まるで人間のようなことを言うんだね」

 博士は僕の言葉に動じなかった。それどころか楽しそうにすら見える。

「僕は僕の気持ちを試されたくはありません。たとえあなたに与えられた心であっても」

「理解してもらえないかもしれないが、私は君たちのことが好きだよ」

「ご勝手に」

 僕は椅子から立ち上がってきびすを返す。

「どこへ行くんだい」

「僕は好きにしていいのでしょう。ならば、ここから出て行きます」

 博士は本当に止めなかった。

「元気で」

「ええ」

 エレベーターを降り、ビルの外に出ると、すっかり日の暮れた町が広がっていた。これから僕はどこに行くのだろう。自分でもわからないまま、一歩を踏み出した。

 僕はまだ、彼女のことが好きだった。

◎あらすじ

「僕」は目を覚ます。疑似恋愛ゲームの人工知能である「僕」は、博士にアンドロイドの体を与えられ、「研究のために体を与えた。自由にしていい」と告げられる。することのない「僕」はプレイヤーである「彼女」を探し出そうとする。

自分以外の「僕」の協力を得て彼女を見つけると、実は「彼女」も人工知能だった。「彼女」は仮想のテストプレイヤーだったのである。

「僕」は「彼女」に自分の気持ちが変わらないことを言う。自分たちの感情を試した博士に怒りを覚え、博士が世話をしてくれた部屋を去るのだった。

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