第19話 炎の登山道

 岩でできた洞窟を抜け、ぽっかりと開けたところに出る。その瞬間、雄輝は思わず足を止めて眼前の光景に見入っていた。

「おお」

 眼の前で溶岩が川のように流れていた。絶え間なく続いているそれが、時折ごぽっと、まるで生きているかのように呼吸している。


 誰かがマグマは地球の血液だと言っていた。興味なく聞いていたが、こうして目の当たりにするとあながち間違いではなかったと雄輝は思った。

 もともと無機質な岩石だったことを感じさせず、代わりに生命力を感じるのだ。


「だいじょぶですかぁ?」

 頭上からクレアの声が振ってきた。


「まぁ、なんとかな」

 雄輝が見上げると、そこでは彼女が心配そうにこちらを見下ろしていた。

 目を輝かせていた事実を知られたくなかったので、あくまでも不機嫌そうに彼女に言葉を返す。それともう一つ、彼女には見せたくない弱みがあるので雄輝は去勢を張っていた。


(お疲れですね……)


 しかし、彼がどれだけ隠そうとしても、クレアは雄輝の体力が減少していることを見抜いていた。無理もない、険しい道を小一時間登り続けてるのだから。

「頂上までは、まだもう少しかかりますから。休みながら行きましょう」

「そっか」

 クレアから告げられた道のりの遠さに、一瞬気が遠くなった雄輝であった。


 シルヴァランドの霊峰、トラウゼ山。

 かつて、下界を見下ろすようにそびえ立っていた麗しき山も、今は岩と溶岩が支配する灼熱しゃくねつの世界へと変わっていた。雄輝は身にまとった鎧の加護で、熱さを感じることはない。それでも視覚だけで熱を感じるほどの異世界が眼前に広がっていた。

 目指しているのはその頂上。そこには神魔七柱の三、ヘルドラが住み着いているという。


「その、ヘルドラってのは頂上で何してんだ?」

 疲れをごまかすために、雄輝はクレアに話しかける。彼女はふわりと雄輝に近づいてきた。

 クレアが空を舞っている姿はとても楽そうで羨ましい。しかし、実際に体験したことのある雄輝はそれほど良いものではないことも知っている。クレアはクレアで、狭い足場を進む雄輝の邪魔にならないように振る舞っているのだ。


「分かりません。ヘルドラは火口を寝床にしてて、時々意味もなく暴れてるんですよ。そのせいで、トラウゼ山は火の山になってしまいました」

「そりゃ、迷惑な」

 トラウゼ山は、まるで怒り狂っているかのように噴火を繰り返している。

 先程から急な揺れに足を踏み外しそうに鳴ったり、頭上に火山弾が飛んでくるときがある。その都度、クレアの助けも借りながら対処してきたが、常に緊張しながら前に進まなければならない。


 そんなこともあって、肉体的な疲れだけでなく精神的な疲れもピークに達しようとしていた。

「おまえの転移の術で一気に頂上とか無理なのか?」

 せっかく隠していたのに、あまりの怠さから思わず願望を口にしてしまう雄輝。この山の麓までは、雄輝達はクレアの魔法を使ってやってきていた。つい、この過酷な道のりをショートカットできたらなと思ってしまい、心だけでなく口からも出てしまったのだ。


 雄輝のことを考えれば、してあげたい事案なのだがクレアの魔法も万能ではない。

「ムリですよ。あれ、私が行ったことがある場所にしかいけないんですから」

 クレアは悔しそうに首を振る。自分ができないことが本当に無念なのだ。

「それに、行った先の状況も分からないので。跳躍してみたら、いきなりヘルドラとこんにちはって状況もありえますよ」

「そりゃ、キツイな」

 ヘルドラの見た目は巨大なトカゲだと聞く。いきなり目の前に現れて、パクっとされたらひとたまりもない。リアルな想像に、背筋が冷たくなったのを雄輝は感じた。


「もう少しいけば、深くえぐれた洞穴があるはずですから。そこでしたら、魔物の襲撃も分かりやすいですから気を緩めてもだいじょぶですよ」

「ああ、あの炎の蛇な。数多くて面倒だった」

 赤く燃える岩の上を這う姿を思い出す。完全に周囲の色と同化して、急に飛び上がってこられるのは心臓に悪かった。

 確かに穴の中なら、影になって敵の襲来は分かりやすいだろう。


「ん?」

 そこまで想像して、妙な引っ掛かりを覚えて雄輝は立ち止まる。

「おまえ、ここ来たことないのに洞窟があるってよく分かるな」

 思い出せば、彼女の道案内は的確だった。道なき道を登ってきたのだが、クレアは迷うことなく次の道を示す。

 何かしらレーダーのような直感を高める魔法でもあるのだろうか。そういうのがあれば便利だな、と雄輝は雑談をする感覚でクレアに問いかけていた。

 右斜め後ろについてきていたクレアの動きが止まったことを雄輝は感じ取る。何かあったのだろうか、と振り返った雄輝の口から「あっ」と声がもれた。


 彼女の初めて見る顔に、雄輝の思考が凍りつく。

「…………そうですね」

 彼女の表情は、「無」だ。光の灯っていない瞳が、雄輝をじっと見つめている。朗らかな周囲を安心させる笑顔でもなく、心の底から溢れ出てきた涙に濡れる泣き顔でもない。

 そこにはなにもない、人形のようにうつろな顔。雄輝は、ごくり、と自分がつばを飲む音が聞こえたような気がした。それだけ、周囲は静寂が支配している。


 それは刹那ではあったが、雄輝には長く感じられた。クレアと雄輝の間に異様な緊張感が漂っている。

 しかし、その空気は作った張本人の手によって一気に緩められた。

「知ってますかぁ、ここって平和だった時は観光名所だったんですよ!」


 先程までの冷たさは夢でも見ていたのだろうか、クレアはいつもの暖かさをもって雄輝と会話を再開した。

「お、おお。そうなんだ」

 そのジェットコースターのような落差に耐えれず、雄輝の口からはスムーズに言葉が出てこない。そんな雄輝の様子を気にすることなく、クレアはきらきらとした瞳で語りだす。

「特に頂上に雪が積もった時は、太陽の光が反射して本当に綺麗だったそうですから。一度は見てみたかったなぁ。結局、買ってきた地図を眺めて行った気になっただけで終わっちゃっいましたけど」


(ああ、そうか。地図を覚えてたのか)


 雄輝はクレアの言葉で、先程の疑問を解消させた。しかし、実際は納得しようとしただけで腑に落ちないことは残っているのだが。

 追求してもよかったが、雄輝はそれは止めることにした。クレアの豹変を究明したい思い以上に、あんな冷たい表情のクレアを見たくないという思いの方が強かったのだ。


「ヘルドラを倒したら見れるんじゃないの、と思ったけど難しいか。これだけ噴火のせいで禿げちまうとなぁ」

「雪化粧で隠れないですかね」

「なんか、無理して若作りしてるオバサンみたいだな、それって」


「そんな、ひどいこと言っていたら誰かに恨まれちゃいますよ?」

 悪戯っぽい目で笑っているクレアを見て、雄輝は心底安堵する。しかし、同時に少しの不安感を感じてしまうのだ。


 その笑顔の裏に隠された彼女の想いを雄輝が知るのには、まだ時間がかかるのであった。

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