第四話
都心に向かう朝の通勤電車内は、身動きする余地も無い程の混み様なので、床まで倒される心配が無い分、寧ろ気楽に身を任せていられた。
僕の記憶違いでなければ、僕が経堂に住んでいた頃に利用していた小田急線の世田谷代田~下北沢間が、当時、最も混雑の度合いが酷いと言われた区間だったのだが、その電車内での圧迫感や周囲の客との密着度ときたら、駅に着いて新しい客が乗り込んで来た時や、電車の加・減速時、カーブに差し掛かった時など、巨大な血圧計のマンシェットを胴体に巻き付けられ、容赦なく空気を送り込まれている様な感覚で、人の身体ではなくマッサージ器か何かだと妄想でもしていれば結構快感であったし、降車後にはかなりの解放感を味わえた。
しかし、長年に渡って毎日のように満員電車の中にいると、時には理不尽な目に合うもので、一度など、痴漢に間違われた事があった。
痴漢の被害者は僕の隣に立っていた女性だったのだが、僕を訴えたのは被害者ではなく、僕の後ろに立っていた善意の第三者の男性である。女性が隣に立っている僕をチラチラと見ていたので、後ろの男性が僕を痴漢と勘違いして威嚇し、抑えようとしたという事らしい。
しかし、僕は何が起こったのか全く理解出来ずにキョトンとするばかりで、痴漢に遭っていたと思われる当の女性は終始俯いて何も言葉を発せず。幸か不幸か電車は終点に着いて人の流れに押され、そのまま全てうやむやになるという結果になったのである。
あれは結局、誰が悪かったのだろうか。痴漢をしていた者が本当にいたとすれば、当然、その者が一番悪いのだろうが、何も持っていない手を下げていた自分も悪かったのか、それとも、犯人が誰かを正確に見極めずに行動した男性が悪かったのか。或いは、痴漢の手を自分で掴まなかった被害者の女性が悪かったのだろうか。
結局、良い目を見たのは痴漢の真犯人だけという不条理である。
満員電車で一番居心地が良いのは、ドア際である。勿論、座る事が出来ればそれが一番だが、朝の通勤ラッシュ時は、始発駅から乗らなければまずそれは不可能だ。このドア際を確保していさえいれば、大勢の乗り降りがあったとしても、自分はほとんど動く必要も、奥に押しやられる恐れも無く、楽に寄り掛かっている事が出来る。更に、荷物を網棚に上げられれば両手が空くので、読書をするのも楽だ。そして何よりも、目的の駅に着いたらすぐに降りられるのである。
その為、ドア際を確保できるかどうかという事は、精神衛生上かなり重要であった。
東京メトロ銀座線の虎ノ門駅と、同じく銀座線の他、JRと浅草線が通っている新橋駅とのちょうど中間辺りに、西新橋という地域がある。
新橋側から行くと、下を都営三田線が走っている日比谷通りから先が西新橋。南は御成門中学校までで、道路ひとつ隔てた御成門小学校は芝公園となる。西は外堀通りの西新橋一丁目交差点から南下し、虎ノ門ヒルズの前をかすめて行く都道301号線までで、その先は虎ノ門。北は、外堀通りを越えて2ブロックまでは西新橋なのだが、そのエリアにあるりそな銀行は「虎ノ門支店」を、三井住友銀行は「日比谷支店」をそれぞれ名乗っているので、同じ新橋でも「西」が付くと通りが良くないと判断されているのかも知れない。しかし、郵便局はさすがに「西新橋郵便局」である。
因みに、三井住友銀行日比谷支店は以前、外堀通りを挟んで反対側にあったが、そこも日比谷ではなく、もちろん西新橋である。住所地で「日比谷」を冠しているのは「日比谷公園」だけであり、日比谷という住所地は、現在は存在しない。
僕が西新橋で働いていた90年代の終わり頃、現在の虎ノ門ヒルズの前辺りから西新橋側に路地を2本入った角に、「大雅」というラーメン屋というか、中華屋があった。
その当時、虎ノ門ヒルズは第何番目かの森ビルだった筈で、環二通りもまだこの辺りは整備されておらず、大雅があった場所は、一方通行の細い路地が交わる小さな十字路だった。
この辺りには、昼間は定食屋、夜は小料理屋兼居酒屋といった雰囲気の「錦」や、洋食屋の「Dove」、喫茶店の「SAMSON」が当時からあり、休憩時間をゆったりと過ごしたい連中には、それらの店の方が人気があった。
また、外堀通りや日比谷通りまで出れば、もっと色々な店があったのだが、僕はこの大雅が好きで、会社の近所という事も手伝い、週に3~4日は通っていた記憶がある。
別に、他の店と比べてこの店が特別美味いとか安いとかという訳では無かったのだが、昼時には味の濃い、こってりとした中華で腹を満たしたいという気持ちが強かった。
そして、恐らく同じような考えを持っていたであろう周辺の会社のサラリーマン達がこぞってこの店に集まり、昼時はいつも行列が出来ていたのである。
多少並んでいても客の回転は早く、すぐ順番が回って来るのは分かっているので、躊躇なく列に並ぶ。厨房を囲む格好のカウンターと、小さなテーブルがいくつかあるだけの狭い店に長居するサラリーマンなど、いないのである。
中華鍋の肌と中華オタマの縁がぶつかり合い、擦れ合う、トーンの高い金属音や、炒め油の上で野菜の水分が弾ける、雨脚の様な騒音に耳を委ね、油の焼ける匂いや、様々な調味料が放つ香りを鼻で感じ、料理が出来上がっていく様を想像しながら、隣の客と肩が触れ合うくらい狭い席で、注文した食べ物が出て来るのを待っている時間は、仕事のストレスから暫し心を解き放ち、憩いを与えてくれた。
これ程までに僕の心に大雅が残ったのは、昼食だけではなく、夕食もかなりの頻度で世話になった事にも原因がある。会社で残業があるときは、ほぼ決まって大雅に出前を頼んでいたからである。
現在では、人手不足で出前をやっている飲食店は少ないだろうが、大雅は出前もやっていた。
夜8時頃、岡持ちを掲げた大雅の店員が「毎度」と挨拶して部屋の入口に姿を見せたら、残業のメンバーはひとまず手を止め、休憩に入る。入口の手前に設置された低いロッカーの上に、ラップをかけられたラーメンやチャーハン、カレーライスなどが並べられていく様子を眺めていると、ほっと一息つけたものである。
それにしても、なんと残業の多い仕事だったことか。
休日出勤までは滅多に無かったが、平日に関しては、もはや定時という概念の無い労働環境であった。
残業の主な原因は、業務の進捗状況をチェックするミーティングが、通常業務を中断して頻繁に行われる事や、自分の仕事が一段落着いても、同じ部署で誰か一人でも仕事が終わらずに残っていたら、手伝わずに帰る訳にはいかないという雰囲気がある事、いわば縦と横、両方向のしがらみが生み出す非効率性にあった。
縦の繋がりに於いては、仕事の連続性よりも部下の統制に躍起となっている上司に対して内心不満を持ちながらも、自分が上に立った時にはどうかとと考えると、同じ様にしない自信が持てない。
横の繋がりに於いては、残業を断って自分だけ帰ってしまうと、人間関係の上で孤立してしまう。それだけは避けておきたいという保身の気持ちを、自分の仕事が終わらない時には助けて貰えるからお互い様だという、組織人としてまっとうに見える様な口実をもって納得させなければならない。
そんな苛立ちと諦めの綯交ぜの様な葛藤の中で、唯一の楽しみだったのが店屋物のラーメンであった。疲弊した精神と肉体に入り込んでくる、この味の濃い、こってりとした中華屋のラーメンは、昼間の快活で人懐こい風情とは全く違い、静かで暴力的な魅力を湛えていた。
まったく、あの味は素晴らしかった。全ての調理は、出来上がってから届けられるまでの時間経過を考えてなされている筈だが、当然、店で出来たてを食べるという最良の状態には及ばない。
スープはそこそこの熱さを保ってはいるが、麺は当然のように伸びている。また、スープがこぼれるのを防ぐ為に丼に掛けられたラップを剥がすと、そのラップと丼の隙間に吸い上げられていたスープが淵から外に滴り、丼を持つと手にスープが付いて、ベトベトになってしまう。
しかし、そんな些細な事はさて置き、スープを幾分吸って伸びた麺は、それはそれでいい味を出していた。麺類が好きな人の大半は、硬めの茹で上がりで歯応えがあった方が良いというが、スープを吸い、その塩味と香味を内部に取り込んだ麺もまた、旨味に溢れている。
それに加えて、残業でクタクタになった身体と心には、そんな幾分くたびれた麺の歯応えの方が丁度良かったのである。
新橋という、巨大なオフィスビルと雑多な飲み屋街が隣り合わせになっている大きな街と、虎ノ門という、背後にこの国の中枢とも言える霞が関が控える厳つい街に挟まれた、小規模な事務所ビルが並ぶこの町で働いている間、僕は食事の大半を、この大雅で摂ったことになる。
たまたま勤めていた会社の近くにあったというだけで通った食堂でも、長く通うと親しみが湧き、その土地やその当時の記憶と共に心に染み付くものである。
その会社を辞めてから数年経ったある日、たまたま用事で近くを通り掛かったついでに、少し寄り道をして大雅まで行き、懐かしいというには早過ぎるが、それなりの感慨を抱きながら、ラーメンを啜ってみた。
しかし、僕の舌は最早、胸を塞がれるような葛藤と共に味わった、あの日々の味を再現しなかった。
それからまた数年が経ち、当時勤めていた会社が既に無くなっている事を人伝に知った時は、特に訪ねてみようという考えは湧かなかったが、更に十数年の時が経ったある日、近くに行く機会があり、夕方、新橋から西新橋まで歩いて行ってみると、付近の様子は一変していた。
大雅があった小さな四つ角は影も形も無く、狭い路地は、目の前に横たわる2車線の車道に沿って作られた広い歩道に取って代わられていたのである。
当時の面影を多少残している路地から、大勢の人々が行き交う歩道に出ると、右側の視界の遥か上方に虎ノ門ヒルズの巨体が、まるで異次元との境界を示すように立ちはだかっている。まさに、歩道に一歩足を踏み入れた所から先は、全く違う場所の様であった。
歩道の手前も昔あった建物が幾つか無くなり、新しく小奇麗な店に変わっていたが、歩道から一本手前の路地に面した「錦」は、その年代を感じさせる壁を露にして、その少し先にあるDoveやSAMSONと共に、変わらずに生き残っていた。
感慨に耽りながら慣れ親しんだ界隈を抜け出し、西新橋の見知らぬ表通りを一人歩きながら、また一つ、記憶に染み込んでいた味が、訪ね得ようも無い彼方に去ってしまった事を想った。
第四話・完
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