サトル君は異世界に興味がない

@muuko

第1章 サトル君、出会う

第1話 よろしくサトル君

 先に言っておくが、彼がうちの店に来てくれて良かったと思っている。本当に。




 これは、サトル君の不思議なアルバイトの始まりのお話。




 店の窓にアルバイト募集の貼り紙したのはいつのことだったろうか。

 雨風にさらされて紙も文字もところどころ変色し、端のほうは少し破れている。

 白シャツにベスト。黒いパンツにサロンを巻いた出で立ちで、俺は店の外で貼り紙と睨めっこしながら思考していた。



《アルバイト募集》


 ◆募集要項

 ・元気で健康な人

 ・未経験歓迎

 ・自力で家に帰れる方

 ・土日に勤務できる方


 ※まずは1日だけのお試しから!

 ※週1日〜勤務OK!

 ※アットホームな職場です!!


 ◆勤務時間

 18:00〜25:00

 時間外勤務有り


 ◆時給

 1500円


 ◆仕事内容

 ・悩み相談、解決



「………まだ読めるな。」

 書き直すのもなかなか手間だ。

 時間は午後3時。腰に巻いたサロンを外しながら、一息いれるために店の中に入った。



「まだ貼り紙剥がさないの?」

 銘仙柄のソファにだらりと身を委ね、長く美しい黒髪を垂らした少女。

 藍色の着物にカラフルな薔薇の柄が入った着物の裾がはだけて足が見えている。その姿はまるで一枚の絵のようだ。

あかり、どきなさい。そこはお客様の座る席だから。」

「だって夜見やみ。来ないんだものお客様。」

 だってだってとぶつぶつ言いながらも、灯は席を立ってソファの布の皺を手で撫でながら整える。


 格子の入ったガラス窓から昼下がりの日差しが優しく降り注ぎ、店内の丸テーブル達を柔らかく照らす。布貼りのイスが暖かな光を受けて綺麗な赤色だ。カウンターの奥のコーヒーカップとソーサーを飾る棚がある。一点ずつ違うものだ。戸のついた棚にはグラスをしまっている。天井のダイヤガラスのシャンデリアも、美しくも懐かしい雰囲気を作り出してくれている。次々と新しいものを求める外の世界に逆行するように、この店だけはじっと時が止まっている。

 騒がしい大通りを一本外れた十字路の先にあるこの店は、喫茶店ならば繁盛しそうな時間帯にお客様は一人もいない。


 それもそのはず、理由は二つ。

 うちが店を構える場所は物静かな裏通りだ。近所の人ならまだしも、この街に遊びに来る人や観光客が歩くのは大抵大通りだ。この店を見つけて、まして入ろうなんてことはそうそうない。

 もう一つ、そもそもうちは喫茶店じゃない。お店にやってくるのは悩みや困りごとを抱えたお客様。その悩みを聞いたり、一緒に悩んだり、解決したりする。うちの店はまぁ何でも屋と言ったところだ。

 俺、夜見はこのお店の店長。さっきの少女、灯は従業員だ。


 訳あって前々からアルバイトを募集しているものの、ぱっと見なんの店かもよくわからないここへ貼り紙だけで応募してくれる人は中々現れない。

 気は進まないがお金をかけてバイト情報誌なんかを使って募集をかけた方がいいのかもしれない。

「やだなーめんどくさいなー。」

 アルバイトは欲しい。でもわざわざ募集にお金と時間をかけるほどじゃない。でも決まらない。くっそ。時給1500円だぞ。

 カウンターにもたれ、ふぅとため息をついたところに灯が藍色のカップにコーヒーを注いでくれ、その香りにまたふぅとため息がもれる。

 ありがとうと声をかけ、二人でコーヒーを飲んだ。



 彼がやってきたのは、日も落ちかけた黄昏時だった。


 入り口のドアがカランコロンと鳴る。

「失礼します。表の貼り紙を見てきました。アルバイトの募集まだしてますか?」

 休憩の後、ずっと奥にこもっていた俺が声を聞いて顔を出すと、カウンターにいた灯がなぜか急に回れ右して奥へと消えていった。


 入り口には、紺のブレザーの制服を着てリュックを左手に提げた少年が緊張した面持ちでこちらを見つめている。目に力がある。ついこちらも見つめ返してしまい、妙に開いてしまった間を埋めるように声をかける。

「えっと、はじめまして。店長の夜見です。アルバイト希望の方ですね。お名前は?」

「はい。二藤にふじサトルと申します。あの、さっき貼り紙をみたばかりなので、履歴書は準備していないのですが大丈夫ですか?」

「あぁ、いいですよ。うちで働くことになったら用意してくれれば。学生さん?」

「はい。高校二年生です。」

「ふーん…。いい声だね。」

「そうですか?初めて言われました。声が大きいとよく言われます。」

 大きいというより、よく通る声だ。空気が震えるような。中低音の声音が、目の前の彼によく合っていた。

 短い黒髪にぱっちりした二重の目。背も高い。

 何か武道でもやっていそうな凜とした佇まいが何ともいい雰囲気だ。

 有望有望。


「募集要項は読んだ?バイトの後自力で家に帰れる人?」

「読みました。家は近いので大丈夫です。時給がかなりよくて、応募しました。」

 そうだろうそうだろう。時給いいだろう。

「よかった。夜二時にバイト終わって帰れるなんて、近所の人じゃないと無理だからさ。」

 条件はクリアだ。

 よし、採用………………と思ったら。


「あの、質問他になければこちらからも確認させていただいてもいいでしょうか?」

「あぁ、はい。なんでしょう?」

「3点確認させてください。まずチラシにある時給は本当ですか?」

「えっ?う、うん。書いてある通り時給1500円だよ。」

「承知しました。次の質問です。時間外勤務をした場合、残業代は支給されますか?もちろん、法定労働時間である8時間を超える勤務となりますから、割増賃金で支払われますよね?

 深夜勤務も同様です。22時から翌5時までの時間も時間外勤務と同様割増賃金の対象になると法令で定められています。」

「は、はい?」

 あれ?なんだこの子。法定労働時間?深夜割増?

「まさかご存知ないんですか?」

「いえご存知です!て、店長ですから!えっと、時給や勤務時間帯に応じた割増や残業分の賃金についてもちゃんと計算してお支払いさせていただきます!」

「では最後の確認事項です。シフトについて、週1日土曜日の夜だけ入りたいのですが、可能ですか?

 先ほども申し上げた通り僕は学生です。土日は休みなので2日入れないこともないのですが、学業も疎かにしたくありません。

 もちろん、学校が休みの時はもっと入ります。」

「かか可能でございます!」

「よかった。表の紙がかなり古かったので気になって。

 よくあるじゃないですか、求人情報に『アットホームな職場です!!』とか書いている会社の方が実はブラック企業で、そもそも書いてある時給が出なかったり、タイムカード押させてから残業させたりとか。ネットでもよく書かれてるし。聞きたいことを聞けて安心しました。すみませんずけずけと質問して。

 こちらとしては、然るべき賃金を頂ければ残業することは問題ありません。先に言っておきますが、万が一チラシの内容と実際のアルバイトの内容が違う場合や、残業代・深夜手当の未払いが起きた場合は労基に相談しますので予めご了承ください。」

「はい!気をつけます!よよよよろしくお願いいたします!」

 俺は顔を伏せて右手で口のあたりを隠した。


 あー怖い。面接怖い。

 なんだこの子…二藤サトルに、俺が面接受けてる気分になってしまった。法令やら労基の話まで持ってこられて、何もしてないのにおでこに冷や汗をかいている。しかも勢いに負けてよろしくお願いしちゃった。いやでもこの子ならイケる。イケる気がする!


「じ、じゃあ早速なんだけど、まずはお試しってことで次の土曜日お願いできるかな。うちに来るのはんだ。お試しで一日働いてもらって、仕事内容に不満があればそれで終わりでも構わないから。」

 うちに来るお客様はほぼほぼ人間ではない。だから、人間がバイトの面接に来てもそこで断られる。仕事内容の説明の所でいつもいつもつまずいている。


 この店は現世うつしよ常夜とこよの狭間にある。


 常夜とは、いわゆるあの世。神の領域だ。死者の魂が還るところでもあり、人ならざるものが住む世界でもある。

 黄昏という言葉がある。これは古くは、誰そ彼(たそかれ)と言われていた。日が沈み、空が黄色から茜色、茜色から深い藍色へと移り変わる時だ。

 外を歩く人の輪郭がぼやけ、顔がわかりにくくなる。その狭間の時間に合わせて常夜の住人が現世に顔を出すのだ。

 うちはそういう常夜の住人を相手に商売している。


 うちは現世と常夜の狭間にあります!人間じゃないお客様の悩み相談を聞いたり、解決したりしています!人間のアナタ!アナタの力がうちの店には必要なんです。一緒に楽しくバイト、しませんか?

 なんて努めて明るく朗らかにこやかに勧誘したところで、


 言ってる意味がわかりません。

 頭おかしいんじゃないですか?

 怖いです。


 と、怒るか引くか泣いて帰られるのだ。

 でも俺だってバカじゃない。失敗は成功のもと。これまでやってきた自分なりの面接のやり方を評価し、分析、改善策を練る。

 計画。実行。評価。改善。

 そうしてたどり着いた作戦が、とりあえずお試しで働いてもらおう!である。

 この作戦を思いついてから、やっとバイト希望の子が来てくれた。逃さない手はない。とにかく一日働いてもらいたい。


 俺は店の奥にカレンダーを取りに行く。雰囲気を壊したくないので店の壁やカウンターの中にもカレンダーや日用品などは置かないようにしている。

 事務机にある卓上カレンダーを眺めながら二藤サトルの元へ戻る。

「次の土曜は、あ、明日だ。明日入れる?」

「はい。大丈夫です。」

 二藤サトルはスマホを出して予定を確認し、こちらを向いた。

 あ、スマホ持ってる。さすが。カレンダー持って来る前に聞けばよかった。

 明日の夕方六時にここへ来てもらうよう伝えて面接は終わった。



「本当に雇うの?」

 ずっと裏にいた灯がいつの間にか戻って来ていた。

「なにあの子怖い!めっちゃ怖いんだけどイマドキの子ってああいうもん?

 いやでも逆にさ、しっかりしてそうだから、続けてくれるかも。あとなんかあの子の声ちょっと気になるんだよね。」

「怖いのになんでよろしく言うの?

 私人間好きじゃない。

 あの子私が見えてるみたい。お店に来たとき目を合わせて話しかけられた。」

 灯は。俺の頭がおかしいわけではない。

 彼女は人間ではない。

「ごめんね灯。このお店は人の力も必要なんだよ。長く続けてくれる人間がね。

 選り好みする程うちにバイト希望の子は来てくれないから。」



 次の日。二藤サトルは時間通りやってきた。

「おはようございます。」

 夕方でも出勤時はなぜか朝の挨拶をするのは日本社会の不思議なルールだ。初日からしっかり挨拶できるってことは、初めてのバイトというわけではなさそうだ。

「おはよう。これ制服ね。ロッカーはあっち。着替えたらここにきて。」

 はい。と気持ちいい返事をすると、二藤サトルはすたすたと着替えに行った。



「サイズはどう?」

「大丈夫です。」

 白の長袖シャツに黒いパンツ。サロンを巻いた二藤サトルのいでたちは喫茶店の店員そのものだ。

「よかった。じゃあサトル君、って呼ばせてもらうね。改めてよろしく。」

 面接の時は面接される側っぽくなってしまったので、精一杯店長らしく言ってみた。

 ふと、サトル君が奥のソファに目を向け、そばに行く。

「…あの。昨日も会いましたよね。今日からよろしくお願いします。二藤サトルです。もしかして同じアルバイトの方ですか?」

「……………。」

 灯はソファに座ったまま、目を見開いて固まっている。

 微妙な空気が流れるところに俺は慌てて割って入る。

「ごめんねーこの子人見知りだから!灯って書いて"あかり"って言うんだ。よろしく。ほら灯、そこはお客様の席だからどきなさい。

 あ、昨日のカレンダー置きっぱなしだった。サトル君、悪いんだけどカウンターの卓上カレンダー奥の机に置いてきてくれる?」

 はい。といい返事をしてサトル君は奥へと消えていった。

 背中に感じる視線。

「夜見。」

「あたし、見えてる?」

「ね。見えてるね。」

「大丈夫。普通の人には見えないよ。あの子が特別勘がいいいいんだ。」

 灯の頭をポンポンたたいてなぐさめていると、サトル君が戻ってきた。

「店長。」

「はい?あ、夜見でいいよ。何かな?」

「今さらなんですけど、募集のチラシに書いてあった悩み相談って、何するんですか?ここ見た感じ喫茶店ですよね。」

「お店の見た目はねー、俺が好きだから。お客様にも評判いいんだよ。あと一見喫茶店だけど、その真の姿は実は!みたいなのよくない?

 お客さんの困りごとを聞いて、一緒に悩んだり、解決方法を探したりするんだよ。俺達が出来ることを出来る限り。」

「よくわかりません。」

「そうだよね。なんか飲む?」

 そりゃそうだ。何やってんだかわかんないよねこの店は。だけど、わからないからこそやってみて欲しいなぁ、やってみて初めて超えられる壁もあるんじゃないかなぁ、と俺は思うんだけど。

 初日からあれこれ言っても仕方がない。しかも今日はお試しだ。何とかこれをきっかけに長く働いてもらいたい。

 気分転換にと白いカップにコーヒーを淹れて、サトル君に渡す。

「ありがとうございます。」

 カップを口元に当てて、ふとサトル君が呟いた。

「何事もやってみないとわからないよな。」

 俺は思わず微笑んでしまった。きょとんとするサトル君にうんうんと頷いてみせる。なんだか嬉しい。

「一つサトル君にお願い。お客様の対応をする時は、畏れ敬う気持ちで接してくれないか。」

「お、おそれ敬う、ですか。」

「ほら、お客様は神様ですっていうでしょ。だけどお客様のいうことは絶対聞いて!ってわけじゃなくて、お客様を大切にして、敬う気持ちを持って接客してほしいんだ。」

 サトル君は少し眉を寄せてよくわかりませんけどわかりましたといった表情で頷いた。

 すぐにわかるよサトル君。うちにはホントに神様みたいなのが来るんだ。


 その時だった。ドアがカランコロンと来客を知らせる。

「あのう・・・おなやみきいてくれるのはここのおみせですか?」

 はい来た。

「はい。いらっしゃ…………」

 サトル君が振り返る先にいたのは、赤黒い肌に赤い目をした奇妙な双子だった。

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