カレット

水円 岳

三題噺系

樹氷

 束の間の平穏。風が緩やかになり、久しぶりに砂塵の奥の景色が見えるようになった。もっとも、見えたところでそれは一面の砂丘に過ぎないが。


 雨季とは言え、降雨なぞほんの一瞬しかない広大な砂漠の縁部。砂は気ままに暴れまわり、防砂垣はほんの気休めに過ぎない。俺たちが植栽したタマリクスやアカシアも、水切れと堆砂でほとんどが枯れてしまう。比較的条件のいい縁部でこれだ。砂漠のど真ん中が緑で埋まることなんか未来永劫ないんじゃないかと、そう思ってしまう。労力と投資に全く見合わない砂漠緑化事業をどう進展させるか。長年プロジェクトに携わっていても、そこが難題のままずっと積み残しになっている。


「んー」


 俺は、見飽きた戸外の風景に目を向けることなく、テントのど真ん中で本を広げて眺めていた。砂嵐が収まって、やっと外に出る気になったんだろう。ロブが、砂塵をぱたぱた叩き落としながら俺のテントに入ってきた。


「よう、アラン、何見てんだ?」

「ああ、写真集さ」

「へえー」


 写真集の真上に首を突き出したロブが、ひゅうっと口笛を吹く。


「ほう! すごいな。どこかの山の雪氷の写真か」

「ただの雪氷じゃないよ。蔵王の樹氷群だ」

「は?」

「ああ、おまえも知らなかったか。日本の蔵王っていう山で冬に見られるスノーモンスター。ファーに着氷したのがどんどんでかくなると、こんな風になるのさ」

「ふうん。オフに観に行こうっていうのか?」

「まさか。俺にオフなんざないよ。この緑化プロジェクトの進捗に目処が立たないと、いつまでもここを離れられん」

「そうだよな」

「こいつは、ドクター・ヤマハタが族長の息子サイードにせがまれて貸してたんだよ」

「ああ、それでか。こんなアフリカの砂漠のど真ん中に、日本の写真集があるわけないもんな」


 純白のスノーモンスターの画像から目を離したロブは、物憂げに淡褐色の砂漠を見回した。


「生まれた時からこの色しか知らなきゃ、樹氷ってのがどんなものか想像も出来んだろうなあ」

「まあな。彼らは生涯緑地を探して遊牧を続ける。もし、砂漠緑化に成功してその地域の遊牧民の定住化が進んだにしても、移動するかしないかだけの違いさ。その世界観が大きく変わることはないだろう」

「ああ、そうだ」

「それが、緑化事業の推進を極めて難しくしてるんだよ。俺たちが何をやっても、結局世の中は変わらないってね」


 そう。そこなんだよ。緑化は、俺たちのためにやってるんじゃない。それは、ここに住まう者たちのためなんだよ。だけど、それは彼らには理解できない。彼らの世界の中には、緑化どころか俺たちすら入っていないんだ。


「緑を探して、褐色の砂漠を生涯彷徨う。彼らが着目する色は、褐色と緑の二色ふたいろしかない。そのどこに、新世界を思い浮かべる可能性がある?」

「緑化で増えた緑は家畜に食わしてしまう。緑がなくなるまで、ってことだよな」

「そう。自分たちが全てだと思っている世界は、実はもう少し大きくて、そこに新たな可能性が潜んでいる。彼らにそういう夢を見る余地がないと、緑化なんか永遠に無理だよ」

「アラン。それは分かるが、どんな夢を見せようっていうんだ?」


 俺は樹氷のページを開いたまま、分厚いビニール窓の向こうに広がる砂丘に目を移した。


「役に立つ、立たないっていうのはダメさ。それは動かしようのない現実だ。夢の入り込む余地がない」

「ふむ」

「生活することだけで頭が固まってしまった大人にではなく、これから世界を創造出来る子供たちに、ちょっとだけ夢を見せてやろうと思ってさ」

「それに樹氷が関係するのか?」

「そうだ。こんな砂漠で樹氷が出来ることなんか、未来永劫ないよ。着氷するような木がないし、雪どころか雨が降ることすらほとんどないからな。それは誰にとってもただの幻想に過ぎない」

「ああ」

「だが、たとえ単なる幻想でもそれが目の前に現れれば、ほんの少しだけだが世界が広がるだろ。紙の上から抜け出して、色と手触りを持つ別の世界にね」


 ロブには、俺の説明が全く理解出来なかったんだろう。何度も首を傾げている。


「うーん、おまえが何を企んでいるのか、よく分からんのだが」

「大したことじゃない。サイードが見たがっている樹氷。そいつを実際に見せてやるだけだよ」

「おいおい、旅費はどうするんだ?」

「あほう。ここ以外の場所に別世界があっても意味がないんだよ。そこに行きたいと思うだけだろ? そして、もしそれが叶っても、ここには何の意味もない」

「ああ」

「だから、ここでそいつを作らんとならん」

「樹氷だろ? こんな砂漠のど真ん中には、木も、水も、凍らせる低温もないぞ?」


 ロブの呆れ顔に、それ以上の呆れ顔を突き出して返した。


「おまえの世界も、ここに来てからえらく縮んでるな。彼らのことなんか言えんぞ」

「余計なお世話だ」


 ぶすっとむくれたロブが、再び吹き荒れ始めた砂嵐をうんざり顔で見ながら、自分のテントに戻っていった。


「さて。準備するか」


◇ ◇ ◇


 古来から使われていた地下水路フォガラ。その取水口にはオアシスが成立し、農商業の拠点都市が発達してきた。だが、砂漠の拡大とともに都市が砂に飲み込まれ、いくつかの水路はすでに消滅している。水路のメンテナンスがおざなりになれば、漏れた水が表土に溜まった塩を溶かし出し、その水は飲用にも農業用にも適さなくなる。俺は、塩辛くなって打ち捨てられた古井戸から水をくみ出してポリタンクに入れ、キャンプに運んでおいた。


 植栽したものの、定着出来ずに枯れてしまった苗。それらは、放置するとすぐに遊牧民の燃料として使われてしまう。俺はそういう粗朶そだを回収し、束ねてアルミの三角足場から吊り下げ、その上から煮詰めて濃縮した塩水を振りかけ続けた。粗朶の上で結晶した塩は、純白とは言えないまでも雪のように枝の上を分厚く覆い、強い陽光を跳ね返してきらきらと眩く輝くようになった。


「わあっ! 樹氷だあっ!」


 歓声を上げたのはサイードだけではなかった。部族民の子供たち、そしてその親たちも、突如現れた白い樹木に興味津々だ。立て並べた樹氷もどきをわいわい言いながら触っている。


 もちろん、それは樹氷とはまるっきりの別物だ。冷たくもなく、純白でもない。だが、樹氷というものの存在を全く知らなかった彼らが、その小さな世界をほんの少しでも広げてくれれば。自分には全く関係ないと思っていた世界が、実は手の届くところにあるのだと感じてくれれば。それが、先々砂漠を緑に戻す重要な鍵に育つかもしれない。


 塩の木は、壊れればまたすぐに作れるし、使った粗朶は後で燃料に使ってもらえばいい。手間はかからないし、何も無駄にしない。そういうアイデアをもっともっとひねり出すことが、これからの緑化事業推進にはどうしても必要になってくるんだろう。


「アランさん、お見事です」


 写真集を貸してくれたドクターが、俺の作った樹氷をにこにこしながら見回していた。


「製塩技術が、こんな風に役立つとはねえ。本当に、無駄になる知識や技術っていうのはないんですね」

「はははははっ!」


 俺は、無情なほど乾ききった蒼空に向かって高笑いをぶちまけた。


「俺たちが自然と格闘するための手段は、ほんの少しの意思と知恵。それしかありませんから」

「ええ」

「それなら、あるものはどんどん使わないとモッタイナイ、です」



【 了 】



+++++++++


【三題噺】樹氷、幻想、鍵

見出し:ここで樹氷? そんなの未来永劫ありえない。

紹介文:サハラ砂漠の遊牧民の子供が樹氷を見たいと言ったこと。砂漠緑化プロジェクトメンバーのアランは、それを聞き逃しませんでした。さあ、彼はどんな行動を起こすのでしょう?


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