デイリーミッション
浅川さん
レポート1
僕が人気のない食堂で、一人でカビ臭いパンと合成肉のローストのランチを食べていると、いきなり背後から話しかけられて、僕はパンを取り落としそうになった。
「おい、レイ! お前正気なのか?」
「うわ、ビックリした。ジョージ、声がでかい。なんの話だ?」
今はもうランチという時間ではないので、他の利用者は遠くのテーブルで居眠りしてる若者と、読書している老婆ぐらいなものだ。ここは広い食堂なので彼らには僕らの会話内容は聞こえないと思うが、僕はあまり目立ちたくなかった。
彼は勝手に僕の隣の席に腰掛け、声を潜めて話しはじめた。
「お前が例の実験に志願したと聞いた」
「ああ、それか。まあ、志願したというか、順番が回ってきたというか……」
別に自ら手を上げたわけではない。ただ断る理由も無かったので、打診を受けた時点で拒否しなかっただけだ。だが、ここではそうすると「志願した」という扱いになる。ちなみに「志願」を断れば、今後僕の研究者としての地位は保障されないだろう。僕はそうして地位をはく奪され、挙げ句、居住区を下層に落とされた者たちを何人も見てきた。現在の生活と地位を維持したければ上に逆らうのは得策ではない。
「馬鹿野郎! みんながどうなったのか覚えてないのか? アレンもジェシカもワンも、みんな帰ってこなかった……」
彼は頭を抱えながら絞り出すようにそう言った。アレンもジェシカもワンも全員僕らの同期で、全員「志願した」もの達だ。
「そうだな」
僕がそういうと彼は顔を上げた。
「どうしてそんなに冷静なんだ。……もしかして、脅されているのか?」
「ははあ、なるほど。君は僕を心配してくれているのかい」
「ああ、そうだ。あんな実験に参加するのは自殺行為だ。下手すればこんなゴミみたいなメシが最後の晩餐になっちまうんだぜ。あれは本当にやばい」
確かに美味しくはないが、食べてるひとの前で食べ物をゴミ呼ばわりは酷い。
「しっているさ。だけど、僕は大丈夫だよ。シュミレーションでは成功率85%だ」
「シュミレーションて、あのポンコツだろ? あんなの、何の意味もないぜ。現に成功率100%のワンは腕しか戻ってこなかった……」
そこまで喋って、彼は当時の光景を思い出したようだ。身震いをして黙ってしまった。
僕も合成肉に突き刺していたフォークを外した。
「確かに危険かもしれない」
「だろ! 今からでも遅くはない。辞退すべき……」
「だけど、僕がここに来た理由はあの実験に参加するためだったんだ」
僕がそう言うと、彼は大きくため息を吐いた。
「そりゃあ、俺だって最初はそうだったさ。安全な居住区、安全な食事、娯楽施設も充実している。ここで働けるのは最高だと思った。しかも実験の内容は、まさに世界を変えるようなビッグプロジェクトだ。研究者ならだれでも憧れる。でもな、それは表向きのパフォーマンスだ、裏では弱者を踏みつけ、利用する。しまいには優秀な研究者まで……」
「おい。……体制批判はまずい。声を潜めろ」
僕が小声で注意すると、彼はせせら笑った。
「はっ、連中がなんだっていうんだ。俺は例え下層に落とされたって生き抜いてやる」
「ジョージ……」
彼が本気でそこまで考えているとは、今まで思ってもみなかった。下層はとても人が住める場所ではない。彼もそれはわかっているはずだ。重度汚染により破棄された区画を僕らは下層と呼ぶ。その上に僕らが暮らす上層区画があるからだ。
「……すまない。つい感情的になっちまった」
「いや、ありがとう。君の気持ちは伝わったよ。でも大丈夫だから。僕は死んだりしない。アヤとも別れたくないしね」
アヤは僕の婚約者だ。そう、僕は彼女のためにも簡単には死ねないし、下層に降りるわけにもいかないのだ。
「そうか。お前の決意は固いんだな。俺もこれ以上はもう何も言う気はない。……そういやお前は同期の中でもトップクラスの頑固者だったからな。ほんと、お前の頭はダイヤモンド並みの硬さだよ」
「いやあ、君の燃え盛るハートには負けるよ」
僕たちは笑いあい、握手をした。
「実験はいつからなんだ?」
「今日この後すぐに」
僕がそう言うと彼は大袈裟に両手を広げて信じられないというようなリアクションをした。
「おいおい、だったらもっと良いもの食おうぜ! なんなら奢るぜ?」
「ははは、ごめん。流石に食欲湧かなくてさ」
「あー、そうか。だよな。うん。……じゃあ、帰ってきたらなんか旨いもん食いにいこうぜ」
「ああ、それはいいね。賛成だ」
「……その約束、忘れるなよ。じゃあな!」
ジョージはそういうと食堂を出ていった。
僕はその後ろ姿を見送る。彼は泣いていたのかもしれないと思った。肩が震えているように見えたから。
すっかり覚めた合成肉ランチは程々にして、僕も食堂を出る。
食堂を出て曲がりくねって複雑に交差した通路を進み、実験室のあるZ区画に入る。ここに入るためには複数のセキュリティーゲートを越えなければならず、選ばれたものしか入ることすら許されない。
ゲートを突破してようやく中に入れるのだが、ここから先は防護服無しで行動することは禁じられている。僕は壁にかけられた防護服を着こんで、最後のゲートを開く。
その先は巨大な空間になっていて、その空間の中央にマシンが鎮座していた。マシンは大昔に月に行ったアポロ型探査船をモデルに製造されている。これは、仮に部外者に発見されても、このマシンの目的を誤認させるためだ。
今は電源が入っていないらしく、あの耳障りな騒音はしていない。
僕はこの間までこのマシンの整備担当技術者だった。しかし、今日はパイロットであり被験者だ。
「やあ、パイロット。体調は?」
マシンの方に歩いていくとキムが話かけてきた。彼も整備担当の技術者だ。ちなみにジョージはプログラム開発担当なのでこの場にはいない。どこかでモニタリングしている可能性はあるが。
「まずまずだ」と僕は答えた。
「それは何より。マシンの調整は完璧だ。幸運を」
「ありがとう」
マシンの調整が完璧なのは近くで見ればよくわかった。パラメーターは全て正常値。前回のフライトで破損していた部品も新品に取り換えられている。
「冷却チャンバーが正常に機能しなかった問題は解消したよ。どうもプログラムが悪かったらしい」
マシンの中からオイルまみれの顔でアレックスが言った。オイルが付いた手袋で汗をぬぐってしまったんだろう。
「それはよかった」
僕がそう答えると彼は肩をすくめた。
「これから旅立とうとする英雄には見えんな」
「そりゃそうさ。これはただの人体実験だし、僕は英雄じゃない」
「おい、めったなことはいうもんじゃねーぞ。人体実験じゃない。人類の未来を変えるための研究なんだ」
「ああ、そうだね。悪かったよ」僕は上の空で答える。
マシンに近づくにつれて僕の余裕は失われていった。やはり怖い。失敗すれば肉片しか残らないか、ドロドロに溶けているか、何も残らなかったこともある。死ぬより辛いことになるのかもしれない。だが、何よりもつらいのはアヤに会えなくなることだ。
今日のことはアヤには話していない。言えば彼女はショックで泣くだろう。そうなると僕も出かけられなくなってしまう。だが、僕はマシンに乗った瞬間、そのことを死ぬほど後悔した。
マシンに乗って計器やレバーの動作チェックを行う。うん、問題なさそうだ。
僕の体はシートベルトで固定され、そしてついに、唯一の出入口であるハッチが派手な音をたてて閉まった。
その時、ヘッドセットのスピーカーにノイズが入り、通信が入った
「おい、聞こえるか。パイロット・レイジ」
所長からの無線だ。
「はい。感度良好です」
「よし、では君の準備が整い次第マシンを稼働する。気分はどうだ」
「ボチボチです」
「そうか」
そういった直後、チャンネルが切り替わる音がした。
「あーレイジ君聞こえるかね」
「はい」
「今プライベート回線に切り替えた。ここでの会話は録音されない」
「はい」
「正直このようなことになって申し訳ないと思っている。私だけじゃない。ここにいる全員がそうだ」
「はい」
「何か言い残したことはあるか?」
「……アヤにすまないとだけ」
「……そうか。わかった。だが、それは君の口から伝えなさい。いいね?」
「……はい」
「……健闘を祈る。通信終了」
そうして通信は途切れた。
「……う、うううううぅっ!」
通信が切れた瞬間、我慢していた何かが体の内側から噴出した。このマシンに乗り込み、消えていった彼らもこんな気分だったんだろうか。辛い、苦しい。悲しい。数分間、涙が止まらなかった。
「はぁ、はぁ……ふぅ……」
泣いたら少し落ち着いた。もう逃げ場は存在しない。準備は整ってしまった。ハッチは閉まり、全ての計器、ディスプレイが準備万端であることを告げている。あとはマシンを起動させるだけ。
僕はマシンの始動キーをポケットから取り出し、鍵穴に差し込んだ。
ブオンと重々しい音がしてシステムが起動する。各種設定を確認して安全装置のロックを解除していく。電源出力も十分だ。
眼前のメーターを確認する。今日は2165年9月1日。17時05分。
時間を設定するメーターに今から24時間後の時間を入力する。すると内蔵されたコンピュータが自動的に到着地点の座標を導きだす。
そう、これから行うのは第1456回目のタイムトラベル実験だ。
僕は始動キーを回し、出力レバーをめい一杯押し上げた。
マシンは徐々に唸りをあげて、出力を上げていく。大丈夫、ここまではシミュレーション通りだ。
視界が波打ち、歪み、回転して、反転する。
さっきまで白で統一されていたマシンの内装が今は虹色に輝いて見える。
震動も騒音も、今まで体験したことが無いほど酷い。
ああ、やっぱり最後にアヤに電話すればよかった。僕はバカだな……
僕はそのまま意識を失った。
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