第5話 『ようこそ中華飯店へ!』

 私は、人に見られるのが仕事だ。

 来る日も来る日も同じ格好をして、大勢のお客さんをお店にご招待することこそが私の存在意義だ。私がいなければお客さんが入らないほど、お店が寂れているということではない。しかし私がいなければ入店するお客さんの数が半減してしまうことはほぼ間違いないわけで、そう考えると私は非常に良い働きをしているのではないかと思う。

 いや、これは誇るべきだろう。えへん。

 ちなみに、私が働いているのは中華料理を提供する神戸中華飯店だ。『こうべ』と読まずに『ごうど』と読ませるのがこの地域での習わしである。というより、神戸をこうべと読むことが出来るなんて昔の私は知らなかった。お客さんがそういう話をしているのを聞いて、たまたま知っただけである。うーむ、世間知らずここに極まれり。

 それはさておき、このお店は、地域でもかなり人気がある中華飯店だ。黄色く塗りつぶされた外装には赤い龍がとぐろを巻いていて、ところどころ剥げ掛かった部分も老舗の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。低価格で量は多く、提供時間は早いのに味が良い。それがこのお店の自慢だ。早い、安い、旨い、しかも多い! ということでどこかの牛丼屋よりもこっちのお店に来る人の方が多いような気がする。

 さて、私の仕事に話を戻そう。私は、人に見られることが仕事の一部であり、また、仕事そのものであると言っても過言ではない。スタイルの維持は当然のようにこなしているし、気分によって態度を変えるような真似もしない。疲れを微塵も感じさせずに作業をこなし、道行くお客さんにお店の存在を気付かせる。それが私の仕事だ。雨の日も風の日も、場合によっては台風の直前まで仕事をすることだってある。だけど、苦しくなんてない。辛くもない。これが、私の仕事なのだ。

 プライドもあるし、好きだからこそやれる仕事だ。だから、この身体が動かなくなるまではこの仕事を続けたいとも思っている。私は、意外と欲張りなのだ。

 三店舗分離れたところにある信号が、赤から青へと切り替わった。静止していた世界が動き出し、交差方向の道路は息を潜める。車道脇を走っていた自転車に、自動車の跳ねた泥水が襲い掛かった。男の子が年齢の割には可愛らしい悲鳴を上げて、だけど倒れることはなく、よたよたと走り去っていく。大丈夫だろうかと不安になり、お店の前に水たまりがないことに安堵し、そして通りすがりのサラリーマンに声をかけることも忘れない。

「こんにちは! 神戸中華飯店です!」

 私のあげた声に、三十代前半くらいの男性二人が顔をあげた。彼らはふたりとも傘をさしているけれど、私だって傘くらい欲しかったりするのだ。まぁ、必要ないのだけれど。

「おい、ここのラーメン屋はどうだ」

「ラーメンかぁ、ま、いいけど」

 小柄な男性が見上げたとき、私は人気のメニューを読み上げていた。店外にも掲示されているメニュー、本日のオススメランチ、そして隣にいたやや細身の男性へと視線を移し、最後は口元に笑みを浮かべた。

 細身の男性が、もう一人の男の言葉にやや過剰な反応を示した。

「なんだよ、文句あるのかよ。今日はもう取引先行かないんだし、何食ってもいいじゃんか」

「いや、ラーメンって高いじゃん。店で食うと。袋麺の方が安いじゃん」

「それがなんだよ! 俺はラーメンが好きなの!」

「奢ってくれならいいよ、うん」

「はぁ? テメーいい度胸しているな。いいぜこいよ、奢ってやるから」

 わいわいと騒ぎながら、ふたりがお店へと入っていった。

 ……まぁ、今回はあまり活躍した気がしないけれど、いつもこんな感じだ。私は人をお店へと誘導する係でもあり、お店の存在を知らせる係でもあり、売れ筋のメニューを読み上げてこのお店の特色を知らせる係でもあるのだ。

 このお店にお客が来る限り、私の存在意義は保たれる。

 降りしきる雨の中で、私は今日も仕事を続けていた。

 

***


 二年前、お店に女性がやってきた。よく晴れた日のことだった。

 すこし臆病そうな、それでいて快活そうな、不思議な人だった。長い髪を後ろで束ね、私もよく知る男性と一緒に神戸中華飯店へ訪れた。今日は休日なのに、と首を傾けたくなったことを覚えている。

 最初は、彼女のことをお客さんだと考えていた。その割には店内に長くとどまって居たり、店長の息子さんと親しげに会話をしていたりと、不思議なことも多かったけれど。そして彼女のことを観察しているうちに、私は店長の息子さんが結婚したことを知ったのだ。

 私がこのお店で働き始めてから、もう十年が経過している。いつ仕事を辞めてもおかしくはないのだけれど、それでも続けているのは彼、店長の息子さんがいたからだった。好き、というわけではない。ただ、まじめに仕事をこなしている彼をみていると落ち着くから、というだけの話だ。

 だから彼が結婚しても少しも悔しくはない。祝福の気持ちをどうにかして伝えたい、と思った程度だろうか。……まぁ、ちょっとは寂しくもあるけれど。

 思えばこの十年で、色々なことがあった。土砂降りの中で仕事を終えた後、汚れた身体を店長の息子さんに洗ってもらったこともあるし、私に最初の激励をくれたのも彼だった。私達の関係性意外でも、店舗にだって変化があった。メニューの品揃えが増えたり、税率の変化に伴って値上げを余儀なくされたりしたことだって、一度や二度のことではない。

 雑多な記憶の中には人に言えないものから見せびらかしたくなるようなものまで、実に色彩豊かな物語が存在している。もちろん、いいものばかりじゃない。お客さんが駐車場内で事故を起こしたこともあったし、店内で喧嘩が始まったこともある。沢山の思い出がこの場所には残されていて、いつかは私もその一部になるに違いない。

 そして、そんなことを考えてしまう時点で、私は古い存在なのだろう。

 そろそろ、引退の時期が訪れるのだろうか。その瞬間に、心の底からこの仕事を続けてきてよかったと思えるのだろうか。他の職に就くなんて考えもしなかった私に、考えることが出来なかった私に、いつか後悔が訪れたりしないだろうか。なんだか、怖くなってくる。

営業時間の終了した店内から、腕を組んだ若夫婦が出てきた。結婚して結構な月日が経つと言うのに、彼らの熱は未だ冷めることがない。提供後も三十分は舌を火傷するほど熱いと評判の麻婆豆腐にも負けないくらい、夫婦仲は良好らしい。いいなー、と遠巻きに眺めて。揺れる奥さんのポニーテールと、それが掻き回す夜の闇を見つめて。

 私は自分のことを考える。

 終わらなくてはならない未来を考える。

 輝きの失われた身体から、そっと目を逸らした。


***


 私は、昔と同じように仕事をこなし続けている。しかし彼女が来たことで、私の仕事はそれほど重要ではなくなったように思う。可愛くてきれいな店員さんがいれば、私なんていなくても自然とお店の評判は広まっていくものだから。

 店長の息子さんは新しい店長となり、結婚した彼女との間に子供も生まれた。はやいもので、彼らが結婚してからもう五年の月日が流れているのだ。お店は相変わらず繁盛しているし、一ヵ月ほど前にはテレビ局が取材に訪れていた。今月は、いつにもましてお客さんが多い。誰もがこの店の存在を知っている。私が誘導するまでもなく、お店の中へと吸い込まれるようにして消えていく。そして、満足げな顔をして外へ出てくるのだ。

 十年以上も経営が続いているラーメン屋なんてものは、立派な老舗なのだろう。新しく塗り直したり、建て替えたりはしていても、建物の外装はずいぶんと古びてきている。それでもお客さんが入るのは、きっと、私のおかげではない。

 私の身体にはガタが出始めている。声が時折出せなくなっていることもあるし、身体からは鈍い光しか発することが出来ない。だから、当然の結末を迎える。どのお店でも、そうするように。

 今日、私は取り換えられる。

 私の代わりを務めるために、私によく似た相手がやって来た。

 白い布を取り外すと、それは新品同様の輝きを放っていた。相手が何を考えているか、私には分からない。分からないけれど、別にいい。私は、満たされたい。存在意義を満たしてきた私が最後に求めるものは、存在していたことへのご褒美。私がしてきたことが、誰かの役に立っていたと言う事実の確認。たった、それだけのことだ。

 店の奥から、店長がやって来た。若く、新しい方の店長だ。彼がトラックに積みこまれる私をみて、昔を懐かしむように微笑んだ。そして、小さく呟いた。

「今までお疲れさま。ありがとう」

 その一言で、私は満たされた。白いカーテンで外の世界と隔てられても、恐怖は微塵も感じない。私は、やるべきことを最後までやり遂げたのだ。自分に与えられた仕事を、最後の瞬間までやり遂げたのだ。


 私は看板だった。

 神戸中華飯店の看板娘だった。

 今日まで仕事を続けられたことを、私は誇らしく思う。

 それが私、看板のお仕事なのだから。

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