健全なるオタクを倒すには

人生

プロローグ

 そして始まる物語




 物語の主人公のような人がいるとしたら、きっと彼のような人だろう――




 ――彼を笑えるはずがなかったのだ。


 歓声に包まれる客席の中で、桜木おうぎはるは孤独を感じていた。

 長めの前髪に瞳を隠し、存在感を殺すように背を丸めて座っている。


 遥は兄の通う高校の、その文化祭を訪れていた。講堂では劇が行われていて、客席には中学生の遥よりも背が高く大人びた高校生たちでいっぱいだ。見知った顔が一つもなく、笑い声をあげる彼ら彼女らの只中で、一人だけその空気に馴染めないことが孤独を感じる理由かもしれない。


 だって、笑えない。

 彼ら彼女らのようには。


 現在上演されている演目は、シェイクスピアの有名な悲劇をモチーフにしたオリジナル作品『路美夫ろみお樹里子じゅりこ』。タイトルから察せられる通り、舞台を現代日本に移したパロディだ。

 物語は原作をなぞりながらも悲劇ではなく少年漫画風ラブコメ路線で進んでおり、登場人物たちはみんな現代的で、観客にも受け入れやすいキャラクターをしている。

 しかし一方、主人公の路美夫はどこまでも原作に忠実な真面目人間。それがどこまでもふざけている他の登場人物とかみ合わず、まるで登場する劇を間違えたかのような路美夫の滑稽さが観客の笑いを誘っているのだ。


 実際、遥も面白いとは思う。

 原作を知らなくても真面目に徹する路美夫と周囲のやりとりは面白いし、誰もが聞いたことのある名台詞がここぞとばかりに飛び出して迷台詞と化す。台詞回しも演者の演技も、全てがかみ合わないようで完璧にかみ合って、客席の笑い声は止むことを知らない。


 遥も笑っていただろう。

 この劇の趣旨が、主役である路美夫を笑うものでなければ。


「……っ」


 ずきずきと胸が痛む。耳を塞いで、そのまま蹲って消えてしまいたかった。


 どうしてわたしはこんなところにいるのだろう。

 何度となくそんな自問を繰り返した。


 元はといえば、この学校に通う兄から頼まれたのだ。

 部の後輩が劇に出ることになったはいいが、観客がいないと可哀想だから、と。

 要するに、遥はさくらを頼まれた訳だが――近頃、傍目にも元気のなかった遥を気遣って、気分転換のために誘い出してくれたのだろう。そんな兄の気持ちを無下にすることも出来ず、気乗りしなかったものの、今日こうしてこの場所を訪れた。

 なのに。


(満席なんですけど……)


 どうやらリピーターやら口コミによって噂が広がり当初の予想を大きく上回っているらしく、兄からもらったチケットがなければ入場すら出来ない有様だった。これでは、客がいないらしいから仕方なく、という口実が成り立たない。兄の厚意に甘えたようで、なんだか気恥ずかしい。


 なんかもう、何もかも嫌になる。

 鬱々としていると、頭をよぎるのはつらい記憶ばかりだ。

 クラスで目立ち過ぎて、一部の生徒に目を付けられたこと。彼女たちによる嫌がらせの数々。空回り失敗し、向けられてきた嘲笑……。


 ――それらが舞台上の彼に重なる。


 まるで自分を見ているようで、素直に劇を楽しむことが出来なかった。


 だけど――


「…………」


 笑われながらも……そうするほどに周りとかみ合わず、舞台の上で浮いていくことになっても、彼は懸命に、自分を貫いていた。


 笑いながら。

 誰よりも楽しそうに。


 そんな彼の存在が物語を動かしていく。

 彼の演技が周りを引き立たせ、周りの演技が彼を際立たせる。

 彼がいるからこそ、この舞台は成立するのだ。


 ……どきどきと、胸が高鳴る。

 気付けば遥は、彼に、その劇に見入っていた。

 魅入られていた。


 一人だけど、独りじゃない。

 かみ合わないからこそ、絶妙にかみ合っている。

 止むことのない笑い声は最高の賛辞だ。

 彼は今、この舞台上で最高に輝いている――



「すごいなぁ……」



 万雷の拍手が講堂を満たしていく。

 知らずこぼれた感想おもい、遥も気付けば笑っていた。

 泣いちゃうくらいに。


 いつか――


「わたしも……」


 こんな風に――




               ***




 そして、遥は高校生になった。


 進学先に選んだのは兄も通っていたところで、あの劇が演じられた学校だ。


 自分を変えよう。そのための第一歩に特定の部活に入ってみよう。

 そう思い遥が選んだのは、兄に勧められた『映像研究部』。よく知らないが、それなりに実績のある部らしい。

 正直、部活ならどこでも良かった。それがきっかけになれば、どこでも。

 あまり期待はしていなかった。高望みはしないつもりでいた。


 だけど、その場所で遥を待っていたのは――思いがけない〝再会〟で。


 忘れられない物語が、幕を開ける。



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