第2話


 あの男は修羅だ。桐生イリヤは上空を猛々しく飛び回り、次々堕としていく三笠武吉を見てそう思った。これは二度目の出撃だ。機銃の弾丸を補充するために一度舞い戻ってきたのだが、その様子は酷く恐ろしかった。興奮しきって散瞳し、過酷な空中戦で疲弊しきっているはずなのにやたらと出撃したがった。もう少し速くならないか、空いている機はないのかと急かし、僅かも休息を取ろうとしない武吉を取り押さえ、宥めたのはイリヤだった。抱き竦め、獰猛な獣をあやすように背中を叩けば少しは落ち着いたが、補給と整備が終わるやいなや滑り込むように搭乗して出て行ってしまった。


 修羅、猛獣、戦闘狂い。命を削り取るような武吉の戦いぶりを初めて目の当たりにするらしい整備兵や軍医たちは、恐れおののき口々に言う。数時間前までは人畜無害で穏やかそうな顔をしていた彼の変わり様に驚いているのだろうが、予科練にいた頃からそうだった。普段は明るく優しげな顔をしているのに、飛行機に乗れば人格が変わったかのように猛々しいのだ、彼は。


 朗らかで人当たりが良く楽天的で、文武両道な優等生。これが人から聞く彼の印象だったが、イリヤはそう思ったことがない。目が暗い。人間不信。捻くれ者。これがイリヤの思う武吉だった。


 三笠武吉は目立つ。一番の原因は血縁だ。彼の兄である三笠兼吉は「この社会には自由が欠落している」「今の国家の方針は本当に正しいのか」と謳って憚らず、思想犯だと言われていたからだった。その弟である武吉が目をつけられないはずもなく、喧嘩を売られることも兄をネタにして誰かに誂われることも少なくない。その度にへらへら笑って受け流していたが、出撃前と同じように奥歯を噛み締めて耐えていたのを知っている。周りは皆、愚兄の存在に苦しめられて可哀想だと思いこんでいたが、それはきっと違うのだと思う。欠けるほど強く噛み締めながら睨んでいたのは、悪意を持って近寄ってきた奴らだった……。


 あのときの目と、キャノピーを閉め切った後の目はよく似ている。必ず仕留めるという意識を持った禍々しい目。こちらが本性で、人当たりの良い優等生は作り物に決まっている。イリヤはそう高を括っていた。


――もしかしたらこの男も、三笠兼吉同様の思想を持っているのかもしれない。俺の理想そのものの、抑圧からの解放を望む思想を……。そう勝手に期待したイリヤは何度も真偽を確かめようとしたが、彼の周りには良くも悪くも人がいるからできなかった。内容も内容だし、一対一の時でないと……というのは言い訳で、他の奴らと同じように『異色の混血児だから』と蔑視され、突っ撥ねられる可能性が怖かっただけだ。

 でも今は違う。この金色を間近に見ても、彼の目から敵意も侮蔑も憎悪も感じ取れなかった。目が合っては逸し合う関係は止めにして、今度こそきちんと話そう。その結果に突っ撥ねられたら、それはそれで仕方がない。


「……必ず帰れよ」


 イリヤは慌ただしく負傷兵の手当をしながら小さく呟いた。発艦時の帽振れはしなかった。必ず生きて帰れと言っておきながら別れの挨拶をするなんて馬鹿馬鹿しいし、そんなことをしても多分、あの男には見えていない。仕留めるべき獲物しか認識していないような、そんな目をしていた。


 甲板を忙しなく駆けながら横目に見た空は、相変わらず荒れ狂っている。その中でも一際目立つのは三笠機だった。重力の影響などまるで無視した急降下や急上昇も、錐揉み寸前になるほど機体を捻りながら高速で駆ける様も異彩を放っており、畏怖の念を感じている。が、あのままでは撃墜されなくとも機が空中分解する可能性も、重力に体が負けて推し潰れてしまう可能性も否めない。外野がどうこう言うことではないと分かっていたが、肝を冷やさずにはいられなかった。


――己の躰も顧みない無茶な飛行で死ぬなんてやめてくれよ――。血の滲みはじめた脇腹を抱えて砲撃を遣り過ごしながら、イリヤは武吉が無事に生き残ることを願い、祈った。




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