夢幻廻転神社

ナカタサキ

夢幻廻転神社の夏祭り

 とても暑い、カンカン照りの今にも干からびそうな暑い夏の日、私は一枚の張り紙を見つけた。

「――夢幻廻転神社むげんかいてんじんじゃ、納涼祭……?」

 知らない神社の名前だ。でも知らないのは、ここは私の住んでいる街ではないからだ。

 私は今、祖母の住んでいる有限町に来ている。幼い頃に一度だけ来たことがあるだけの知らない街だ。

「……明日の夜にお祭りがあるんだ。いいな、行ってみたいな……」

 でも、ママは出かけることを許してくれないだろう。

 その時、ポシェットの中のスマートフォンが鳴った。ママからのメッセージだ。


『ママ:どこにいっているの? 早く帰ってきなさい』

陽菜ひな:ごめんなさい、すぐ帰るね』

 

 ため息を吐きながらもすぐ返信する。本当は帰りたくないのだけど、よそ者の私はこの街では祖母の家以外に居場所がないから、仕方がない。……それにさっきコンビニで買った飲み物と新品の消しゴムが入っているレジ袋が腕に食い込んで痛くなってきたし、この暑い日差しの中をあてもなく歩くのは疲れてきた。

 私は観念して帰路につく。

 祖父の和彦かずひこお爺ちゃんが骨折をして入院したので、夏休みをママと有限町にある祖父母の家で過ごすことになった。

 でも私が帰るのが憂鬱なのは、認知症の万智子まちこお婆ちゃんが原因だ。

 ずっと和彦お爺ちゃんがひとりで万智子お婆ちゃんの介護をしていたらしい。らしい、って言うのは、私は子どもだから全部説明されていないから詳しくは分からないのだ。

 それでずっと老々介護状態だったのは、ひとり娘だったママと万智子お婆ちゃんと折り合いが悪かったせいもあるらしい。

 少し、おかしいとは思っていた。

 生まれてから一度だけしか、祖父母には会ったことがなかったことを。お盆もお正月も父方の祖父母と過ごしていて、ママが有限町の家に連絡するところも見たことがなかった。


 一昨日、ママは荷物をまとめるように私に言った。

「どうして? どこかにいくの?」

 私が聞くとママは一瞬だけ、顔を顰めた。

「有限町に行くのよ」

「……どうして?」

 ママは少し焦ったように、私に経緯を話した。

 和彦お爺ちゃんが骨折で入院したこと、万智子お婆ちゃんが、にんちしょうを患っていること。ママがお婆ちゃんの介護をしに行かないといけないこと。

「――ママ、にんちしょうって何?」

 ママは考えながら、ゆっくり話してくれた。

「認知症っていうのは、脳が段々壊れていって、色んなことを忘れちゃう病気なの。それで怒りっぽくなったり、すぐ迷子になっちゃったり、ひとりで何もできなくなっちゃうの」

 ゆっくり話してくれたけど、いまいち分からなかった。けれど、普段と違って緊張しているママを見て、すごく大変なことが起きているのを感じた。

「分かった、何日分くらい荷物をまとめればいい?」

 私が聞くとママは少し考えて言った。

「……洗濯ができるから、四日分くらいあれば安心ね」

「うん。どれくらい有限町に居るの?」

「……お盆明け、それ以上かも。長くいるから、宿題を忘れないようにね」

 それから私は、友達と遊ぶ予定をキャンセルする連絡をしなければならなかった。

 家族が非常事態だって伝えたらみんな納得してくれたからよかったけど、私は夏休みのほとんどを有限町で過ごすことが決まってしまった。

 家族が非常事態だと言っても、知り合いも友達もいないこの有限町で夏休みを過ごさなくてはいけなくなった時はガッカリしてしまった。

 本当はこんなことを思ってはいけなくて、とても不謹慎なことだと分かっているけれど、私はこんなに最悪な夏休みは生まれて初めてだ。


「陽菜、大きくなったな~」

 物心ついてから初めて会った和彦お爺ちゃんは、私に会えて嬉しそうだったけど、申し訳なさそうに私とママを見た。

「……こんにちは」

 何を話せばいいか分からなくて、緊張しながら挨拶をした。それから私は和彦お爺ちゃんとあまり話はしないで、ママと和彦お爺ちゃんがしている話を黙って聞いていた。

 それから病院を出て、有限町の家に向かった。

「あんたたち、何しに来たのよ」

 家についた途端に、大きな声が聞こえた。驚いてママを見たら、ママは息を飲んで家に入っていく。私もママに着いていった。

 初めてあった万智子お婆ちゃんは怖かった。ママが私を孫だと紹介してくれたけど、上の空でほとんど聞いていないようだ。ママに後から、急に知らない人が家に入ってきて万智子お婆ちゃんは驚いてしまったのだと。

 万智子お婆ちゃんにとって知らない人というのは、私のことだ。

 ママはきっと悪意があったわけじゃないけど、家族に、万智子お婆ちゃんに知らない人だと思われるのはとても悲しかった。

 有限町で私とママの暮らしは今までと大きく変わった。

 万智子お婆ちゃんは、身体はとても元気だからひとりで身の回りのことは出来る。でもすぐにいろいろ忘れてしまうからひとりで生活はできない。

 私は毎朝、万智子お婆ちゃんに自己紹介をする。

「おはよう、万智子お婆ちゃん。孫の陽菜だよ」

 そう言うと「よく来たね、大きくなったね」と嬉しそうにしてくれる日もあれば、「お前は誰だ! 私には孫なんていないよ」と言われる日もある。

 自分の娘であるママのことはまだ憶えているみたいだけど、私のことは憶えていない時の方が多かった。

 ママは万智子お婆ちゃんと仲が悪いから、ケンカをする時も多かった。私の役目は、ママがいない時に万智子お婆ちゃんとお留守番をすること。(どこか徘徊しないように、同じ部屋で見張っていてほしいと頼まれた)

 私は毎日を家で万智子お婆ちゃんと過ごすことが多くて、たまに怒り出したり笑ったり、訳の分からないことを話したりするお婆ちゃんと過ごすのに少し疲れてきたのかもしれない。

 仕方ないことだと言えど、お婆ちゃんに知らない人扱いされる日々は心苦しかった。

 だから少しぐらい、息抜きをしてもいいよね。

 私はずっと何かを喋っている隣で宿題をしながら、頭の中で自分自身を肯定した。 

 

 その日の夜がやってきた。

 夜の八時過ぎに、ママに何も言わずにそっと家を抜け出した。

 ポスターの写真をスマートフォンで撮っといたから夢幻廻転神社までは迷うことなく着くことができた。

『陽菜:ママごめんなさい。ちょっと夢幻廻転神社のお祭りに出かけてきます』

 一応ママに連絡を入れる。

 慣れない介護をしているママには申し訳ないけれど窮屈で退屈で寂しくて、今お祭りに行かないと死にそうだったのだ。


 夢幻廻転神社は、細い道を何本か進んだ先にあった。迷うかと思ったけれど、浴衣姿の人たちの後を着いていけば問題なかった。

 色鮮やかな浴衣を照らす街灯を辿って有限町を歩くのは楽しかった。知らない街を夜にひとりきりで歩くのはとてもドキドキすることを初めて知った。

 十分位歩くと、夢幻廻転神社に着いた。

 鳥居を抜けると、赤い提灯が連なって神社全体が暖かい光に包まれている。

 石段を一歩一歩踏み進む。

 沢山の屋台が並ぶ参道をドキドキしながら歩いた。

 たこ焼き、焼きそば、わたあめにりんご飴。美味しそうな屋台が並んでいて、夕食を食べたのにお腹が鳴る。

 

 そこで私は不思議なものを見た。

 石像の狛犬が台座の上で、多分屋台で買った何かを食べているのだ。私は驚いて狛犬を見つめていると、狛犬は食べるのをやめて私を見た。

「おお。人の子がくるのは珍しい。私に何か用か」

「あの、じっと見てごめんなさい」 

 私は慌てて謝った。石像の狛犬が喋るし、ましては何かを食べるなんて初めて見た。

「いや、わしは気にせんよ。今宵は祭りだ。人の子も楽しむとよい」

「ありがとうございます、あの、何を食べているんですか?」

 未知との遭遇を経験すると、気の利いたことは言えないみたい。でも狛犬と喋れる機会なんて滅多にないことだから、私は言葉を紡ぐことに必死だった。

「これか? これは大判焼きだ。今年からクリームチーズ味となるものを出したようでな……わしは珍しいものに目がないんじゃ」

 狛犬は照れくさそうに笑った。そして大判焼きをどんどん平らげていく姿が何だか可愛いらしかった。

「……そうじゃ人の子よ。盆踊りには加わるでないぞ。人の子は一度入ると帰ってこられなくなるからな」

 思い出したかのように言うと、狛犬は人混みへ消えていった。

「……帰ってこられなくなる?」

 その時、風が吹いて神社の木々や提灯を揺らした。遠くから人の笑い声や、気味の悪い声が響く。少し怖かったけど、帰ろうとは思わなかった。

 初めて見る光景に好奇心が勝っていたのだ。

 狛犬が食べていた大判焼きを食べたくなって、屋台を探すことにした。

 ママは甘いものが好きだ。……万智子お婆ちゃんは好きか分からないけど、お土産があると嬉しいよね。

 参道をよく見たら、しっぽの生えている人間やとても身体の大きい人や、頭に角が生えている人もいた。もしかしたら、妖怪や化け物と呼ばれるものが潜んでいるのかもしれない。

「――食べられたらどうしよう」

 人間焼き、の屋台とか見つけたらどうしよう……少し不安になった。

 

「ねぇ、あんた誰? 見ない顔ね、どこからきたの?」

 突然目の前の女の子の話かけられた。紺地に朝顔の浴衣を着ている、尻尾も角もない同い年くらいの女の子だ。

「――東京よ。お婆ちゃんの介護のためにママと来たの」

「東京⁈」

 女の子は目を輝かせた。

「すごい、都会から来たのね。羨ましいわ。私は万智子って言うの。あんたは?」

「――陽菜よ」

「可愛い名前ね、素敵だわ。よろしくね」

 偶然にも、お婆ちゃんと同じ名前の子と友達になれた。

 ――偶然にしては出来すぎているけど。

「私ね、友達と来たのだけどはぐれちゃって。陽菜はひとりできたの?」

「うん、そうなの。ママには内緒で来ちゃった」

 そう言うと万智子はにんまり笑った。

「なかなかやるじゃない、大人しそうな顔しているけど意外と勇気あるのね」

 万智子にそう言われて私も笑った。久しぶりに笑った気がした。

 万智子は姉御肌で、私より二つ年上だった。

「陽菜は四年生なのね。でもすごくしっかりしているわ。都会の子はみんなこうなのかしら」

 万智子に褒められて悪い気はしなかった。姉御肌で優しくて、頼りになる友達だ。

 参道を歩いていると、大判焼きの屋台をみつけた。

「あっ、大判焼き!」

「買う?」

「うん! ママとお婆ちゃんのお土産にするの」

「へー、いいわね。私も買おうかな」

 あんことカスタードと、さっき狛犬が言っていたクリームチーズ。迷ったけど、クリームチーズを三つ買うことにした。

「……くりーむちーずって何?」

「万智子知らないの? とっても美味しいってさっき狛犬が言っていたの!」

「――狛犬は喋らないわよ! 陽菜は面白い子ね」

 一瞬キョトンとしたが、すぐ万智子はケラケラ笑った。

「……本当に言っていたのよ」

 私も信じられないけれど、本当にあったことだ。

「笑ってごめんね。でも前に聞いたことがあるの。夢幻廻転神社の夢幻様に気に入られた子どもだけに、不思議な出会いがあるって! 陽菜はもしかして夢幻様に気に入られたのかもね」

「そうかな」

「きっとそうよ! だって陽菜は嘘をつく人に見えないもの」

「……ありがとう」

 それから私たちは神社の端っこの石段に座って、大判焼きを半分交換して食べた。

 万智子はクリームチーズが挟んである大判焼きを初めて食べたみたいで、美味しさに驚いていた。

「都会にはこんなものがあるのね、いつか行ってみたいものだわ」

「来てよ! 万智子のこと私が案内する。一緒にもっと遊びたい!」

 少し大きな声で言った私に、万智子は驚いて瞬きをした。

「もちろん、私も陽菜ともっと遊びたい! 約束する。絶対一緒に東京へ行きましょう!」

 私と万智子は指切りをした。

 嬉しかった。有限町に友達が出来た。年上で頼りになる優しい友達。万智子ともっと遊びたいし。もっと沢山話したい。

 その時また風が吹いた。木々の葉の擦れる音とカラスの鳴き声が聞こえた。

「ねぇ、ちょっと不気味な風ね……あれ、万智子?」

 さっきまで隣にいた万智子が、消えてしまった。


「万智子、万智子―!」

 万智子を探して参道を駆ける。どうして、どこに行ってしまったの? 約束したのに。もっと遊びたい。見つけられなかったら、もう二度と会えないの?

 探し回っているうちに、本殿の前に着いた。本殿の周りには、やぐらが組まれていて周りには太鼓や歌に合わせて踊っている人々がいた。

 ……盆踊りだ。狛犬に言われたことが頭をよぎる。

 盆踊りに加わると、二度と帰ってこられない……一瞬、嫌な想像をした。

 もしかしたら、万智子は盆踊りに加わってしまったのかもしれない……そうしたら、万智子は帰ってこられなくなってしまう!

 その時、盆踊りの列の中に万智子を見つけた。後ろには男の子がいる、あの子がはぐれた友達なのかも。

「万智子、だめ、そこから離れて!」

 万智子は楽しそうに男の子と盆踊りを踊っている。私の声は全く届いてないようだ。

「万智子、ねぇ、こっち向いてよ」

 声が届かなくて泣いてしまいそうだった。

 手を伸ばしても気づいてもらえない。

 どうしよう、こうなったら……

 私は盆踊りの列に割り込もうとした、でもその時……



 誰かに腕を引かれた。

 振り返るとそこに、万智子お婆ちゃんがいた。

 万智子お婆ちゃんが私の腕を引いていた。


「お姉ちゃん、こんなとこで何しているの?」

「えっ……」


 周りを見渡すと、何もなくなっていた。

 目の前にあったやぐらも屋台もない、何の変哲もないただの神社の中にいた。あんなに沢山いた人々もいなかった。

「もう、お祭りは終わりだよ。一緒に帰ろう」

「……うん」


 私は万智子お婆ちゃんと手を繋いで帰った。とてもゆっくり夜道を歩く。

 さっきまでのは何だったのだろう、一度だけ振り返ると、そこにはとても静かな夢幻廻転神社があるだけだった。

 けれど、さっき買った大判焼きは私の片方の手にしっかりある。

 万智子はどうしているのだろう、その時突然、お婆ちゃんが喋り出した。

「……わたしね、昔、ここのお祭りで友達が出来たのよ」

「友達?」

 私が聞き返すと、お婆ちゃんはにんまり笑った。

「東京からきた女の子よ、お祭りではぐれてそれっきり会えなくなっちゃたけどね、一緒に東京で遊ぶ約束をしたの」

「……うん、それで?」

 私は涙がこぼれてきた。

「それっきり、その子には会えないけど、今でも友達だと思っているのよ」

「うん、ありがとう……」

「お姉ちゃん、どうしたの? お腹空いたの?」

「……うん、早く帰って一緒に大判焼き食べようね、万智子」

 万智子お婆ちゃんは私が孫の陽菜だということは分かっていないけれど、それでいいと思った。

 きっとこれから万智子お婆ちゃんはこの夜のことを忘れてしまうかもしれない。けれど万智子お婆ちゃんは今までずっと、この夜のことを憶えていてくれた。今それが、とてもうれしかった、

 だから今度は私が憶えている番だ。

 私はこの不思議な夜のことを、ずっと忘れない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢幻廻転神社 ナカタサキ @0nakata_saki0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ