オオカミさんはラブレターが読めない。
篁 あれん
episodeー1
カットサロン【リュエール・デ・ゼトワール】の店長
「……どうぞ」
辛うじて笑顔でそう答えた。
その彼がいつも雑誌を読むか、寝ているか、どっちかだったからだ。
来る時はいつも寝起き同然のお世辞にもお洒落とは言い難い部屋着かと思う様な格好で、セットもしてない髪に寝癖を付けて、黒縁のメガネを掛けて来る。
見てはいけないと思いつつ、何を見ているのか妙に気になってスマホの画面に視線が行きそうになる。
カットした後流して、ドライヤーでセットしている間もずっと画面を見続けている大神は、聞えるかどうか分からない程度の声で「わかんねぇな」と呟いた。
「何、見てるのか聞いても良いですか?」
つい、気になって聞いてしまった。
「あ……何か、暗号? みたいなヤツ貰って……」
「暗号?」
「職場の部下なんですけど、解けば分かるって言われたんです」
部下、と言う言葉に若く見えるだけで、そうでもないのか? なんて邪推する。
「へぇ……何かミステリーみたいで面白そうですね」
「俺、こう言うの全然分からないんで、もうかれこれ一週間は考えてるんですけど……」
「見ても良い?」
「あ、はい。どうぞ」
彼の肩越しにスマホを覗き込む。
洗いたての彼の髪は沖野自慢の新しく出たボタニカルシャンプーの香りで、来た時は薄汚れた浪人生みたいだった彼が、逆ナンされてもおかしくないイケメンになっている。
沖野はわざと顔を寄せる様にしてスマホを見遣った。
――
大神のスマホの画面には本当に意味の分からない文字が羅列してあった。
「ぜんっぜん分からないね……」
「デスヨネ……」
「でも、見ちゃうと答えが知りたくなっちゃうね。ちょっと待ってて」
沖野はカウンターからメモ紙を持って来てその暗号を書き取る。
「俺も考えてみる。大神さん、また一か月後には来てくれるでしょ? そん時に答え合わせしましょうよ」
「良いんですか? こんな、下らない遊びに付き合って貰って……」
「勿論! って言うか、大神さんあんまり話すの得意じゃないと思って話し掛けるの控えてたから、今日は沢山話せて嬉しいよ」
「あ、すいません……。俺、休みの日はスイッチ切れてるって言うか……」
「良いですよ、気にしないで。休みの日まで気を遣ってたら、休みにならないし」
「でも俺、沖野さん上手だから余所行った事はないです……よ……」
決して社交辞令でお世辞を言うタイプには見えない。
声のトーンは変わらないのに、耳まで真っ赤になってそんな事を言う大神に、三十三になる沖野は萌えた。
いつもぶっきら棒で可愛げないと思っていた大神が、こんな恥じらう様な素振りを見せるとは思っても無かった。
店のスタッフの間ではオオカミさんと
「大神さん、もし次の予約より前に解けちゃったらコレ、ここに俺のプライベートな連絡先書いてあるから、電話して。あ、電話しにくかったらメールでも良いよ」
持って来たメモ紙に携帯の番号とメールのアドレスを書き殴って渡す。
沖野も店のクライアントにプライベートな連絡先を教えるのは初めてだったが、沖野にはそうしてでも大神と仲良くなりたい理由があった。
「え、良いんですか……?」
「うん。普通は教えないけど、大神さん信用出来そうだし、それに答え知りたいし」
半分は嘘だ。
ちょっと仲良くなりたいと言う沖野の私欲が半分混ざっている。
「俺、沖野さん凄くカッコイイからずっと憧れてて、めっちゃ嬉しいです……」
危うく、可愛いと呟く所だった。
「沖野……下の名前、何て読むんですか?」
「あぁ、
ゲイである事を皮肉られた様なこの名前が沖野はずっと好きにはなれない。
好きでこんな嗜好な訳でも無いが、沖野は特別それを悲観しているわけでも無かった。
「へぇ……カッコイイ」
「そお? 女の子みたいじゃない? それに大神さんの名前の方が、
「完全に名前負けしてますけどね。俺、大学とかも行ってないし……」
「そんなの、俺も行ってないし、その歳で部下がいるだけ凄いと思うけど?」
「そんな事ないです……。俺、見た目若いだけで、もう三十路前なんで」
それには沖野も驚いた。
大学出て直ぐ位だと思っていたのに、三十路前だと言われてマジマジと顔を見る。
大神が帰った後、沖野はクライアントカードに明記された生年月日を見て、大神が二十八だと言う事を知る。
「二十八にはみえねぇなぁ……」
沖野は書き写した暗号をヒラヒラと眼前に翳しながらそう一人零した。
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