ビーン博士の世界征服
荒城 醍醐
ビーン博士の不思議な島
異国の港に夕闇がせまっていました。
港に今停まっている船の中で、いちばん大きな貨物船が横付けしているあたりには、今日中に積み込む予定の荷物がたくさん置かれています。大きなコンテナや木箱や麻袋の山が並んでいます。
その荷物の合間を、手をつないで走るふたりの子ども。ふたりの名はアスムとサユ。
「四十五、四十六、四十七・・・」
異国の少年が数を数える声が聞こえてきます。
おじいさんの仕事についてきたアスムとサユは、おじいさんが港のビルでお仕事のお話をしている間に、この港で遊んでいた子どもと友達になって、いっしょにかくれんぼをしていました。百まで数える間に、隠れる場所を探して走るふたり。アスムは小学五年生にしては、背が低いのを気にしていたけれど、走る速さではクラス一番の自信がありました。でも今は、小学校に入ったばかりの妹のサユの手を引いていたので、あまり早く走れないのです。
木箱の陰ではすぐにみつかってしまいそう。と、サユが後ろを指差しました。
「おにいちゃん、あそこ」
それはおイモが入った麻袋の山。ビニールシートと網でつつまれているけれど、隙間からシートの中へ入れそうです。
もぐり込んでみると、ちょうどふたりが丸まって隠れられるくらいの隙間でした。
「ここならみつからないよね?」
「シーッ。サユ、静かに」
ふたりは息を潜めます。
「七十七、七十八・・・」
異国の少年がこの国の言葉で数え続けているのが聞こえてきます。なんだか念仏を唱えているみたいに聞こえてきて、ふたりは眠くなってきました。この国はふたりのおうちがある日本とは時差があって、飛行機で今日やってきたばかりのふたりにとっては、今はもう夜なのです。おうちにいたらそろそろ着替えてふとんに入る時間です。
サユが寝息を立て始めました。やがてアスムも。
「九十九、ひゃぁく。よーし、捜すよ!」
荷物の山の間をあちこち覗き込みながら少年が捜すのですが、なかなかみつかりません。それでも異国の少年は、20分くらい辛抱強く捜し続けていました。
やがて、作業用ヘルメットを被った大人の人がいっぱいやってきました。貨物船は、今夜の出港なので、荷物の積み込みが始まったのです。かくれんぼ鬼の少年は、大人の人に追いやられてしまいます。少年はアスムとサユに、もう、まいったするから出ておいで、と呼びかけましたが返事はありません。
外国から来た子どもたちは、少年を置いてどこかへ行ってしまったのでしょうか。少年は夕日が沈んでしまうまで、貨物船にクレーンで積み込まれていく荷物を見送っていました。そのなかには、シートごと吊り上げられたおイモの袋もありましたが、外から見ても、子どもが隠れられるような隙間があるようには見えません。
「アスム! サユ! どこにいる?」
お仕事のお話が終わったおじいさんもふたりを捜していました。背広を着た大人も数人、いっしょに捜していました。おじいさんはあたりで積み込み作業をしている人たちにも訊いてみました。ヘルメット姿の人のひとりが、クレーンで運ばれる積荷を見上げている少年を指さしました。おじいさんが近づくと、少年は、
「アスムとサユは、ぼくをおいて、港の外へ行ってしまったんだよ!」
と言って走っていってしまいました。それで、おじいさんと背広姿の人たちも、港の外へ捜しに行ってしまいました。
夜の海へ、貨物船は出港しました。港の街明かりが遠くなっていきます。
航海が順調だったのは最初のうちだけでした。陸の明かりが見えなくなってしばらくすると海が荒れはじめました。でも甲板の上のシートの中のふたりは、すやすやと眠っています。船は波のうねりでおおきく揺れていましたが、ふたりは気持ちよく眠っていました。
やがて、雨と風が船を襲います。遠くで雷が鳴っています。海と雨雲の間に、龍のような稲妻がいく筋も立ちます。その龍の姿は、ずっと遠くに群れていましたが、急に一匹が群から離れ、貨物船に近寄って立ったかと思うと、
ガラガラ、ビシャーン!
貨物船の甲板を直撃しました!
船倉に積みきれずに甲板に置いた荷物を固定していたワイヤーがはじけとびました。船が大波で傾き、甲板の上の荷物がすーっと右舷にすべっていき、ぼろぼろっといくつか海に落ちてしまいました。おイモの袋もシートごと海に落ちてしまいました。落ちた荷物を拾おうとする船員さんはいません。貨物船はそれどころではありませんでした。雷で火事が起きていたのです。
アスムとサユを乗せたおイモの袋は、みるみる船から遠ざかってしまいます。こんなにたいへんなことが起きているのに、アスムとサユはすやすや眠ったままです。よっぽど疲れていたんですね。
翌日になりました。
照りつける太陽に抜けるような青い空、白く輝く砂浜。静かに寄せる波に運ばれて、おイモが流れつきました。とっても暑い南の島のお昼前、シートの中もすごい暑さ。アスムが、「う~ん・・・」目を擦りながら起き上がろうとするとシートにジャマされ起きられません。
「あれ?」
シートの隙間から出てみると、見たこともない場所です。砂浜のむこうはジャングルのような密林。その向こうには緑に覆われた山がそびえています。
「おにいちゃん、ここどこ?」
サユもシートから出てきました。
「わかんないよ」
アスムはなぜ自分たちが異国の港にいないのか見当もつきません。
「おじいちゃん、どこかな?」
「それもわかんない」
ふたりは黙り込んでしまいました。でも、泣き出したりはしません。「なるようになるものさ」って、いつもおじいちゃんに言われていたから、ふたりも、なにか困ったことにあっても、そう思うようにしているんです。
「あっちの方へいってみよう。だれかいるかもしれないし。なるようになるさ」
アスムはサユの手を引いて、砂浜に沿って歩き始めました。ジャングルに入ると遠くは見渡せなくなるので、とりあえず人を探すには、浜辺がよさそうだったのです。
歩いている途中も、サユはあたりの様子がおもしろくてキョロキョロ見回しています。足元をカニが歩いて横切ったり、ジャングルで鳥が飛び立ったり。見回していて、うしろを振り向いたとき、なにかに気が付きました。サユが立ち止まります。手をつないでいるアスムも引っ張られて止まります。
「おにいちゃん、へんだよ」
「え?」
「足跡が消えてる」
100メートルくらい先に、シートを被ったおイモの袋があります。そこからまっすぐ歩いてきて、波がかからないところを歩いていたので、足跡は残ってるはずです。でも、ふたりの足跡は4、5歩前あたりでうっすらと消えてしまっています。
いえ、今消えてるところです。
ふたりはしゃがみこんで、自分たちの一歩前の足跡をじっと観察しました。
足跡は、1ミリくらいの小さな白い砂粒の集まりの砂浜についています。その、へこんだところで、まるで虫が起き上がるように、砂粒がむっくり立ち上がります。足があるわけではありません。倒れていた砂が縦になって立ったのです。すべての砂粒が動いたわけではありません。ひとつの足跡の中で百個くらいの砂粒が動き始めました。
しかも、耳をすませると、なにかしゃべってるようです。とっても小さくて早口で、ふたりの知らない言葉だけど、おたがいにあっちを向いたりこっちを向いたりして相談していたかと思うと、せっせと、動かない普通の砂粒を運んで、穴を埋め始めました。
そのうち、ふたりがじっと自分たちを見ていることに一粒が気が付きました。なにかまたその一粒がしゃべります。どうやら仲間に警告したようです。「見られてるぞ!」って。するとその足跡の中の動いていた砂粒は、みんないっせいに倒れて動かなくなってしまいました。
「おにいちゃん、虫かなあ?」
アスムは、警告を叫んだ砂粒を指で拾い上げました。
「うーん、砂だよ。足もないし羽もない」
人差し指にのせてしばらくじっとふたりで観察します。やがて、あたりの様子を窺うように、砂粒はちょっと起きかけましたが、指の上で観察されてるとわかって、すぐにまた動かなくなります。
動かなくなった砂粒を、じーっとふたりが見ています。そんなふたりの100メートルむこうでは、おイモの袋がジャングルにむかってゆっくり動きはじめていました。指の上の砂粒を観察しているふたりは気が付きませんが、音もなくおイモの袋が動いていきます。無数の砂粒に運ばれているのです。移動したあとの引きずった跡も砂粒たちが埋めて隠していきます。
そういえば、この砂浜ではほかにも、遠くの町から流れ着いたペットボトルや発泡スチロールのかけらといったゴミが、ジャングルに向って動いていきます。
「見てると動かないんだな」
アスムは立ち上がって、指の上の砂粒をズボンのポケットに入れ、サユの手を引き、再び歩き始めました。
「やっぱりだれかを探していろいろ訊いてみようよ」
「うん」
ふたりが砂浜を歩いていると、ずっと先に傾いた船が見えてきました。
「いってみよう」
走って近づいてみると、それは、浜に打ち上げられた古い貨物船だとわかりました。傾いているし、ぽっかり大きな穴があいています。ちょうど波打ち際にあるその廃船は、錆びていて、人なんか乗っていそうにありません。
でも、浜にはほかに人が住んでいそうな気配はありませんでしたから、ふたりはその廃船に入ってみることにしました。大きな穴は船尾と船首の両方にあいています。中を覗くと、船の底には膝くらいの深さの海水が溜まっています。中はがらんどうで、部屋を仕切る壁もありません。機械類もずっと昔に取り外されているようです。木箱や棚が、すこしだけ転がっています。
「おにいちゃん、あそこ、だれか座ってるよ」
サユが指差した先には、木箱がいくつかあって、その一つにたしかに大人の人が座っているようなシルエットが見えます。でも、すぐに人じゃないとわかりました。それは、そのシルエットの肩や肘が、まるで操り人形のようにとっても細いからです。胴体は四角い箱のようで、頭はラグビーのボールを縦にしたような形と大きさです。
「人形かな?大きいね。マネキン?」
ピチャピチャと膝まで水に浸かりながら、ふたりは恐る恐る近寄ってみました。その人形は、『考える人』のようなポーズで座っています。前に回って下から顔を覗いてみましたが、顔がありません。頭はラグビーボールそのまんまで、目も鼻も口も耳もない、つるつるです。
不思議なもので、顔がないとわかると怖さはなくなりました。顔があったら、さっきの砂粒のようにしゃべりださないか心配だったのです。
「動かないみたいだね」
アスムが胸を張っておにいちゃんらしいところをサユに見せようとした瞬間に、人形の胸がテレビの画面のように明るくなったかと思うと、男の人の顔が映って、しゃべりかけてきました。
「やあ、こんにちは。あ、はじめましてって言うんでしたね? はじめて人と会うっていうことが、そもそもはじめてなもので」
アスムとサユは、目をまんまるにして、しばらく驚いて動けませんでした。
ロボット(お人形ではなくロボットだったのです)のお話はこうでした。ロボットの名前はエドガー。エドガーを作ったのはビーン博士。博士は40年前に乗っていた飛行機が墜落して、この島に流れ着きました。この島は無人島で、博士はなにも持っていませんでした。3年ほど経って、この船が流れ着き、船から部品を取って、博士はいろいろ造り出しました。エドガーが作られたのは30年前のこと。博士はエドガーを自分の助手にしました。でも、2年前に博士とエドガーはケンカしてしまい、博士と別れたエドガーは、それからずっとここに座っていたのです。
「どうしてケンカしちゃったの?」
サユが訊きました。
「博士は世界を征服するって言い出したんです。わたしはそれに反対しつづけていました。博士はわたしに言いました『おまえなんか作るんじゃなかった。出て行け』って。それで出てきたんですが、行くところもないので、自分の元になったこの船で座ってたんです」
エドガーの顔は胸の画面に映っています。本当の人間の顔ではなくて、人間の顔に似せた顔の画像です。でも、その表情は人間のようにいろいろ変わります。博士に言われた言葉のことを話すエドガーは悲しそうでした。
話を変えなくちゃ、って思ったアスムが訊きました。
「博士は30年も前にエドガーみたいなロボットが作れちゃうくらいなら、どうして島を出て帰らなかったのかなぁ」
「博士が40年前に乗っていた飛行機は、円盤に撃ち落とされたんだそうなんです。だから博士は、世界がその円盤の宇宙人に征服されるか滅ぼされるかしたんだと思って、円盤に対抗できるくらいいろいろ発明品が揃うまで、外との連絡を絶っていたんです。最近になって、通信を試そうとしてインターネットというのを見つけて、自分以外には円盤にやられた人たちなんていなかったって初めて知ったんです。でも同時に、世界がこの40年間、あちこちでずっと戦争を続けていて、博士が思っていたような科学が進んだ二十一世紀にもなっていなかったことにおどろいて、いっそ自分が世界征服して、平和で科学が進んだ世界にしようって思ったんですって」
「あ、じゃあ、この砂粒も博士の発明?」
アスムはポケットからさっきの動く(動いていた)砂粒を取り出しました。
「ああ、砂ロボットですね。それはこの島に流れ着くものを掃除するために砂浜の砂に混ぜられているんです。ガードマンも兼ねていて、もしも武器を持った相手なら、襲いかかるんですよ。あなたたちが武器なんて持ってなくてよかった」
でも、そのころ砂浜には、武器を持った人がやって来ていたところでした。
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