まだいきたい

黒井あやし

第1話

これは、私の一番下の妹が体験した話です。


まだ引っ越しして間もない頃でしたので、もう、かれこれ六、七年くらい前でしょうか。

うちは五人家族なのですが、真ん中の妹はしばらくして一人暮らしのために家を出たので、今は父と母、私と一番下の妹、そして猫の、計四人プラス一匹で暮らしています。

ちなみに住んでいる部屋は、十二階建てマンションの角部屋です。

当時、妹は夜働いて朝方に帰宅し、昼過ぎまで寝ているという日々を送っていました。

私もすでに社会人で、父と母も共働きでしたので、平日の昼間は妹以外みんな出払っている。

その日も、妹はいつものように朝方帰ってきたのですが、なかなか寝付けなかったようで、やっと眠気がやってきた時はもう昼近かったそうです。


そして、それは起こりました。


意識が夢とうつつを浮き沈みし始めたころ、突然、身体が動かなくなった。途端、片耳が閉塞した感覚と共に耳鳴りがして、すぐに「あ、金縛りだ」と思ったそうです。

身体は動かないけど、目は動く。

眼球を精いっぱい動かして辺りを見回すと、斜め上あたりに、何かよくわからない黒いもやっとした塊が浮いていた。

死角っていうんでしょうか。視野には入らないけれど、何となく、そこに『なにか』がいる。

その時、妹は何故か怖いという気持ちよりも好奇心の方が勝ったらしく、それを凝視してみたそうです。すると、さっきまでは靄のようだったそれが、急に人の形のように変わっていった。

そこで初めて心の奥底から恐怖が這いあがってきて、妹はどうにか身体を動かそうと必死に「動け、動け!」と念じたそうです。

その直後、声がした。


「まだいきたい」


耳元ではっきりと聞こえたそうです。小さい男の子の声のようだったと、言っていました。

その後しばらくして金縛りは解けたそうですが、さすがにその部屋にいるのが怖くなって自分の部屋で寝たそうです。


ところで。今、なんとなく違和感を感じませんでしたか?


そうなんです。

妹が体験したその部屋。実は、私の部屋だったんですよね。

その夜。夕食時にその話を妹から聞かされて愕然としたのは言うまでもありません。

ちなみに、妹たちは結構このような体験をしているようなのですが、当の私は霊感というものがほとんどないんです。

少し、たまーに気配や声が聞こえるくらいで。

実際その日も、なんだかんだ言って普通に自分の部屋で寝ました。

特に、何も起こらなかったですよ。みなさんが期待するようなことは、なにも。


この部屋がいわく付きだったのかは、特に調べていないので分かりません。

もちろん、これからも調べる気はありません。怖いので。

ですが、リフォーム前の部屋を見た時に、現在の私の部屋の襖や壁にクレヨンで描かれた落書きがあったり、住み始めてしばらくしてから、ドアポストにまったく覚えのない男の子の名前が書かれた連絡帳が投函されていたことがあったりして。

それらの事実がイコール真実ではないとは思うのですが、色々想像してみてはなんとも言えない切なさに身を震わせています。


「まだいきたい」


「まだ、生きたい」


その想いは、今もどこかに漂っているのでしょうか。


あれからも、妹はちょくちょく私の部屋で寝ることがありますが、今のところ男の子の声は一度も聞いていないそうです。


そして現在でも、私たちはそのマンションに住み続けています。

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まだいきたい 黒井あやし @touko_no_hokora

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