生き観音
天秤宮 かおる
第1話 祖母、オカルト番組に出る
私は小学3年だった。その日、私は大急ぎで学校から家に帰り、家に入るなり、慌ててテレビを着けた。
まだ録画用ビデオなど一般的ではなかった1970年代、テレビ番組は放送時間に合わせて見るしかなかった。
スイッチを入れて、急いで事前に聞いていたチャンネルにダイヤルを合わせる。
「…以上、不思議な観音さまでした…」
午後のワイドショーのアナウンサーは、それだけを告げた。
(間に合わなかった。おばあちゃん、本当にテレビに出たのかなぁ…)
父方の祖母が、なんとテレビの取材を受けるということで、その時我が家は大騒ぎになっていたのである。
祖母の自宅下の土の中から、観音像が掘り出された、という不思議な話に、オカルトブームの当時、テレビ局が興味を示したのだ。
当時祖母は大阪在住、私たちは父の仕事の関係で関東に住んでいた。関東地方にも、祖母の出る番組が放映されたのは、まだ子どもだった私にとって驚くべき大ニュースだった。
惜しくも番組は見逃してしまったが、番組を見た親戚の話では、祖母が映ったのは番組の冒頭だけで、あとは、観音像が掘り出された経緯について、こまごまと紹介されていたらしい。
祖母が終生、狂信的なまでに信仰することになる観音像は、非常に不思議で不可解な話に彩られている。
祖母は明治生まれ。若い頃も、そして病弱だった祖父と結婚してからも、一家を支えるために、苦労し通しの人だった。しかし本人は非常にバイタリティーあふれる働き者で、働き通しでもなんの文句も言わなかった。
そんな苦労ばかりの祖母にも、黄金時代はやって来た。戦後日本の高度成長期時代である。
何をやっても何も売っても驚くほど儲かる時代に、祖母はおもちゃ屋やアパート経営で、大金を稼ぎ始めていた。特にベビーブーム時代のおもちゃ屋経営は大当たりし、当時は銀行に行く暇もなく、お札の山を押し入れの中に積み上げていたという。
人間一度大金を手にすると、なぜかもっと欲しくなるらしい。商売がどんどん調子づいていた時期、祖母は家運が上昇するという墓相での先祖供養を勧める団体に入会し、信心も募らせていった。
祖母は大阪市内に墓地を買い、立派な五輪の塔を建てて、熱心に先祖供養を始めた。祖父は次男なので分家筋になるのだが、祖母は自宅にも立派な仏壇を設置し、朝な夕なに拝んだ。先祖供養に熱心なわりには、病弱な自分の夫とは不仲で、祖父母夫婦は長らく別居状態だった。
日々忙しい祖母の家には、毎日近所からお手伝いさんがやって来ていた。毎朝、そのお手伝いさんと経を上げ、仏壇に手を合わせるのが習慣となっていた。
ある日、いつものように仏壇の前に座して経を上げていると、突然、祖母の横でお手伝いさんがバタンと倒れ込んでしまった。
祖母が何事かと驚いていると、お手伝いさんは倒れたまま、身体をグネグネとくねらせ、
「白蛇さんが来はった…」
と言ったという。
やがてお手伝いさんが正気に戻り、今の一体なんやったんや…と二人でいぶかしんでいると、いつの間にか、今まで二人が座っていた仏壇の前に、盛り塩が三つ、等間隔で置かれていたという。
一連の不思議な出来事に心底驚いた祖母は、さる霊能力者を頼った。親戚は皆、霊能力者ではなく「拝み屋」と呼んでいたが、当時関西には、拝み屋と呼ばれるたぐいの人たちが沢山いたのである。
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