第219話大忙し3

 マルヂのラーメンを堪能した俺とあんずは、一旦'98に戻る事にした。あんずには伝えていないが、俺はまだまだ今日の仕事を終わらせるつもりはない。ここからもモリモリ働くのだ。一日肉体労働していた俺の身体には、多少の疲労が蓄積していたが、そんなものを一発で吹き飛ばしてくれる『いいもの』を緑は持っている。

 ソイツを貰いにマチコの店に向かっていたが、あんずにはこれからどうさせよう。俺の仕事に付き合わせてたら寝れないだろうし、俺と別行動するとなるとまた文句が出てくるだろう。まぁ、一服つけてから本人に決めさせればいいか、と考えいる内に'98に着いていた。


「おっすー、お疲れー。緑おるかー?」


「おぅ、拓也。私になんか用か??」


 昼間は『国枝診療所』と化しているこの店は、完全に俺らの溜まり場になっていた。当たり前の様に隠し部屋から顔を覗かせる緑にシャブを強請ると、彼女は悪い笑顔をぶら下げながら、白い結晶の入ったパケを取り出した。売人かな?

 緑とイナリは日常的にシャブを使用していて、二人が満足できるだけのストックがある事を不思議に思ったが、今出してきたネタは事情が違うらしい。聞けば、ひーとんたちが手を付けていた元スパイス工場は既にある程度機能を回復した様で、試験的にシャブを練っていたのだとか。

 薬学に覚えのある和政と、ひーとんの御付になったリュウジの助力(爪)を得て新たに精製した緑特製のシャブは傑作だと言う。古い中国の文献には、龍の爪を加えた薬は、効果が格段に上がると記されている。スパイスもこの方法でヤバい効き目になっていた。さっき緑が悪い顔をしていたのはこのせいか。


「どーでもええけど、銀紙ある??」


「あ?拓也、お前…、炙る気か??なっさけねーッ!男は黙ってポンプだろッ!それかそのまま食っちまえ」


 俺はお前みたいに振り切ったジャンキーじゃねぇし、これから仕事する為にシャブが必要なんだ、と説明する俺の言葉が届いていないのか、緑は注射器を用意し始めた。彼女の基準では『炙り』はダサいらしい。あれよあれよとシャブを溶かした水を注射器に充填した物を差し出されたが、俺は炙りで充分なんだよなぁ。

 っていうかそもそもね、自分で注射を打つってのが怖いのよ。と、躊躇っている俺など気にも留めず、緑は俺の二の腕を締め付けながら肘の内側をパンパン叩いて静脈を浮き立たせていた。その状況を見て、居ても立ってもいられなかったのか、ヨシヒロが横から口を挟んでくれた。てっきり止めてくれるもんだと思っていたんだけど、俺に突き付けられた現実はそんなに甘くなかった。


「いずみくん、もしあれだったら僕が打とうか??」


 うん。きみ、お医者さんだもんね。いいよ、打っちゃいなよ。好きにしちゃいなよ。諦めて全てを受け入れた俺は、緑とヨシヒロの恋の行方を応援していたが、この二人が合わさるとロクなもんじゃねぇな、と思い直した。コイツら、どっちもドタマいかれとるわ。

 静脈から入ってきたシャブは十秒ほどで脳に到達し、ドーパミンを放出し始めた。全身に痺れるような快感が走り、毛という毛が逆立っている感覚があった。現世で試したシャブとは比べ物にならない陶酔に、俺は身体中から活力がみなぎってくるのを感じずにはいられなかった。

 普段、冷たいネタには興味のない俺でも、『コレは確実に売れる!』と確信した。それに、塩見ちゃんのお香や香水も合わせて考えれば、俺たちの店はかなりの売り上げが期待できる。だったら早いとこ店を建てなくてはッ!


「あんず、俺は現場に戻ってまた仕事するけど、お前はどーする??」


「たくちゃんについていきますッ」


 緑から追加のシャブと注射器を譲ってもらい、俺はあんずを連れて'98をあとにした。これで休みなく働く事ができる。


「たくちゃん、だいじょうぶですか?目が血ばしってますけど…」


「うん…。ヤッバい」


 ――――――――――………


 都の夜は、街灯や店のネオンに照らされて昼の様に明るいが、大工仕事をするには少し心許ない。投光器が一つでもあれば事は足りるのだが、そんな大層な物を持っていない俺はこの事態をどう解決するかを必死で考えた。すると、現場のすぐ隣のお店が目に付いた。

 そのお店はどうやら雑貨屋さんの様で、夜だというのに元気に営業していたのだ。店の中では商品を照らす照明器具がいくつもあり、コイツを借りられれば話は済む。俺は恥を忍んで頼むべく、その店の暖簾を潜った。


「す、すんませ~ん…」


「はーい、いらっしゃーい」


 出てきた店員さんは気の良さそうな男の子で、ワケを話して照明を貸して貰えないかと俺がお願いすると、彼は快く聞き入れてくれた。余っている照明があったはずだと、一旦奥に引っ込んだ彼は、いくらも経たない内に戻ってきた。その手には間接照明のライトがあったが、俺はすぐに異様に気付いた。そのライトにはコンセントのコードがなかったのだ。


「あの…、コレって電源は……」


「アレ?知らないんですか??都の電力は全部ワイヤレスですよ」


 どういう技術かは分からないが、都の電気機器は電源に接続しなくてもスイッチ一つでその恩恵を受けられるらしい。通りで電線の類が見当たらないワケだ。と、いう事は、俺たちが今やってる現場にも電設工事が必要ない。それは何とも嬉しい誤算だった。っていうか、そんなの事前に調べとけよ。

 店員さんと俺がそんなやり取りをしている間、あんずはこのお店に並べられた商品に興味深々のご様子だった。俺が仕事してる最中は、どうせあんずを暇にさせてしまうので、店内を物色させてやってくれないかと重ねて頼み込むと、店員の彼は『飽きるまで見てってください』と心持ちの良い言葉をかけてくれた。


 照明も借りられてさらにやる気が出てきた俺は、搬入された木材を図面と照らし合わせ、整理をしながらほぞ切りに取り掛かった。緑特製のシャブのお陰か物凄く集中できて、作業は順調に進んだ。この勢いなら、明日の朝までには何とか段取りを終わらせる事ができるだろう。

 時間が経つのも忘れて仕事に没頭していると、突然あんずの声がした。


「たくちゃーんッ!ちょっときてくださーいッ!!」


 集中している時に横槍が入るのは腑に落ちないが、あんずのお呼びとならば馳せ参じないワケにはいかない。俺は作業の手を止めて彼女の元へ駆け寄ると、あんずはテンション上げ上げで騒いでいた。


「たくちゃんッ!コレ見てくださいッ!すっごくかわいいーッッ!!」


 そう言ってあんずが見せてきたのは、一足のラバーソウルだった。白地に黒のラインのオーソドックススタイルではあるが、ボディには『Fホール』の型抜きが施された特別仕様だ。これを手に取るとは、あんずも中々お目が高い。それに彼女のコーディネートにもバッチシ合うだろう。

 昼間は仕事を手伝ってくれたし、あんずにはまだちゃんとした謝罪ができていない。コレでいくらかの罪滅ぼしになるなら、買い与えてやらないと男が立たないな。そう思い立った俺は、店員の彼に値段を尋ねた。


「この商品は、貝20万ですね」


 高っっっっっっっかッ!!マジで!?!?高っっっっっっっかッ!!

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