第152話国枝クリニック5

 雀荘に向かった撹乱班の俺たちと入れ違いのタイミングで、薬屋へお使いに行った桃子が帰ってきた。例の薬屋と共に。

 三谷に言われた通りに乗り物を乗り継いで帰路に着いていた桃子たちは、駕籠に乗った状態でマチコの店の前まで来ていた。駕籠屋のクモ助(駕籠を担ぐ人間)特有の掛け声を耳にしたマチコは、桃子たちが店の扉を開けるよりも早く、ブチ破る様な勢いで扉を開けた。


「ちょっと桃子ッ!勝手にヘンなヤツ連れてこないでよッ!っていうか、本当に尾行は大丈夫なのッ!?

 自警団とかもくもく亭の連中にここまで踏み入られたら、私が酷い目に合うんだからねッ!!」


「急に押しかけてすまないね。尾行は付いてなかったから安心しなよ」


 桃子へ向けた質問には、何故か薬屋の彼が答えた。今の所は予期していた危険には晒されていない様だが、そもそもコイツが敵である可能性も否めない。

 周りの視線に必要以上に目を光らせたマチコは、人の目を盗む様にして二人を店内へと引きずり込んだ。店の中では、治療班の大黒柱であるヨシヒロが、桃子の連れてきた薬屋を待ち構えていた。


「きみが件の薬屋さんだね?僕は国枝祥弘。今、スパイスの中毒に苦しんでいる子を治療しているんだ」


「これは御叮嚀にどうも。俺は羽根田和政。一応は薬を商いにしている薬剤師だ。あの派手な子(桃子)にメモを渡したのはきみだよね?取りあえずそこに書いてあった物は用意したんだけど…」


 この羽根田という男がどういう意図や目的でスパイスの治療の片棒を担ごうと思ったのか、疑いの目を向けようとしたらキリがない。それにここまで来られてしまった以上、行動を共にしておく事が望ましいと判断したヨシヒロは、無駄な詮索はせず、彼を仲間に取り入れた。

 羽根田自身も、自分の潔白は行動でしか示せないと悟っているのか、自己紹介がてらいきなり本題に入った。


 ヨシヒロが頼んだお使いは、睡眠薬や精神向上剤だ。スパイス中毒の症状に有効な薬を…、という思惑だと考えていた羽根田は、それが無意味だという事を説明した。


「俺も以前、試した事があるんだ。中毒症状が酷い子、特に『サピエンス』を使用している子に対してね。だけどダメだったんだ。スパイスで中枢神経や交感神経に傷を負っている状態だと、それらの薬に拒絶反応が出てしまう…。だからコレじゃダメなんだよ…」


「そうだろうね。僕もそうなると思っていたよ」


 ヨシヒロは、要求した薬が本来の働きをしてくれない事を予想していた。だったら、何で桃子にお使いを頼んだのか。彼は、その処方が全くの無意味だとは考えていなかったからだ。

 薬物依存に陥っている人間は、薬を薬として受け入れる事ができない身体になってしまっている。そんな所へ精神作用のある薬剤を投入すると、求めていた効果とは逆の反応が現れる事がある。端的に言えば、症状が悪化してしまうのだ。彼はそこに目を付けた。改善しない症状をあえて悪化させる事で、治療を進めて行く方針の様だ。

 羽根田の高説を肯定したヨシヒロは、マチコに頼み隠し部屋への扉を開けてもらった。


「あと一つ、羽根田くんに説明しておきたい物があるんだ。こっちに来てくれる?」


 隠し部屋の中では、既に完治したと言ってもいいほど回復した軽度中毒者の子たちを引き続き観察しているハクトが、その子らと一緒にボングをボコボコと鳴らしている光景が広がっていた。

 羽根田はソレを一瞬、スパイスだと勘違いしそうになったが、辺りに漂っている匂いがスパイスとは全く異なっている事に気づいた。


「彼女たちがやっているのは、『カナビス』。きみも一端の薬剤師なら、名前くらい聞いた事はあるんじゃないかな?」


 ヨシヒロの言葉を聞いて、羽根田は目を丸くした。都市伝説だと思っていた、世界で唯一禁止されたドラッグを目の当たりにしたからだ。そして彼は直感した。スパイスとは、このカナビスを模して造られたのではないかと。


「薬学的に説明もできるんだけど、百聞は一見にしかず。お一つどうかな?」


 カナビスの存在に一入の関心を見せる羽根田に、ヨシヒロは紙に巻いた物を一本手渡した。ソレを受け取った羽根田は、一縷の迷いもなく火を着けた。自分の身体でスパイスを試すほどの実体験派の彼は、一服一服を噛み締める様にカナビスの煙を吸い込んでいた。

 紙巻を一本吸い終わる頃には、ヨシヒロの説明を必要としないまでにカナビスを理解した。


「これは凄い…。こんな物があるなら、兄さんだって……ッ」


 呟く様な彼の言葉は、誰にも届いてはいなかった。最後の一口を目一杯肺に溜め込んだ羽根田は、天を仰ぎながら、自分の口から吐き出される煙の行方を眺めていた。


「このカナビスは、軽度のスパイス中毒には絶大な効果を発揮したよ。あの子たち、今朝まではかなり苦しそうだった。だけど、カナビスを与えた途端食欲が正常以上まで回復したんだ。今は意識もバイタルも安定してる。

 問題は重度の子たちなんだ。彼女らは、はっきり言って何も改善されていない。カナビスも発作をある程度緩和できるくらいで、根本の解決に至らないんだ」


「そこで俺が持ってきた薬の登場ってワケか…。でもさっきも言った様に……―――」


 ヨシヒロは羽根田の言葉を遮って、医者とは思えない様な荒療治を提示した。俺たち一派の中では一番の常識人だと思っていたヨシヒロもまた、人として大事な部分が欠落してしまった『手水政策の被行者』なのだ。


「うん、分かってるよ。僕もこんな事せずに済むならそうしたいけど、それはムリみたい。

 だから……、


 彼女たちには、一度死にかけてもらう」


 重度のスパイス中毒には、これ以上打つ手がないと判断したヨシヒロは、薬を用いて悪化させられるだけ症状を悪化させようとしていた。最初から正当な理由で薬を欲したワケでなないのだ。

 薬も量を間違えば毒になる。昔から眠剤を大量に飲んで自殺するヤツがいるくらいだ。ヨシヒロは羽根田が持ってきた薬剤をありったけ患者に飲ませる事にした。強制的なオーバードーズに加え、スパイスの追い焚きで、彼女たちを死の淵まで一旦追いやる。

 羽根田はその行為の意味する所がまるで分からなかった。治療と称してヨシヒロがやっている事は、ただ死を早めている様にしか思えなかったからだ。


 しかし、彼は知らなかっただけなのだ。ヨシヒロには、先祖から受け継いだ『反則ワザ』がある事を。

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