第103話帰りの寄り道3

 一晩中おじさんの自慢話に付き合わされた挙句、酔っ払いどもは知らない内に眠りに着いていた。ひーとんに至っては、外の地べたでいびきをかいている。どこでも寝られるのは、ある種の才能だよなぁ。

 シラフに近い状態の俺は、一人でカナビスを吹かしていた。オイルの匂いが充満しているガレージを背にし、モクモクと吐き出した煙の行方を追って、視界は星空に向けられた。この空の下で、酔っ払って寝ているトチキチもいれば、スパイスの中毒に苦しむ者や、それを支える三谷や高桑の様な存在もいるし、俺の帰りを待ってくれているかわい子ちゃんもいる。その全てを等しく照らす星や月は、見る者によってその輝きを変えるんだろう。同じ空でも、俺が見ている空は俺にしか見えないし、誰かが見ている空を、俺が見る事はできない。

 都の深い闇を目の当たりにしてしまった俺は、自由が平等に分配されないこの世界に、少し嫌気が差してしまった。それまでポジティブに捉えていた手水政策が、恐ろしいものに感じられたのだ。

 大事なのは『何がしたいか』だと美奈は言っていたが、本当にそうなのだろうか。この政策を考え、実行した日本には、一体どんな思惑があったのだろうか。そんな事を考えながら、カナビスに酔った俺は、いつの間にか眠ってしまっていた。


 ――――――――――………


「今ちゃん、おはよーッ。もうそろそろ出発しよーぜッ!」


 ひーとんの声で目を覚ました俺は、おじさん家の井戸を借りて顔を洗った。冷たい水の刺激でサッパリ眠気を吹き飛ばし、帰り支度を整えていると、おじさんは簡単な朝メシを用意してくれていた。ご相伴に預かった俺たちは、ペロリと朝食を平らげ、トラックに乗り込んだ。


「単車の調子が悪くなったらいつでも来い」


「色々とお世話になりました。また遊びにきます」


「そんじゃーね、おじさんッ!」


 最後まで愛想の良くないおじさんだったが、別れ際の言葉に彼の寂しさを感じた。やっぱり一人より誰かと一緒にいたいんだろうな。だったらこんな山ん中じゃなくて、もっとミコトやヒトが多い所で暮らせばいいのに。

 おじさんのガレージをあとにした俺たちは、ヨシヒロの家を目指し、進路を北西に向けた。


「どーだった?おじさん酒飲むとおもしろいっしょ?」


「いや、クッソめんどくさかったて。延々とGT-Rの話されて、終いにゃブン殴ったろうかと思ったわ」


 取りとめのない談笑をしながら山深い道を走り続け、時折休憩を挟みつつ5~6時間トラックに揺られていると、車窓から見える景色が見覚えのあろものに変わっていった。もうすぐヨシヒロの家に着く頃かな?

 長い様で短かった都までの旅も、いよいよ終わりを迎え、やっとあんずと再会できる事を喜んでいたのも束の間、事態はとんでもない方向への展開を見せた。


「あんずーッ、ヨシヒロ―ッ、ただいまーッッ!!」


 ヨシヒロ宅に到着し、帰還を告げる声をあげるやいなや、玄関の扉が勢いよく開かれたかと思うと、その何倍もの勢いで飛び出してくるあんずの姿が見受けられた。三日間も離ればなれになっていたから、相当寂しい思いをさせてしまったと反省しようとしていた俺に、彼女は泣きじゃくりながらしがみ付いてきた。


「びゃあああああぁぁぁッッ!!だぐぢゃああああぁぁぁんんッッ!!ばああぁぁぁぁッ!!」


「どっ、どうしたあんずッ!?そんなに寂しかったか??待たせてまってすまんッ!!ごめんなぁ、あんずッ!」


 あんずが号泣している理由が分からず、とにかく謝罪を重ねる俺の声が届いていないのか、彼女は俺の胸で大粒の涙を流しながら嗚咽していた。一体何があったのか皆目見当も付かない俺は、軽いパニックに陥った。

 何とかあんずの落着きを取り戻せないかと四苦八苦していると、後からヨシヒロとハクトがこの参事の原因について教えてくれた。


「ごめんよ、いずみくん。僕たちがいけなかったんだ…。ハクトの事をちゃんと教えてなかったから…」


 ヨシヒロは俺たちに、ハクトを『もののけ』としか説明してくれていなかったが、もののけというものにも色々あるのだそうだ。例えばイナリが『狐のもののけ』だったりする様に、何らかの動物が元となっている。そしてハクトが何のもののけかと言うと、『兎のもののけ』なんだとか。

 それを知らずに、食事のリクエストを聞かれたあんずは、兎をチョイスしてしまったらしい。その時初めてハクトの正体が兎である事を告げられ、今まで兎を好物としていたあんずは大きなショックを与えられてしまったのだ。


「あんずちゃんは悪くないの…。うさぎはたべられることでだれかの役にたててるから…、ほんとにあんずちゃんは悪くないの…ッ」


 ハクトは兎の存在意義を、捕食される事で示せるのだと言った。兎に限らず、鳥や魚といった弱い存在は、誰かの糧となる事を前提としていて、その為に繁殖能力が他の動物よりも高いらしい。だからこれからも兎をおいしく食べてほしい、と説明するハクトの釈明も空しく、あんずは自責の念にかられてしまっているのだ。大好きな友達の同族を、これまで何百羽も食べてしまっているのが申し訳ないんだろうな。

 変な所で義理堅いあんずは、上手く割り切る事ができるか心配ではあるが、食すというのも一つの供養なんだと教えてやらなければならない。っていうか、俺も兎の肉は割と好きだから、死ぬ気で説得しねーと今後の食糧問題に発展しかねないぞ。


「いずみくんと山野くんも帰ってきた事だし、お家の中でちょっとお話しようか、あんずちゃん」


 未だに枯れない涙を流すあんずに、ヨシヒロは優しく声をかけた。彼の提案に従い、俺たちは家の中へと入っていった。三日前と同じ様に座敷を囲み、腰を降ろすと、ヨシヒロはハクトとの馴れ初めについて語ってくれた。


 手水政策を受け、この世界に送られてきたヨシヒロは、ヒトやミコトがいる街に馴染めず、落ち着いて暮らせる場所を探していた。街を出て東に向かっていた彼は、山で遭難してしまい、食べる物もなくひもじさに苦しんでいた。その時はまだ、日の境で睡眠を取る事で身体が回復するのを知らず、夜行性の動物に襲われない様に、陽のある時に休息を取り、夜に活動していたと言う。

 空腹や疲労の苦痛が限界に達したヨシヒロは『死』を覚悟した。その時、山の中から一頭の熊と一頭の狐、そして一羽の兎が現れたのだそうだ。行き倒れていた彼を見かねて、動物たちは代わりに食べられる物を探してきてくれた。熊は魚を、狐は木の実を採ってきた。しかし、兎は何も見つけられなかった。役に立たなかった兎は、熊と狐に責められた。すると兎は彼に『火を起こす』ように頼んだ。博識のヨシヒロは石と小枝で器用に火を起こした。その瞬間、兎は焚き火に飛び込んでいった。兎は、食べ物を見つけられなかった自分自身を食料にする事を選んだのだ。


「まさか兎がそんな事をするなんて思ってもなかったから、僕は混乱したよ。その日はすごく乾燥していて、火の回りが速くて、兎を救い出した時には全身大火傷を負っていた。でもまだ命はあったんだ。だから僕は持てる知識をかき集めて兎を治療した。それは僕が行った初めての治療だったんだ。その兎がハクトだよッ」


 兎の様な弱い生き物は、自分が生き延びるより強い者の糧になる事を本能で選択する。そういう風にできているんだと、ヨシヒロは教えてくれた。

 彼の話を聞いていたあんずの目には、さっきまでとは違う涙が流れていた。

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