第62話水芭蕉1
事は俺とあんずが神社へと向かったすぐ後に起こったらしい。レインコートの仕上げをしている桃子と、プリントに使う版を作っている緑の耳に来客の鳴り物の音が届いたが、やってきたのは客ではなかった。
風体からしてミコトではないのは火を見るより明らかで、逆にそれが彼女たちを混乱させた。実はこのブティック、ミコトかそれに付随する者しか入ってこないのだとか。それはいいとして、客ではないソイツは、ヒトが着る簡素な衣装の背中にケッタイな字で大きく『水芭蕉』と書いていたそうだ。
「オイラたちの大将から、この店に出入りしているミコトに言付けを預かってきた」
その内容というのは『氏家を返して欲しかったらアジトまで来い』って事だった。いきなりダボハゼを攫っていくのも意味不明だが、もっと分からないのは俺への言付けであるというのだ。
確かに俺も水芭蕉には用事がある。だけど向こうから先手を打たれるとは思ってもみなかった。っていうか、俺まだ山野くんに会った事ないのに、彼から俺にアプローチがあるっておかしくない??しかも何?『氏家を返して欲しかったら』だ??いらねぇよ、そんなもん。
「で、拓也はどーすんの?」
頼まれたって助けに行かねー。と、のどちんこまで言葉が出かけたのだが、アイツにはまだ230万の支払いが残ってんだよなぁ…、と考え直した。行きたくねーけど行かねーとなぁ。緑との約束もあるし、せっかく作った銃だってヤツらに仕返しする為だろ。遅かれ早かれこうなる事は必然だったんだから、早いに越した事ないか。
「ほんで、コートの仕上げとツナギのプリントはできたの?」
「う、うん…」
さっきの話の結論も出さず、自分勝手に話題を変える俺を、桃子は少しだけ訝しんだ。優しい彼女の事だから、氏家を助けてあげて欲しいとでも思っているんだろう。物言いたげな顔を見せながら、注文の品を俺とあんずにそれぞれ手渡した。
あんずのレインコートは何が変わったか分からないが、俺のツナギの方はしっかりとプリントが施されていた。世界に類を見ない『紋付のツナギ』である。こいつぁいいや、気に入った。
綺麗に入った紋を目にして悦に浸っている俺に、桃子はこんな事を言ってきた。
「たくやくんのかもん…?だっけ。ソレ、私どっかで見たことあるんだよねー」
自慢じゃないが、俺の家紋である『橘』は、日本十大家紋に数えられる程メジャーな紋だ。家紋に興味のないヤツでも見た事くらいあっても不思議じゃない。ところが、桃子が言いたいのはそういう事ではないらしい。というのも、彼女が見たというのは『此方に来てから』の事らしい。はたして同じ物だったかどうかも怪しい程度の曖昧な記憶なのだそうで、俺は特に気にも留めなかった。
「桃子、コレ着てみてもええ?っていうか着て帰ってもええ??」
「うん!大丈夫だよ」
早く袖を通したいと浮足立つ俺は、そそくさと服を着替えた。中古とはいえ商品として置かれていた代物なので、良く手入れが行き届いている。パリッとした良い着心地だ。
ツナギの感触を確かめつつ、それまで着ていたジーンズとシャツを桃子に手渡した俺は、今しがた品を受け取ったのにも関わらず、新たな注文を彼女にするのだった。
「できたらでええんだけど、コレと同じ様なもん作れん?」
「まったく同じでいいの?ぜんぜんできるよっ!」
桃子が作った服ではない俺の一張羅は、度重なるアクシデントやトラブルに見舞われて損傷が激しいどころの騒ぎではなかった。一応服としての体は首の皮一枚で保っていたが、着てるから服なのであって、脱げばただのボロだよこんなの。
なまじあんずに良い格好をさせている手前、このナリじゃ立つ瀬がない。着る物くらいはちゃんとしておこうという思いと、本当にお気に入りの服なので同じ物が欲しいという思いからしたオーダーを、桃子は二つ返事で聞き入れてくれた。また高い貝取られるんだろうな。
「あんず、せっかくだでお前も着替えやぁー」
「あ、はい…」
二人して新コスチュームで帰ろうかとあんずにも着替えを促すと、何故か彼女は俺の方を見ながら上の空だった。覚束ない足取りでフィッティングに消えていったかと思うと、同じ足取りで戻ってきた。
さっき褒められて上機嫌だったあんずは何処へ行ってしまったんだろう。っていうか何かあったんだろうか。分からないのでとりあえずもう一度褒めておく。
「あんず、どうした?似合っとるぞ…??」
「ぁの…っ、シマシマ……」
彼女が何を言いたいのか、即座に察したのは桃子だった。俺なんて今から考えようとしてたんだぞ。まぁ、考えたところで答えは出ないだろうけど。
「分かったーっ!あんずちゃん、たくやくんとのお揃いのシマシマがなくなっちゃってさみしーんでしょっ??」
シマシマってボーダーの事か。あんずが選んだワンピースにボーダーのタイツを合わせたのは桃子だ。コーディネートとしてチョイスしたんだと思ってたけど、本当は単に俺の上着と柄を揃えただけらしい。そうとは知らずにあんずを連れていたなんて、ペアルック見せびらかしてたみたいじゃねーか。くっそ恥ずかしい…。しかも、そのお揃いがなくなってあんずが寂しがってるとか。くっそ嬉しい…。
一筋縄じゃいかない俺の気持ちはどっちを取っても赤面は免れず、じわりじわりと顔を赤らめる俺を後目に桃子はあんずの機嫌を直すのだった。
「そんなこともあろーかとっ、コレを用意しておきましたーっ!」
彼女が出してきたのは、二枚のバンダナだった。どちらも柄は白黒のボーダーだ。あくまでもシマシマをお揃いにしたいみたいだな、この女は。と思いはしたが、ふとあんずの方を見るとまんざらでもない様子だ。あんずがいいなら、まぁいいか。
俺はバンダナの一枚を取り、対角線で半分に畳んでから首に巻きつけた。
「俺はこうゆー風に付けるけど、あんずはどーする??」
「アタシは…、アタシは…、たくちゃんといっしょがいいですッッ!」
何て可愛らしい反応なんだ。天使か、この子は。もしあんずがエベレストなら、お前らなんか天保山やぞ。と、わざわざ緑と桃子を引き合いに出してまであんずの可愛さを提示したい俺は、限りなく失礼だった。
もう一枚のバンダナを手に取った俺は、同じ様にしてあんずに付けてやった。その間、誰かにそうしろと言われたのか、彼女はジッと目と閉じて待っていた。こんなんいかんやん。チューしてまうやん。
でも、人前でキスしたらあんずの機嫌がまた悪い方に傾いてしまう。俺は二の轍は踏まないのだ。などと考えながらバンダナを付け終わった事を彼女に伝えると、あんずは俺の手を掴み鏡まで引っぱった。それぞれの首にシマシマのバンダナが巻かれているのを確認した彼女は、納得と嬉しさの混じった笑みを見せてくれた。
「コレならいーですッッ!」
あんずの笑顔もさる事ながら、彼女の思考を先回りして予防せしめた桃子は、もしかしたら物凄く頭が良いのではないか。それに比べたら俺なんて、物凄くバカなのではないか。自己嫌悪の有段者である俺は悲壮の思いに身を任せつつ、お揃いを喜んでいるあんずを見て喜んだ。
「俺らもう帰るわ。悪いけどあんずの服クリーニングしたってまえる?」
「いーけど、もう帰っちゃうの??」
「早ぇとこ氏家返してもらわなかんでな…」
その言葉を聞いて桃子は心がパァッと明るくなるのを表情に出した。やっぱり氏家が心配だったんだ。あんな奴の心配なんぞしなくてもいいのに。優しい子なんだなぁ。
桃子の人となりを改めて確認した俺とあんずは、ブティックをあとにした。一度多々良場に戻り、必要な物を用意して向かうとしよう。水芭蕉のアジトへ。
「つっつてもヤツらのアジトって何処にあるんだて…」
「あ、アタシ知ってますよ」
やるがや。
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