第61話発端5

「なぁ、ちょっと聞いてもええ?」


「なにかしら?」


 縁側で美奈が入れてくれたお茶をやりながら、こんな台詞が口を突いて出た。カナビスをキメているせいか、思考が纏まってもいないのに行動が先を行ってしまっている。この時、まだ聞きたい事が定まってはいなかったのだ。

 確かに美奈には聞きたい事が何個かある。カナビスのメッセージを受け取ろうとすると開きかける扉…。緑に告げられたミコトの意味…。あんずやハクト、イナリの様なアヤカシの存在…。手水政策について……。

 これらの疑問に対する答えを、彼女は持っている気がした。多分、その予想は当たっていると思う。だけどそれを美奈に質問するのは、計算ドリルの後ろに載っている回答を覗く様なものだ。そうやって出した答えに、何の意味もない事を俺は知っている。重要なのは、間違っていても途中の式を自分で見つけ出す事だ。

 結局、幾つかある『本当に知りたい事』を差し置いて俺がした質問は、あまり価値があるとは思えない取るに足らないものだった。


「ヨシヒロはカナビスを奉納したんだろ?他の子…、河合桃子とか瓜原緑は何を奉納したんかなぁって…」


「あら?あの子たちとはもうお友達なのね。うーん…。教えてあげてもいいけど、その前に約束してもらわなきゃいけない事があるわ」


 誰が何を神社に納めたか知るのは別に自由なのだそうで、その為には自分の奉納物を誰に教えてもいいと確約を交わさないといけないらしい。突き出された条件を、構わないと承諾すると、美奈は奥へと一旦姿を消した。先ずは緑の奉納物を見せてくれるのだと言う。

 再び現れた美奈の手元には、何枚か紙の様な物が見えた。


「彼女が納めたのは『絵』よ。刺青の下絵だと言っていたわ」


 拝見させてくれた緑の絵は、背中から手首、足首までに渡る全身総柄図だった。メインとして描かれているのは『天狐』、四肢には桜・波・紅葉・雲が散りばめられ、背景は緻密な額で埋め尽くされている。これには見覚えがある。実際にイナリに彫られた物だ。

 その他の紙は、さらに下描きだと思われるデザイン画になっていた。下描きからは、何本かの線が彼女自身の『迷い』を匂わせていた。俺からすれば線の一本一本が正解に見えるのだが、それでも緑は考え、悩み、選び、描き、そして彫ったのだ。


「やっぱうめぇなー」


「そうね。彫り物について良く知らない私でも、綺麗だと思うわ」


 辛酸を舐める思いで描いたであろう緑の奉納物に、一言二言の感想を添える俺たちを気にも留めないあんずは、飲めないお茶の代わりに出されたお酒にご執心の様子だった。その彼女が着飾っている衣装を作った桃子は、一体何を奉納したのか。まぁ、おおよそ皆目の検討がつくんだけどね。

 じゃあ続きまして、ファッションモンスターが納めた物…、カモン!と促す俺に、美奈は肩透かしを喰らわすのだった。


「あぁ、河合さんが奉納したのはコレよ、コレ」


 そう言って彼女は、ヒラリとその身を一回転させた。桃子が納めた物は、美奈が着ている巫女装束だったのだ。あ、そうくるのね。

 何をどう奉納しようが自由らしく、その中で桃子は、『服は着られてないと意味がない』と断言し、美奈に着用を懇願したのだそうだ。断る理由もなくそれを聞き入れている彼女は、さらに興味深い事実を教えてくれた。


「河合さんが作ったこの着物…、何回着ても何回洗っても型が崩れたりシワになったりしないのよねぇ…。どうやって作ったのかしら?」


 言われてみれば、あんずのワンピースもそうだ。あんずがどれだけ動こうが、着倒そうがビクともしない。買ったその時の状態を維持し続けている。合わせて買ったタイツも靴も、ダメージらしいものが見受けられない。あんずの着方が上手いのかと思っていたが、どうやら原因は作った側にあるっぽい。

 それに比べて俺の一張羅ときたら、ボロッボロやんけッッ!!その内、最初に見たあんずの姿よりみすぼらしくなっちゃうんじゃないの?早いとこ俺もオーダーメイドで一着拵えてもらお。

 …てな事を考えていたはずなのだが、またもや意思よりも先に出る行動が俺の口からこんな台詞を吐かせた。


「ほんじゃーさぁ…、山野くんは何を奉納したんだて…?」


「えぇ…っと、それは…」


 美奈は言葉を濁した。足りない頭で彼女の言動から真意を察そうと思った俺は、もしかして山野くんは『自分の奉納物を誰に教えてもいい確約』を交わさなかったのではないか…、という憶測を立てた。しかし足りない頭の俺が測れるほど、『トチキチ』の山野くんは甘くはなかった。

 歯切れの悪かった美奈は、そんな俺でも理解できる様に丁寧に言葉を選びながら、彼の奉納物についても出し惜しみはしなかった。


「本当に誰が何を奉納しようと、その子の自由なの。大体の子は自分のやりたい事を『形』にして持ってきてくれるわ。

 でも山野くんは違ったの…。彼が奉納したのは、目で見たり手で触ったりする事ができないものよ。だから君にも見せてあげられないの…。実際にあの子に会って確かめてもらう方が早いと思うわ。こんな伝え方しかできなくてごめんなさい。

 だけど、似た様な物なら目で見られる物があるわ。……、見る?」


 理解は追いつかなかったが、興味が尽きなかった俺は美奈に案内されるままこの神社の本殿へと足を踏み入れた。こういう場所に入る時って何か仕来りみたいなもんがあったりするんじゃないの?と気を回す俺に、かしこまらなくていいと彼女は告げてくれた。

 本殿の中は簡素な見た目とはかけ離れている厳かさを感じさせた。自然と身が引き締まる。

 美奈が見せてくれた『ソレ』は、細部にまで心配りが行き渡るほど厳重に祀られていて、本殿の中央奥に鎮座していた。直ぐ側まで近づいていいと美奈に促され、言葉の通りに歩み寄った俺は、さらに理解が追いつかなくなった。


「……え??コレが、なに…?」


 そこには円形の鏡が一枚飾られているだけだった。

 これが山野くんが奉納した物に似てる物…??全っっっく意味が分からん。目で見たり手で触ったり口で説明できない彼の奉納物が……、コレぇ??


「この鏡は御神体よ。今見えているものを、忘れないで…」


 美奈が伝えたかった事は何なんだったのか…、タヌキに化かされた気分で腑に落ちない俺と、大酒をかっ喰らっているあんずは神社をあとにした。これからまた桃子の店まで戻らなければならない。今の事は一旦端にヨッコイショして、とりあえずブティックまであんずと手を繋いで行くかと彼女の手を握った瞬間、万力で挟まれたんじゃないかと思うくらい強く握り返された。


「痛い痛い痛いッッ!!な、なんだてぇッ、あんず!!」


「たくちゃんのバカぁッ!!みなさまとばっかりしゃべって、アタシのこともちゃんとかまってくださいッッ!!」


 すっげぇデジャブ!!前にも聞いた事あんぞ、この台詞。ミコト同士の会話に入っていけない彼女は、その間ずっと鬱憤を溜め込んでいたのだ。ついでに酔っ払うと怒り上戸になる癖があるので、このままでは非常にマズい。何とか気を紛らわせなくては!!


「あ、あんず!ごめんって!あ、お詫びにカナビスふーッしたるで、なぁッ!」


「はやくしてくださいッ!」


 怒った表情を保ちながら、彼女は目を閉じ受け入れ態勢に入った。その仕草がいつも以上にツボに嵌った俺は、心の中で悶絶しつつ紙巻に火を着けて、煙をあんずへと吹きかけた。

 俺からのカナビスを受け取り、そして吐き出す一瞬の隙を突き、ダメ押しの口移しを喰らわせてやった。こんな可愛い子を前に、辛抱たまらなくなったのだ。

 さらなる怒りを買ってしまいかねない俺の愚行を、あんずは静かに受け止めてくれた。


 ――――――――――………


「桃子ー、戻ったぞー」


「あッ!たくやくんッ!たいへんなのッッ!!あのねっ、あのねっ、さっき水芭蕉の子が来てねっ、あのねッ!!」


 ブティックに戻ると、間髪入れずに桃子が騒いでいた。いきなりの事に鳩が豆食ってポーみたいな顔をする俺に脇目も振らず、テンパッたまま何かを伝えようとする彼女をなだめながら緑が要約してくれた。


「氏家が水芭蕉にさらわれたみてーだぞ」


 何それ、クッソ笑える。

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