死神麗子の献身

小野 大介

プロローグ

 とある駅のほど近く、喧騒たる大通りから横道に逸れたところに、コーヒー色の杉板に覆われた建物がある。《宿り木》という名前の喫茶店だ。

 外観もそうだが、内装も木材で統一されているので、落ち着いていて、温かみを感じられる造りになっている。

 店内は焙煎されたコーヒーの芳香に包まれており、BGMに森の音が流されているので、まるで森林浴でもしながらコーヒーを楽しんでいる、そんな気分にさせてくれる。

 小さいとは言えない程度のその店は、入り口から見て右手に一枚板のカウンターがあり、左手にはテーブル席が数えられるほど並んでいた。

 客層は男女を問わず、年代も幅広い。サラリーマン、OL、主婦、学生と様々で、その誰もが、店の雰囲気やコーヒーの味・香りに酔い痴れていた。


 扉が開いて、また新たな客が入ってきた。扉の上部にベルが取りつけられているので、美しい音色が店内に流れる。

「いらっしゃいませ」

 客がコーヒーの香りを胸いっぱいに吸い込んでいたところ、奥から渋い声がし、一人の男がやってきた。

 見た目は40代後半。その割には髪が黒々しており、短く切り揃えられている。長身で、細身だが華奢ではない。何故か、眼が見えないほど真っ黒なサングラスをかけているので、一見、強面だ。黒いシャツにコーヒー色のエプロンを羽織っており、手には木製のトレイ。カウンターに入ってレジの前に立ち、帰るためにやってきた客の対応を行っているので、店の人間と思われる。

「マスター、相変わらず寡黙だねぇ」

 レジを終えた客は、そう言って、笑いながら店を後にした。

 彼は、この店のマスターらしい。

 確かに寡黙な人物のようで、口数が極端に少ない。挨拶など、決まった言葉しか喋ってない。とはいえ、客に声をかけられると返事はするし、身を入れて話を聞く。コーヒーが美味しいと褒められると口元に笑みを浮かべもするので、ただシャイなだけのようだ。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ち致しております」

 昼の忙しい時間帯を過ぎると、客の入りがぴたりと途絶えることがある。嵐と言うのは誇張が過ぎるものの、通り雨が過ぎ去ったようではある。

「フゥ……」

 マスターは安堵の吐息を漏らすと、シンクにたまった食器を片づけるべく、袖をたくし上げた。食器を洗うためのスポンジを取ろうとしたとき、扉が開いてベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 入ってきたのは、20代後半ほどの女性で、黒のロングヘアー。背は高めのスレンダー。カジュアルなスーツを着こなしたその姿は、見るからにOLである。

「こんにちは……」

 彼女は微笑を浮かべると、まっすぐに一番奥のテーブル席を目指した。

 肩に下げていた小さめのバッグを壁際の席に置いた後、椅子に腰を下ろした。

「……?」

 その様子を、真っ黒なレンズを通して見ていたマスターは、微笑に影があり、足取りも重いことに気づいた。

 マスターは、彼女のことをよく知っている。

 この店の常連で、名前は立花 麗子。

 ほぼ毎日のようなペースで通ってくれていて、もはや友人と呼べる存在だ。

 近頃は週に一、二度のペースなので、仕事が忙しいのだろうと思っていた。

 麗子は、明るくて気さくで、いつも笑顔を浮かべている人物だ。時々、落ち込んでいることはもちろんあるが、心配すると強がり、無理でも笑おうとする。

 見ているこっちが嬉しくなるぐらい、幸せそうにコーヒーを飲んでくれるので、マスターは、麗子が来てくれるのを楽しみにしている。

 そんな麗子だが、今日ばかりは違った。入店時もそうだが、席に着いたいまもその後も、どこか悲しげで、常に俯き加減でいる。強がる気力もない、そんな様子だった。

 これは、何かあったのかもしれない。

 マスターは、麗子のことを気にかけつつ、いつも注文する店オリジナルのブレンドコーヒーを用意し、彼女の元へ向かった。

「どうしたの?」

 麗子の前にカップを置くと、マスターは優しく語りかけた。すると、彼女は顔を上げて、彼の目を――サングラスを見つめたのだが、その途端、ボロボロと泣き出した。

 マスターは突然のことに驚き、しばらく石になったように固まって、その後はオロオロ。見事に狼狽している。どうすればいいのかわからないようで、コーヒーをこぼしてしまったときのために持参していた雑巾を、ハンカチ代わりに差し出してしまった。すぐにバカなことをしたと気づき、引っ込めた。

 マスターのその慌てようや、見た目と違うコミカルさに、麗子はつい笑みをこぼした。

「ごめんなさい。家に帰るまでは、我慢するつもりだったのに……」

 麗子は、手を伸ばして紙ナプキンを取り、それで目頭を押さえたり、頬を流れるものや、テーブルの上に落ちた涙を拭ったりもした。

「……何が、あったの?」

 マスターがもう一度たずねてみたところ、麗子は困った顔をし、押し黙った。

 マスターは思った。もしかしたら、他人には言いづらい悩みを抱えているのかもしれない。いまの表情は、聞かないでくれ、というサインかもしれない。上目遣いで自分を見つめているが、それはそう願っているのではないか。

 ここは一言謝り、カウンターに戻ろうかと考えたが、そこでふと、彼女がすがるような眼差しを浮かべている気がした。申し訳なさと、自分に対する気遣いを感じられたのだ。

 それで、これはもしかしたら、逆なのではないか、と彼は考え、どちらが正しいのか、直接聞くことにした。

「聞かないほうがいい?」

 すると、麗子は首を小さく横に振った。そしてまた上目遣いで、すがるような眼差しを向けてきた。

 マスターは確信した。彼女は、いつものように悩みを打ち明けたがっている、と。

 マスターは、近くにある椅子を引き寄せて、その場に腰を据えた。

 その行動を、話を聞く、という意思表示として捉えたようで、麗子は安堵を得られたような表情を浮かべた。

 小さく溜め息をつくと、潤んだ瞳でカップを見つめ、ゆっくりと語りだした。

 涙の理由を――。

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