士族の祈り

平野武蔵

私の曽祖父はいかにして大工になったか

明治9年(1876年)3月に廃刀令はいとうれい(※)、同年8月に秩禄処分ちつろくしょぶん(※)が発布され、士族(元武士)はあらゆる特権を失った。


いわば給料をあてにできなくなった士族たちは自ら金を稼ぐ算段を立てなければならなかった。


要は突然リストラされたサラリーマンと同様である。最後にまとまった金を渡されて、ハイ、サヨナラというわけだ。

現代なら、これまで培ってきたスキル、知識、経験等をいかして転職が可能かも知れない。


しかし、士族の場合、そうはいかなかった。

江戸から明治への急激な時代転換と同じ速度で、武士たる士族は前時代の化石となった。彼らは新しい時代に通用するなにものも持ち合わせてはいなかった。


それでいて特権階級としての意識は彼らの中から消え去ることはなかった。世界が変わっても自らを変えることはできなかった。


ゆえに他人の下で働くなど論外だった。まして自分たちよりも身分が低かった者たちの下で。


結果、多くの士族が自ら商売を始めた。

「木村安兵衛のアンパン」のような成功例もあるが、多くは、"士族の商法"と揶揄されたように、ことごとく上手くいかなかった。


それはそうだ。

ついこの前まで刀をぶら下げていた連中に何ができるだろう?

いかめしい顔つきをした彼らと誰が好んで付き合うだろう?


*   *


私の曽祖父は、当時33歳、妻一人と六人の子供がいた。

彼もまた強固なアイデンティティを喪失した士族の一人だった。


武士は武士になるのではない、武士に生まれるのだ。

それは私の曽祖父のみならず、多くの士族にとって自明の理であった。

武士をやめろということは、人間をやめろ、すなわち死ねと言うに等しかった。


しかし、曽祖父に死ぬ気はなかった。当時の33歳と言えば、それなりの年齢ではあったが、未だ歩むべき長い道のりが残されていた。養うべき妻子もあった。


『腹は切れない。もはや、武士ではない。だいたい腹を切りたくたって刀がないじゃないか』


ある秋の日の午後だった。

曽祖父は近くの神社に足を運んだ。

その神社は高台にあり、百段ほどの急な石段をのぼらなければならなかった。

子供のころ、足腰を鍛えるために何度も登り降りした石段だった。そのせいか、今だに呼吸を乱すことなく登りきることができた。


空は曇り、秋風に寒さがにじむ頃だった。木々はざわついていた。初詣には行列ができるこの神社もその日はまったく人気がなかった。


長い石段を登り、やっとの思いで対面する神社は、しかし地味なものだった。小さくはないが大きくもない、よく言えば味のある、要は古いだけの神社だった。その焦茶色のやしろには、今日のようなぼんやりとした空がよく似合った。それでも、この神社が町の中心的存在であり、民の精神的支柱たり得るのは、単にこれより大きな神社が他にないからだった。


曽祖父は鳥居をくぐり、社の前に立った。

背筋を伸ばして対峙した。

実入りのない身にしては少なくない賽銭さいせんふところから取り出し、投げた。

縄を取り、鈴を鳴らし、大袈裟おおげさな二拍手が反響した。合わせた手をそのままに、そっと目を閉じた。


風が止んだ。

辺りは静寂の音に包まれた。

神の声を聞き取るには十分な静けさだ。


彼は答えをもらいに来た。

人生いかに生くべきか?

彼は生まれついての自己を失った。

ならば、彼は何者に生まれ変わればよいのか?

答えられるのはただ神のみ…


『私を武士として産み落とした神よ。

もう一度、私に新たな私を授けたまえ』


・・・・・。


彼の願いにいっそうの静けさが答えた。

神の声はおろか、風の歌も木々のざわめきも鳥の鳴き声も犬の遠吠えも蚊のはばたきさえも聞こえはしなかった。


神の答えを待てば永遠に立ち続けねばならないことに彼は思い至らなかった。

地位を与えられて生まれた者にとって、人生とは自ら選び取るものだという意識はなかった。それは先天的に与えられるべきものであった。


彼は武士の忍耐で不動の姿勢をとり続けた。

彼は今、再び産み落とされた33歳の0歳児であった。

今一度、神から役割を授かるまでは立ち去るつもりはなかった。


鼻からそっと息を吸い、吐いた。

空気は無味の味、辺りは静寂の音、閉じた瞳に映るのは深い闇。

彼は足場を失い宙に浮揚している心持になった。


無言を貫く神に彼は心で語りかけた。


『神よ、どうかお願いです。私に生きるすべをお示しください』


はじめのうち、それは懇願にも似た催促であった。が、神の沈黙が長引くにつれ、彼の心に卑しき疑念が芽生え始めた。


『神よ、先ほどの賽銭では足りぬと申すか。あなたは沈黙でそのことを雄弁に語ろうとしているのか』


………。

返事はなかった。


『神よ、私はなけなしの賽銭を奉納した。せめて手がかりのようなものだけでも教えてくだすったところで、罰は当たらぬと思うがいかがだろうか』


………。


『神よ、もしあなたがこのまま沈黙を続けるなら、私はもう畏れるものはない。賽銭箱をひっくり返し、私が投げた賽銭を取り返すまでだ』


………。


彼の中で士族の気高さは過去のものとなった。生まれ変わることを強いられた彼は卑しき自己を自ずと手に入れつつあるようだった。


ふいに何かが彼の頭頂部を打った。

続いて渇いた音がした。


それは強くも弱くもない、痛くも痒くもない、これまでに経験したことのない感触だった。


『神の御手が私に触れたか!』


彼はにわかに興奮した。

神の御姿を目の当たりにできるかも知れない期待に恍惚として目をあけた・・・






・・・誰もいなかった。


目の前には社が相変わらずの無表情で鎮座しているだけだった。

左右を見渡し、後ろを振り返ったが、神はおろか、住職も参拝者も犬も猫もいなかった。存在物の存在は皆無であった。


念のために頭上を見上げたが、突き出た社の屋根裏が見えるだけだった。

いったい何者が私の頭に触れたのか。

とんぼだろうか。それにしてはもっと固いはっきりとした感触があった。


あるいは誰かがいたずらで私の頭をぽんと叩き、社の影に隠れたのか。もっとも足音はしなかった。

しかし、とにかく腑に落ちないので周囲を探ろうと、足を踏み出したときである。


何かを踏みつけた。

草履を上げると、木片である。

彼は身を屈めてそれを拾った。

それは鋸で切断され、カンナで削られた木片だった。

彼の頭を打ったのはこれだった。


彼はもう一度頭上を見上げた。

社の屋根に組まれた木材の一つが落ちてきたのだろうか。

一見してもどこから落ちてきたのかは判明しなかった。木片の色から判断すると比較的新しいもののように見えた。屋根に組まれた古く侘しい風合いの木材とは明らかに違っていた。

あるいは、この位置からは見えない部分が近ごろ補修され、固定が甘くて取れてしまったのかも知れなかった。


しかし、彼にはその木片がどこから、どのようにして彼の足元に落ちたのかは結局のところどうでもよかった。


重要なのは彼がこの出来事を神の答えと受け取ったことだった。


士族として彼に生を授けた神が再び彼に与えた役割は・・・

答えは、この木片にあった。


彼は木片をさびしくなった懐にしまった。


こうして私の曽祖父は大工になった。


(※廃刀令:士族の帯刀を禁止した法令。※秩禄処分:士族への家禄支給廃止政策。)


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