愛してます。死んでください。

新実 キノ

少女は笑顔で心臓を狙う。ただ、ひたすら――愛ゆえに。

第1話 始まりを告げる鐘の音

「すっごぉぉぉぉくオイシぃぃですよぉぉお、せんぱいのし・ん・ぞ・う♡」



 ドクドクと脈打つ握りこぶし大の臓器を両手で大事そうに抱き、口の周りをベットリと血で濡らして恍惚の表情を浮かべる少女。

 吸い込まれそうな真紅の瞳に映るのは、胸にポッカリと穴が空いた一人の男。

 …………俺じゃん。



「これで、ずぅぅぅ……っと一緒ですね、せんぱい♪」




「うおぁぁあああああああああああああっっ!?」


 叫び、飛び起き、目に入ったのは……見慣れた我が家、自室だ。

 荒い呼吸を整え、額を伝う汗を拭い、脱力して再び横になる。

 なんというベタな夢オチだ。

 しかし、残念ながら今の鮮明な悲劇が現実になる可能性は決して低くない。


「くっそ……アイツのせいだ……」


 まだ収まらない動悸を紛らわすように、ある人物にラインを飛ばす。


『お前のせいでマジ最悪な夢見ちまったじゃねえか……。睡眠妨害で慰謝料を請求するからな!』


 普通のヤツなら、朝っぱらから何を馬鹿な夢の話をしてるんだと思うだろう。

 勢いで送った俺でさえ、そう思わなくもない。

 しかし、幸か不幸か、相手は世界で一番気兼ねのしない女だ。

 ゆえに一切の躊躇もしない。

 俺はふっと笑みをこぼす。

 返信は背筋が凍るほど早かった。


『夢の中でもそばにいてくれるなんて、せんぱいすっごく優しいですね♡ 責任を取って結婚します、今すぐにでも。そうすれば慰謝料どころか財産全部あげちゃいますよー』


 そうきたか……。

 気持ち悪くてドン引きするのが正常な反応なのだろうが、もはやこの程度のやり取りは日常茶飯事となってしまった俺は、軽快に指を動かす。


『謹んでお断りさせていただきます。つーわけで、気分最悪だから今日は絶対に妙なことすんじゃねえぞ』

『もう、せんぱいったら恥ずかしがらなくてもいいのに。それより早く迎えに来てくださいよー、私の顔を見れば気分もすぐによくなりますから』

『ほざけ。って、もうそんな時間か……悪いけど十分待ってろ』

『いつまでも待ってます♡』


 気だるい体に鞭打ち、着替えと朝食を速やかに済ませる。

 玄関のドアを開けると、そこには車椅子に乗った少女――弟切おとぎりネムが満面の笑みで出待ちをしていた。


「おはようございます、せんぱいっ」


 心地よい朝のそよ風にたなびく、腰まで伸びた長い黒髪。

 照りつける太陽の光を反射する、抜けるような純白の肌と海色のワンピース。

 骨と皮だけと言っても過言ではない、ガリガリでひょろひょろで小さくて血の気のない身体。

 ほんの数時間だけ咲く花のように儚げで、希薄で、弱々しく……。

 だからこそ。

 今にも壊れそうだからこそ……目が離せないほど、そっと抱きしめたいほど、本当に、本当に綺麗だ。


「……おはよ。待ってろって言っただろうが、無理すんじゃねーよ」

「一秒でも早く会いたかったんです。というか、かわいい女の子を待たせておいて、その言い草はヒドイですよー!」

「あーワリーワリー。じゃあ行くか」


 ナチュラルな挨拶を交わし、ルーティンと化した自然な流れで車椅子を押す。

 こんな一日の始まりが、当たり前になってしまった。


「クソあちー真夏の地獄にクソだりぃ学校までクソ重いお荷物運搬……しかも田舎道は悲しいまでにガッタガタでマジきっつ。はぁ……俺にどんな罪があるってんだ……」

「重いだなんて、せんぱいは本当にデリカシーがないですねー。強いて罪があるとするなら、私と一緒にイチャイチャ登校してることじゃないですか? 罪な男ってやつです」

「うまいこと言ったつもりか……?」

「はいっ!」



 幼い頃から通い慣れた学校に着き、教室に入り、席に座る。

 ここまでの間、俺とネムはずっと一緒だ。

 なぜならば、同じオンボロ学校の小さな教室の隣同士の席なのだから。

 車椅子を部屋の隅に移動させ、酷使した腕を揉みほぐしながら一息ついていると、目の前にスっとペットボトルが差し出された。


「今日もお疲れ様です、せんぱい。どうぞ」

「毎度のことながら、帰りもあると思うとゾッとするけどな……。サンキュ」


 結露した水滴が残る、まだ冷えた飲みかけの炭酸水を一気にあおる。


「おっはよー。相変わらずお熱いこったな、お二人さん。別に無理してお天道様と張り合わなくてもいいんだぞ。っていうか、やめろ鬱陶しい」

「よーっす。絶交すれば猛暑が解消されるってんならそうするが、生憎なもんでな。妬み乙」

「おはようございます。あははは、この程度の暑さと一緒にされては困りますよー。ねーせんぱい」

「お前はお前で煽るな……」


 喉の渇きを潤す間も、朝の定型文は続く。


青柳あおやぎ、ネムちゃん、おはよーっ。昨日もまたダメだったの?」

「はい、残念ながら……。せんぱいったら、ホントいじわるなんですよー」

「は? いじわる? それは、ひょっとしてギャグで言ってるのか?」

「ツツジ……これだからお前は憎めねえんだよな。今日も強く生きろよ、うん」

「おい、憎むどころか哀れんでるじゃねえかっ。ふざけんな、お前ら今日こそ一緒に来いよな……」

「「「無理! お幸せに~♪」」」


 実に他愛のない、平和な会話だ。


 俺達が住むちっぽけな島にあるたった一つの学校は、学年ごとにクラスが分かれていない。

 小学生は低学年と高学年で二クラス、中学生と高校生は何と一クラスのみ。

 ゆえに、二歳年下で高校一年生のネムも、受験を控えた三年生の俺も、こうして同じ教室に押し込められている。

 とはいえ、学校生活に不満はない。

 教える先生には大変なご苦労があろうと思われるが、俺は――おそらく他のみんなも、たとえ本土にあるような立派な校舎を選択できたとしても、迷わずこっちを選ぶだろう。

 妙に落ち着くというか、分相応というか、住めば都というか、地獄も住み家というか、言葉にしにくいが多分そんな感じだろう。

 加えて、どいつもこいつも仲良しこよしの幼馴染の腐れ縁。

 まるで大家族の兄弟姉妹みたいな、そんな気の置けない奴らだ。



「じゃーなー、ツツジー。今日も頑張れよー!」

「薄情者め……」

「じゃあね、ネムちゃん。今日も頑張ってねー!」

「はい、ありがとうございます。また明日ー」


 何でもない時間は、驚くほど早く過ぎ去った。

 いつも通り、つまらない授業で頭を悩ませて。

 いつも通り、どうでもいい話で笑い合って。

 いつも通り、くだらない遊びで盛り上がって。

 いつも通り、悪くない一日だった。


「ねえ、せんぱい。今日もあそこ……寄りませんか?」


 カバンを二つ胸に抱き、足をぶらぶらさせながら、ネムは予想していた通りの言葉を切り出した。


「またかよ、ほぼ毎日行ってんじゃねえか。お前、静養って言葉知ってる? さっさと帰ろうぜ」


 露骨にメンドくさがる俺。

 そんな俺の心情をドスルーして、はしゃぐ心を抑えきれずに上体をリズミカルに揺らすネム。


「でもでも、眺めはいいしー、風も気持ちいいしー、家でじっとしてるより体も心も健康になりますよ、きっと」

「俺の疲れた体も案じてくれると助かるんだけどな……。まあ、ちょうど時間になりそうだから別にいいけどよ」

「あはは、何だかんだ言って付き合ってくれるんですよねー、せんぱい。そういうところが大好きです」

「……お前と違って寛大で親切なんだよ、俺は。つーか、逆らうとうるせーし」


 ため息をついてハンドルを切り、帰路を外れる。

 踏みならされた地面から、人の手が加えられていない広大な自然へ。

 目に映るのは、心が洗われるような青い空、美しい緑。

 緩やかに、穏やかに流れる雲。

 風になびいてサラサラと擦れ合う草木。

 のびのびと飛行する鳥、放牧された牛。

 ほどなくして行き着いた先は、前面いっぱいにどこまでも海が続く、島の端。

 眼下に見える波の音も届かない、断崖絶壁。


「きれい……何度見ても。やっぱり私、この島に来てよかったです」


 遥か海の向こうを見つめながら、ネムはポツリと呟く。


「……こっちに来て三年も経つってのに大げさだな。別にふつーだろ、こんな景色くらい」


  都会生まれには珍しかろうが、飽きるほど眺めた俺には何の感慨もない。


「そんなことないですよー。それに……何より、せんぱいに出会うことができたんですから。そう考えると、こんな体に生まれたのも素敵な運命だったのかもしれないですね」


 こいつは本当に……聞いてるこっちがムズ痒くなるようなセリフを平然と言ってのけやがる。


「それこそ大げさだろ……。単なる偶然だっての」


 俺は漫然と景色を眺めながら、素っ気ない言葉を返す。


「…………ねえ、せんぱい。私のこと……好きですか?」


 またそれか……。


「あのなぁ……何度同じこと言えば気が済むんだよ、お前……」


 飽きるくらい聞いていなければ、少しはうろたえたかもしれないけど。


「いいじゃないですかー。想いを伝えるって大事なことですよ?」


 お前はもっと慎みを覚えた方がいいと思うが。


「………………嫌いだったら、こうして一緒にいないっつーの」


 海風に運ばれた潮の香りが、鼻腔を刺激する。


「うーん、ずるいですねー言い回しが。いつもいつも。あはははは」


 五時を告げる鐘の音が、かすかに響く。


「……せんぱい……私…………」


 車椅子を支える手が、振動する。


「私…………せんぱいが好きです。大好きです。愛してます」


 胸にナイフが、突き刺さる。


「せんぱいがいないと、ダメなんです」


 徐々に水平線へと落ちていく丸い太陽が、奇妙に歪む。


「ずっとずーっと、一緒にいてください」


 ひぐらしの鳴く声が、ぴたりと止む。


「だから……だから…………」


 異様な熱を帯びた胸部から、じわじわと痛みが侵食していく。



「……は……? なん……………え…………?」


 う……そだろ…………。

 ナイフ……刺さって…………!?



「死んでください♡」

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