第2話 黒い吸血鬼


小さな小部屋には、数本の蝋燭と月明かりがテーブルの上の僅かな料理と書類と向かい合って座る男女を照らしていた。

テーブルの上の皿に入っている、カンレイイモスープを飲もうと手を伸ばしてからリトラスは口を開いた。

「そういやさ」

たいして温かくもないスープを飲み、皿を置いてから続きを話した。

「午後は一人で出かけたいんだけど問題はある?」


対面に座っている女は数十枚の納品書を書き綴っておりリトラスの言葉に呆れの目を向けた。

「は?またですか?午後は書類を処理すると朝おっしゃっていましたが?」

そう言う女、セルマの目には深い隈が出来ている。だがそれはリトラスも同様だ。


二人ともあまり睡眠が取れていないのだ。10月、すなわちあと月が10回登るまでに納品書を作りおわり提出せねば領主の座を降ろされてしまう。冷害の事もあり、今回は納品書に加え軽納誓願書に血液進呈書も書かねばならない。


ゆえにセルマの呆れは当然であったし、無理を言っている事は分かっていた。

「なぜ出かけるのですか?納品以上に重要な事でもあると?」

「そうなんだよな...ハハハ」

察してくれとばかりに苦笑いを作る。いつもそうだ。この男は面倒を一人で抱え込み解決してしまうことをセルマは知っていた。

「...一人でどうにかなるのですね?」

「なる。だからセルは納品書頼むぜ」


わざとらしくウインクをする領主に対して、深いため息をついてから呆れたと言うように左手を額につける。

「わかりました。どれくらいにお戻りになられますか?」

「そうさなぁ...2時くらいには戻るよ。」

「ではお気をつけて」「おう」

質素な昼食を片付けてリトラスは部屋を出て行く。温かみのある蝋燭の光は納品書に向かう女を照らすのみとなった。



ガチャリと馬小屋の戸が開けられる。馬小屋には希少な馬が六頭もいた。インヴェンクルスにおいて馬は最高の家畜であり、移動にも食用にもなる。リトラスの領ではここにいる六頭の飼育が精一杯で、それ以上飼おうとすれば飼料となる菌鉱石を他の領主から貰わねばならなくなる。とてもではないが菌鉱石は譲ってもらえるようなものではないし、交換に頼るなら相応のものが要求される。そんな余裕は自領にない事をリトラスは百も承知だった。


リトラスは七番目の部屋に向かう。軋みながら開いた扉の向こう側にいたのは馬ではなく黒い布のようなものを纏った何かだった。しかし、こちらを睨む目に映る眼輪はそれが吸血鬼である何よりの証拠だった。

「お初にお目にかかります。私はこの領地を任されている人間、リトラスと申します」

うやうやしく頭を下げたのち、片膝の姿勢をとりどうにか視線を合わせる。人間が吸血鬼よりも高い視点で会話する事は許されない。また、片膝は相手に攻撃する気がない事を示す服従の座り方だ。


「ご尊顔を拝見したのですが私の無知ゆえ、どなたか存じあげることが叶いませんでした。申し訳ありません」

そう言いながら顔を深く下げる。

リトラスは涼しい顔をしながら、恐怖が止まらなかった。今、この瞬間首を吹き飛ばされる可能性すらある。ザルカの吸血鬼であれば当然、敵だから殺されるだろうがインヴェンクルスの吸血鬼であっても俺の顔を知らないのか家畜!と殺されてもおかしくはない。


「......」

しかしリトラスの焦りとは逆にその吸血鬼はこちらの言葉に対して無反応だった。その表情は変わらずこちらをじっと睨むのみだった。


リトラスは内心歓喜していた。この反応は待ちわびていたものだからだ。

「御仁の名と血統を教えていただく事は叶いませんか?」「......」

しかし吸血鬼は沈黙を守るのみだった。リトラスに再度恐怖が吹き出し始める。なぜだ?ここで黙る意味はあるのか?対処を間違えたのか?

しばらくの間沈黙続いた。リトラスにとっては耐え難い地獄のような沈黙であった。沈黙を破ったのは意外にも吸血鬼だった。


「名前は...ディートヘルムだ」


リトラスは歓喜。それは表情にも出ていた事だろう。まともに話に応じてくれたということは、自国の吸血鬼であるに違いなかったからだ。

しかし次の一言で顔がひきつるのだった。


「血統とはなんだ?」


今なんと言った?血統とはなんだ?血統を知らないのか?そんな事はありえない。インヴェンクルスでは生まれた瞬間から吸血鬼は期待され保護されるものだ。血統を誇り、血統と共に生きる。しかしこの吸血鬼は血統をしらないのだ。つまりこの国の吸血鬼ではない。

「......」

今度沈黙を作り出したのはリトラスの番だった。ありえない。なぜこんな辺境に他国の吸血鬼が?いやつまりは殺されるのか俺は。こんなことになるのなら、セルマと納品書を書くべきだった。


「おい早く話せ」

「はい。血統というのはですね吸きゃつ鬼様が使います特殊な力の事にございます。またその特殊な力は遺伝しますので特殊な力を持つ家系そのものを血統とも呼びます」


噛んだ。敵に情報ばら撒いた上に。

「そうか...。ところでなぜ貴様はそこまでかしこまっている。」

「え...はっそれは」

「普通に話せ。俺は言語に疎いのだ。敬語をやめろ」

「......」

歓喜と恐怖の応酬が起きていたはずが、今や疑問ばかりが頭の中を巡っていた。そしてリトラスの頭の中は一つの答えを導き出した。この吸血鬼はこの国の吸血鬼ではない。敵なのだ。ならば敬語など使う必要はないのだ。


どうぜ俺は殺されるのだから。


「どうした?なぜ黙る。」

殺されるのだ。それならば俺は聞きたい事を聞こう。

「...わかっ...りました。もう敬語は使いません。だから教えてください。あんたは...あなたはどこの国の吸血鬼なんだ?ザルカか?ハルジバハオか?まさかアレルスターって事は「待て、国とはなんだ。」


リトラスの言葉を遮って出た質問は国から来ていない事を指していた。国から来ていない?ならば何処から...。リトラスは質問を間違えた事を理解し、訂正した。

「待て、待ってくれ質問を変える...あんたはどこから来た?」



「その質問ならば答えられるぞ。砂漠だ。俺は砂漠を越えてたどり着いたのだ。」

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