第3話「まだらの紙」

 放課後の教室で、私たちの目の前には奇妙な実験装置のようなものが置かれていた。

 細く切られた短冊のような物の位置を直して、その上に振られた番号を確認すると、ショウヤくんは満足げに頷く。


「それじゃあ、楽しい実験を始めようか」


 消しゴムにセロハンテープで貼り付けられたプラスチックの定規が2本、実験装置の両端に立っている。

 真ん中あたりには、定規同士をつなぐように渡された細いヒモ。

 ヒモにはくだんの短冊が5本、クリップで止められていた。

 この短冊は私のコーヒーフィルターをハサミで細く切ったものだ。

 授業中に勉強そっちのけで、彼がこれを作っていたのを私はちゃんと見ていた。


 ショウヤくんは実験装置の一番下に置いてある受け皿に水を注ぐ。


 私たちはこれから何が起こるのかと、息を詰めてそれを見つめていた。


「……これでよし。まぁ5分もすれば結果は出るよ」


「えー? 5分もかかるのー?」


 明らかにがっかりした様子でアイリちゃんが別の机にだらんと座る。

 他の4人も呼吸することを思い出したように、大きく息をついた。


「ショウヤくん。これ、なんですか?」


「うん、ペーパークロマトグラフィーだよ」


 私の質問に、ショウヤくんは事も無げに一言でそう答える。


「ペーパー……?」


「ペーパークロマトグラフィー。簡単に言えば毛細管現象を利用した物質の分離実験だね」


 得意げに説明するショウヤくんだったけど、私たちは誰もついていけていない。

 ペーパーなんとか言う実験がどんな意味を持っていて、それが犯人探しになぜ必要なのか、本当に、少しも理解できていなかった。


 頭の周りにたくさんの「?」を浮かべた私たちを見て、ショウヤくんが動きを止める。

 メガネに指を当てて少し考え、彼はやっと私たちにもわかるように、噛み砕いた説明をはじめてくれた。

 ……少なくとも、そう努力はしてくれた。


「クロマトグラフィーって言うのは、溶媒ようばい……この場合は水だね。溶媒に溶ける物質を、その親水速度しんすいそくど電荷でんかなどによって分離させる。そういう実験なんだ」


「……えっと……へぇ」


「ほら、もう分離し始めただろ?」


 彼に指さされて短冊を見ると、短冊の下の方に書かれたビリジアンの丸が少しずつにじみ、段々と上に向かって伸び始めているのがよく見える。

 みるみるうちに広がってゆくその虹に、私たちは目を奪われた。


「ああっ! ショウヤこれ! 違う色に……虹色になってるじゃない!」


「うん、そうだね。ビリジアンと言っても『ビリジアン』という色素一つで出来ている訳じゃないんだ。青や赤や黄色、様々な色素を混合してこの色を作っている」


「へぇ。キレイだけど……これが犯人探しにどう関係するの?」


 塾の時間が迫っていると言っていた工藤さんが、広がってゆく虹を見つめながらショウヤくんに質問する。

 それは私たち全員を代表した質問だった。


「いい質問だね」


 質問したのは工藤さんなのに、ショウヤくんは私の目を見て笑う。

 教室で、推理小説ののようなお話が始まると思ったあの時より、もっとドキドキし始めた心臓を押さえて、私はショウヤくんの言葉を待った。


「――出来上がったペンの色は同じように見えるよね。どれも『ビリジアン』だ。でも、その色を作るために混合する色素の種類や割合は、メーカーごとにぜんぜん違うんだよ」


 ショウヤくんの言葉を聞いて、私は慌てて番号と名前の書いてある小さな袋に入ったペンを確認する。

 今までぜんぜん気にしていなかったけど、ここに残っているビリジアンのペンは、4本ともメーカーが違っていた。


「すごい……それじゃあ、この虹色を見比べれば……」


「そう、藤村さんのノートにいたずら書きをしたペンがにじんでいた部分を切り取ったのは0番の短冊だ。だから……」


「――0番と見比べれば、同じ色素のペンががどれなのかわかるのね!」


 私とショウヤくんの言葉を引き継いで、アイリちゃんが大きな声を上げる。

 その間にも水性ペンのインクはコーヒーフィルターを登って虹色の模様を広げて行き、私たちは今度こそ本当に、息をするのも忘れてそれを見つめた。

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