mission0-2 シャチに育てられた少年
まぶたの向こう側に
太陽はすでにてっぺんまで昇り、じりじりと少年の素肌を焼いている。
少年は海面に仰向けでぷかぷかと浮いたまま、再びまぶたを閉じ、先ほどまで見ていた夢を
時折、どこまでが本当でどこまでが夢なのか分からなくなる。あの日からもう十六年も経っているのだ。一歳だった当時はまだ赤ん坊のようなもので、こうして脳裏にこべりつく映像が果たして実際に目で見た記憶なのかどうかは自信がない。
ただ間違いないのは、親と別れた彼がシャチに拾われ今まで育てられてきたこと。
(あの島……今はどうなっているのかな)
育ての親である巨大なシャチ・トリトンに聞いてみても、島の場所は教えてもらえなかった。自力で海をさまよって探そうとしたこともあったが、彼が泳いで行ける範囲の海域にはないらしい。結局あの日以来一度も故郷の土を踏むことはなく、こうして海の中を中心に生活している。
波を割って何かがこちらに向かってくる音がした。
少年は目を開けて音がした方向を見た。黒いヒレを海面に出し、近づいてくるシャチが一頭。まだ成体ではない。少年と同じくらいの年に生まれた若いシャチだ。
シャチは少年の目の前まで来ると、キューキューと鳴いた。
"よう、やっと起きたか寝ぼすけめ。今日の狩り当番は俺とお前だぜ。ヒレ無しだからって族長が情けをかけてくれるわけじゃねえのはよく分かってるだろ。さっさと行こうぜ"
少年はシャチに向かって頷き、鼻の奥を鳴らして高音で答えた。
"ああ、分かってるよ。ノルマよりもたくさん狩ってトリトンを満足させよう。どっちが多く獲れるか勝負だ"
そうして少年はざぶんと海の中に潜る。長く伸びっぱなしの黒髪が海草のように揺らめいた。
"あっ、こら、抜け駆けは反則だぞ"
すぐ後を若いシャチが追う。
狩り当番。それはシャチの群れの中にある仕事の一つ。子どもや怪我や病気で狩りのできない仲間のために代わりに魚を獲ってきてやるのだ。
少年は人間である。当然、シャチのように泳ぎや体躯を活かした狩りをすることはできず、初めのうちはこの理不尽な仕事に弱音を吐くこともあった。だがトリトンは彼を決して甘やかさず、頭を使ってなんとかしろと言うだけだった。
そうして試行錯誤の末、少年は道具を使うことを覚えた。海底に打ち捨てられた
今日の狩りもいつも通り順調だった。
子シャチでも食べられる小魚から、大人のシャチたちのつまみとも言えるサメまで、次々へと仕留めていく。
"ははっ。今日は俺の勝ちかな?"
少年がにっと笑うと、同じ狩り当番のシャチは悔しそうに唸る。
"ちくしょう、ヒレ無しのくせに調子乗りやがって"
もうノルマは十分達成した。群れのいる場所に戻ろう——少年がそう声をかけようとした時だった。
一人と一頭のいるあたりを、黒い影が覆う。
少年ははっとして海面の方を見上げた。
船影だ。
“チッ。人間どもがデカい顔して海を横断しやがって! 逃げるぞ!”
若いシャチはキュイキュイと少年に向かって合図を送る。
ここのところ人間の漁船や軍艦によってシャチの仲間がやられることが相次いでいた。漁場の開拓のために、人間たちがシャチのナワバリに進出してきているのだ。かつては海の生態系の王者とも言えたシャチたちであったが、人間の技術の発達には敵わない。大砲や銛の前には彼らの強靭な身体も無力である。
だが、少年はじっと海面の方を見たまま動かない。
“おい、早くしろよ! 見つかっちまうぞ!”
"先に行っててくれ! 気になることがある……!"
"はぁ!?"
少年は船から逃げるどころか、海面に上がってその船の方に泳いでいく。立派な作りの軍艦だ。国防色に塗られた船体に、マストに掲げられた旗。それは少年の脳裏に焼きついて消えない映像と一致する。
(やっぱり……あの日、島を襲った船と同じだ……!)
その時、軍艦に取り付けられた大砲の先端がこちらに向けられるのが目に入った。沖の方から連れのシャチが短く鳴くのが聞こえる。
“気づかれたぞ! 逃げろ——“
ドン!!
シャチの鳴き声をかき消すかのように船の方から轟音がして、次の瞬間には少年のすぐ目の前で巨大な水しぶきが上がった。波が荒れ、少年の身体をいともたやすく海の中へと引きずり込んでいく。
(ぐっ……)
息が切れる。息つぎをしたくても、撃ち込まれた大砲のせいで流れが狂い、思うように海面に上がれない。必死にもがいても、少しも進まない。
もう一頭のシャチは先に逃げたようだ。彼の影は近くには見えない。
ごぼっ。最後の空気と入れ替わりに、海水が口の中に入ってくる。
(くそ……こんな、ところで……)
全身の力が抜けていく。
朦朧とする意識の中で、少年の目には自らの首にネックレスのようにくくりつけている灰色の石が映った。波に激しく揺さぶられて、今にも首から抜けてさらわれてしまいそうだ。
(これだけは……この石だけは、守らないと……)
少年は残りの力を振り絞り、ぎゅっと石を握った。いつもはひんやりとしているその石が、少しだけ熱を持ったような気がした。
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