マーク・チャップマン 2



声を張って問いかけると、姉のめぐみがキッチンから出て来た。

両手にマグカップを持っている。

もう35歳になるのに、ピンクと白の太めのボーダーが入ったモコモコの寝間着が不思議と似合って見えた。


運びずらそうにしていたので、近づいてマグカップの一つを受け取る。


「ありがと、けーちゃん。それなのよねぇ。私はパートに出てること多いし萌は学校と部活でしょ?

普段、あんまりリビングに居ないのよねー。休日の昼間なんて炬燵こたつがあれば十分だし」


「ああ、まー、そう言われればそうか」


再びソファに腰を下ろす。

カップの中身はコーヒーだった。

夜なのにと少し不思議に思っていると、「カフェインレス。最近、ハマってて」と言う答えが返って来る。

同時に投げて寄越されたクッションを腿の上に置きながら、恵一はまたスマホを見つめた。


「けーちゃん、さっきから難しい顔して何してるの? まさか、仕事の連絡じゃないよね。駄目だよ、たまの休みにまで仕事しちゃ」


「ああ、違う違う。今日たまたま、ビートルズの話になってさ。ジョン・レノンって何で殺されたんだろうなって気になったんだよ」


言いながらネットの記事が表示されたスマホを、恵一はめぐみに手渡した。


「へぇー。……マーク・チャップマン、1955年生まれ。1980年、12月8日の夜、帰宅したジョン・レノンに向けて背後から発砲。

5発撃ったうちの2、3発がジョンの胸に、他は肩に当たった。

マークは現場に警察が到着するまでの間、逃げようともせず、J・D・サリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたと言う。

負傷したジョン・レノンは、駆けつけたパトカーの後部座席に乗せられて急いで近くのルーズベルト病院に搬送されるも、出欠多量で死亡……マークは現在もウェンデ刑務所に服役中」


読み上げるにつれて、めぐみの顔は険しくなって行った。


「なんかメチャクチャやばそうな人だね。こんなのに人生終わりにされるって、何だか虚しいわ。有名になるって怖いよね」


「知名度が上がってファンの分母が増えればやっぱり中には危ない人も出てくるんだろうね」


「ファンって……なに? このマークって人、ジョン・レノンのファンだったの?」


「あれ、聞いたことない? 有名な話だと思ってたんだけど」


マーク・チャップマンはジョンに発砲する少し前、彼にサインを求めている。

ジョン・レノンの狂信的なファンだったと言うのは、彼の持ち物や周囲の証言によって裏付けが取れているそうだ。


「ファンなのに殺したの? ちょっと意味わかんないね」


「だろ? 今日、萌とも話してたんだけど、理由がずっと気になっててさ。だから調べてたんだ」


ネットの記事では、彼の人物像や人格形成の素となったに違いないバックグラウンドについても簡単に触れられていた。


マークの父親は妻に暴力をふるう男で、二人の子供たちにも愛情を示さなかったらしい。


父親に怯える生活の中でマークは、『自分は寝室の壁の中に住む小人こびとたちを支配する王である』という空想に浸るようになった。


空想の中のマークは小人たちの新聞やテレビに毎日登場し、彼らにとってのヒーローだった一方で、癇癪かんしゃくを起こして彼らを殺すこともあったと言う。


けれど小人たちはいつも、そんなマークを許してくれた。


「もぉ! けーちゃん。そんな不気味な記事読むのはやめなさい。その人完全にサイコパスだって」


「でもちょっとだけ、可哀想じゃないかな」


大人の男の暴力の前では、子供なんてひとたまりも無いだろう。

空想を膨らませる事で自分の心を守っていたんだろうなと思うと、やはり少し可哀想だ。


「はあ……けーちゃん。他人想いなのは、あんたの良いところだと思うけど、優しすぎるのは自分にも毒だよ。

『この人なら何でも許してくれる』って思われちゃうと、人ってナメられちゃうんだから。めるとこめてかないと」


よくわからない姉のアドバイスに苦笑いで頷いていると、萌が風呂から上がる音がした。

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