玉虫イロハは揺るがない 1

 千裂せんざきカケルが土手に上がると、夕陽が美しく空を染めていた。

 河原で草野球の歓声。近くの高校の、ジャージを着た女生徒たちがひと固まりに横を通り過ぎる。

 ——ほら、あれ<夕暮れの君>。本物見ちゃった。

 生徒の声が途切れ途切れに聞こえ、カケルは苦笑いを浮かべた。

 自分が走りにこの時間に来ることが、どうやら噂になっているらしい。

 カケルはずっとショートで通しているうえに背が高い。高校の時も、男性よりもむしろ同性(年下)にもてた。

 ジャージ越しでもわかる脚の筋肉とちらりとのぞく割れた腹筋。表情に乏しいとよく相棒パートナーにはからかわれるが、カケルをあまり知らない人にとってはクールビューティに見えるのだろう。

 しかし自分が他人にどう見えるのかなんて、カケルにはどうでもいいことだ。

 愛用の無印良品リュックのひもの位置を直すと、腕時計ナビタイマーのストップウオッチ機能をオンにする。身に着けるものも、あまり『かわいい』感じよりは機能美で選んでしまう。だから余計に『かわいくない』のかもしれない。


 走るのは好きだ。

 リズムに合わせ、自分の肉体と会話する。そこには嘘も駆け引きも存在しない。

 いつものコースを半分ほど消化した頃に、携帯が震えた。

『緊急招集、ランクC<NAMEDネームド>出現。個体名、<タートルヘッド>』

 黄昏機関からのメール。場所も近い。


 知る者は少ないが、夕暮れ時には魔物が現れる。やつらは人を捕食する。

 黄昏機関は、その<トワイライター>に対抗するために作られた組織だ。

 <トワイライター>は不定形、あるいは低級な動物を模したような姿をしたものから人間に近いものまで多様である。

 中でも<NAMEDネームド>は黄昏機関が数回取り逃がしており、特徴によってコードネームがつけられた個体のこと。ランクCはそこまで強敵ではないが、クセのある敵だということは間違いない。

 ——お仕事、しますか。

 カケルは黄昏機関に属する<衛り手ガード>である。

 土手で今まですれ違ってきたような、一般人が襲われるのを平然と見てはいられない。それは自分が正しく前を向いている証拠だ。

 リュックのひもの位置を直すと、カケルは現場に向かって走り出した。


            *                    *


 敵のデータを呼び出す。

 <タートルヘッド>は人型とはいっても全身が鱗で覆われている、イメージ的にはリザードマンのような姿をした<トワイライター>だ。コードネームは頭部を体の中にめり込ませて隠すのが目撃されたからだろう。鱗を硬化させて攻撃や盾に使う、防御力に秀でたタイプ。


 目撃現場に着いて、あたりを見回す。

 そいつは探すまでもなかった。

 プロレスラーが無理やりスーツを着たような、パッツンパッツンな体に中学生の頭が乗っていた。比喩ひゆでも何でもない、中学生の生首が乗っていたのだ。しかも後ろ向きに。本人は何故周りの人間が悲鳴を上げて逃げるのか理解していないようだった。


 カケルは背負っていたリュックから白いグローブを取り出して両手にはめた。エアの抜ける音がして、自動的に手首が締まっていく。バチンと胸の前で打ち鳴らすと、<トワイライター>へ向かっていく。

 そいつはカケルに気づくと、

「あア、<衛り手ガード>カ。俺はもう二、三人喰っテくからコイツと遊んでイろ」

 ぬるりと敵の背後から影のように現れたのは、猫科の大型獣めいたもう一匹の<トワイライター>。目はなく、口が裂けたように長い。そしてデタラメな規則性をもって長い牙が何本も生えていた。


 カケルは構えた。シュートボクシングのオーソドックススタイル。打撃技蹴り技が主体だ。関節技もできるが、そもそも相手が人型ではない場合も多いのでなかなか使う機会がない。

 獣はぐっと屈みこむと、俊敏に跳ねてカケルに襲い掛かる。

 カケルは反応して迎撃する。ジャブからのワンツーが綺麗にいやらしい顔に決まった。

 と、不自然に空中で横に一回転し、何事もなかったかのように地面に降り立った。

 何か納得いかなそうにしている様子だ。

「アレの牙で貫ケんとハ——グローブは特別製か。だが、アレは隠れルのが得意だぞ。保護色ってイうのを使っテな? 見えナい敵かラ身を守り通セるか?」

 獣の姿が見えにくくなる。あの<トワイライター>には体毛はなかったから、恐らくイカのように細胞の体色を変化させるのだろう。

 ステルス持ちとは厄介な。

 カケルは勘と反射神経のみで攻撃をかわす。しかし、百パーセント避け続けることは無理だ。

 けれど、相棒の能力なら。


 そう思った時。

 目に映る、景色が変化した。


 色がより鮮やかに感じる。

 画像処理で彩度を上げたような、感覚。

「ごめーん、遅れた」

「……遅いよ」

 <蒼石の女王アパタイト・クイーン>。そう異名をとるくらい彼女は独特だ。

 さすがに<女王>は半分くらい揶揄やゆも入っているが、聞いた者に納得させうる強烈な意思を持ったは本物だ。

 長髪をシルバーに染め、毛先の方には青色を入れている。それをツインテールにまとめ、ガーリーで目の覚めるような青のワンピースを着た彼女は、どこのコスプレ会場から抜け出てきたのかと思わせる。だけど、それが彼女の普段着なのだ。

「仙台から帰ってきたばっかりなんだ。あとでお土産あげるね」

「あいつ、ステルス」

「ふーん。一匹だけよね、見たところ」

「ああ」

 姿、さらりと彼女は言った。

 突然に獣型の<トワイライター>の全身が赤くなった。そいつは戸惑いと焦りに激しく体を震わせるが、ステルスは無効化されて赤く染められたままだ。

 カケルは一瞬で距離を詰めると、アッパーカットからの回し蹴りを放った。この強烈なコンビネーションには耐え切れず、獣型の怪物は吹っ飛んだ。

 ほいっと彼女はチューブを二つ並べたような玩具おもちゃめいた銃を取り出すと、ぽんぽんとシャボン玉のような球体を撃ち出す。大きなシャボン玉は倒れた怪物の身体に触れると割れた。その液体にはかなりの粘着力を持っていて、怪力を持つ<トワイライター>の身動きを封じる。

 彼女——カケルの相棒パートナー、玉虫イロハが目を閉じて数秒たつと、怪物も元の色に戻った。

「……奇妙ナ能力だな。強制暗示に近い——ノか?」

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