闇鍋の集い:1

 梅雨というのは、一般的に忌避される季節だ。

 外で遊べないから。洗濯物が乾かないから。その理由は人それぞれだろう。かくいう七瀬もこの時期はあまり好きではない。雨は生命の源、とは言うが。暫く太陽の姿を拝んでいないと心が萎えるというものだ。

 窓の外を見て、七瀬が誰にともなく呟いた。


「……晴れませんね」

「ん。……そうだな。最近はずっとこんな天気か」


 原稿と睨めっこしていた南部長が顔を上げて応える。今日の文芸部部室にはいつにもまして人気がなく、来ているのは七瀬と部長だけだ。

 止まない雨音は部屋の中まで届いてくる。灰汁を掻き回したような色の乱層雲が空に蓋をしていた。風もなく、じめじめしていてしょうがないので先ほど窓を開けてみたのだが、それでもあまり変わっていない。

 鞄の中を漁りながら南部長がぼやく。


「何か、楽しいイベントでもあればいいんだけどな」


 その右手が二袋のカントリーマアムを探り当てたようだった。片方を七瀬に放ってから早速食べ始める。その瞳は天井に向いており、口元に当てられた人差し指が小さく四拍子を刻んでいた。


「イベント……か」


 次に部長が口を開いたのは、丁度七瀬がカントリーマアムを食べ終えた時のことだった。


「私の家で闇鍋をしようか」


 唐突すぎる提案だったので、一瞬聞き間違えたかと思った。

 

「今なんて言いました?」

「闇鍋だよ闇鍋。お前も聞いたことくらいはあるだろ」

「真っ暗な部屋の中で、参加者がそれぞれ具材を持ち寄って鍋をする、あれでしょう」

「そうだ。私は、その闇鍋を文芸部のみんなと一緒にやりたいと思ってる」

「なるほど」


 七瀬が頷いた。

 闇鍋と言えば、ある意味学生時代の特権みたいな料理だ。大勢で食糧を持ち寄ってそれらを暗闇の中で食べる。大抵、ドリアや納豆みたいな爆弾食材を持ってくるやつが一人はいて、結果混沌が誕生してしまう――こんなイメージがある。


 ――面白そう、かも。


 七瀬はこれまでに、闇鍋をやったことはない。この機会に挑んでみるのもいいかもしれない。美味しいかどうかはさておき、皆でワイワイ騒ぎながら食べる闇鍋はきっと楽しいだろうから。

 そんな思いが顔に出ていたのか、部長がニヤリと笑った。


「お、どうやら興味を持ったみたいだな」

「……分かりました?」

「お前は正直だからな。とても分かりやすいぞ」


 そう言ってから、部長は机に肘をついて乗り出してきた。瞳の奥で好奇心の光がうずいていた。それはどこか、秘密の作戦会議をしている小学生のようだった。


「実はな、私も前々から一度やってみたいと思ってたんだ。それを今思い出した。でもどうせするなら、大勢いた方が盛り上がるだろう?」

「はい。〝鍋″はそういう料理ですからね。時季外れな気もしますが」


 七瀬が席を立って、電気ポットの元に向かう。


「紅茶、飲みますか」

「悪いがコーヒーで頼む。………しかしな、七瀬。思い立ったが吉日って諺があるだろ。そう考えれば時期なんてたいした問題じゃあない。まあ、ちょっと暑くなるかもしれんがな」


 ポットのお湯で紅茶を淹れながら、七瀬が答えた。


「大勢で部長の部屋に押し掛けることになりますが」

「私は別に気にしないぞ。それに大勢ったって、集まっても六人だからな」

「零細サークルは苦しいですね」

「はは、まったくだ」


 苦笑する部長を見て、部員の数が一桁という事をいまさらながらに思いしらされる。


「当人がいいって言ってるんだから、遠慮することはない。皆にもそう伝えておこう」

「それなら大丈夫ですね。ところでいつするんですか?」

「今日、夜七時頃からだな」

「今日……ですか?」


 七瀬の手元で、紅茶とコーヒーが心地いい香りを上げている。部長は立ち上がってコーヒーのカップを手に取った。揺らぎ上る湯気を吸い込むと、かすかに唇の端を崩す。


「私の知る限りだと、今日は皆、特に何の用事も無かった筈だからな。ということで、七瀬。鍋の具材を持参して、七時に私の家に集合だ」

「決定事項ですね」

「決定事項だな」

「それじゃあ、冷蔵庫から適当に見繕ってきます」


 二つ返事で了承する。

 部長の住むアパートには以前一度訪れたことがあるので、場所も知っている。それに自分の部屋で一人より、気の置けない人たちと一緒にとる食事の方が何倍も楽しいものだ。

 後片付けがいらなくて楽、という魂胆もあったりする。


「うん、そういうことで頼む。食べれないものは持って来るなよ?」

「当然ですよ……自分でも食べるんですから」


 苦笑しながら紅茶を一口飲んだ。果物のような香りの液体が喉を下って行くのを感じる。


「渚ちゃんは来ますかね」

「ほう?」

「いや、別に、変な意味じゃありませんよ。 誤解しないでくださいね」


 彼女が来るとより楽しくなるだろうな――と思ったことは、否定しないにしても。

 南部長が意味深な笑みを浮かべた。何だか、全部見透かされているような気分になった。


「なるほどな。そういうことなら、私に任しとくといい」

「………どういうことです?」


 それには答えず、部長は自身の携帯を取り出して何やら打ち込み始めた。七瀬がその様子を見ていると、部長は何かを勘違いしたらしく、小さく首をかしげる。


「ただのメールだよ。今日の七時に闇鍋をする旨、忘れない内に渚に伝えとこうと思ってな。連絡は早い方がいいだろう」


 渚の連絡先なら、七瀬も先日無事手に入れている。アドレスと電話番号と。あの時は色々とヤバかった。ヤバい以外にどう形容すればいいのか分からない。交換をお願いする時の緊張と言ったら、それこそ心臓がはち切れそうだったのだ。


「気になるのか」

「まさか」

「ふうん……。まあ安心しろ。命短し、恋せよ少年。そう心配せずとも渚はきっと来るだろうさ」


 はっはっは。そう笑って、まるで我が子に接するみたいに、七瀬の頭をポンポンと叩いた。


「子供か何かですか、僕は」

「どちらかというと弟だな」


 可愛げのない弟だよ、と余計なひと言をつけ足して。そのまま髪をバサバサと弄んできた部長に、七瀬は苦笑しながらもされるがままだった。

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