02. 俺は妹の母であり兄、幼馴染みの……なにか。




 俺、東城晴希の朝はとっても忙しい。

 まるで、我が東城ファミリーにおける母親はお前だ! なんて誰かに命令されているみたいだ。正解は、半分そうであって、半分そうじゃない。


 というのも、実のところ俺らには母さんがいない。俺らがまだ小学生だった時に、病気で死んでしまった。

 俺が毎朝家事をこなしているのは、必要に迫られたから、という理由もある。それが半分。

 三分の一は俺が好きでやっている。

 そして最後の六分の一ぐらいは、幼馴染みの心羽このはのワガママのためだ。


 最近では、専業主婦ならぬ専業主というものも徐々に知られ、ごく一部ではあるが世間にも浸透し始めている、なんていう話も耳にする。

「男が女に頼るなど情けない!!」「プライドはどうした!!」なんて声もかなりあるようだけど、人はつねに進化していくんだから、古くからある常識や型にとらわれず、それぞれの家庭に合ったいろんな生活のスタイルが存在してもいい。俺はそう思う。

 そして、俺には将来主夫として生きていくだけのスペックならもう全部備わってるんじゃないか――最近はそんな気もしてきている。


 高校生になってからの俺は、毎朝06時00分に起きるのがデフォルトになっている。

 自慢じゃないけど、一日たりとも、一分一秒たりとも寝過ごしたことはない――って、まだ今高一の6月中旬なんだけどな。それぐらいならまあ、働き者の日本人であれば誰でも、やる気になれば簡単にやれることの範疇だろう。


 起床後。

 俺はまず洗面所に下りて顔を洗い、寝癖を直し、大きなコップ一杯程度の水を飲む。

 手を洗ってから米を研ぎ、炊飯器のスイッチをピッと押してから、寝ていたトレーニングウェア姿のままで外へと駆け出す。運動不足解消のための毎朝のランニングだ。

 一周3~4kmぐらいはある、俺が自分で設定した川沿いの道等を通るコースを、基本は15分ほどで軽くひとっ走りする。これも、相当などしゃ降りの日とか、体調が悪いとかでない限りは、絶対に怠らないことにしている。なにしろ運動部にも、文化部の皮を被った運動部(合唱部さんとか吹部さんとかetc……)にも入っていないわけだから、これくらいはしなきゃダメだ。


 家に戻ったらば、体を拭いてから先に学校の制服のワイシャツと黒ズボンに着替えてしまい、汗で汚れたトレーニングウェアを持って脱衣場へ向かう。

 すでにカゴに溜まってる洗濯物とそれを一緒にし、ちゃんと洗濯ネットで種類や色ごとにも分け、丸い扉のドラム式洗濯乾燥機にぶっ込む。こっちもピッピッとやっていつものコースで、所要時間はだいたい30~40分ほどか。


 掃除は例の丸い形をしたロボット字がいるから、割と適当でそいつに任せちゃうことが多い。

 でも正直、掃除も毎日もっと念入りにやりたいところだ。だいたい休日の時間ある時にしかまともにできてないから、ここはかなり改善の余地がある。


 さて、洗濯機がゴーゴーとうるさい音を立てている間に、俺は朝食と弁当を作らないといけない。

 俺の二つ下で中二の(厨二病ではない)妹、ひかりにはまだ学校の給食があるのだが、それと内容が大きく被るのは好ましくない――別に文句を言われるとかそういうわけじゃなく、むしろ俺の要らぬ気遣いだ――ので、朝食をご飯にするかパンにするかぐらいは考える。

 因みに今朝はご飯に味噌汁、ちょうど今が旬の鯵の塩焼きに大根おろしを添え、あとは副菜をちょっと。朝からバランスのとれた良い食事を作ろうと思うのは、母さんがそうだったからか。

 俺と妹の分、それから仕事の関係上生活リズムが俺らとズレている父さんの昼メシ用に、合計三人分。父さんのはラップをかけて冷蔵庫に保存だ。


 弁当の方はというと、結構な大容量の弁当箱二つに、朝食のとはまた別のおかずを詰める。

 時間と相談しながら、ところどころ冷凍食品などで埋めつつも、それ主体にはならないように。

 こっちは俺の分と心羽の分。彼女はいつだってあれだけゆるゆるなくせに、食べるのは大好きという、本当に困ったお人なのだ。


 そもそも、俺一人なら高校ではお昼は学食にしようと思っていたところを、朝からこうやって弁当を作るようになったのは、心羽のおかげ……いや、だと言うべきだな。

 中三の頃、俺が初めて彼女に手料理を作ってあげたのをきっかけに、彼女は『一日一食は俺の料理を食べないと死ぬ謎の病』にかかったらしいのだ。まあそんなんあるわけがないけど、本人がそういうんだからしょうがない。

 勿論、本当にそれで文字通り「死ぬ」ことはない。が、俺のメシは彼女にとってのエネルギー源、それがないとダレて動いてくれなくなる。

 だから、彼女を毎日学校に行かせるために。俺の作った弁当は絶対に必要不可欠なものだった。


 そんなこんなで多種のメニューを大量に作っているうちに、ご飯が炊け、妹のひかりが体育着で二階の部屋から降りてくる。だいたいこの頃で06時50分ぐらいか。

 テレビをつけるのは基本ひかりで、俺はついでにニュースを軽く耳で聞き流しながら、手を休ませることなく会話をする。内容はなんてことは無い。


「あーお兄。おはよー」

「おはよう。朝もうちょいでできるから待ってて」

「はーい」


 ひかりは洗面所に向かい鏡の前に立つ。洗濯機がうるさいが、せめてドライヤーまでガーガーと鳴り始める前に、俺はその背中に向けて少し声を張った。


「ああ! 頼まれてたやつ、買っといたからな」

「あーえっとー、なんだっけ??」

「歯ブラシと、あとリンスの詰め替えのやつと」

「あっ、それね!」

「同じので良かったんだよな??」

「そうそう、だいじょぶ。ありがとね!」

「おう」


 家族同士の、全く当たり障りのない話。平日は父さんと顔を合わせることはまずないし、俺とひかりの二人暮らしのようなものでもあるけど、そうなると自然と兄妹仲は良くなるってもんだ。

 喧嘩することもほとんどなく、しばらく平和な毎日が続いているから満足だ――少なくとも俺はそう思うし、ひかりもきっとそう思ってるだろう。


「ほい、できた」

「あ、美味しそー。いただきまーっす!」


 俺は盛り付けた二人分の朝食を台所の中からカウンターに置く。ダイニングに戻ってきたひかりにそれらをテーブルに並べてもらう。

 ひかりが席につき、俺よりもひと足早く食べ始めたところで、脱衣場からピーッ、ピーッ、と電子音が漏れてきた。


「あっ、洗濯終わりっと」


 俺はすたすたと洗濯機の前に向かい、全ての洗濯物をネットから取り出してもう一度入れ直す。乾燥機で乾かした時にシワになりにくいようにだ。

 ただ、女性ものの下着だけは素材的に乾燥機に入れるのはよろしくないらしいから、これは浴室のほうで干して乾かす。

 乾燥には時間がかかるから、昼間起きる父さんに取り込みと畳むのをやってもらう。仕事で忙しいのは分かるが、家事でもそれくらいは貢献してもらわねば。


 そんなわけで、洗濯で俺が毎日妹の下着に手を触れていることは、ひかりも重々承知のうえだ。っていうか今しっかり起きてるし。向こうで朝メシ食ってるし。

 でも俺が変態呼ばわりされることはまったくないから、そこは安心だ。……世間的にも問題はないと信じてるぞ。


 いや、むしろ問題があるのは妹のひかりの方なんだよな。

 時々俺にサイズだけ伝えて、「忙しいから下着買ってきて!!」とか頼んでくることがある。

 冗談じゃないならそういうのは止めてくれ、俺は何度そう言ったことか。母親だったらまだしも、俺はせいぜい代わりでしかなくて、それ以前に紛れもなく男だ。


 それからはやっと俺も食卓に落ち着いて、ゆっくりと朝食を取れる。と言っても、妹は部活の朝練のために07時20分には家を出ないといけないので、一緒にいられる時間はあまり無い。


「ひかり、夜はどうすんだ??」


 俺は見送り際に、テーブルから少し首を伸ばして、玄関で靴を履いているひかりにそう問うた。


「えー、普通にココ帰るけど」

「いつもの時間??」

「うん」

「今日ものか??」

「ああ……うん」


「来ない」かと俺がひかりに訊いたのは、もはや俺にとっての「第二の家」とも呼んでいいだろう、心羽の家のことだ。でも、これはわりといつものことだけど、ひかりからあまり良い返事は貰えない。


「やっぱ来たくないのか??」

「だから違うって。ひかりはお兄じゃないんだから、そういうの申し訳ないんだって」

「遠慮する必要ないんだよ。景子けいこさんが言ってくれてることなんだから――」

「でも、いいよ」

「……そうか」


 ひかりが短く捨てるように言うものだから、俺もしつこく勧めても仕方ないと思い、今日のところもあっさりと引き下がる。強制的なものでも全くないし。


「分かった。じゃあまた、ご飯だけ炊いとくから、夕飯ちゃんと食べんだぞ。冷蔵庫にいくらでもあるから、バランス考えて」

「うん、分かってる」


 ひかりは低い声で答えると、靴紐を結び終えて立ち上がり、それから肩掛けの大きなスポーツバッグとテニスのラケットを持って、くるっと俺のほうに向き合った。


「あのさ、お兄。その……」

「うん」

「……」

「どうした??」


 ひかりは一瞬だけ、何かを言いたそうな素振りを見せたように思った。……けど、結局なにも言わなかった。

 ん、なんだったんだろう。まあ、なんとなくだけなら俺でも予想はつくけど。


 それが気のせいだったわけではないだろうけど、もう俺が気づいた時にはひかりはいつもの明るい表情になっていて、そして真っ直ぐで大きな声を俺に向けて飛ばしてきた。


「んじゃ、そろそろ時間だし、行ってくるね!!」

「あっ、ああ! 行ってらっしゃい」


 少し反応は遅れたけど、俺も妹が素晴らしい一日を過ごせるように、できる限り爽やかな声で送り出すように努めた。

 バタン、と音がしてドアが閉まり、眩しい朝日が真っ向から照りつける家の外へと、その背中は姿を消した。


 俺は食事を終えた後に二人分の食器と空になったお釜を洗いながら、しばし考えを巡らせていた。


 妹はどうも心羽に対して、それと俺が心羽と深く関わりすぎていることに対して、あんまり快くは思ってなさそうなところがある。

 確かに妹は体育会系で活発なタイプ、対して幼馴染みは真逆のゆるゆる、どう考えても相性の良さそうな二人じゃない。だから俺が心羽を起こしにいったりするのも、「なんでそこまでするの??」って思ってることだろう。

 気持ちは分かるが……そこまで意固地になるものでもないだろうに。


 そうなるとやっぱり、根底には俺に対する強い気持ちがあるんだろう。

 ひかりにとっての俺は、母でありながらも依然として兄だ。本来二人に分けて注がれるはずのものを俺一人が受けている――そういう気がしてきたのも、結構最近のことだったりする。俺と会話してる時のひかりは、前よりも楽しそうに見えなくもない。思春期の女子ってのは案外そういうものなのかもな。


 本日二度目の米研ぎを終えて、今度はそれが夜の19時きっかりに炊きあがるように、予約を設定する。

 ただ、考え事をしながら手を動かしていたせいか、やるべき事をやり終えた時には、時刻は07時30分をいくらか回ってしまっていた。


「うわっ、やべ」


 俺は高校生になって既に、時間を逆算することの大切さを身をもって知り始めていたわけで。毎朝余裕を持って登校するためには、30分に心羽を起こすのがベストだった。

 これはうっかり、軽くやらかしてしまった。


 急いでトイレを済ませてから、自分の部屋で身支度を整えたあと、バタバタと靴を履いて家を出る。

 自転車に乗って向かった先は俺にとっての「第二の家」。それは俺の家の目の前を通る細い道を進んで、最初にぶつかる信号のない交差点を左折して左手二番目にある、俺の家とほぼ同じようなごく普通の一軒家。特別大きくも小さくもなく、いかにも普通の。交差点を無かったものとして一本の道に伸ばせば、俺の家から数えてたった五軒だけ隣にある家。

 表札に「風海かざみ」と書かれたその家に、俺は景子さんから渡されている手持ちの鍵で、当然のように扉を開けて入った。


「おーい、心羽ーー」


 そこからのことは先述の通り。二階に上がって幼馴染みの部屋に入り、彼女を起こし、ベッドを直す。

 あっという間の5分間が過ぎ、俺はクローゼットから制服一式を取り出して、彼女が部屋に戻ってくるのを待っていた。


「あっ、窓開けるか」


 もう朝から外の空気に触れても、寒くは感じない季節だ。

 梅雨で最近天気が不安定だけど、今日は久しぶりに空は青く晴れていて、雲は小さな白いものがところどころに浮かんでいるだけだ。射し込んでくる陽の光はとても心地よい。

 顔に風を受けると、若干湿ってるのかなとは感じたものの、むしっとするほどでもなく程よく暖かかった。


 心羽だけでなく、俺までものほほんと脳天気な気分になってしまいそうな。そんな月曜日の朝の陽気だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る