第三章 もう一人の、彼_2
(……う~~ん)
昼からの授業が始まったけど、私は午前中にもまして上の空だった。
折坂くんの言ったことを、ノートに書いてまとめてみる。
何だかよくわからないけど……。
折坂くんの言うことが正しいんだとしたら、折坂くんの意識がない時に私は、彼に告白された…って、こと?
それって夢遊病とか……多重人格ってことに、なるんだろうか?
でもじゃあ、私に告白したのは一体
折坂くんであって、折坂くんではなくて──。
そもそも一体、何の目的があって私に告白なんかしたんだろう……。
(っ、あーもー! 全っ然、訳わかんない!)
この数日でハゲるくらいに色々考えすぎて、私の頭は
持っていたシャーペンでノートの1ページをぐしゃぐしゃと
……どうしよう。
多分、次の中間試験、私きっとボロボロだ……。
「三浦って、委員会全然、顔出さねーの?」
教室の前で私を待っていた折坂くんが、ドアから出てきた私に向かってそう聞いてきた。
「……うん、まぁ。しょうがないよ。三浦くん、野球部のエースだし」
「……ふーん」
だけどそれ以上は何も言わず、無言で私の前を歩いて階段を上り始める。
扉を開けると、サアッと冷たい風が目の前の折坂くんの
昼間はポカポカと暖かかったけど、さすがにこの時間は少し
当然だけどこんな時間屋上には誰もいなくて、私と折坂くん二人だけの
「昼間の話の続きだけど……」
私はハッとその後ろ姿を見つめる。
「
「……うん」
「その時の俺……、どんな感じだった?」
「どんな……って」
「
くるりと体をこちらに向き直らせ、折坂くんはガシャッと金網に背中を預けた。
こちらを向いた顔は、やっぱりどこか不安そうに見える。
私は首を
「折坂くんとあんまり話したことなかったから断定は出来ないけど……」
「……うん」
「でも、ちょっと……印象は
折坂くんは私を見つめながら、
「違うって……どんな風に?」
「どんなって……。ただ
ただちょっと
そもそもそんなこと言ったら気を悪くするかもしれない、と思って、私はあえてそのことは
すると折坂くんはぎゅっと
「あ、あの……折坂く……」
「────もしかしたら、俺……。何かに取り
「…………」
不安げに
……そりゃ確かに別人みたい、とは思ったけど。
だからって……何かに取り憑かれてる、なんて。
いくらなんでも……ねぇ。
「何かに取り憑かれてるって、例えば
「冗談なんかじゃねーよ!」
笑いを
その目の
折坂くんはどこか
「冗談で……こんなこと言わねーよ……」
「…………」
「心当たりだって、あるんだ」
「え?」
真横に引き結ばれた唇だけが見えて、私は自分の対応がまずかったことを何となく感じ取る。
……とは言うものの。
私、霊感なんて全くないし。
いきなり幽霊に取り憑かれてるかも、なんて言われても……にわかには信じがたいというか。
でも、心当たりがあるって、どういうことだろう。
取り憑かれた幽霊の正体に、心当たりがある…って、こと?
「………………」
あまりにも長い間折坂くんが俯いているので、私は
──もしかして。
本気で折坂くんのこと、
どうしよう。
謝った方がいいんだろうか……。
「あ、あのぅ……。折坂くん……?」
おそるおそる声をかけたその
ふわ…っと、空気が
サアッと風が
折坂くんは、ふぅ…っと小さく息を
「全く……。君にあんな乱暴なこと言うなんて、許せないな」
さっきまでの
それはまるで──。
あの日、私に告白してくれた時の、折坂くんのようだった。
「お……折坂くん……?」
折坂くんはゆっくりと顔を上げた。
目が合うと、にこっと
顔は折坂くんのままなのに、表情一つでこんなにも別人みたいに
「────違うよ」
柔らかく目を細めながら、折坂くんは一言そう言った。
何が違うのか意味がわからず、私は
「違うって……どういうこと? 何が違うの」
「僕は……『彼』じゃない」
「え?」
折坂くんの
さっき折坂くんの言った言葉が頭の中に
だって……これじゃ、ホントに別人みたいじゃない。
まるで、『
「彼じゃないって……あなたは折坂くんじゃないの?」
「うん」
「じゃ、じゃあ……じゃあ一体、誰なの?」
今まで
「……わからないんだ」
「わからない?」
「うん。自分が誰で、どんな名前だったのか……まるで思い出せないんだ」
「…………」
「気が付いたら……僕は彼の中にいた」
少しずつ
そんな中、私の口の中はカラカラに
確かに、今目の前にいるこの人は、折坂くんとは別人だ。
──そう思うのに。
やっぱりまだ、私は半信半疑だった。
だって……だってこんなこと、すぐには信じられない。
折坂くんは私をからかってるんじゃないか…って。
そんな思いがどうしても
「信じられない?」
黙り込んでしまった私の顔を
急に彼の顔が近付いてきて、私は
「し、信じられないっていうか……。訳が、わからなくて……」
「まあ、そうだよね」
「気が付いたら折坂くんに、乗り移ってたってこと?」
「うん」
「じ、じゃあ、あなたは……ゆ、幽霊ってことに……なるの?」
「……多分、そうなんだろうね」
そう呟いた彼の声は、どこか少し寂しそうだった。
まぁ、確かに……。
自分が何者かわからないけど、幽霊だってことはほぼ
それってつまり、もうこの世にはいない……って、ことだもんね。
「…………」
何を言っていいかわからなくなり、何となく目線を下げて俯くと。
彼はすぐに気を取り直したように、こちらに向き直った。
「でもね、一つだけ覚えてたことがあるんだ」
「え?」
「君のこと」
あまりにも真っ直ぐに見つめられて、私は
「長谷部鈴っていう女の子を、好きだっていう気持ち」
「…………」
「そのことだけは、覚えてたよ」
暮れなずむ空気の中、彼の優しい笑顔だけがくっきりと浮かんで見えるようだった。
好きだって単語を耳にして、ドキッと心臓が大きく
彼がホントに
だって……こんなに
「きっと僕は死ぬ前、君に
ドギマギしている私に気付かない様子で、彼は膝を
そうしてふっと
「好きだったけど君に想いを伝えられなくて、そのまま何らかの形で死んでしまって……。多分それが心残りで……」
「…………」
「だから君に告白すれば、思い残すこともなくなってきっと
「じ、じゃあ、あの日私に告白してくれたのって……」
「うん、僕だよ」
ケロッと、彼は
「僕はどうやら数時間しか彼の体を借りて外に出られないみたいで。あの日はただもう、後先も考えずに君に告白することしか頭になかった」
「…………」
「君の混乱とか……彼の不安とか、告白した後のこととか。……そんなことまで気が回らなかったんだ。───ごめんね」
次から次に色んな事実が発覚して、完全にキャパオーバーだった私は、ただただ
でももし、彼の言うことが本当なのだとしたら……。
折坂くんの態度も、
告白なんかした覚えもないのに、ろくに話したこともないクラスメートから告白の返事をしたいなんていきなり言われたら。
気持ち悪いし、怖いって思うよね。
冷たいように感じたあの時の態度も、それを考えたらしょうがないのかもしれない……。
そこまで考えて、私はふと首を
「でも……なんで、折坂くんなの?」
誰かに乗り移って、心残りだったことをやり
でもそれがなんで、
すると彼もわからない、というように
「どうしてなんだろうね。……何しろ僕は、何も覚えてないから」
「あ。……そっか」
「死ぬ前、彼と面識があったのか……。それとも他に何か理由があるのか」
軽く
それは別に折坂くんが育ちが悪そうとか、そういうことじゃなくて。
なんていうか、折坂くんはあくまでも
でも目の前の彼は、ちょっと上流階級のお
───だからなのかな。
こんな信じられないようなことを次々聞かされても、
折坂くんと『彼』が別人なんだって、私が一番、
「あ、でも……」
私はふと、さっき折坂くんが『彼』に切り
「折坂くん……心当たりがあるって言ってた……」
「え?」
「それって、あなたのことだったのかな。……それじゃあ、折坂くんとあなたは知り合い…ってこと?」
私の独り言に彼は少し考える
「あの……」
声をかけようとして、彼のことを何と呼べばいいかわからず私は言い
見た目は『折坂くん』でも、彼は折坂くんではない訳で……。
でも名前も覚えてないって言うし、何と呼び
「……どうかした?」
「え、あ……。あなたのこと、なんて呼べばいいのかなって……」
「────ああ……」
彼は
「別に。何でもいいよ」
「え。でも……」
「やっぱり、『彼』とはちゃんと、区別してほしいしね」
そう言われて、私は
好きなように呼べって急に言われても……すぐにはそんなの思い付かないよ。
でも、折坂くんとはちゃんと区別しなきゃいけないし、彼もそうしてほしいって言ってるし。
えーと、折坂くんの下の名前って確か孝平……だったから、それとはカブらないようにしなきゃいけないよね。
「じゃあ……。幽霊だから、ユウくんで」
散々考えあぐねたあげくにやっと出てきた名前が何の
意外にも彼はそれを聞いて、にこっと
「うん。……いいよ、それで」
「───ごめん。センスなくて」
「ううん。名前があると、ちゃんと自分が存在してるんだ…って、思えるから」
そう言うとユウくんは、次は少し
「もっとも……肉体はもう、この世には存在してないんだろうけど……」
すっかり
私の胸が、チクリと小さな痛みを覚える。
ユウくんの正体が
彼がこの世に残した想いを、何とか
人の体を借りてまで
「ねぇ、ユウくん」
姿勢を正して、私はキッとユウくんの顔を見上げた。
「ユウくんは……成仏したいんだよね?」
「え?」
「
真っ
「……うん。いつまでもこの体を借りるのは、彼に申し訳ないからね」
「……ん。……わかった」
「それに……何となく、僕には時間がないような気がするんだ」
「え?」
「覚えてないからハッキリとは言えないけど……。早くしなきゃって
「…………」
「それならちゃんと、叶えてから消えたいんだ。──せっかくこうして、この体を借りることが出来たんだから」
ユウくんの
それが本当に切なくて、胸がキュウッて苦しくなる。
私も
「私も、協力するよ」
「え?」
ユウくんは、少しびっくりしたみたいに
「ユウくんがちゃんと
「…………」
「だから色々教えて。ユウくんのこと」
ぐっと
「教えてって言われても……。さっき言ったみたいに、僕は君のこと以外は何も覚えてないんだ……」
「ん、それはわかったけど……。例えばユウくんが体を借りられるのって、折坂くんだけなの?」
「……うん。
「自分の意思で、自由に借りられるの?」
「いや。現れるのも消えるのも、いつも
「……そうなんだ」
「あと大体、いつもこのぐらいの時間だな。夕方から夜にかけての……約二時間ぐらい」
「それ以外の時間はどうしてるの?」
「……わからない。……でも時々、彼の目を通して物を見ている時はあるよ。朝だったり昼だったり、不規則だけどね」
ユウくんの言葉を聞いて、私はウーンと考え込む。
ユウくんが折坂くんの意識を乗っ取ってる間、折坂くんの
それに夕方だけっていうのも……何か意味があるのかな……。
「でも……本当に何なんだろう」
不意にユウくんが
「君への告白じゃないんだとしたら、僕が思い残したことって一体……」
その時、私のカバンの中からメールアプリの独特な通知音が鳴った。
ユウくんは口を
「わ、ヤバい、お母さんからだ! もう帰んなきゃ」
画面に映し出された『今どこにいるの?』の文字と、
すぐに
「ごめん、何か言いかけてた?」
焦りぎみに聞くと、ユウくんは小さく笑いながら首を横に
「……ううん。何でもないよ」
「え? でも……」
「ホントに。もう暗いし、帰ろう。家まで送るよ」
ゆっくりと、体を引っ張り起こされる。
「あ……ありがと……」
すぐ間近にある彼の顔にドギマギしながらお礼を言うと、ユウくんは
それでもやっぱりその顔は、クラスメートの折坂くんで。
私はこの時、一体どっちにドギマギしているのか、よくわからなくなってしまったのだった。
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